43.掌中
――朝、休日の神殿。
私はいつもの様に神殿に祈りを捧げに来ていた。
祈りを捧げ終わると、赤竜おじさまの客間に行きコーヒーを飲む。いつもの平和な日常だ。
フィルと並んでいつものコーヒーをこくこくと喉の奥に流し込む。
鼻いっぱいに広がる芳香に、ほわぁっと幸福を感じていた。
トビアスやナディアは琥珀色の液体を静かに口に含んでいた。
赤竜おじさまが楽しそうに笑う。
「ははは! ゲルダは本当にコーヒーが好きだね! そんな幸せそうな笑みを見ていると、こちらまで幸せになってしまうよ!」
私は少し照れながら応える。
「おじさまもワインばかりではなく、コーヒーを飲んでみたら? 飲み慣れると美味しいよ?」
赤竜おじさまが笑いながら応える。
「おそらく私の口には合わないだろう。お前の望みなら応えてやりたいが、美味そうに飲んでやることは難しいと思う。だからやめておくよ」
そっかー。美味しくないものを飲んでもしょうがないしね。
そこは素直に諦めよう。
秋はワインが美味しい季節だという。それならば尚更ワインの方がいいだろうな。
私たちがコーヒーを飲み終わる頃、赤竜おじさまが”いつものように”握った両拳を私の前に差し出してきた。
「さぁゲルダ。どちらに飴玉が入っているか、分かるかな?」
「またそれー? それって意味があるのー?」
夏ごろから赤竜おじさまが私に毎週仕掛けてくる飴玉当て遊びだ。
巫女の直感がある私にそれを仕掛けて、なんの意味があるんだろう?
「今回はコーヒー味の飴を用意したよ? どうだい、舐めてみたくはないかい?」
む、コーヒーか。それはちょっと興味がそそられるな。
んーと、明るい気分で自分を信じて……
私は”なんとなく”で赤竜おじさまの右拳を指さした。
「こっちだね!」
赤竜おじさまが開いた手には、リンゴ味の飴玉が入っていた。
「あれ、コーヒー味じゃないの?」
赤竜おじさまの左手を開いてみても、そこに飴玉はない。
赤竜おじさまが陽気に笑って応える。
「どうやら、握りこむ飴玉を間違えてしまったみたいだね! だが当てたのだから、飴玉はゲルダにあげよう」
間違えかー。いくらおじさまが偉い竜とはいっても、間違える事は誰にだってあるよね。
私はおじさまの手から飴玉を拾い上げてローブのポケットにしまい込んだ。
「それじゃあ赤竜おじさま! また来週ね!」
私はナディアたちと共に神殿を後にした。
****
神殿帰りはカフェテラスに立ち寄るのがいつものパターンだ。
いつものパンを齧り、いつものコーヒーを飲む。
トビアスは別の銘柄をストレートで飲んでいた。初心者向けの銘柄が口に合ったらしい。
今ではすっかりコーヒー好きの仲間入りだ。
私は口の中のパンをコーヒーで流し込んでからトビアスに尋ねてみる。
「赤竜おじさまのあの遊び、なんの意味があるんだろうね?」
トビアスが苦笑をしながら応える。
「私に分かる訳が無いじゃないですか。あなたお得意の”なんとなく”で何かわからないんですか?」
「んー、それがさっぱり分かる気がしないんだよね。巫女の直感と言ったってなんでも分かる訳じゃないしさー」
トビアスの目がわずかに細くなる。
「……まぁそうですね。命の危機という訳でもありませんし。こんな些末なことに創竜神の加護が働かないだけでしょう」
その通り。すべてが直感で解決できるなら人生で困ることはないのだ。
直感が働くようになったのもこの国で悪魔崇拝者に襲われてからだったし。
必要な時にだけ働くんじゃないかなー。
私たちは昼食を兼ねたコーヒータイムを堪能してから王宮に戻っていった。
****
――昼、週明けの学院の学食。
私はお肉の切れ端をもぐもぐごくんと飲み込んでからフレドに尋ねてみる。
