34.トビアスのとある一日
――朝の学院。
いつもの様にお姫様抱っこの刑に処されている私は、礼拝堂前の階段で”なんとなく”それに気が付いた。
「ねぇフィル。今すぐここで降ろして?」
「いえ、祭壇前で運びます。いつも通りに」
「いいから降ろして!」
……あれ? なんで私、こんなきつい言い方したんだろう?
私と目を合わせたフィルは、私と一緒に呆然としている。
「……ごめんね、なんかきつい言い方しちゃった。でもお願いだから降ろして?」
「……わかりました」
階段前で降ろされた私はローブの裾を整え、とても久しぶりに自力で階段を上っていった。
礼拝堂に入った私の視界に飛び込んできたのは――やはり彼の姿だ。
こつり、こつりと静かに銀髪の男の子の背中に近づいていく。
「おはよう、トビアス! 信仰が無いのに祭壇でお祈り?」
トビアスは振り返らずに祈りを捧げながら応える。
「信仰が無くても、神に祈る事は許されるはずだ。貴方の状態が一日でも早く元に戻る様、祈っていただけです」
私は微笑んでトビアスの横に跪く。そのまま静かに祈りを捧げた。
祈りを捧げ終わった私は目を開けて立ち上がり振り返る。
そこには複雑な表情をしたフィルと、微笑んでいるトビアス。
「じゃあ二人とも、一緒に教室に行こうか!」
私は二人の間で歩いて、共に教室に向かっていった。
****
教室に入った私は、迷った末にトビアスの横に腰を下ろした。
傍にはフィルやティナやアーネが腰を下ろし、フレドやフリードマンさんが移動してくる。
トビアスが不思議そうに私に尋ねてくる。
「もう魅了は解呪されたのでしょう? 元の席に戻った方が良いのではないですか?」
私は曖昧に微笑んだ。
「そうするとトビアスが一人で遠い席になってしまうし、加護の相性を考えても今一番強いのはトビアスだもの。トビアスが傍に居てくれた方が良いんじゃないかなって」
トビアスが深い溜息をつく。
「護衛、という奴ですか。確かに、加護とやらがあってもなくても、今この場で一番強いのは私でしょう。私は貴方を危険から守ればよいのですね?」
ティナとアーネが頷いた。
「我々も極力従来通り護衛を務めますが、トビアスにも協力して頂きます」
「殿下がトビアスに近寄るのを、我々はこれ以上妨げることが出来ません。諦めてください」
トビアスが苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「私はただ、魔導を学びに来ただけなのですがね。創竜神と悪魔の戦いに巻き込まれるのは想定外だ。小さい火の粉なら払う覚悟はありましたが、こんな大きな炎を払いきる自信はありませんよ?」
私はトビアスが広げていた手を両手で握って謝る。
「ごめんなさいトビアス。私たちの問題に巻き込んでしまって。君は自分の命が危ういと思ったら、いつでも逃げてくれていいよ」
トビアスの視線が私の握った手に移った。
「……では、今すぐ逃げてもいいですか? フィリップ王子の嫉妬の視線で射殺されそうです。できればその手を今すぐ離して頂けるとありがたいのですが」
うわぁ! なんで握ってるんだろう?!
私は慌てて両手を離し、隣に座るフィルに振り向いた。
フィルはとても険しい視線をトビアスに向けている。
「フィル! ごめん! 私が悪かったから、そんな目でトビアスを見ないであげて!」
いつものフィルなら、私がトビアスの手を握った瞬間にその手を引き剥がしていたはず。
でも、これ以上相性が落ちるのを恐れてそれが出来なかったんだ……
私の身を守る為、自分の気持ちを押し殺してくれた。
私はフィルに申し訳なくて、教師が来るまでひたすら謝り続けていた。
****
――魔導の実習の時間、魔導教室。
私はやはり、トビアスの隣に居た。
本当は私からトビアスと距離を取るべきだと頭では分かってる。
だけど心がそれを嫌がり、つい傍に居る事を選んでしまう。
この気持ちが後遺症、というやつなんだろうな……
今日の課題は離れた的に術式を当てる実習。
火、風、水、土と、四つの術式を的に当てる。
手から離れた媒介を直進させるのは結構難しい。強い力で遠い距離に充てる程、的の中央から外れて行く。
的はそれなりの硬さと厚みがあるので、弱い力では撃ち抜けない。
的の真ん中を撃ち抜ける生徒は居ないようだった――たった一人を除いて。
トビアスはどの術式も、綺麗に的の真ん中を射抜いていた。
その度に私は拍手でトビアスを褒めていた。
「凄い! どうしてそんなに魔導の制御が上手なの?!」
魔力の制御も術式の制御も、教師より滑らかなんじゃないかと思う程、綺麗にこなして見せていた。
今までこのクラスでは、魔導の実技で一番巧いのはティナだった。それをずっと上回ると思う。
遠くで様子を眺めていた教師も、感心したようにトビアスを見ている。
トビアスは私に微笑みながら応える。
「独学で魔導を覚えましたからね。実戦ではそれなりに使えます。この学校にはきちんと体系付けて魔導の知識を修める為に来ました。実習で困る事はありませんよ」
独学だけでこれだけの技術を修得したのかー。
そういえば”精霊眼の持ち主は魔導の才能に溢れるという伝承がある”ってさっきも言ってたっけ。
トビアスはその伝承通り、魔導の才能が高いんだろうな。
私も負けていられない!
