33.敵の罠
――午後の神殿。
「――ふむ。それでゲルダがこんな事になっている、という訳だね」
困惑した笑みで赤竜が語った。
赤竜の前には、トビアスにべったりと張り付いているゲルダ、その周囲で戸惑うフィルやティナ、アーネ、フレド、フリードマンの姿があった。
馬車の席でもゲルダはトビアスの隣を譲らず、とうとうトビアスが窘めても身体を預ける事を我慢できなくなっていた。
満足そうに陶酔するゲルダは、まるで愛しい男性に身を寄せているかのようだ。
ティナが赤竜に尋ねる。
「レッド公爵、こういった現象に御心当たりはございませんか」
赤竜は腕を組んで唸りながら応える。
「んー、無いことは無いね。竜酔草というものを知っているかい?」
「竜を手懐ける時に使うという、あの竜酔草ですか?」
「ああそうだ。あの草は竜種にしか嗅ぎ分けることが出来ない甘い香りを出す。その香りは竜種の警戒心を打ち消してしまうんだ。竜の寵児は竜の性質を持って生まれる事が多い。竜種と会話できるのはその一端だ。試したことはないが、竜の寵児は竜酔草で手懐ける事も可能かもしれない」
「そんな?! いくらなんでも、草の匂いだけでこれほどの事になるのですか?!」
赤竜が顎に手をやりながら考えている。
「……竜酔草を媒介とした魅了の魔導術式を使われれば、可能性はあるね――どうだね? トビアス。お前はそんな術式を使ったのか?」
赤竜の眼光が殺気を孕み、鋭くトビアスを射抜いた。
トビアスは肩をすくめて応える。
「そんな覚えがある訳が無いでしょう。第一、私が今術式を使っていないのは、赤竜なら見てわかるでしょう?」
赤竜の目が更に険しくなる。
「既に魅了し終われば、術式を維持する必要はない。巫女のローブの防御結界を貫くほどの精神干渉術式だ。かなり大規模な魔導術式になるはずだが、トビアスにそんな様子はあったかい?」
フィルたちが首を横に振った。
「朝から注意深くトビアスの行動を観察していましたが、そんな様子はありませんでしたね」
考え込む男たちの元に、悲壮な顔をしたナディアとそれに続くクリスが駆け込んでくる。
「殿下?! 私ですナディアです! お分かりいただけますか?!」
ゲルダはナディアの声にも反応せず、ただトビアスに身を任せている。
クリスが悔しそうに顔をしかめた。
「その様子じゃ、赤竜様でもどうにもできないってところかしら?」
赤竜は首を横に振った。
「いいや、竜酔草を媒介にした魅了術式だと仮定して解呪を試してみよう。まだ間に合うかもしれない」
言うが早いか、赤竜が印を組み魔導術式を展開しゲルダに付与した。
眩い赤光がゲルダを包み込み、光が消えると同時にゲルダの顔から恍惚とした表情が去っていった。
「……あれ? 私なんで神殿に居るの? 学院は?」
きょろきょろと辺りを見回しているゲルダに、ナディアが抱き着いた。
「殿下! ご正気に戻られましたか!」
「ナディア?! なんでナディアまで居るの?! どういうこと?!」
****
私は今日一日の自分の行動を教えられ、真っ赤になって俯いていた。
朝、最初の授業の間に甘い匂いで朦朧としたところまでしか覚えがない。
フィルやティナやアーネを加護の力で投げ飛ばしてまでトビアスに張り付いていたとか……恥ずかしすぎる。
しかも馬車の中からずっとトビアスにべったりとか……そんなのフィルにだってしたことないんですけど?!
私は俯いたままトビアスに謝った。
「ごめんねトビアス。なんだかすっごい迷惑かけたみたいで」
「いえ、ゲルダは魅了術式で操られていたようですから、仕方ありません。不可抗力ですよ」
……。
はて?
「ねぇトビアス、私貴方に愛称なんて教えたっけ?」
「――あ、そうでした。魅了されていた貴方が言った言葉でしたね。失礼しましたアデラガルト王女」
んー、なんだか凄い他人行儀な感じがする。
トビアスからそう呼ばれることに凄い違和感、というか強い疎外感を感じる。
武錬クラブのみんなから仲間外れにされてるみたいな、そんな気分だ。
なんでだろう?
