36.コーヒー談義
――休日の午後、カフェテラス。
神殿から出た私たちはトビアスと共に、いつものカフェテラスに立ち寄った。
ナディアがいつものオーダーを取ろうとしたところで、私がそれを止める。
戸惑うナディアが私に尋ねる。
「どうかされましたか?」
「今日はトビアスもいるし、この前フィルが言っていた初心者向けの銘柄を三人で飲みたいなって思って! ――ねぇフィル、それならトビアスでも飲めると思わない?」
フィルが微笑んで応える。
「そうですね、あれならば飲み慣れないトビアスでも、飲み切る事が可能かもしれません。ゲルダさんも新しいコーヒーの魅力を知ることが出来ますし、良い機会でしょう」
いつものパンに、フィルが指定した銘柄のストレートのコーヒーが三人分、私たちの前に運ばれた。
まずは一口、コーヒーを含んでみる。
口を付けた瞬間に甘さを感じ、苦みは柔らかく、喉の奥に流し込むとスッと苦みが引いていく感じがした。
フィルが言う様に香りも控えめで、コーヒーというよりストレートのお茶に近い感覚すら覚えた。
「飲みやすいし、本当に甘みを感じる……どうしてだろう?」
フィルが楽し気に解説してくれる。
「水の甘みを感じることが出来る銘柄なんですよ。そこからコーヒーの苦みを感じ、それがキレよく喉の奥に消えて行く。香りは物足りませんが、初心者向けという意味が分かりましたか?」
「うん!」
私はパンをもきゅもきゅしながらコーヒーをこくこくと飲んでいく。
ちらりとトビアスを見ると、まだ一口目に躊躇ってるみたい。
「大丈夫だよ、思い切って一口飲んでみて? 私はトビアスにもストレートコーヒーの美味しさを知ってもらいたいと思うんだ!」
私の微笑みを見たトビアスが、ようやく意を決して一口、カップに口を付ける。
その瞬間眉がひそめられたけど、飲み込んだ後はすぐに顔が元に戻った――けどその後、水も一口飲んでいた。
トビアスが思案をしながら感想を告げる。
「初めて飲みましたが、独特の香りと苦みですね。ですが確かに口を付けた瞬間に、お茶のように水の甘みを感じました。苦みが柔らかく、飲み込めばすぐに苦みが引く。慣れれば私でも飲める銘柄ですね」
フィルがトビアスにも楽しそうに解説する。
「ストレートに拘らないでミルクや砂糖を入れて味や香りの変化を楽しむのも有りだ。ミルクのみ、砂糖のみを入れる人もいる。そうして一周してまたストレートに戻ってくると、ストレートの美味さを再発見できる。色んな銘柄でそれを試して、自分の口に合う銘柄と飲み方を探してみるといい。僕はストレートが口に合った、というだけなんだ」
フィルって本当にコーヒーが好きなんだなぁ。
たとえトビアスが相手でも、コーヒーの事になると心から楽しそうに会話してるのが分かる。
フィルとトビアスが仲良くしてると、なんだかとっても嬉しくてニコニコと笑みが零れるのを止められない。
気が付くと、トビアスが私を見て、また眩しいものを見るような顔つきで微笑んでいた。
「そんなに嬉しいことがありましたか?」
「うん! フィルとトビアス、大切な人たちが仲良くしてるのはとっても嬉しいよ! ――ねぇ、次は酸味の強い銘柄を試してみようか!」
フィルが「それなら今度はミルクと砂糖を加えましょう。あれはストレートで飲むには癖が強すぎて、トビアスが飲めないでしょう」とアドバイスし、その通りに飲んでみた。
ミルクと砂糖で柔らかくなったコーヒーの中に確かな酸味を感じる……後味はちょっと舌に甘さが残るのが気になるかな?