「クラインさんの研究レポートは進んでるのかな?」
フレドは苦笑をしながら応える。
「俺に姉さんの持つ専門的な知識が分かる訳ないだろう? 少なくとも、行き詰ってる感じはしないな」
夏以降、クラインさんは”今まで赤竜様から聞いてきた話を纏めるわ!”と言って神殿へ通わなくなっていた。
白竜信仰クラブ会長として、伝承にある神話の詳細を綴っているらしい。
クラインさんも今年で卒業するので、クラブに何かを残していきたいのだと言っていた。
何気に婚約者も既に居るらしいので、卒業後はそのまま婚姻コースじゃないかとフレドは言っていたけれど。
お昼ご飯をお腹に詰め込み終わった私は紅茶を飲み干して立ち上がる――同時にティナやアーネたちもあわせて立ち上がった。
「それじゃあお昼の礼拝に行こうか!」
祭壇前で祈る私の傍らには、私以外の武錬クラブメンバーが揃っていた。
つまり昼食を食べていた面々がそのまま礼拝堂に移動していた。
礼拝が終わった私が祭壇から振り返り、みんなに尋ねる。
「前も聞いたけど、なんでみんなで傍に居るの?」
フィルが優しく応える。
「貴方は深く考えないでください。僕らが必要だと思ったから傍に居る。それだけですよ」
私は小首を傾げてみたけど、フィルはただ静かに笑っているだけだった。
こういう時、私が何かを教えてもらえることはない。
諦めて小さく溜息をついて、礼拝堂を後にした。
****
午後の神殿、赤竜の客間。
そこには赤竜とナディアの姿があった。
赤竜が静かに尋ねる。
「どうしたナディア。何か用かな?」
ナディアがおずおずと尋ねる。
「殿下がいらっしゃると打ち明けては頂けないと思い、平日にお伺いしました――レッド公爵、何が起こっているのですか?」
赤竜は静かに笑ったまま応える。
「それは、どういう意味かね?」
「昨日の飴玉当て、普段の殿下ならば目当ての飴玉が握りこまれていない事を感じ取れたはずです。それにレッド公爵からも以前程の覇気を感じません。お二人の身に何が起こっているのですか?」
長年ゲルダと行動を共にしてきたナディアは知っていた。
彼女は無自覚で巫女の直感をこれまでも使ってきていた。
それでナディアが出し抜かれた事が何度もあったのだ。
敵の策謀で気持ちが落ち込んだ時には直感が働くなっていたが、今も天真爛漫なゲルダは創竜神の加護を得られない状態とも思えなかった。
赤竜にしてもそうだ。
普段の赤竜ならば、ナディアと二人きりでも陽気に笑って出迎えて見せていたはずだ。
それが今は、穏やかに笑うのみだ。
これは新たな敵の攻撃ではないのか、という思いがナディアから払拭できないでいた。
赤竜が苦笑を浮かべながら応える。
「お前が最初に気づくだろうとは思っていたよ――お前の懸念通り、崇拝者共の攻撃を受けていると思っていい。私とあの子の力が削がれている。この国の現状は分かっているね?」
ナディアが頷き応える。
「夏からこちら、周辺国から激しい攻撃を受けています。ですがこの国は充分な強国。敵がこの王都まで攻め込むことはできないでしょう」
赤竜が首を横に振る。
「敵の狙いはこの国の陥落ではない。人の命がこの国の土地で失われることだ。勝ち負けなどどうでもよく、この国を戦場として血が流れればよい」
ナディアが理解できず、怪訝な顔になる。
それを見て、改めて赤竜が説明をする。
「奴らは悪魔の復活に寵児の命を使う事を諦めた。普通に生きる人々の命を供物として悪魔に捧げ、力としている。そう言ったのだ」
****
ナディアの顔が蒼褪めている。
戦争を白竜教会が止める力を持たない事は、この数か月で思い知らされていた。
赤竜が言葉を続ける。
