45.食事
私は赤竜おじさまの部屋に急に呼び戻され、全ての現状を説明してもらっていた。
「私の祈りが、悪魔に捉われてるの? 創竜神様に届いてないの?」
赤竜おじさまは静かに頷いた。その顔にはもう、笑みが無い。
私の前で笑って見せる事すらできないほど、具合が悪いのだ。
更に祈る事しかできない私が、”もう祈るな”と言われてしまった。
これで正真正銘、何もできない女の子の出来上がりだ。
足元が崩れて行くような喪失感が私を襲っていた。
ソファに腰かけて居なければ、今頃倒れ込んでいた事だろう。
「お前は恐らく”自分はもう何もできない”と思っているだろうが、竜の魔導術式を使う事はまだできる。その力で周りの者たちに力を貸してやるといい。今の私よりは力になってやれるはずだ」
それはあの赤竜おじさまが、今の私より弱い力しか持っていないという事?!
いつも力強く、陽気に笑って傍で守ってくれた赤竜おじさまがそんなに弱っていただなんて……
ナディアが蒼い顔で赤竜おじさまに尋ねる。
「捉われた殿下の祈りを取り戻す方法はあるのでしょうか」
赤竜おじさまの目が優しく私を見た――とても弱々しいけれど、ほんのわずかに微笑んでくれている。
「ゲルダ。お前は今、誰に向けて祈っているか自覚はあるかい?」
そんな事を急に言われても、いつも通り一心に祈ってるだけだ。思い当る事なんて……
――あ、でも最近感じるようになった創竜神さまかもしれない気配。
一度あの存在に祈りを捧げて以来、祈りが勝手にそこに向かってしまっている気もする。
「少しはあるかもしれない。無視しようとしても逃げられない感じがするんだ。とても大きな存在をうっすらと感じて、最初は創竜神様かな? って思って祈りを捧げてみたんだけど、なんだか違う感じもして、でも祈ってる間、その存在の事がずーっと気になるんだ」
赤竜おじさまが頷いた。
「それがおそらく、この地に封じられていた悪魔だよ。奴らは人の心を惑わす存在だ。お前に創竜神様の影を見せる事ぐらいはやってのける。なんらかの方法でお前の祈りを穢し、その魔力を食っているんだろう。もうお前ひとりの力では、奴から祈りを取り戻すことはできないかもしれない。創竜神様も現状は把握しておられるはずだ。創竜神様からの使者が間に合えば、その力を借りることはできるだろう」
自力じゃ無理なのか。
クリスさんの時の赤竜おじさまのように、誰かが力を貸しに来てくれるのを待つしかない――そういうことなのかな。
「……じゃあ、フレドはどうしたらいいの? フレドが悪魔の協力者だったとしたら、多分クラインさんを人質に取られてる。なんとかして助け出さないと」
フィルが私に意見を述べてくる。
「クラインが攫われたという話は耳に入ってきません。来週末の僕の誕生日を祝う夜会にも出席する様です。となると、そのクラインは崇拝者がすり替わっている可能性がありますね」
すり替わり……前にクリスさんがフィルの偽物に化けていたように、言葉をかわした程度じゃ見抜けないような事をされているとしたら、使用人や家族も騙される。
私だってフィルの偽物だと気づくのに時間と運が必要だった。それを私たちが見抜くのは無理な気がした。
赤竜おじさまが提案をしてくる。
「クライン本人を水鏡で見てごらん。すり替わっているなら、本物が囚われている場所が分かるはずだ」
私はおじさまに頷いてから≪水竜の水鏡≫の術式でクラインさんを映し出してみた。
私の手の中の水鏡は、とても楽しそうにノートに向かっているクラインさんの姿を映し出している。
フィルが地図を見ながら私に所感を述べる。
「クラインの位置はモフィス侯爵邸で間違いありません。フレドの話では、クラインは赤竜から聞いた伝承の詳細を執筆しているという話でした。この姿はその通りに見えます」
赤竜おじさまが私に告げる。
「ゲルダ、クラインが執筆しているものを映し出してみてくれないか」
言われた通り、水鏡で移す対象をクラインさんのノートに移した。
ノートに記された内容が鮮明に水鏡に映し出されたけど、私にはさっぱりわからない物語だ。
赤竜おじさまが水鏡を覗きながら眉をひそめた。
「……私がクラインに教えた通りの話が書き記されているね。これはどう考えるべきだろうか。このクラインが偽物とは私には思えない。今は分からないが、巫女の直感を働かせていた時期のゲルダの傍に、崇拝者が成りすましたフレドが居た可能性も低いだろう。協力者程度なら直感を掻い潜る方法があるかもしれないが、フレドは簡単にゲルダを裏切るような男でもない。だがフレド以外に敵の手先となっている可能性のある者が居ない。ならばほぼ間違いなく、クラインを人質に取られているはずだ」
赤竜おじさまが困惑しているのが分かる。弱ったおじさまは、考えを働かせる力も弱っているみたいに感じる。
私にもさっぱり分からなかった。
うーん、この平和そうなクラインさんは本物だけど、悪魔の人質になってるということ?