気合を入れ直して的に当てて行く。
「ああ、力を入れすぎです。もうちょっと肩の力を抜いてください。それとちょっとしたコツなのですが――」
横に居るトビアスが私に口頭で指導してくれて、私は頷き感心しながら的の真ん中を撃ち抜けるようになっていった。
教え方も丁寧で分かりやすいし、学院では教わらないような細かな制御のコツも教えてくれる。
決して自分から私に触ろうとしないのは、色々と配慮した結果なんだろうな。
フィルの嫉妬を煽るし、今の私は魅了の後遺症がある。なんというか、一線を引いているような距離を感じる。それがなんだかもどかしかった。
トビアスが微笑んで私を褒めてくれる。
「飲み込みが早いですね。貴方にも魔導の才能があるようだ」
「やった!」
トビアスに褒められた事が妙に嬉しくなり、私はぴょんぴょんと跳ねていた。
なんでこんなに嬉しいんだろう?
トビアスはティナやアーネにも同様に口頭で指導していく。
技術に裏打ちされた事を丁寧に教えてくれるので、二人とも思ったより素直に教えを受けていたみたい。
その姿に教師もなんだか苦笑いしている。まさに教師顔負けだ。
「あ、そこの魔力制御はもっとこう――」
「――だめっ!」
トビアスの手がアーネに触れようとする瞬間。
どうやら私は叫んでいたらしい。
教室中の視線を集めて、私は呆然と自分の口を両手で押えていた。
え? 今の声、私?
この経験は覚えがある。武錬場でフィルとアーネが組手をしていた時だ。
それと同じ心境――嫉妬したって事?!
トビアスがアーネに触れる事に、私はフィルに対するように嫉妬したというの?
自分で自分が信じられず、愕然としていた。
フィル以外に嫉妬を感じた事なんて、今まで一度もなかったのに。
恐る恐るフィルの方を見ると、とても怖い顔で床を見つめながら歯噛みしていた。
****
その後の授業を、私は沈んだまま受けていた。
こんな気分は久しぶりだ。フィルが誘拐されて以来だろうなぁ。
そのままお昼休みになり、私たちは学食へ向かう。
なんとなくトビアスと同じメニューを選び、なんとなく隣に座った。
反対側にはティナとアーネが座り、私の対面にはフィルが座った。フィルの左右はクリスさんとフリードマンさん、そしてフレドだ。
私はフィルの顔を見ることが出来ず、静かにもぐもぐとお昼を食べていた。
世界が昼食のトレイで占められた私に向かって、トビアスの声が聞こえてくる。
「ゲルダ、今の貴方は正常な状態ではありません。そんなに自分を責めないでください。私も不注意でした。以後、貴方の周囲で女性に触る事はしません」
私がトビアスの顔を見ると、優しく微笑む翡翠の瞳が私を見つめていた。
「……ごめんなさい、トビアスには迷惑ばかり掛けて」
「気にしないでください。貴方の様に美しい女性にかけられる迷惑など、迷惑だとは感じませんから」
どこまでも優しい微笑みだった。
精霊眼で感情が分からない筈なのに、私を気遣ってくれる優しさを感じた。
その微笑みに励まされて、私はようやくフィルの顔を見た。
「フィルも、ごめんね。君の気持ちを、今日だけでとっても傷つけたね」
フィルは辛そうな微笑みを浮かべる。
「トビアスが言ったように、今の貴方は正常ではない。貴方の本意ではないと分かっています。気にしないでください」
クリスさんが優しく、無言で私の肩を「ぽん」と叩いてくれた。
前回悪魔に取りつかれていたクリスさんは、無意識に悪魔に操られていた。
自分の心が誰かに操られる苦しさを知るクリスさんは、今の私の気持ちに共感してくれたのだろう。
****
――放課後の武錬場、武錬クラブ。
昨日は対戦できなかったフリードマンさんが、あっさりトビアスに負けていた。
フィルよりも体格に恵まれたフリードマンさんは、フィルよりさらに力で押していくタイプだ。
その姿をフリードマンさんが見せるより先に、トビアスはフリードマンさんを床に転ばせて拳を寸止めしていた。
「……参ったな、本当に何もさせてもらえずに終わった。こんな気分はナディアさんとやって以来だ」
フレドがニヤリと笑って告げる。
「だから言っただろう? 封殺するスタイルだって。技量も俺たちの上を行く。トビアスをかわして自分の強みを出すのは相当難しいぞ」