「その通り、これを防ぐ手はない――だが人々に簡単に死なれてしまっては他の悪魔の復活が遅れる。人間の絶望こそが悪魔の力の元だからね。通常、奴らがこの手を取ることはない。それに、毎日巫女や寵児が祈りを捧げてもいる。それさえあれば、今回程度の規模の戦いを恐れる理由など本来はない」
「では、なぜレッド公爵と殿下の力が削がれているのですか?」
「周囲の霊脈から穢れで分断されているだけでなく、この地の霊脈までもが乱されている。今や私は霊脈から魔力を回復することが出来ず、あの子の祈りも十全に悪魔を封じる力となっていないようだ。そこに多数の人間の命が供物としてこの地に捧げられる事で、悪魔が力を増してきている」
「霊脈とは、そのように簡単に乱せるものなのですか?」
赤竜が首を横に振る。
「崇拝者如きが乱せるものではないよ――だが手はある。かつて≪魔竜の血石≫という宝玉があった。その宝玉には霊脈を乱す力がある。永い時の中で失われてしまっていたが、今回それが使われている可能性がある。魔王を復活させる決定打にもなり得る、強力な力だ。今この状況で奴らがそれを使ってくるとは未だに信じられないが、それ以外にここまで霊脈を乱す方法を私は知らない。これに対抗するには≪聖竜の血石≫という宝玉が必要だが、こちらも永い時の中で失われてしまっている。現状で打てる手はない。創竜神様も何か対応を考えているだろうが、地上で動かせる力が霊脈の修復に回されている以上、打てる手は限られてくるだろう」
状況が悪くなる一方だと分かっているのに打てる有効打が無い――ナディアにはこの感覚に既視感があった。
前回、ゲルダが魅了された時の状況がそんなではなかったか。
赤竜がナディアの蒼い顔を見て頷いた。
「この感じ、前回あの子が陥らされた状況に似ているな。後手に回され、我々が奴らの思う通りにしか動けないように縛られる感じだ。現在の我々は敵の掌中にあると思ってくれ――恐らく、前回の計画を立案したのと同じ崇拝者が今回も動いている。決して油断してはならない」
ナディアが声を上げる。
「ですが! あの男は前回滅ぼしたはずです!」
「逆に聞くが、滅ぼしたあの男がクリスの時の男だと、お前は断言できるか?」
ナディアが言葉に詰まる。
顔を見たわけではないのだ。声だって確かとは言えない。
クリスの時に赤竜は”男の力は下位の悪魔に匹敵する可能性がある”とまで言ったが、前回見せた最期の悪あがきにそこまでの力は感じなかった。
あまりに一方的に事を終わらせ過ぎてしまい、敵の力量を推し量る材料に欠けた。だがクリスの時の男が、ああもあっさりとやられると思い難いのも事実だった。
赤竜が静かに告げる。
「更に聞くが、お前はこの神殿に来て気付いたことはないか?」
ナディアが怪訝な顔で黙って首を横に振った。
毎週通うこの神殿にまで異変があるのだろうかと思案を巡らせたが、そこまで神殿を注意して見ては居なかった。
赤竜が静かに続ける。
「巡礼に来る巫女や寵児が異様に少ない。扮装中のこの国に国外から入ってくるのが難しいのもあるだろうが、それにしても少ないのだ。国内に居た巫女が襲われている可能性がある。現在この国に居る寵児はゲルダ一人だ。祈りの力が十全に届かない上に、祈る巫女の数も減らされている。この分では悪魔の復活も時間の問題だろう」
顔を蒼白に染めながらナディアが尋ねる。
「余りにも早くはありませんか。たった数ヶ月でこれほど状況が悪化するものなのでしょうか」
赤竜が難しい顔になる。
「ゲルダの祈りが捧げられる中でこれだけの事を短期間でやってのけるのだ。ゲルダに匹敵する祈りの力が≪魔竜の血石≫に捧げられているのだろうな。だがあの子は竜の寵児の中でも祈りの力に秀でた子だ。あの子に匹敵する程の祈りなど、簡単に行えるものではない。私にも奴らがどうやってそこまでの祈りを行っているのか、見当がつかない――唯一の救いは、この手段で顕現を遂げた悪魔なら、創竜神様の封印に強く縛られたままだ。今のゲルダたちで充分撃退する事が可能だろう。悪魔が力を増す前に早期に発見することが出来れば対応はできる」
