38.逆転の一手
フィルが赤竜おじさまに尋ねた。
「赤竜、ゲルダの様子が昨日別れた時より元の姿に近いように思うのですが、どういうことですか?」
赤竜おじさまがニカッと陽気に笑った。
「はっはっは! 伊達に長生きはしていないからね! 奴らの使う邪法は最初の解呪で粗方読み取った。それに合わせて解呪の術式を調整したんだよ! 今回はゲルダも魅了に対抗して見せた。前回の後遺症も合わせて、ほとんど元通りに解呪できているはずだ! 次に魅了にかかっても、ゲルダが耐えている間に私の元に連れて来れば大丈夫だ!」
さすが高位竜種、学院の授業で習う常識を遥かに飛び越えた事をしている気がする。
術式を解除するだけで読み取って、しかもこの短期間でそれに合わせて解呪の術式を調整するのって、物凄い難しい事じゃないかな?
でもそれだけ頼もしいという事でもあるし、私は安心してにこにことコーヒーを喉に流し込んでいた。
学院から急いで神殿まで辿り着く時間なら、私は充分耐える自信がある。なんせ一晩頑張って耐えた実績があるからね!
トビアスが琥珀色のコーヒーを飲み込んだ後、目を伏せて香りを味わいながら発言する。
「――耐える必要すらありませんよ赤竜。私は貴方の解呪を間近で二度見ました。術理は全て読み取っています。朝の解呪の術式であれば私が使えますからね。学院に居る間は私が傍に居ます。邪法が使われた瞬間に解呪して見せますよ」
私はトビアスの言っている意味が分からずぽかーんとしていた。
”間近で二度見たから覚えました”って、さすがにそれはないでしょう? 聞いたことないよ、そんな人の話。
赤竜おじさまも呆気に取られていた。
「あれは竜の魔導術式だぞ? 人間のお前に使えるのか?」
コーヒーを飲み干して一息ついたトビアスが、印を結んで術式を赤竜おじさまにかけた。
眩い翡翠の光が赤竜おじさまを包み、消えて行った。
呆然とした赤竜おじさまが呟く。
「……驚いた、アレンジしてあるが、確かに同じ術式だ」
「そりゃあアレンジはしますよ。私は竜種じゃなく人間ですからね。ですが効果は同じものだと思います。その保証を頂けたと思っていいですか?」
えっ、本当に覚えちゃったって事? しかも竜種の魔導術式を人間が使えるようにアレンジして?
間近で二度見ただけでって、二度目は今朝だよね? あれからそんなに時間も経ってないけど?
礼拝堂の時に使えたなら使ってただろうし、あの時は使えるまでじゃなかったんだ。でも一度見ただけで、ほとんど使える状態だったってこと?
なんなのトビアス、なんでも出来過ぎじゃない? 特に魔導は滅多に居ないくらいの天才級じゃないの?
赤竜おじさまが再び楽しそうに笑った。
「あっはっは! なるほど、精霊眼持ちが魔導の才能に溢れるとはこういう事か! 人間にしておくには惜しいな! ――これで敵の魅了はもう怖くない。学院か神殿、どちらに居てもすぐ解呪できる」
トビアスが静かに応える。
「今後は移動中も私が傍に居ましょう。それで死角がなくなります――フィル、これから王宮に居候させてもらいますが、問題ありませんか」
フィルがニヤリと笑う。
「ああ、短期間なら問題ない。それくらいの裁量は僕にもある。トビアスの制服や荷物は王宮の兵士たちに持ってこさせよう。今お前がヴェルマン伯爵邸に戻るのは危険だ」
「叔父上の家に戻るのが危険? ――ああ、叔父上に悪魔崇拝者の疑いがあるのですか。ならば控えた方が良いでしょうね。それでお願いします」
フィルが頷く。
「ゲルダがここまで回復しているのは敵の計算外のはずだ。トビアスとゲルダが共に行動している方が、奴らの目も誤魔化せるだろう。あとはフレドが来れば、僕の相性がどこまで回復しているか確認できるんだが――おっと、噂をすればなんとやらだ」
フィルの視線の先には二つの人影――朝の時間が終わり、クラインさんとフレドが姿を見せたのだ。
「んー? なんでこっちを楽しそうに見てるんだ? おまえら」
よくわかっていないフレドの背中を私が押して、みんなで中庭に移動していった。
****
勝負はあっさりとフィルが勝って見せた。
私は思わず呟いてしまう。
「え? あっさり? なんで?」
倒されて愕然としていたフレドに、フィルが手を差し伸べる。
「どうだフレド。お前から見てどれくらい戻っていると思う?」
「戻っているも何も……前より強くないか?」
前より強い?