「ゲルダさんはストレートで飲み慣れていますからね。ミルクと砂糖を入れると、どうしてもそういう後味になります。僕もそれを嫌ってストレートになりました」
トビアスは「ちょっと酸っぱいのが苦手かもしれません」と言いつつ、カップを飲み干すことはできていた。
せっかくなので酸味の強い銘柄のストレートも試してみたけど、私もトビアスも途中で「酸味が強い!」とギブアップした。
フィルは「この銘柄はストレートに向きません。稀にこれを好む人もいますが、飲み慣れた人が気分転換に飲むくらいですよ」と笑って飲み干していた。
口直しにいつもの銘柄をストレートで飲んで「あ、美味しい」と思わず零すと、フィルがとても嬉しそうに「ようやく、僕と同じところにこれましたね」と微笑んでいた。
トビアスは最初の頃の私と同じく、最初の方でギブアップして水をごくごくと飲んでいた。
その必死さに思わず笑ってしまい「ああ、初めてコーヒーを飲んだ私を見たフィルもこんな気持ちだったのかな」となんだか嬉しい気持ちになっていた。
****
コーヒーを四杯も飲んだ私たちは、すぐに馬車には乗らず少し街を散策していた。
「うー、ちょっと飲み過ぎたかも。お腹の中でコーヒーがたぷたぷしてる気がする……」
ティナが呆れたように私に告げる。
「当たり前です。あんなにたくさん飲むものではありませんよ。普段だって一杯しか飲まれないではありませんか」
「だってー。三人で仲良く話をできたのはこれが初めてだったんだもの。楽しい時間をもっと楽しみたいと思ってもしょうがないと思わない?」
同意を求めてフィルとトビアスに振り返る――二人の視線が交差し、お互いに苦笑を交わしていた。
フィルが静かにトビアスに話しかける。
「どうだ? コーヒーも案外、悪くない飲み物だろう?」
「半分は飲めませんでしたけどね。最初の初心者向けの銘柄なら私の好みかもしれません。あれはミルクも砂糖も要りません。ストレートが一番美味しいと予想します」
「お? 分かってるな。あれはストレートが一番美味い。砂糖やミルクを入れると、銘柄本来の良さが負けてしまうからな。繊細な味わいの銘柄だからこそ、ストレートが良いんだ」
「なるほど、ストレートでの楽しみ方のコツがわかりますね。そういった意味でも初心者向けなんですね」
「そういうことだ」
「何故ゲルダにはその銘柄ではなく、貴方が普段飲む銘柄を飲ませたんですか?」
「ゲルダが飲みたがったからな」
私はその時の事を思い返す。
「なんでだったっけ? ……あ、フィルが美味しいそうに飲むコーヒーを味わってみたかったんだよね。好奇心って奴?」
フィルが少し切なげな顔で私に尋ねてくる。
「……今のゲルダさんは、いつもの銘柄と初心者向けの銘柄、どちらを飲んでみたいと思うんですか?」
どっちだろう? うーん……
明るい気分で自分を信じて、深く考えずに応えてみよう!
「そうだなぁ……やっぱりいつもの銘柄かな! 今日やっと美味しさが分かったし、もっとフィルと同じ気分を味わいたいかな!」
するっと口から素直に言葉が出てきた。
ニコニコと微笑む私を、フィルが眩しそうに微笑んで見つめていた。
「そうですか……その一言だけで、今日一日が救われた気分です」
「そう? コーヒーの銘柄一つで大袈裟じゃない?」
あははーと笑いながら私はくるっと身体を翻して辺りを見回した――そして”なんとなく”それに気が付いた。
咄嗟にその場に居るみんなに創竜神様の加護を祈り、≪火竜の加護≫を付与する。
ナディアは即座に私の動きに呼応して、私の視線の先に向かって駆け出して行く。
戸惑うフィル、トビアス、ティナ、アーネに向かって私は声を上げる。
「ナディアの後を追うよ! 崇拝者だ!」
****
普通の人の目に捕らえられない速さで動く私たちは、通行人にぶつからないように気を付けながらナディアの後を追っていく。
ナディアは路地裏に辿り着いていた。マント姿でフードを目深に被った男を追い詰めている。
そのナディアの背中に、私たち五人も追いついた。
トビアスが嫌悪感を込めて呟く。
「……なるほど、これでは私が勘違いされても仕方ありませんね。この男がゲルダの敵、という事で間違いないですか?」
私は視線をマントの男から外さずに頷いた。
「悪魔崇拝者だよ。とっても強いから気を付けて!」
マントの男が声を発する。
「なぜ隠遁の術式を見破られた? 貴様たちには俺の姿を認識できなかったはずだ」