ナディアには疑問だった。
簡単に撃退できる状態で悪魔を復活させることが敵の目的だとは到底思えない。
まだ何かがあるような、そんな気がするのだ。
「レッド公爵、本当に我々には打てる手が無いのでしょうか」
「……あの子の命が狙われぬように警護を固める事だ。諦めたと思わせておいてあの子が狙われる可能性が残っている。霊脈が乱された今、神殿や学院で殺されるとは限らなくなった。この国のどこに居ても結果が大きく変わらない。悪魔を復活させる効果的な場を奴らは手放した。敵としても諸刃の剣なのだ。いつどこで狙われるかが読めない以上、常に警戒を怠らない事だ」
****
――夕方、学院から帰る馬車。
「ねぇナディア、普段は王宮で待っているのに、なんで今日はナディアが迎えの馬車に乗ってたの?」
ナディアは力のない微笑みで私に応える。
「殿下はお気になさらずに居てください――それより、毎日の礼拝でなにかおかしな事はございませんか? 普段と違う感覚をお感じになられていませんか?」
急に変なことを聞いてくるなぁ?
霊脈が閉ざされてから創竜神様の気配を感じることはできていないし、私は前と同じように一心に祈るだけだ。
そこに変わった感覚などは特になかったと思う。
私は黙って首を横に振った。
「……そうですか。いえ、大したことではございませんので、殿下はお気になさらず」
そう言ったナディアは、フィルやトビアスと何か目配せをしていたようだった。
最近、こうして言葉に出さずにフィルたちと会話している事が多いように感じる。
何を隠してるんだろう?
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――夜の王宮のテラス。
ゲルダが入浴している時間にナディアがフィルとトビアスを呼び出していた。
トビアスが深刻な顔で俯いていた。
「そんな事になっていましたか。確かにこの国を取り巻く状況は異常とも言えるものです。何かはあると思っていましたが……」
フィルの目も厳しい。
「父上が各国に停戦を申し込もうにも、一切話を聞くつもりが無いようだと言っていた。これは隣国の上層部が崇拝者か、変身して成りすましていると見ても良さそうだ」
ナディアが二人に提案する。
「今以上に警戒を怠らないようにしてください。できればモフィス侯爵子息にも王宮に滞在してもらった方が良いかもわかりません。彼だけが自宅で暮らしていますからね」
フィルが頷いた。
「分かった、相談はしてみよう。クラインの事を心配するかもしれないが、現状でクラインが狙われる可能性は低いように思える。侯爵が警護を固めれば、容易に攫われることもないはずだ」
三人が頷き、テラスを後にした。
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――夜のモフィス侯爵邸、クラインの部屋。
クラインは楽しそうに執筆を続けていた。
鼻歌を歌いながら、伝承を詳細に解説した資料を作っている最中だ。
執筆の邪魔にならないよう、人払いまでして熱中していた。
ドアがノックされ、フレドが姿を現す。
「姉さん、そろそろ寝ないと明日に響く。そこまでにしておけよ」
フィルの声に顔を上げ、クラインが笑顔で振り向いた。
「――あら、もうそんな時間だった? ありがとうフレド」
クラインはノートを閉じ、人払いを解いた。
侍従と共にフレドが苦笑を浮かべ、フレドは己の部屋へ戻っていった。




