39.誠実な男
――午後の神殿、昼食後。
みんなで仲良くご飯を食べた後、学院があるフィルと、ティナ、アーネは王宮へ戻っていった。
神殿には赤竜おじさまが居るので、ティナとアーネが居る必要はないという判断だ。代わりに二人にはフィルの護衛をしてもらう形になるみたい。
移動するときに三人一緒の方が、何かあった時に安心できるしね。王宮からの護衛とティナとアーネ、これだけ居れば多分逃げるくらいはできるはず。
クラインさんとフレドも、しばらく赤竜おじさまが忙しいという事で、神話談義を遠慮して自宅に戻った。
フレドがまた狙われる可能性もあるけど、相性から判断するとその可能性は低いと見てよいって事みたい。
赤竜おじさまと私、ナディア、そしてトビアスは神殿に残った。私たち四人が撒き餌チームだ。
私とトビアスは仲良く二人で内庭のベンチに座って、何気ない言葉を交換していた。
「どう? トビアス。今はどんな感じ?」
「さすが赤竜ですね。今までと全く同じ視界が得られていますよ」
今のトビアスは一見すると何も変わらないように見えるけど、既に精霊眼から視力を得ることが出来ていないんだって。
赤竜おじさまが精霊眼に見せる映像を完全に制御していて、”疑似映像については任せなさい”と言っていた。
トビアスは赤竜おじさま特製の魔導術式で視力を得ている状態だ。
その術式も赤竜おじさまが制御していて、必要に応じて精霊眼に流し込んでいるんだって。
トビアスのプライバシーは相変わらず無視されちゃうけど、”この際、仕方ないですね”って諦めてた。ちょっと可哀想だな。
明日から私は礼拝堂で祈りを捧げ、トビアスは赤竜おじさまの客間で精霊眼にかけられた術式の解析を受ける事になっている。
今日はまだ赤竜おじさまも準備があるとかで、トビアスの視力だけ先に対策を済ませた状態だ。
「明日からトビアスは大変だね。精霊眼にかけられた術式の解析って、苦しくないのかな?」
「眩暈や多少の痛みは覚悟しておくべきでしょうね。そういうゲルダこそ、これから一週間祈り続ける事になります」
「あはは! そんなこと、生まれてから毎日ずっとやって来てることだよ! 私の日常だからね! こんなに長く一つの所に居るなんて初めての経験だから、祈りの時間はなんとなく心が休まるかな?」
私にとっての日常とは、宣託で移動し、移動した先で大抵は数日、長くても数週間祈りを捧げると、また宣託が降りてきて移動する。そんな人生だった。
”いつも通う場所”があったり、”いつも帰る場所”があるというのに、まだ戸惑う気持ちがある。
だから一心に祈りを捧げて居られる時間は、私の日常が帰ってきた気がして安心するのだ。
「……竜の寵児とは、そんな人生なのですね」
トビアスの微笑みが寂し気になったのを見て、私は釘を刺す。
「憐みなら要らないよ? そういうのはお腹いっぱい。私は創竜神様と共に在る――霊脈が直るまでは声が聞こえないけどね。その創竜神様に祈りを捧げる事が生まれてきた意味だって、ちゃんと分かってるからね! 本当は、私にはそれだけで充分なんだよ!」
でも、私はフィルという恋する人を得た。
生まれて初めて恋と言うものを知った。
それが何を意味するのかはまだ分からないけど、十五歳の乙女としては心が躍るイベントだ。
フィルは私と結婚するつもりらしいけど、その返事を私はまだしていない。
でも王族のお姫様なんて、親が”この人と結婚しなさい”と言ったらそれに従うものらしいし、私が考える必要もないのかもしれない。
「そんな人生を、寂しいと思ったことはないんですか?」
「あるよ? 悩んだり考えた時期もあったけど、創竜神様から”ごめんなー”って言われちゃうと”しょうがないなー”って思えちゃう。私たち竜の寵児は、創竜神様が大好きなんだよ!」
トビアスの微笑みが眩しいものを見るような顔つきに変わった。
そうそう、それでいいんだよ。憐みなんて抱いて欲しくないんだ。こっちは。
「貴方は強いんですね。貴方たち竜の寵児の人生に比べれば、精霊眼を持って生まれた者の苦しみなど、大したことが無いのかもしれない」
「えっ?! そんなことないでしょ?! 竜の寵児は迫害なんてされた事ないよ? 丁寧に恭しく扱われるんだもん。みんな私たちの祈りを有難がってくれるよ?」
「移動の自由もなく、恋愛や婚姻の自由もないに等しい。友人すら満足に作る機会がない。ただ孤独に神に祈りを捧げるだけの人生だ。それを楽しそうに誇っていられる貴方は、やはり強い女性ですよ」
うーん、そうなのかなぁ? それが当たり前だったから、それが凄い事だと言われてもピンとこない。
私からしたら、王族として色んなものを背負ってる人たちの方がよっぽど凄いと思う。私にはあんな人生を送れる気がしないもん。
私たちはただ祈っていればいいだけ。それで全てが許される存在として生まれた。だからとっても気楽だと思うんだけどなぁ?