フィルもしばらく考えてた後に意見を述べる。
「クラインが本物であるとするならば、クラインのすぐ傍に崇拝者が潜んでいることになります。ですがフレドは王宮に滞在する事に驚くほど素直に快諾しました。崇拝者が潜んでいたならば、わずかでも逡巡を見せたと思います。これをどう思いますか?」
赤竜おじさまがそれに応える。
「……フレドが協力者だと思わせるのが奴らの思惑かもしれない。こちらは完全に相手の術中だ。どう考えてもその手から逃れられる気がしない。すまない、今の私はやはり力になれそうもない」
赤竜おじさまの弱気な発言で、その場が暗く沈んでしまった。
こんなに自信のないおじさまを見るのは初めてだった。
おじさまの話だと、もう何か月もまともに食事をしていない事になる。
そりゃあそんな状態じゃ力も出ないし、頭も働かない。弱気になってもしょうがないか。
おじさまは魔力を食べると言っていた。
そしてここに、祈る事を禁止されて魔力を持て余した巫女が一人いる。
ならば答えは一つ!
私は明るく元気よく、右手で天を突いた。
「ねぇ赤竜おじさま! 私がおじさまに対して全力で祈れば、それはおじさまのご飯になる? どうかな?」
赤竜おじさまが目を見開いてきょとんとしながら応える。
「あ、ああ……目の前の私に対する祈りであれば、遠くに居る奴に届く前に私が食べてしまう事は可能だ」
よっし、それじゃあおじさまの為だけに祈って見せようじゃないか!
祈り続けて十五年、竜の巫女の名にかけて、必ず赤竜おじさまに魔力を届けてやる!
私は早速その場で目を瞑り、目の前の赤竜おじさまの存在をしっかりと感じながら、それに対してのみ祈った。
なんだか大きな気配を遠くで感じたけど、今はそんな存在は無視! 創竜神様だったらごめんね!
私はただ一心に赤竜おじさまに祈る――すると、途端に私の身体から根こそぎ魔力を吸い出される感覚があった。
――うわっ! ちょっとこれ怖いかも?!
命の危険を感じつつも、必死に祈り続けた。
私の意識はそのまま、闇の底に沈んでいった。
****
気が付くと、私はベッドの上に居た。
辺りを見回すとみんなが居る。赤竜おじさまの客間で寝かされていたみたいだ。
私は改めて赤竜おじさまの顔を見る――そこには、陽気な笑顔の叔父様が私に向かって微笑んでいる姿があった。
「いやー、ごめんなーゲルダ。おいちゃん、あまりに久しぶりの食事だったから思わずがっついちゃったよ!」
私は、にへらっと笑って応える。
「おじさま、そんなにお腹が減ってたの? すごい勢いで魔力を吸われたから、死んじゃうかもって思っちゃったよ」
私の弱々しい声に、赤竜おじさまが明るく応える。
「ははは! なんとか死ぬ手前で止めて、少し魔力をゲルダに戻したよ。
……やっぱり死ぬ手前だったんじゃないか。
怖い事するなぁもう!
でも、そのくらいお腹が空いてたって事だよね。それじゃあしょうがない。
「どう? 赤竜おじさま。少しは頭が回るようになった?」
赤竜おじさまがニカッと笑ってサムズアップする。
「まぁ少しはね! ゲルダの魔力は本当に桁違いだね。いつの間にこんなに成長していたんだい? おいちゃんの魔力をこんなに回復できるなんて、いくら竜の寵児でも滅多に居ないよ?」
そっかー、私の魔力全部ってそのぐらいの量なのか。
それを今まで、敵の親玉にあげてたんだからそりゃあ喜ぶだろうな……
でもおじさまが元気になってよかった。
赤竜おじさまが笑いながら私の心の声に応える。
「霊脈を通ると魔力は減衰するんだ。太い霊脈の上で祈っても、五割から八割くらいが限度かな。聖属性のお前の魔力を邪法で取り込むとしても、全てを取り込めるわけではないだろう。だから今までのゲルダの祈り全てを悪魔が食べていた訳ではないよ」
その減った分の魔力ってどこにいっちゃうんだろう?