ナディアと同じ気分かー。
フリードマンさんがナディアと対戦した時は、三秒くらいで勝負が終わったんだよね。
今回はそこまでは早くなかったと思う。
その時フィルは”武術と殺人術の違いだ”みたいなことを言っていた気がする。
その違いが相手を封殺するという、トビアスの戦い方に現れている気がした。
それなら、同じ殺人術を修めているティナやアーネが相手ならどうなるんだろう?
お互いに相手を封殺する戦い方を知っている場合、トビアスはどんな動きをするのかな?
「ねぇトビアス、アーネとやってみせてよ。寝技にならなければ私も叫ぶことはないはずだから、是非見せて欲しいな!」
トビアスの強い所をもっと見てみたい――私は心のどこかで、そう思っていた気がする。
私の期待の眼差しを受けてきょとんとしていたトビアスが、苦笑を浮かべて頷いた。
「――ではアーネともやってみましょう。武錬クラブルールなら、丁度良い勝負になるはずです」
向き合ったトビアスとアーネが、じりじりと間合いを詰めて行く。指一本の間合いの読み合いを続けて行く。
焦れて先に駆け出したアーネの拳がトビアスの腹を狙う――その拳をトビアスの肘と膝が容赦なく鋭く挟み込んだ。
痛みで顔を歪めながら、アーネが蹴りを出そうと足を上げる――重心の乗ったアーネの足を、トビアスの振り下ろす足が払いのけた。
腕を解放され、蹴られた勢いで空中で身を翻したアーネの肘打ちがトビアスの顔を狙う――その肘をいなして逸らしたトビアスの体重を乗せた膝蹴りがアーネの腹に突き刺さった。
続けざまにアーネの首を腕で刈ったトビアスが、そのままアーネの身体を巻き込んで床に叩きつける――それを空中で身を翻して抜けたアーネが、トビアスの首に足刀を打ち込んだ。
その足刀を紙一重で交わしたトビアスが空中のアーネの腹に向かい拳を振り抜く――その拳をアーネが空中で捕まえようとした瞬間拳が引き戻っていき、アーネの顔面にトビアスの足刀が寸止めされた。
蹴り足を出したまま動きを止めているトビアスの前で、静かにアーネが着地した。
トビアスが足を下ろすと同時にアーネが立ち上がり、互いに礼を交わした。
武錬場が割れる程の拍手と歓声――わずかな間の熾烈なやり取りだ。
ここまでアーネとやり合える生徒は他に居なかった。
フィルやフリードマンさんはスピードでアーネに劣るみたいで、身を固めてアーネの攻撃を防いで持久戦に持ち込んで勝つか負けるか、というのがいつもの光景だった。
加護を使って観戦していたけれど、さっぱりやりとりが理解できなかった。
分かるのはアーネですらトビアスに勝てる様子がない、という事ぐらいだ。
フィルの顔を見上げて聞いてみる。
「ねぇフィル。今の勝負はどういう事になるの?」
フィルは楽しそうに笑みを浮かべながら解説してくれる。
「アーネの敏捷性を封殺しきったトビアスの勝利です。彼女の得意な戦い方に持ち込ませなかった。瞬発力ではアーネ以上の速度を持っている。それが彼の封殺スタイルを支えているのでしょう」
武術の事になると、フィルからトビアスに対する色眼鏡が外れるように感じた。
同じクラブで純粋に武を競う仲間として、どこかで認めているんじゃないかな。
汗をかきながら、トビアスとアーネが戻ってくる。
「アーネは私の精霊眼に惑わされていますね。本来ならもう少し良い勝負ができるはずです」
「その目は本当に読みづらい。先を読めないから、イチかバチかで動くしかなくなる。そこを読まれて崩されました」
私は二人にタオルと水の入ったボトルを渡す。
アーネは美味しそうにボトルの水を飲んでいく。
トビアスは水を口に含んだ後、驚いたようにボトルを眺めていた。
水を飲み込んでから、トビアスが呟く。
「――この水、なんなんです? やたら美味しく感じるんですが」
私はにっこりと微笑む。
「私が術式で作った美味しい水だよ! 疲れた体に染み渡るでしょう?」
そう、二人に渡したボトルには≪水竜の浄水≫で生み出した水が入ってる。
試合で疲れた身体に染み渡る、とっても美味しい水なのだ。
悪魔崇拝者がこの水を浴びると火傷を負うらしい。
当然、飲んだら大変なことになる。
――つまり、トビアスは悪魔崇拝者ではないのだ。
んー、やはりとても良い術式を教えてもらった!