孤独というけど、傍仕えとしてナディアが居てくれたりするし。
まぁ今回みたいに悪魔崇拝者と戦ったり、悪魔と戦ったりすることもあるらしいんだけど、この国に来るまではそんな事もなかったしなー。
「あはは! 私は祈る以外、何にもできない女の子だよ! 強い訳がないじゃない! 強いならトビアスの方がずっと強いと思うよ? そんな強いトビアスと友達になれて、私は運がよかったと思ってる。次の宣託が来るまでの関係だけど、それまでは仲良くしようね!」
トビアスの微笑みが、とても楽し気なものに変わった。
……ん? 今の私の発言にそんな顔するところあった? 期間限定のお友達宣言って嬉しいものなの?
「私はもう、フィルやフレドと同じ位置に居ます。条件が揃ったんです。その意味はお分かりですよね?」
「……あー、なんか昨日、そんな感じの事を言ってたね。どういう意味なのかな?」
「貴方に本気になった、という事です。今回の敵を倒したら真面目に貴方を奪いに行くとも伝えました。当然、次の宣託が来ようと、貴方との関係を終わらせるつもりはありません。貴方と友達に甘んじるつもりもありません。本気で貴方の夫になりに行く。そう言っています」
ぼふっと音を立てて、私の頭が茹で上がった気がした。
本気って、本気で好きになったって事?!
「えーと? あの時は朦朧としていて細かいことを覚えていないんだけど、だってその言葉って確か、私がほとんど魅了されてる時に言った言葉だよね? そんなタイミングで私を口説いてたの?!」
トビアスはにこやかに頷いた。
「ええ、”この件が片付いたら”と前置きはしましたが、心の底から本気で口説き文句を口にしていましたね」
「魅了が悪化したらどうするつもりだったのさーっ?!」
「そうなったら私は、貴方という美しい女性を妻として迎えることが出来ます。何の損もありません」
「トビアスって誠実なのかそうじゃないのかわかんないーっ!!」
あはは、と楽しそうにトビアスは笑った。
「だから言ったでしょう? ゲルダは男に騙されるのが趣味なのか、と。もう少し男を見る目を養った方が良いですよ?」
楽しそうに笑う翡翠の瞳の男の子を見ながら、私は”ああ、きっとこれは忠告してくれてるんだな”と気づいた。
私が魅了されていたら、トビアスは自分の迂闊な言動を一生後悔したんだろうなと、”なんとなく”思った。
私が握った手を振り解けなかったように、きっとあの言葉も我慢が出来ずについ、口にしてしまった言葉なんだ。
その後悔を今もずっと引きずっている気がした。
私は微笑みながら翡翠の瞳を見つめた。
「……それでも私は、トビアスは誠実で頑固な人だって知ってる。これは自信を持って言える事だよ? トビアスなら夫にしてもいいかなって思えるくらいにはね」
楽しそうだったトビアスの笑いが、戸惑う表情に変わった。
「もしかして、まだ魅了の後遺症が残っていますか? 赤竜を呼んできましょうか? 貴方は自分の本心をしっかり持ってください。決して自分を見失わないで!」
立ち上がろうとするトビアスの手を引っ張って、ベンチに座り直させた。
……ほら、本性が現れた。悪ぶろうとしても、心の根っこはどうしようもなく誠実で在ろうとする人だ。
精霊眼を持つことで迫害されて歪んでしまったけれど、本当は常に誠実で在りたいと願う人なんだ。
「まーまー。落ち着いてよトビアス。魅了の後遺症なんてほとんどないよ。それはフィルと組手をやったから分かるでしょ? この意味、分かる?」
私は戸惑うトビアスの瞳に、微笑みを投げかけ続ける。
「……本気で言った言葉、ということですか?」
「そうだよ? フィルより先に出会っていたなら、私の隣に居たのはトビアスだったかもしれないね」
トビアスが少し寂しい笑みを浮かべた。
「彼より早く、貴方と出会いたかったですね――ですが、私は貴方を奪うと決めました。望みがあるのなら尚の事、容赦はしませんからね」
「ふふふ……私がフィルに振られた時は、私の方からお願いしに行くかもね?」
トビアスが肩をすくめて苦笑した。