赤竜おじさまは”ほとんど戻っている”と言っていた。
まだ魅了の後遺症は残っているはずなんだけど。
赤竜おじさまが楽しそうに笑う。
「ははは! 試練を乗り越えるたびに絆が深まる。そういう事だね! 次はフレドとトビアスでやってごらん!」
今度もやはり、フレドがあっさりと打ち倒されていた。
納得のいかない風なフレドがぶちぶちと文句を言う。
「……なぁ、なんでトビアスまで前のフィルより相性が良くなってるんだ?」
トビアスが飄々と応える。
「一晩を共に明かしましたからね。そりゃあ仲も深まると言うものです」
「――?! 本当かゲルダ?!」
なんだか物凄い勢いで血相を変えたフレドに飲まれつつ、私はゆっくりと頷いた。
「う、うん。昨晩はトビアスと一緒に過ごしたよ?」
愕然としていたフレドが私の様子を見てすぐに真顔になり、トビアスを睨み付けた。
「……おいトビアス。お前の冗談は質が悪いって言われねーか?」
「ええ、よく言われます。本気か冗談か分からない、と。精霊眼なのでしょうがありませんね」
なんとなく精霊眼、関係ない気がするなー。
フィルもフレドも苦笑してるし。
これも含めて冗談の内なのかな……本当、掴み所のない男の子だ。
再び大笑いする赤竜おじさまが声を上げる。
「ははは! トビアスも深い信頼を得るだけの事を成し遂げた、という事さ! では最後にフィルとトビアスでやってみようか!」
向かい合ったフィルとトビアスが不敵に笑い合う。
「怪我をしても癒してもらえる。魔導禁止以外は殺し合いルールで構わないぞ」
「本気で言ってますか? 私と殺し合いをすれば分が悪いのはそちらですよ?」
「お互い本気じゃないと意味がないだろう? それに加護で耐久力も上がっている。大きな怪我にはならないさ」
次の瞬間、二人の姿が私の視界から消えた。
結果として、フィルとトビアスは一時間戦っても勝負がつかなかった。
加護の力で観戦してみても、どういうやりとりをしてるのかさっぱりだ。
呆気に取られる私に、ナディアが解説をしてくれる。
「加護の相性はフィリップ王子がかなり上ですね。戦闘技術はトビアスが圧倒的に上です。総合的に見ると互角と言えますが、トビアスは本来魔導を組み合わせます。そうなればまだ、トビアスの方が強いでしょう」
うーん、難しくてよく分からないな。
私でも分かりやすい目安ってなんだろう……
「例えば、≪火竜の息吹≫を使った時、今ならだれが切り札になるのかな?」
「フィリップ王子がだいぶ戦い慣れてきました。今ならフィリップ王子とトビアス、私で大差ない威力が出せるでしょう。つまり切り札は三枚に増えました」
多分それは、有利な事なんだよね?
