40.惨劇
――ヴェルマン伯爵邸の隠し部屋。
マントの男がフードをかぶったまま、鏡に映る映像を眺めていた。
その鏡には精霊眼が映す竜の寵児との情事が、ややぼやけた映像として届いていた。
今夜で三日目。若いとはいえ毎晩盛んな事だと、マントの男は嗤っていた。
神に仕える神聖な巫女が神殿で情事に耽るなど、悪魔でも腹を抱えて嗤うと言うものだ。
昼間も時間があれば互いに微笑みあい、情を交わしている。時は充分満ちただろう。
「フン……魅了の邪法を弾いた時は生意気なガキだと思っていたが、結局魅了からは完全に脱せなかったというところか」
どうやら赤竜は精霊眼に仕掛けられた術式に感づいたらしく、逆干渉を毎日試みているらしい。
だが精霊眼は赤竜程度の”低位”の存在が逆干渉できる代物ではない。無駄骨もご苦労な事だ。
精霊眼持ちが王宮に居を移すと兵たちが荷物を運び出したが、そんな事は些末な事だった。
竜の寵児たちは男の掌中から遂に脱することが出来ず、仕上げが終わった。
後は太い霊脈の上で精霊眼持ちを操り竜の寵児を殺せば、全てが完璧だ。
精霊眼持ちを操るのは骨が折れるが、男が手の出せない範囲ではない。
神殿は赤竜に邪魔をされる。仕掛けるなら学院だろう。
竜の寵児が保有する戦力も把握した。戦える人間は最大六人。
気難しい赤竜は神殿から出ては来まい。奴は”見守る”とほざいて、これまで幾人もの竜の寵児を見殺しにしてきた竜だ。
赤竜と竜の寵児を除いた六人のうち、まともに戦えるのはせいぜい三人。まとめて相手をしても、男の勝ちが揺らぐ理由は欠片もない。
だが念の為、二人程度は声をかけておくとしよう。
男は今夜も、竜の寵児の情事を肴にワインを呷った。
****
――夜の神殿、赤竜の部屋。
彼は今、毎晩の”上映会”を開いている最中だ。
精霊眼に偽の映像を作り出す幻術を見せる事で、赤竜が望む映像を相手に送り届けている。
あの子のこのような姿を幻術とはいえ悪魔崇拝者に見せる事に、内心赤竜は煮えたぎる程の怒りを感じていた。
たとえ幻術でもあの子の魂を穢すような真似だ。本人の提案だとしても、頷きたくなどなかった。
だがあの子は明るい無垢な笑顔で提案し、自ら”やろう”と言いきった。巫女の直感でそれが必要と判断した。
一方的に手の内を覗かれ、相手の手の内が見えない状況で再び事が動けば、それが致命打となるかも分からず、打開策もない。
既に深い信頼を得たトビアス一人をあの子から遠く離すことは逆に危険と言えた。利用されないよう、近くであの子らと共に守るしかない。
敵に”そう動かざるを得ないよう縛られる”状況が続いていた。
そんな状況を早期に脱すべきだと、あの子の直感が告げたのだ。
それほど厳しい状況なのだと赤竜も理解し、灼熱の溶岩のような怒りを今日も飲み込みつつ、悪魔崇拝者を楽しませている。
「この借り、必ず返させてもらおう」
静かに一人、部屋で独り言ちる。
この結果を招いたのは全て、己の力不足が原因だった。その不甲斐なさに歯噛みをする。
今回の苦境を打破したのは、あの子とあの子に巻き込まれた子供たちの高潔な魂と健闘の結果だ。実に見守り甲斐のある子たちだ。
普段は陽気な笑顔で隠されているが、生来赤竜は気性の荒い乱暴な竜だった。久々にそれを解放してやろうかという、獰猛な気分にさえなって居た。
だが赤竜がそんなことをすれば街が滅ぶ。それはあの子も望むまい。生まれて初めて拠点とも言える場所を手に入れたあの子の、大切な憩いの場なのだ。
あの子には決して見せる事の出来ない獰猛な笑みを浮かべながら、今夜も赤竜はどのようにして敵を打ち滅ぼしてやろうかと思案を巡らせた。
****
――休日、朝の神殿。朝食の席。