その声は男とも女とも付かない、複数の人間の声がまじりあったような声だった。
ナディアがいつの間にか手に持った短剣を構えつつ、男に応える。
「お前が知る必要はありません――フィリップ王子、ティナ、アーネは殿下の護衛を。トビアスは護衛をしつつ私の援護をお願いします」
トビアスが小さく溜息をついた。
「私の責任、重たくありませんか? ゲルダを守りつつナディアさんと即興で連携ですか?」
「できない、とは言いませんよね?」
「もちろん、言う気は毛頭ありませんけどね!」
トビアスが言い終わると同時に魔力の網をマントの男に向かって放射する――マントの男は手刀で網を切り裂く。
網を切り裂く男の隙を狙ってナディアが間合いを詰め、地面すれすれから短剣を切り上げる。
ナディアの燃える短剣をマントの男が避け、大きく飛び退く――飛び退こうとした足には、トビアスの魔力の網がいつの間にか絡まり引きずり降ろされ、地面に叩きつけられていた。
マントの男が咄嗟に術式の印を結んだ瞬間、既にトビアスが放っていた雷撃の術式が男の手を撃ち、一瞬の隙を作る。
そこをナディアの燃える短剣が薙ぐが、マントの男は片腕を犠牲に大きく飛び跳ね、魔力の網を引きちぎった。
距離を取ったマントの男は右腕をナディアによって半分以上切り裂かれ、袋小路に追い詰められていた。
その傷口は燃え続け、男の体を蝕んでいるようだった。
睨み合いが続くと思われた次の瞬間、ナディアよりも遥かに速く、刹那でマントの男との間合いを詰めたトビアスの短剣が男の首を刎ねていた。
ナディアが怪訝な顔で男の燃える頭を睨み付けている。
「弱いですね。いくら相手を封殺する事を得意とするトビアスと連携したとはいえ、ここまで弱い相手ではなかったはずです」
私は小首を傾げながら尋ねる。
「この程度なら、ナディア一人でも勝てた?」
ナディアは首を横に振った。
「隙を突いて仕留めに行った私の最速の一薙ぎが躱されました。私一人で仕留める事は難しい相手だったでしょう。今回は私が相手の注意を惹きつけ、トビアスが封殺するよう補佐してくれたので呆気なく倒せましたが、結果で見るほど弱い崇拝者ではありません――以前手を合わせた男が、これを遥かに上回る力を持っているはずだと感じただけです」
封殺して動く――多分それだけじゃない。
確かに最初から途中までは”気が付いたらトビアスの攻撃が当たっていた”って感じの流れだった。
でも最後の仕留めた一撃は、加護を全力で使ってる私の目でも追いかけきれないくらい速かった。
多分、ナディアの目にも映らないくらいだと思う。二度目だというのに、もう創竜神様の加護の使い方を完全に自分のものにしたんだ。
≪火竜の加護≫の使い方も、一切知らないままナディアの動きを見ただけで把握したみたいだし、対応能力もとんでもないんじゃないかなぁ。
私の元へ戻ってくるトビアスへ微笑んで告げる。
「トビアスって強いんだね!」
トビアスはきょとんとした後、頬を染めて目を逸らした。おや? この反応はなんか既視感があるぞ?
「私は実戦にも慣れている、それだけですよ――ところで、まだ私たちに力を与え続けているみたいですが何故ですか? もう敵は仕留めましたよ?」
え? えーとそれは……
「んー、”なんとなく”?」
そう私が告げた瞬間、私の身体はトビアスに運ばれ、少し離れた路地裏の壁の上に在った。
私がそれまで居た場所には、路地を抉るように拳を突き出しているマントの男が居た――
「チッ、案外勘が鋭いじゃないか。隠遁の術式をそうやって見破ったのか」
マントの男の至近距離に居たフィル、ティナ、アーネが慌てて距離を取った。
マントの男の背後には、奇妙な姿をした人型の怪物の姿――山羊の足と人間の胴体、牛の頭を持つ巨大な化け物。それが三体も居る。
袋小路に追い詰めたはずが、逆に追い詰められた?!
マントの男が立ち上がりながら私に告げる。
「あの方が”油断するな”というからどれ程かと思ったが、なるほど確かに油断できる相手ではなさそうだ」
私には”なんとなく”分かる。今のみんなが勝てる相手じゃない。さっきの男よりこの男は強い。その上向こうも数が居る。
力の落ちたフィルたちは当然として、私を庇っていたらナディアやトビアスも敵を仕留めることはできない。
このまま戦えばだれかが犠牲になる。
――でも逃げる事ならまだできるはず!