「霊脈の中を漂う、雑多な魔力に混ざるんだ。霊脈の途中に棲む生き物がそれを食べる。竜が食べるのもそういった魔力だよ」
そっかー。
私が太い霊脈だと魔力の回復が早いのも、きっとそういう魔力を食べてるってことだね。
トビアスが赤竜おじさまに尋ねる。
「赤竜、今の貴方であれば、フレドを連れてきて心を読むことも可能ではありませんか? 彼をこの場で問い質すことが出来るのでは? 心が読めなければ崇拝者、結論が出ますよ」
赤竜おじさまが明るく頷いた。
「うむ! それくらいはもうできる。フィルとトビアス、それとナディアはフレドを連れてくるといい。私がゲルダの傍で守っていよう」
しばらくして、帰りに合流するはずだったフレドが、戸惑いながらフィルたちと共に赤竜おじさまの客間に現れた。
フレドが警戒心を隠さずに赤竜おじさまに尋ねる。
「……これは、どういう状況だ?」
赤竜おじさまが陽気に応える。
「フレド、お前に悪魔崇拝者の疑いがかかっているんだ。あるいは協力者のね。お前はクラインを人質に取られている。違うかい?」
フレドは一瞬怯んだみたいだけど、少し考えてから応える。
「何故そう思ったか、聞いてもいいか」
「地脈が乱れ、ゲルダの祈りも奪われた。この二つは、お前がゲルダの祈りに同席するようになってから起こった事だ……見ての通りだ。ゲルダのおかげだね……そう、その宝玉だ……いや、救いたいと思っているから安心しなさい……もちろん協力するとも」
……。
なるほど、心を読まれてる人とおじさまの会話ってこう聞こえるのか。
聞いていてもさっぱり話が見えない。
みんなが私の心の声と叔父様の会話を、ぽかーんと呆気に取られながら眺める気分がよく分かってしまった。
観念したフレドが溜息をついた後、赤竜おじさまの正面にドカッと腰を下ろした。
「ここは客に茶も出さないのか? 少し長い話になる。みんなも座って、茶を用意した方が良い」
夏の中頃、クラインさんが深い紫色の宝玉を嵌め込んだブローチを胸に付けるようになったのが始まりだとフレドは語り始めた。
紫水晶よりも漆黒に近い色をしたその宝玉のブローチを、クラインさんはとても大切に扱っていたとか。
ある日クラインさんの部屋に呼び出されたフレドは、人払いがされた部屋で言葉を交わしたという。
「そいつは姉さんの姿と声をしていたが姉さんではなかった。姉さんの偽物と思って殺意を向けた瞬間、”そんなことをすればクライン・モフィスの死体が一つと、姉殺しのお前が残るだけだ”と言われた」
そしてクラインさんはその紫色の宝玉を隠し持って私の祈りの場に同席するよう求めたという。
丁度その頃、武錬クラブメンバーが私と一緒に礼拝堂に通っている時期だった。
時折、クラインさんはクラインさんではなくなり、フレドに現状を確認するようになったという。
だけどクラインさん本人である時間はいつもと全く変わりないクラインさんで、フレドもしばらくは混乱して納得できなかったみたい。
「そいつの要求は一つだけだった。その宝玉を隠し持ったまま、ゲルダの祈りに同席する事。目的が達成されたら姉さんを解放してやるという約束をしてくれた――未だにそれは果たされていないがな」
冬に入ってから、クラインさんはブローチを返すように要求したという。
フレドが”目的は果たしただろう? 姉さんを返せ”と言うと、”まだ目的は果たせていない。お前はそのまま待機して居ろ”と言われたらしい。
その日以来、そのブローチを見かける事はなくなったという。
赤竜おじさまが難しい顔で告げる。
「その宝玉が≪魔竜の血石≫だよ。霊脈を乱し終わり、ゲルダの祈りを奪ったから回収したんだろう。これからは少しずつ、この地の霊脈も周囲につられて修復していくし、創竜神様が霊脈を修復する人員を寄越して下さるだろう。少し霊脈が修復される期間が伸びたが、それ自体は大きな問題ではない。クラインはおそらく、魂に悪魔を潜まされているね。封印の隙間から漏れ出た悪魔の小さな力の断片のようなものが魂の片隅に張り付いてる、そんな状態だろう。魂が汚染されているような状況ではないと判断する。悪魔本体を倒すか、ゲルダが本来の祈りを取り戻せば簡単に引き剥がせるだろう――だが復活を遂げた悪魔の居場所と目的がわからないね」
おー、赤竜おじさまにいつもの頼もしさが戻ってる!