私は今日も、いつものコーヒーをこくこくと飲む。香りと苦みを味わいつつ、パンの甘さを再認識してもぐもぐごくんと飲み込んでいく。
六日間みっちり疑似映像を送り届ける事で”とっても仲が良くなった”と錯覚させられたはずだ。
”なんとなく”週明け早々に学院で事が起こる気がしていた。
それを伝えると、赤竜おじさまがひょうきんな顔でおどけて驚いてみせた。
「週明けかい? そんなに早く敵が動くと思うのかい?」
私はコーヒーをこくりと飲み込んだ後、元気に頷いた。
「うん! 多分向こうは、もう待ちきれなくなってるんじゃないかな! そんな気がする! でも準備もきちんと整えてくると思うよ? どう対応しようか」
トビアスが思案をしながら意見を述べてくる。
「私を操ってゲルダを殺させるのが目的です。これまでの行動も全て見られていたとすると、いつも通りに行動すればそこにマントの男が現れ、僕の心を掌握するでしょう。ならばおそらく、朝の礼拝堂が最適でしょうね。毎朝僕は朝の礼拝堂に赴き祈りを捧げ、フィルと共にゲルダがやってきて隣で祈りを捧げる。そんな毎日でしたから。その場なら居るのは私たち三人だけで邪魔は入りません」
言い終わったトビアスは、静かに琥珀色のコーヒーを味わいながら喉の奥に流し込んでいた。
私やフィルがいつも飲むコーヒーはトビアスにとって苦すぎるから、お砂糖とミルクを入れるのが彼のスタイルだ。
ナディアが赤竜おじさまに尋ねる。
「レッド公爵。学院の時間ともなれば、私が中に入り込むのが難しくなります。殿下たち学生だけで対応する事になると思いますが、それで勝算はあると思われますか?」
私は横から元気よく右手を天に突き刺し、割り込んでナディアに告げる。
「今回はみんなが力を合わせないと駄目だよ! 一人でも欠けたら取り逃がしちゃう! ”なんとなく”今回の敵は、徹底的に叩いておかないといけない気がするんだ」
ナディアが困惑気味に私に尋ねてくる。
「それほどの強敵、ということでしょうか」
私は首を横に振った。
「違うよ! なんかね、創竜神様がとっても怒ってる気がするんだ! 相手が生まれてきたことを後悔するくらい徹底的に打ちのめさないと、創竜神様の気が済まないんじゃないかなって! なんでそんなに怒ってるのかまでは分からないんだけどねー」
その瞬間、私以外のみんなが意志を通じ合わせるかの様に目で会話して頷いていた……どういうこと?
竜の寵児という、竜の巫女の上澄みともいえる私にわからない創竜神様の思いを、私以外のみんなが理解したと言う事?
トビアスが苦笑して私に優しく告げる。
「ゲルダ、貴方は分からなくても良いのですよ。赤竜を筆頭に、あなた以外の全員がその思いを共有しています。それで問題ありません。貴方はただ、いつもの様に祈っていてください」
私は分からなくてもいいのかー。
昨日からフィルやフレド、ティナやアーネも学院帰りに神殿に合流して宿泊していて、全員集合してる。
朝の和やかな朝食の空気なのに、”なんとなく”この場に居る全員の気配が怖いほどピリピリしてるのが分かる。
私は小首を傾げてみんなに尋ねる。
「なんでみんな、そんなに怒ってるのかなぁ? 敵に私とトビアスが”とっても仲良くなっている映像”を見せるのが、そんなに嫌だった? フィルなら分かるんだけど、なんでトビアスや赤竜おじさままでそんなに怒ってるのか、全然わからないんだけど……」
トビアスは私と夫になりたいって宣言してる人だから、仲良くなる映像くらい気にならなそうなんだけど。そんな姿を誰かに見られるのが嫌だったのかな?
赤竜おじさまなんて毎晩疑似映像を送り付けている本人なのに、この中で一番怒ってる気がする。うーん?