ナディアがやられない様に戦わなきゃいけない状態から、三人のうち誰が切り札になっても構わなくなった、ということだ。
加護の相性が高い二人は、やられる可能性が一番低いとも言えるはず。
ナディアだって、戦闘経験だけならこの中で一番あるって話だし、簡単にやられることもない。
三人のうち誰かが動ける状態なら、切り札を使えるんだ。
ナディアは私の言葉に頷いた。
「これなら、フィリップ王子とモフィス侯爵子息、トビアスを前に出して、私たちが殿下を守る布陣にもできます。モフィス侯爵子息と私が入れ替わる事で、殿下の守りを手薄にすることなく攻めを厚くすることもできる。むしろ、後方で全体を俯瞰し機転を利かせる方が、モフィス侯爵子息には合っているでしょう。かなり戦局を有利に進められるようになりました」
――うん、さっぱり言っている意味が分からない!
赤竜おじさまが手を叩いて戦いの終了を知らせ、フィルとトビアスが私たちの元へ戻ってくる。
私が二人の怪我を癒している間に、赤竜おじさまがみんなに告げる。
「この六人が揃っている場合、攻めをフィルとトビアス、ナディアが務めるのが良いだろう。フレドとティナ、アーネは後方で遊撃を視野に入れたゲルダの護衛だ。これだけの戦力があれば、そう簡単に負ける事はないだろう――だが相性の高い者は敵の術中に嵌らないように注意するんだ。敵に操られゲルダを手にかける事のないようにね。そこはナディアとティナ、アーネがフォローしてやるといい」
****
現状の確認が終わりみんなでまったりとコーヒーブレイクだ。
私はフィルの隣でこくこくと黒い液体を喉に流し込んでいく。
フィルはごくごくと美味しそうに喉を鳴らしていた。
ナディアがコーヒーを片手に赤竜おじさまに尋ねる。
「午後からトビアスの荷物を王宮に持ち込む以上の予定は決まっていませんが、何か方策はありますか?」
「そうだね……今はまだヴェルマン伯爵に悪魔崇拝者の証拠がない。根拠もなく伯爵邸に悪魔崇拝の調査などは行えないだろう。マントの男がどこに潜んでいるのかもわからない。敵の攻撃は防げるようになったが、攻め手に欠けるね――ゲルダ、お前は何か思いつく事はあるかい?」
攻め手、攻め手かー。
相手を負かすような、そんな作戦って事だよね。
そういう事は何にも分からない私に聞くって事は、赤竜おじさまは巫女の直感を使えって言ってるんだ。
明るく元気な気分で、自分を信じて……
ん? なんだろう? ”なんとなく”な違和感。
「……ねぇみんな。”なんとなく”でちょっと怖いこと言っていいかな?」
みんなの視線が私に集まった。
「なんかね――今、私たち誰かに見られてる気がするー!」
私は明るく、右手で元気に天を突いてそう宣言した。
ナディアが唸った。
「確かに、昨日は私たちが神殿から帰るのに合わせて襲撃されました。この周辺に悪魔崇拝者が居れば、レッド公爵が気づくはずです。残る可能性は神殿内に協力者が入り込んでいるか、或いは――」
みんなの視線がトビアス――その翡翠の瞳に集まった。
トビアスはすぐに悟り、苦笑を浮かべた。
「……なるほど、私の精霊眼に何かが仕込まれている、という訳ですね。確かに私は叔父上の家で寝泊まりしていましたから、叔父上が悪魔崇拝者なら機会はいくらでもあったでしょう。まったく、プライバシーも何もあったものじゃありませんね」
赤竜おじさまも難しい顔だ。
「音声までは届いていないと思うが、トビアスが見ているものは全て伝わったと考えておいた方が良いだろう。つまり現状の対策も、こちらの戦力も把握された」
私は明るい笑顔で尋ねてみる。
「赤竜おじさまー、誰かが見ている物を見る術式があるの?」
赤竜おじさまが頷く。
「そういった術式は確かにあるね。これだけの長期間を維持するとなると半ば呪いのようなものになるが、通常の術式の一つだ。この術式なら、精霊眼に直接付与する事も可能だろう」
「じゃあその術式を逆にたどって相手の位置を調べることはできないの?」