そうだよね、おじさまならこれだけ判断材料があれば、このぐらいは分かるはずだよね。
とりあえず、今はまだクラインさんが無事って事が分かっただけで私は一安心だ。
フレドが真顔で尋ねる。
「赤竜のおっさん、その悪魔が今、どのくらいの強さか分かるか?」
赤竜おじさまが頷いて応える。
「未だ封印に強く縛られた状態だ。ゲルダから祈りを捧げられて少し力を付けたが、乱れた霊脈を経由している。まだまだ全然弱いね。創竜神様の加護の元で、皆で戦えば充分勝ち目はあるだろう」
ナディアがそれに応える。
「ではやはり、鍵は殿下の祈りをどうやって取り返すかにかかってる訳ですね」
赤竜おじさまが頷いた。
「だが敵の仕掛けた邪法は≪魔竜の血石≫を媒介としたものだろう。それを解呪するには失われた≪聖竜の血石≫が必要だ。或いは創竜神様の奇跡を祈れる巫女が居ればそれでも解呪できるだろうが、ゲルダ以外にそんな巫女は居ないね。それ以外の方法がないか、私の方でも調べてみよう」
私はベッドで話を聞いていて、のそりと右手を挙げた。
「おじさま、どうやって調べるの?」
赤竜おじさまがニカッと笑う。
「毎日放課後に神殿においで。私がゲルダの解呪を試みるよ。それで少しは分かる事もあるだろう」
フィルが赤竜おじさまに尋ねる。
「悪魔の目的がゲルダである可能性はありますか?」
赤竜おじさまが微笑みながら眉をひそめた。
「んー、霊脈が荒れて効果的に殺すことはできないし、何より今のゲルダを殺しても、一般人を殺すのと変わりがない。ゲルダを解呪する方法がない今、大した脅威にもならない。悪魔がゲルダに敢えて拘る理由がないんだ。我々としては警戒を怠れないが、目的である可能性は低いと思う」
フレドがおじさまに尋ねる。
「復活した悪魔ってのはどれくらいの距離を動けるものなんだ?」
「封印に強く縛られている今、復活を遂げた場所から大きく離れることはできないね。部屋の中から出る事すらできないだろう。そのくらいだと思って構わないよ」
「ってことは、まずその封印を弱めるか消してしまうのが悪魔の目的で間違いなさそうだな」
「だがその効果的な方法が今はないと思うよ? 隣国の戦力だって無尽蔵じゃないだろう? そろそろ兵が尽きているんじゃないかい?」
フィルが頷いて応える。
「戦死者数は隣国が圧倒的ですからね。冬になってからは交戦回数が減っていますし、おそらく雪が降る前に撤退すると思いますよ。あれだけ損害を出した以上、来年再び攻めてくることも難しいでしょう。その前に他国が攻め入って滅ぼされる可能性が高い」
赤竜おじさまがニヤリと笑っている。
「恐らくだが、ゲルダの祈りの魔力を封印解除に充てるつもりだったと思う。ゲルダの祈りは相当強い。乱れた霊脈の中でも一割くらいは見込めるだろう。その祈りが届けばかなりの力になる。現在はその当てが外れた状態だ。次にどんな手を打ってくるかはちょっと読めないね」
なんで楽しそうなんだろうか……久しぶりに元気になったから気分が高揚してるのかな?
赤竜おじさまがこれだけ元気なら、多分なんとかなるよね……
うーん、神殿で横になってるのに身体に力が入らない。
こんな感じは初めてだなぁ。それだけ霊脈が荒れてるんだろうな。
フレドが手を挙げて赤竜おじさまに尋ねる。
「戦死者を捧げる事は出来なくなったろうが、通り魔的に国民を殺すことはできるはずだ。崇拝者共の祈りも侮れない。悪魔の力を抑えるゲルダの祈りが無い今、時間を置けば相手が有利になる。どうするんだ?」
「それを全て防ぐのは無理がある。そこは諦めるしかないね。敵が次の動きを見せるのが先か、創竜神様の使者が姿を見せるのが先か……まぁ、ゲルダの天運にかけるしかないだろう」
天運? 神様が授ける運命、みたいな意味だっけ? 昔、ナディアが口にしていたことがあった気がする。
んー天運かー。
”なんとなく”大丈夫な気がしてくるなー。
ま、なんとかなるかー!