でも、”とっても仲良くなっている映像”ってどんなのだろう? 手を繋いだり抱き着いたりするくらいじゃないのかなぁ? 魅了されてる時はなんとなく、私もそんな事をしたくなってたし。
ナディアが静かに私を窘めてくる。
「殿下がそれを知る必要はございません。我々がそれを理解し共有している。それで充分です――ではレッド公爵、殿下がこう仰っておいでですが、何か妙案はございますか?」
赤竜おじさまが陽気に笑いながら右手でサムズアップした。
……いつもの陽気な笑顔のはずなのに、その裏にある怒りが滲み出てきてなんか怖い。
「ははは! なーに、私に任せておきなさい! 学院の警備に分からない様にナディアを忍び込ませるぐらい、私なら簡単な事だよ? 相手を打ちのめすプランも私が全面プロデュースしよう!」
私はおじさまの言葉に、目をぱちくりと瞬かせた。
赤竜おじさまって、ここまでしてくれる竜だったっけ? そりゃあフォローは手厚い竜だったけど。なんだか暴走気味の気配がする。
「赤竜おじさま? 少し冷静になろう? なんだかいつものおじさまじゃないみたいに感じるよ?」
赤竜おじさまは陽気に笑って頷いた。
「ははは! そうだね! 思わず興奮しちゃったね! だけど、今回はおいちゃんにドーンと任せておきなさい。きっちり創竜神様に満足して頂けるプランを提示しよう! ――ゲルダもきちんとこの一週間、言われた通りにしてきたね?」
一週間の祭事――そちらも赤竜おじさまが全て取り仕切って指示を出していた。
私は言われた通りに祈りを捧げるだけだったけど。
「うん! ちゃんとお祈りしておいたよ! でも、これになんの意味があるのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
私の胸には、綺麗な大粒の宝玉が嵌め込まれたネックレスが輝いていた。その輝きは創竜神様を象徴するような純白だ。
毎日祈りを捧げる程、その輝きは増しているようだった。
「ははは! その時が来れば分かるさ! それじゃあ作戦会議を始めるとしようか!」
****
――週明け、平日の朝。
神殿から二台の馬車が出発していく。
ゲルダが乗る馬車はいつも通り、フィルとナディア、それにティナとアーネの姿が。
もう一台には、フレドとトビアスの姿があった。
馬車は学生が登校するには少し早い時間に学院に到着し、ゲルダとフィル、トビアス以外が学院の校舎の中へ消えて行った。
ナディアを乗せた馬車は王宮に向かい、学院を出発していく。
ゲルダはフィルの隣で、ゆっくりと歩いていく。魅了を受けてから、ゲルダがフィルに抱え上げられて礼拝堂に入ることはなかった。
その横を歩くトビアスは、時折フィルの目を盗んでゲルダと目配せをして、密かに微笑みあっていた。
三人が礼拝堂の階段を上り、入り口の扉を潜って行く。
祭壇前でいつものようにゲルダが跪き、祈りを捧げ始める。
その左右にフィルとトビアスが跪き、いつものように祈りを捧げた。
――いつもと違うのは、ゲルダとトビアスが時折目を開けては、目を瞑るフィルの目を盗むかのように幸せそうに微笑んでいるくらいだ。
祈りを捧げ終わった三人が立ち上がり、ゲルダがフィルと共に祭壇を後にする。
歩き出したゲルダ達の後を追おうとしたトビアスの靴紐が切れ、トビアスが二人を制止する。
「――あっと、申し訳ありません、少し待っていてください。今結び直します」
跪いたトビアスが靴ひもを結び直している途中で動きを止めた。
ゲルダがトビアスに尋ねる。
「どうしたの? トビアス。結び直すのが難しそう?」
トビアスは返事もせず、黙って硬直している。
フィルも不審がって声をかける。
「なんだ? なにがあったんだ? トビアス」
「――いえ、なんでもありません。もう少しで結び直せます」
ようやくトビアスが返事をし、靴ひもを結び直して立ち上がった。
「……お待たせしました。さぁ行きましょうか」
翡翠の瞳が薄く笑い、フィルに先を促した。
三人が礼拝堂の中央まで歩を進めたところで、それは起こった。