授業中の小話で、術式を解析して術者の位置を特定する方法があるって聞いた。
詳しくはもう少し先の授業でやるらしいんだけど。
「精霊眼に仕掛けられた術式を解析するのはとても難しいね。精霊眼が邪魔をするんだ」
精霊眼に術式をかけることはできるけど、解析はできないって事かー。
深く入り込めないとも言っていたし、厄介なんだなー。
「んーそれじゃあ、”偽の映像を見せる”ことはできる?」
「偽の映像? つまりどういうことだい?」
私は胸を張ってみる。
「つまりねー! 私とトビアスが、とっても仲が良くなったように見せるんだよ! そうすれば敵はトビアスを操ろうと動くと思うんだ!」
赤竜おじさまが顎に手を当てて考えてるみたい。
「……そうだな。精霊眼に偽の映像を見せる術式をかける程度のことはできるだろう。精霊眼に疑似映像を見せてゲルダとトビアスが深い仲になったと相手に認識させれば、確かに奴らが動いてもおかしくはない。だが今すぐそんな事をしても説得力がないだろう。魅了の邪法を打ち消した直後だ。ゲルダとフィルの関係が修復された事も知られている」
「でも、トビアスだって加護の相性でフィルに近いものがあるんでしょ? すっごく信頼してるって事だと思うし、もう一押しでもっと仲良くなったって不思議じゃないんじゃない? 私は”なんとなく”やるべきだと思うんだ!」
赤竜おじさまがナディアを見る。
「……だそうだが、どうだナディア。どこまでなら耐えられる?」
ナディアが氷雪の嵐を背負って応える。
「殿下が両天秤などと言われるような態度を公衆に晒すなど、一切許すことはできません」
んーまた”両天秤”とか言われた。なんだっけ、二人とも恋人として扱っているような事を言うんだっけ。
「つまり、私とトビアスが仲良くしてる所を、みんなに見せなければいいんだね? ――そう、例えば、フィルが学院に行っている間に、王宮で二人仲良く欠席してればいいんじゃない? 王宮の人たちなら、言えば分かってくれる気がするんだけど」
ナディアがそれにも氷雪の嵐で応える。
「いえ、敵の手先が王宮内に居ない保証がありません。事情を説明するのは後回しにしなければ失敗するでしょう。そしてその場合、その間に社交界に殿下の噂が流れます」
「じゃあ、神殿は? 竜の寵児が神殿の祭事で学院を休むのは、おかしなことじゃないよね。トビアスが学院を休む理由がわかんないけど、一緒に神殿に寝泊まりして仲良くなるのはありじゃない?」
ナディアが少しだけ空気を柔らかくした。
「神殿内にも手先が居る可能性はありますから事情は説明できません。ですが王宮よりはずっと噂が広まる可能性は低いでしょう。神殿も寵児の醜聞を好みませんから」
この雰囲気ならオッケーっぽいかな?
赤竜おじさまが提案する。
「ではトビアスは精霊眼の解析で神殿に拘束される、ということでどうかな。こちらからあちらの術式に干渉する振りを仕掛けてみよう。そして精霊眼には夜の間、疑似映像を流し込む。これで何らかの動きがあるはずだ。神殿は私も居る場だ、ここに直接仕掛けてくる可能性は薄いだろう。おそらく神殿からの帰りか、学院に再び通うようになってから手を出してくる」
トビアスがおずおずと手を挙げた。
「あー、その場合私は、夜な夜な疑似映像で悶々とさせられるんですか? 健全な青年として主張しますが、さすがに勘弁して欲しいのですが。私の理性にも限度がありますよ?」
赤竜おじさまがニヤリと笑って応える。
「問題ない。精霊眼のみに疑似映像を見せよう。その間トビアスは視力を失うが、視力を補う術式を同時に付与してあげよう。お前が悶々とすることはないと保証する」
悶々? 悶えて苦しむ? 仲良くなる映像で? なんで?
私は元気よく右手を天に掲げた。
「はーい! しつもーん! トビアスは何が困るって言ってるのかなー?」
「殿下がそれを知る必要はございません」
あ、はい。
ナディアの迫力に負けた私は、すごすごと上げた手を下ろした。