「……トビアス、ゲルダで構わないよ。もう今日一日そう呼ばせてしまったみたいだし」
トビアスが私に微笑みながら尋ねる。
「構わないのですか? 貴方はよく知らない人間から愛称で呼ばれる事を好む人間ではないでしょう?」
「そうなんだけど……なんかもう、トビアスから”アデラガルト王女”って呼ばれると変な感じがする。だからゲルダでいいよ」
そんな私たちの会話を、赤竜おじさまとフィルが怖い目で見ている。視線が痛い。
「えっと……フィルもごめんね? 今日は一日迷惑をかけてしまって。ずっと嫌な気持ちにさせちゃったよね?」
「……いえ、貴方の本意ではないと分かりましたから問題ありません」
「……その割に、目付きがすっごい怖いよ?」
「先ほどからずっとトビアスの隣に居るので嫉妬しているだけです。お気になさらず」
うーん、雰囲気はずっと怒った状態のまんまだ。
私がフィルの立場だったら、やっぱり同じくらい怒ってただろうからなぁ。気持ちが分かってしまう。
私はそっと席を立って、赤竜おじさまの隣に腰を下ろした。
……あれ? なんでフィルの隣じゃなくて、おじさまの隣を選んだんだろう?
ま、いいか。
「これでいいかな?」
フィルがようやく険しい目つきを止めてくれた。
「ええ、それで構いません」
私はふぅ、と小さく溜息をついた。
赤竜おじさまを見上げると、先程からずっとトビアスを睨み付けている。
ここまで陽気じゃない赤竜おじさまというのは珍しい。
神官がやってきて、大きな草を一房、机に残して立ち去っていった。
ほのかに甘い香りが立ち上る。
「あ……これ! この香りだよ! 朝の礼拝堂と教室で嗅いだ香りは!」
赤竜おじさまが草を千切って私の前に持ってきた。
私は香りを楽しむように鼻を動かす。
ん~。なんか心地よい。
「甘くていい香りだね! 気分がよくなってくる!」
フィルやクリスも、草を千切って香りを確かめ始めた。
「……なんの香りも感じないわ」
「僕もだ。青臭い草の匂いしかしないな」
赤竜おじさまがトビアスを睨み付けたまま、語りだした。
「見ての通り、ただ竜酔草の匂いを嗅いだだけでは”良い香り”としか感じない。だが警戒心を持った状態で嗅ぐと、その警戒心を打ち消すことが出来る。その程度の草だ」
ふーん。竜酔草っていうのか。
今度お風呂とかで使ってみたいな。
気分をリフレッシュするのに丁度いい感じ。
赤竜おじさまが厳しい目のまま、言葉を続ける。
「ゲルダが同じ匂いだと確認した以上、竜酔草を使った魅了術式だったのは間違いない――トビアス。素直に吐いてもらおう。お前の目的はなんだ」
トビアスは微笑みながら肩をすくめた。
「そう言われても、私にも心当たりがありません。急に懐かれて困惑していたのは私も一緒ですよ。第一、恋人の居る女性に懐かれても私にメリットがない。恋人であるフィリップ王子に恨まれ、赤竜からも睨まれる。この状況のどこに私のメリットがあるというんですか?」
「そうだな。確かにこの状況にメリットはない。だが誤算があったとしたらどうだ? 魅了を解呪されるとは思わなかったのではないか? クリスの機転で解呪が間に合った。違うか?」
トビアスは眉をひそめて憂鬱そうに大きな溜息をついた。
「――ふぅ。赤竜ほどの大物でも、この場を見極める事が難しいという事ですか。精霊眼はこういう時に厄介ですね。いいでしょう、私の潔白を証明する為に、好きなように見張りでも何でも付けてください。私もゲルダには極力近寄らないようにします。それで構いませんか?」
――え?! 極力近寄らないの?!