フィルと並んで歩いていたゲルダの背中に、トビアスが握る短刀が突き刺さっていた。
トビアスが恍惚とした表情でゲルダに囁きかける。
「愛していますゲルダ。これであなたは私だけのものだ。もう誰のものになる事もない」
現実を信じられず、振り返り己の背中に短刀を突き立てたトビアスの顔を見るゲルダの顔が次第に絶望の色に染まっていき、その場に頽れた。
フィルはただ、呆気に取られてトビアスの顔を凝視していた。だが直ぐに我に返り、咄嗟にゲルダを抱え上げると身を翻して礼拝堂の外へ駆けて行く。
トビアスは恍惚とした表情のままそれを追いかける。
「待ってくださいよ。私にもゲルダが絶命する瞬間をきちんと見せてくれないと困りますよ。独り占めなどさせません」
三人が立ち去った礼拝堂――祭壇の裏から、気配を殺していたマントの男が現れた。変わらずフードを目深に被り、顔は分からない――だが、笑いを隠し切れず、フードの奥から零れて来ていた。
「ククク……これで最後の寵児も穢すことが出来た。後はあの精霊眼持ちがキッチリと絶望を味わわせながら止めを刺せば、侯爵閣下が完全復活する――ここまで手間取らされたが、その果実は実に甘く芳醇だな」
新たに二人のマントの男が姿を現す。
「せっかくのショーだ。我々も直に見物に行くとしようじゃないか」
「こんな時間に遠くから呼びつけられたんだ。それくらいの楽しみがないとやってられんからな」
三人の男たちはゆっくりと礼拝堂から出ていった。
礼拝堂の入り口で男たちが見たのは、必死にゲルダを守るフィルに短刀で切りかかるトビアスの姿だった。
精霊眼でも分かる程その目は血走り、正気ではない事が見て取れた。
既にフィルの身体も深い傷を負い、血塗れになりながらもゲルダを庇い続けている。
ゲルダの命は刻一刻と流れ出て行き、絶望の眼差しをトビアスに向けていた。
「……フィルを……裏切った、罰が下った、のかな。ごめんねフィル」
途切れ途切れに言葉を絞り出し、絶望と諦観に染まった顔をフィルに向けた。
フィルもその意味を理解したのか、歯噛みをしながらそれでも尚、ゲルダをトビアスの凶刃から守り続けている。
トビアスが高笑いを上げながら短刀を振り上げた。
「はははは! そろそろ余興はしまいです! 二人共々死になさい!」
フィルが対応できない速度でトビアスが動き、ゲルダとフィルの喉を切り裂いた。
トビアスは返り血を浴びて恍惚としたまま、その場で絶命していくゲルダを愛しそうに見下ろしていた。
勝ちを確信したマントの男が呟く。
「もう命の火が消える。そろそろ閣下が復活なさる時間だ。完全復活をした閣下を止める事など、今の人間共にできはしない。我々悪魔崇拝者の勝利だ。竜の寵児も赤竜も、少々過大評価しすぎたかもしれんな」
ゲルダの命の火が消えて行くと共に、その身体が黒い炎に包まれて行った。
黒い炎はやがて巨大な火柱となり、哄笑を続けていたトビアスと絶命したゲルダやフィルを全てのみ込み、燃え続けていた。
「完全復活する侯爵閣下のお姿など、我々も初めて見るな。なんと禍々しく美しい炎だ」
「我らの力もこれで遥かに増す。赤竜ごときに遅れは取らぬようになる」
「もっとだ。もっと閣下に命を捧げねばならん。我らが地上の覇者となるのだ!」
マントの男たちは興奮を隠しきれぬ声で銘々に思いを吐露していた。
堪え切れず炎に駆け寄り、より間近で侯爵の顕現を待った。
黒い火柱はやがて小さく収束していき、黒い人型を取った。
その人型は獰猛な笑みを浮かべ、一言呟いた
「――ご苦労」
地に響くような声が男たちの鼓膜を揺らした。
マントの男たちが、さらに歓喜に湧いた――次の瞬間、黒い人型が変化を遂げる。
深紅に燃えるような赤いスーツに身を包んだ赤髪の男性が、獰猛な笑みを浮かべたまま、マントの男たちを睨み付けていた。
「敵の掌中に収まる気分はいかがかな? 道化師諸君」
その燃え滾る溶岩のような怒りを秘めた声に、マントの男たちは柄にもなく戦慄していた。