「みんな、逃げて!」
私が叫ぶと同時にトビアスも叫んだ。
「神殿で落ち合いましょう! ゲルダは任せてください!」
トビアスは叫び終わると、ナディアたちの応えも確認せずに物凄い速さで移動しだした。
私も加護を使ってるというのに、目まぐるしく動く景色で酔ってしまいそうだ。
「喋らないでくださいね! 舌を噛みますよ!」
喋る余裕なんてないから大丈夫です……
****
二人目のマントの男と怪物三体――その襲撃をナディアたちはなんと凌いで表通りまで逃げて来ていた。
男と化け物は路地裏からこちらへ追ってくる様子はなく、ナディアが「もう大丈夫でしょう」と告げ、四人は足を止めた。
フィルが息を切らしながら頬の汗を拭う。
「まだ加護の力は届いています。ゲルダは無事でしょうが、トビアスに任せてしまって本当に良かったのですか」
ナディアが冷静に応える。
「レッド公爵が仰っていた通り、我々は殿下とトビアスを信じるしかありません。少し休憩したら神殿へ急ぎましょう」
ティナがナディアに尋ねる。
「彼らの襲撃の目的は何だったのでしょうか。レッド公爵は”深く愛し合うトビアスが殿下を殺す事が最も恐れる事だ”と仰いました。今回の襲撃とその目的が合致するとは思えません」
アーネが淡々と応える。
「同じ目的で動いているとは限らない。私たちの戦力を削ぐのが目的だったかもしれない。そこは私たちが今判断できることではないと思う」
ナディアは思案を巡らせる。
ここまでが敵の掌中にあったと仮定すると、トビアスが殿下から絶大な信頼を寄せられている事は分かっていたはず。
ならばトビアスの戦力が想定外だったとは思えない。敵はトビアスの能力も把握しているはず。そこに加護の力が乗った時の戦力も自ずから推測できる。
ナディアですら手を焼く男と、それを上回る男、そしてわずかに今のフィリップ王子やティナ、アーネを上回る程度の怪物が丁度三体。
こちらの頭数に合わせるようにして襲撃してきた。仮に奴らの奇襲を許していたら、我々はどう動いただろうか。
一番弱いティナかアーネあたりが怪我を負いつつ、マントの男を自分とトビアスが抑える、そんな展開になるだろう。
だが数の有利には持ち込むことが出来ない状況だ。その状況を好転させる材料はない。
奇襲されることで被害を出し、勝ち目も全く見えない。そんな状況で自分ならどう判断するか。
まとまって逃げれば怪我人が必ず足を引っ張る。怪我人を庇えば殿下の命が危うくなる。だが殿下は怪我人を見捨てられまい。
犠牲なしに抜ける事はできない局面と言える。その現場を殿下に見せる事はできない。
加護に包まれたトビアスならば、複数に囲まれても殿下を抱えて逃げることはできる。
自分ではトビアスほどの速度は出せまい。マントの男二人を一人で相手にする事は、ナディアにはできない。
――ならばトビアスに殿下を任せ先に逃がし、犠牲を覚悟して散開しての撤退を選んでいただろう。
ナディアの目が慌てて路地裏に向けられる――今この状況も、多少の計算外があったとしても未だ敵の掌中だ。
奴らはトビアスと殿下を二人きりにするのが狙いだった。
こちらの戦力を削げなかった事のみが計算外だろう。だがそれも”ついでに始末できれば良い”程度の、些末な事なのだ。
表通りまで追ってこないのがその証拠と言える。奴らは目的を達成したのだ。
「殿下……どうかご無事で――今はレッド公爵に報告に行きましょう。ここに居ても我々に出来る事はありません」
ナディアたちは加護の力が残っているうちに、神殿に向けて疾走を開始した。
****
トビアスが神殿に向かう先には、分かっていたかのようにマントの男たちが立ち塞がっていた。
私は”なんとなく”このままじゃいけないと分かっていたけれど、私を抱えたトビアスが勝てる相手でもないと思い、それをトビアスに告げていた。
トビアスは神殿に向かう経路を探したけれど、その全てが妨害を受け、神殿に近寄ることが出来なかった。
「ごめん、もう私の魔力が尽きる。あと一時間も維持できない。なんとか安全な所へ身を隠さないと」
トビアスが思案してから私に尋ねてくる。
「今日の貴方は”なんとなく”でいくつもの危機を掻い潜ってきた。そんなあなたは”なんとなく”で、どこなら安全だと思えますか?」
なんとなく、なんとなくかー。
明るい気持ちで自分を信じて、神殿以外で自分が向かうべき場所――
「学院の礼拝堂に逃げ込もう。あそこなら”なんとなく”襲われない気がする」
トビアスは頷いた後、進路を学院に向けたようだった。