「それはやだ! 私はトビアスとも仲良くなりたい!」
私は立ち上がって叫んでいた。
……あれ? なんで立ち上がってるんだろう? 自分の行動にびっくりだ。
みんなの視線が私に集中する。
うう、目が怖い……なんとか頑張って今思ってる事を言葉にしてみよう。
「えっと……だって、外国からやってきたばかりでそんな疑いをかけられて独りぼっちだなんて可哀想だもん。普通に武錬クラブで一緒に汗を流そうよ!」
赤竜おじさまが溜息をついた。
「……後遺症、のようなものだね。既にゲルダの中で、トビアスを警戒する心が一切ないんだ。大切な仲間の一人、そのぐらいの認識になってしまっている。トビアスを排斥していれば、仲間を失ったのと同じ喪失感を覚えるだろう。それは奴らに取って事が有利に進む。不本意だが、引き続き傍で監視する形を取るのが良いだろう」
トビアスが赤竜おじさまに尋ねる。
「赤竜、一つ伺います。魅了させる対象を他者に設定する魔導術式は存在すると思いますか?」
魅了術式は他人を自分に魅了させる魔導術式らしい。
他人を他人に魅了させる術式は存在しないと、ナディアが耳元で教えてくれた。
赤竜おじさまが難しい顔をしている。
「……そうだな。邪法の中にはそういったものがある。トビアス、お前は悪魔崇拝者が何らかの目的でゲルダがお前に魅了されるようにしたと、そう言いたいのか?」
邪法――魔導の禁忌を犯した魔導術式をそう呼ぶらしい。人道に反する術式は禁忌とされやすいとナディアが教えてくれた。
大抵は普通の人には使えなくて、高位の存在――悪魔の力を借りたりするものが多いのだとか。
悪魔や悪魔崇拝者が好んで使う、文字通り邪悪な術式。
それを使うだけで悪魔崇拝者として認められてしまうので、例え使えても普通は使わないんだって。
クリスさんがフィルの偽物に化けた術式もその邪法の一つだと。
トビアスが目を瞑って肩をすくめる。
「誰がやったのかは知りませんが、方法があるのならそうとしか考えられません。なんせ私は潔白ですからね。魅了の術式を使った覚えなどありません――仮に赤竜の言う通りだったとして、私に魅了させる事に何かメリットは考えられますか?」
「……その精霊眼の存在だろうな。私にも深入りする事の出来ない精霊眼の持ち主に魅了させることで、別の目的を隠してしまいたかったのかもしれない。魅了を解呪できなければ、我々にはトビアスを殺すこともできない。魅了された状態のゲルダは満足に悪魔崇拝者と戦うこともできず、魅了させたトビアスを操りゲルダを殺させれば、ゲルダを穢すこともできる。どうとでも使える良い駒になるだろう――そしておそらく、もう一つメリットがある」
「もう一つとは?」
「ゲルダ、試しにフィルとフレドに加護を与えてみなさい。それで組手をやらせてみればわかる」
****
――神殿の内庭。
向き合うフィルとフレドに加護を与え、私が「はじめっ!」と叫ぶ。
私の声と同時に二人が組手を始めるのだけれど、なんだかあっさり勝負がついてしまった。
呆然とするフィルとフレドに、私は尋ねた。
「え? なんでフレドがあっさり勝っちゃうの?!」
「フィルがいつもよりずっと弱いな。まるで俺の速度に付いてこれていない」
フィルはただ呆然と自分の両手を見ている。
状況が信じられない――そんな顔だ。
赤竜おじさまが私に語りかけてくる。
「今度はナディア、ティナ、アーネに加護を与えてごらん。それでナディアを相手に組手をさせてみるんだ」
私が加護を付与した瞬間にナディアたちが組手を始めて、今度もあっさりナディアが二人を地面に叩き伏せていた。
ナディアも呆然と呟く
「ティナ、アーネ、それで全力ですか? いつもと比べて半分も力が出ていませんが」
「全力ですよ!」
「なんだか力が湧いてこない感じですね」
私は赤竜おじさまを見上げて尋ねる。
「どういう事なの? 私はいつも通り、八割の付与を与えたはずなのに」
普段の練習では八割で加護を与えていた。
敵が現れたら九割まで頑張るけど、まだ怖いので普段はそこまで魔力を配分しない。
だって失敗したら相手が死んじゃうし。
赤竜おじさまが怖い顔で歯噛みしている。
「やはりか……やられたな。こちらの戦力を削がれた。トビアスに接近するゲルダを邪魔した三人は、加護の相性が落ちている。ゲルダの心の深い所で、三人の評価が落ちたのだ。”自分の邪魔をする人間だ”という印象を刷り込まれた。今後もしばらくの間、トビアスへの接近を邪魔する人間はゲルダの深層心理で評価を落とし、相性が落ちるだろう。これ以上戦力を削がれない為にも、トビアスへの接近を邪魔する事はできない」
フィルやティナやアーネの評価が落ちた?!