でも、どうして赤竜おじさまはこの術式でトビアスを試さなかったのだろう? 今度聞いてみようかな。
トビアスはどこか納得いかなそうだ。
「術式で生み出した水? 水を生み出すのは高等術式です。魔導を習い始めたばかりのゲルダが扱える術式とは思えませんが」
「んー? 信じられないなら、見せてあげるね!」
私は指の先からぴゅーっと水を生み出してトビアスの顔面を濡らしてあげた。
「……何故、水に濡れたところから汗が消えて行くんですか? まるで風呂にでも入ったかのような爽快感です」
私は笑いながら応える。
「あはは! 汚れが良く落ちる水なんだって! 竜の魔導術式なんだよ!」
ようやくトビアスが納得した様に頷いた。
「ああ、赤竜から教わったのですね。それなら竜の寵児であるゲルダが高等術式を使えても不思議ではありません」
その後もトビアスは武錬クラブのみんなと手合わせをして、全てに勝って見せていた。
その実力を認められたトビアスは、フレドの様に痛そうに背中を叩かれていた。
私も満足して、声を上げてトビアスを称えた。
「凄いね! 全戦全勝だね!」
トビアスは背中を叩かれる痛みに顔を歪めながら応える。
「今だけですよ。私のスタイルに慣れてくれば、そのかわしかたを見出す人も出てくるでしょう。武錬クラブルールでは、どうしても私が不利ですからね」
****
――夜のヴェルマン伯爵邸、夕食の席。
「ほぅ、今日はそんな一日だったのか。トビアスが武錬クラブとはな。お前は魔導クラブに入ると思っていたが」
トビアスは小さく溜息をついた。
「そうしたかったんですが、巻き込まれましたからね。それに武錬クラブも悪い選択肢ではなかった。このまま在籍して汗を流しても構わないでしょう」
ヴェルマン伯爵がワインを傾けながら尋ねる。
「それで、王女の様子はどうなんだ? 操られていたと言っていたが」
「それなら、今はまだ後遺症に悩まされていますが、じきに回復するという見立てです。ですがあの後遺症は厄介ですね」
ヴェルマン伯爵の目が細められる。
「何が厄介なんだ?」
トビアスが苦笑を浮かべる。
「ああも美しい人に懐かれてしまうと、思わず本気になってしまいそうですよ」
「はははは! いいじゃないか、そのまま本気になってしまっても! 後遺症が治癒した後もお前に惚れているような状態にすればいい!」
トビアスが溜息をついた。
「叔父上、私がそういった卑劣な真似を嫌うと分かって言っていますか? 今の彼女は本心ではない。そんな彼女の心を利用する真似は御免ですよ」
「相手を封殺するのがお前の戦い方だろう? フィリップ王子を封殺したまま王女の心を奪っても構わないのではないか?」
「封殺するスタイルは体格に劣る私が仕方なく身に着けたものです。心の勝負にまで持ち込む気はありませんよ――では失礼します」
夕食を食べ終わったトビアスが席を立ち、自室に戻っていった。
ヴェルマン伯爵は実に楽しそうにワインを傾けていた。