「フィルが? 貴方を振る? あんなにベタ惚れで、貴方の為なら王族の身分すら簡単に投げ捨ててしまえる男が? ――あり得ない話ですが、その時は遠慮なく攫いに伺いますよ」
「攫う」の意味は、ティナとアーネからこっそり教えてもらっていた。
恋人として心を奪いに行くことなんだって。
それは時に、駆け落ちを意味する事もあるみたい。
私はお日様を見上げて笑った。
「あはは! これで私を攫おうとする男の子二人目かー。フィルから数えると三人目だよ? みんな物好きだよね。祈る以外に何にもできない私なんかの、どこがいいんだろう?」
「貴方に言い寄る男たちは、そうやって可憐な花の様に笑っていられる貴方の強さと美しさに惹かれたんですよ」
またしても私の頭が茹で上がった。
トビアスを見ると、とても優しい笑顔で微笑んでいた。
「……ねぇトビアス、そんな気取ったセリフを口にして、恥ずかしくならないの?」
「告げる相手が貴方なら、言葉に不足こそあれ過分はありませんからね。なんの恥も感じませんよ」
「これでもまだ控えめな表現?! 大丈夫? トビアス、もっと女の子を見る目を養った方が良くない?!」
「貴方に言われたくありませんね」
私たちの会話を、風に揺れる小さな花が恥ずかしそうに聞いていた。
午後の過ごしやすい陽気の中、私はトビアスと日が暮れるまで語り合っていた。
****
夕食が終わり私たち四人は全員、赤竜おじさまの客間に居た。
「赤竜おじさま、もう準備は終わったの?」
赤竜おじさまはニカッと笑ってサムズアップした。
「ばーっちりだよ! ”本気で貴方の夫になりに行く”とか”トビアスなら夫にしてもいいかな”とか、とてもいい場面を送り込めたからね! 下拵えは完璧さ!」
……。
えっと。
そのセリフは。
私はおずおずと赤竜おじさまに向かって右手を挙げた。
「……赤竜おじさま、全部聞いてたの?」
「悪いかなーっとは思ったんだけど、名場面を送り込むのには音声が無いと状況が把握できないからねー! でも照れるゲルダとか戸惑うトビアスとか、微笑みあう二人とか、色々混ぜ合わせて過剰演出した上で、きちーんと疑似映像で送り込んでおいたよ! これで今夜から二人が深い仲になっても不自然じゃなくなったね!」
「おじさまーっ?! 乙女のプライバシーはどこーっ?!」
私は半泣きでおじさまの肩を両手でぽかぽかと殴るのだけれど、本当は四十メートルを超える竜であるおじさまはびくともしない。
赤竜おじさまは悪びれずに楽しそうに笑い続けていた。
トビアスは大きく溜息をついて諦観の表情を浮かべた。
「”準備がある”というのはそういう意味だったんですね……気づけなかった私の落ち度です。ゲルダ、申し訳ありません」
そんな諦観の表情を浮かべるトビアスの背後に、氷雪の嵐を纏ったナディアが殺気を伴って立っていた。
「今レッド公爵が仰ったセリフは、実際に口にしていた言葉と捉えて相違ありませんね? ならば殿下にたかる害虫として認識を改めることになりますが覚悟は宜しいですか」
私は慌ててナディアのお腹に抱き着いて叫んだ。
「待って! これはその、演技、そう演技だよ! 赤竜おじさまに指示されて協力してたの! ――ね! トビアス、そうだよね!」
トビアスはこちらに振り返り、にこやかに微笑んだ。
その笑顔はまさか……
「ははは! 当然心の底から本気で言いましたよ? ゲルダにはそう伝えたはずですが。第一、貴方がそんな演技をできる訳ないじゃないですか。苦しい言い逃れにも程がありますよ?」
一瞬だった。
気が付いた時には、トビアスの首に向かってナディアの手刀が振り下ろされていた。
それをトビアスはにこやかに片手で受け止めているようだった。
ナディアが驚いたように声を上げる。
「馬鹿な、何故貴方がこれを受け止められるのですか?!」
「前は勝ち目が見えませんでしたが、貴方の本気の戦いを間近で一度見ました。ならば充分、私は貴方に勝つことが出来る――それだけですが、何か疑問がありましたか?」
ニコニコと微笑むトビアスが、自信たっぷりに告げた。
……えっ?! ナディアに充分勝てるって言ったの?! 加護の付与無しなのに?!