私の中に、そんな自覚はないんだけど?!
三人とも、前と変わらず大切な人たちだ。
「赤竜おじさま、それはずっと続くの? それとも一時的なもの?」
「おそらくだが、時間と共に回復するはずだ。だがそれまでの間、戦力は削がれたままになる」
回復――治るのか。よかったー。
ひとまず安心して大きく溜息をついた。
胸を撫で下ろしている私に、ナディアが厳しく叱りつけてくる。
「殿下、安心している場合ではございません。護衛三人の加護の相性を半減されたのです。今襲われたら、あの男相手に守り切る事は難しいでしょう」
うーん、確かに一番強かったフィルがあっさりフレドにやられちゃうんだから、ちょっと頼りない感じだ。
……そうだ!
「ねぇ、トビアスの加護の相性はどうなってるのかな? 確かめてみない?」
フレドとトビアスが向き合い、私が二人に八割の加護を祈る。
次の瞬間、ばちばちといい音をさせながら二人が組手を始めた。
今のフィルと違って、トビアスはフレドといい勝負をしているみたい。
トビアスは初めて加護の力を付与された事を考えると、物凄い善戦じゃないかなぁ。
しばらくして、トビアスの蹴りがフレドに決まったらしく、フレドが吹き飛ばされていた。
「え? 加護を初めて付与されたのに、フレドに勝っちゃうの?」
立ち上がったフレドが所感を告げる。
「加護の相性は俺と大差ないようだ。あとは戦闘技術の差だな。そこで俺はトビアスに及ばない。それで負けた」
……今のフレドと同じくらい、私はトビアスを信頼してるということ?!
そしてフィルの事は、その半分くらいしか信頼できてないってことなの?!
混乱する私の頭を、赤竜おじさまが撫でていた。
「一時的な後遺症だ。今が一番酷いが、数か月で戻るだろう。だがその間、トビアスも護衛に加えるべきかもしれんな。どうあれ傍から離すことが出来ないのであれば、崇拝者対策で護衛を務めてもらってもいいだろう。トビアスが崇拝者側の人間である可能性は捨てず、いざという時に戦力になってもらう。そんな対応を取るしかないだろう。フィルたちの相性が戻るまでの間に、奴らの次の手が動くはずだ。油断するな」
****
――ヴェルマン伯爵邸。
帰宅したトビアスを、ヴェルマン伯爵が迎えた。
「おおトビアス、初めての学院はどうだったんだ? 無事に竜の寵児は見られたか?」
トビアスは肩をすくめて応える。
「叔父上、寵児には先日も会ったとお伝えしたはずですが――まぁ、どうやら厄介な事に巻き込まれたようです」
「厄介な事とはなんだ? 表立ったトラブルでも起こしたのか? お前が?」
「私ではありません。アデラガルト王女が何者かに操られました。その被害を被っただけです。どうやら彼女の問題に私も巻き込まれざるを得なくなりました。平穏な学院生活は望めないかもしれません」
「そうか……王女が狙われたのか。相手は誰か分かっているのか?」
トビアスが首を横に振った。
「いいえ全く。悪魔崇拝者だと言われていますが、証拠らしい証拠はありませんからね。今日は疲れました。食事をしたら早めに休ませてもらいますね」
「……ああ、そうするといい。慣れないところにトラブルでは気も休まらなかったろう」
トビアスがヴェルマン伯爵の横を通り過ぎ、自室へ戻っていった。
ヴェルマン伯爵はニヤリと楽し気に笑みを浮かべていた。