「ねぇナディア、それ本当の事?!」
ナディアが悔しさで苦笑を浮かべたみたいだった。
「……なるほど、今まで本気で戦って見せた事がなかった。そう言う事ですか」
トビアスは変わらずニコニコと微笑んでいる。
「少し語弊がありますね。貴方に実力を悟られない様にしていただけです。ゲルダの周囲で一番注意すべき人物は貴方だ。そんな貴方に私が手の内を全て見せると、本気で思っていましたか?」
ナディアは悔しそう歯噛みして何も言い返さない。
えー?! 本当にナディアより強いの?!
「ナディア! 貴方もトビアスに実力を騙されていたってことなの?!」
歯噛みをしていたナディアが応える。
「……申し訳ありません。ティナとアーネの事を言えませんでした。我が身の未熟を恥じ入るばかりです」
本当にナディアの目さえ誤魔化して実力を隠していたって事?!
「じゃあフィルとの全力の勝負はどうなるの?! あれも手を抜いてフィルと互角だったってこと?!」
あの時はナディアが二人の戦いを見てた。
ナディアに実力を隠していたなら、その状態でフィルと互角に戦って見せたってことになる。
トビアスがにこやかに頷いた。
「そうなりますね。ですがナディアさんに見せられる範囲では全力でしたよ?」
「たった一回、マントの男と戦ったナディアを近くで見ただけで、勝てるようになったってどういう事?! 勝ち目が見えないってどういう意味だったの?!」
「ナディアさん程の人とその場で戦っても確実に勝てないと判断しました。恐らく十回戦えば四回は負けていたでしょう。勝負をすべき時ではなかった、という事です。ですが本気の殺し合いは見るだけで、様々なことが手に取るようにわかります。あの時のナディアさんは実力を出し惜しみしなかった。余程前回戦ったマントの男が強敵だったのでしょうね。私は運がよかった」
「じゃあ今なら、十回戦ったら十回とも勝てるってこと?!」
「さすがに百回戦えば一回くらいは負けそうな気もしますが、おおよそそんな感じですね。勝負所でその一敗を持ってこないだけの対策を練ることも出来ますし、勝負をかけるのに問題はありません」
トビアスの言葉を聞いて、ナディアは砕けそうなくらい歯を噛み締めていた。
歴戦のナディアだからこそ、あの瞬間に自分が曝してしまった手札を全て理解してしまったのだろうな。
この悔しがり方からすると、ほとんど丸裸にされたんじゃないかな。
少なくとも、戦いで掴まれてはいけない事を掴まれた、”なんとなく”そんな気がする。
一方でトビアスは、未だに手札を隠したまま。何をどこまでできるのか、全く掴めない男の子だ。
武術や喧嘩、果ては暗殺術でも負けることを知らず、赤竜おじさますら唸らせるほどの魔導の才能を見せる、なんでもできる人。っていうかなんでも出来過ぎじゃないかな?!
精霊眼で感情が読み取れないから、フレドの得意な心理戦でも負けない気がするし。
底が知れないって、こういうことを言うんだろうなぁ。
そんな状態でトビアスに反論できる余地が、ナディアになかったんだ……
にこにこと無害そうに微笑むこの男の子が、歴戦のナディアを出し抜く戦士だと誰が思うだろうか。
未だにトビアスが誠実だという確信が私にはある。だけどナディアを騙せる人を誠実とは呼ばない気もする。
誠実とは何だろう……私は遠い目で天井を見上げていた。




