27.新しい日常
今日もいつものようにお姫様抱っこされながら学院の敷地を移動する。
既に朝の風物詩となった私たちに視線を寄越す生徒はレアだ。
とはいえ――
「ねぇフィル。慣れてきても恥ずかしいものは恥ずかしいんだけど?」
「僕は恥ずかしくないので問題ありませんね」
「だーかーらー! 私の恥の問題はどこにっ?!」
「それはこの際、忘れてしまいましょう」
「忘れられるかーっ?!」
ぽかぽかと胸板をぐーで殴りながら祭壇前に連れて行かれて降ろされる。
フィルを背にして祭壇に向かって、ようやく私は一息つく。
――そうなのだ。あの日、自分の恋を自覚して以来、このお姫様抱っこが以前にも増して遥かに恥ずかしくなってしまった。
だって! 顔が! 近いんだよ!
綺麗で整った細い輪郭や通った鼻筋、形の良い唇がこれでもかと目の前に来るのだ。それでいてあちこちに男性らしさを散りばめられて、キラキラと輝く優しい微笑みをこちらに寄越してくる。
”なんだこの微笑み兵器は”とか思わされるこちらの心臓の事を少しは考えて欲しい。
何度か深呼吸をして心臓を落ち着けて、祭壇前に跪き、一心に祈りを捧げる――さすがに、祈りを捧げている間は全てを忘れることが出来る。祈り続けて生きてきたキャリアのおかげである。
祈り終わり立ち上がると同時に、再びお姫様抱っこの責め苦が始まる。
「ちょっと?! 今日は抱き上げるの早くない?!」
「そうですか? 立ち上がったのだから祈りは終わったのでしょうし、何も問題ないのでは?」
不意を打たれて思わず茹だった顔で必死に抗議するけど、フィルはキラキラとした微笑みで私の言葉をいなしてしまう。
私は再びぽかぽかと逞しい胸板をぐーでなぐりつつ、フィルの手によって教室まで運ばれて行った。
****
教室に入っても責め苦は続く。
必死に授業に集中しようとするのだけれど、横に居るフィルの視線が私を見ている事に気づいてしまう。
授業中だから抗議もできず、唯々視線に耐える時間だ。
授業の合間の休み時間になり、フィルが席を立ってどこかに行った。
いくらフィルでも常に私の傍に居る訳ではない。時折、他の生徒に呼ばれて席を立ち、話をしに行くこともある。
以前フィルが言っていた通り、ここは貴族社会の縮図とも言える学校だ。第三王子の立場だから無視できない相手もいる、ということらしい。
ようやく責め苦から解放された私は、ぺしゃりと机の上に潰れていた。
「なんか最近、フィルが私をいじめてる気がする……」
私の洩らした言葉に、前に居るティナがくすくすと笑いだした。
「最近ではございませんよ殿下。フィリップ王子は以前から態度を変えていません。以前はそれをスルー出来ていた殿下が、フィリップ王子の態度に反応するようになられた、という事です」
「えっ?! 私ずっとあんな視線を浴びていたの?!」
ティナとアーネがこくりと頷いた。
傍に居たフレドとフリードマンさんもニヤニヤと笑いながら私に声をかけてくる。
「最近のアデラガルト王女は以前と様子が違うな。何があったんだ?」
「ま、言わんでも分かる。大方自分の気持ちを自覚したってところだろう? それでフィルを意識するようになった――違うか? 反論があれば聞いてやる」
図星なので当然反論などできる訳もなく、茹だった顔を俯いて隠した。
「……ねぇフレド、このままじゃ私、心臓が耐えられそうにないんだけど、どうしたらいいと思う?」
俯いたままフレドに尋ねる私の頭上から、フレドの声が降ってくる。
「そうだなぁ……そんな酷い責め苦を与える男から俺に乗り換える、という手はどうだ? 俺は四六時中お前を見つめ続けるなんてことはしないぜ?」
私はスッと頭から熱が引いていく自分を自覚しながら、顔を上げてフレドの顔を見上げた。
「いや、それはないかな」
「即答かよ?! 少しは考えろよ?!」
「考えるまでもないかなって」
「へーへー、まだ勝負の時じゃないってことだな。だが俺の名を忘れるなよ? 俺はフレディ・モフィス侯爵子息。食いついたらしつこいぜ?」
肩をすくめながらフレドはフリードマンさんに振り向いた。
「んでフリードマンはあれから、クリスと巧くいってるのか?」
「今のところは大きな進展はない。だが、クリスと同じ家に住める幸福を噛み締めているところだ」
――そう、クリスさんはあの後、後見人となったシュバー伯爵家に居候している。
元々マイコフ伯爵家に執着がまったくなかったクリスさんは、マイコフ伯爵家を継ぐつもりがないらしい。
学院を卒業するまでの一年間で嫁ぎ先を見定め、卒業とともに婚姻する予定だと言っていた。当然、その見定める相手の中にはフリードマンさんも含まれている。
相手が年下のフリードマンさんの場合、彼の卒業まで婚姻を待つのだとか。十八歳にならないと婚姻出来ないのがこの国の法律らしい。
私はぐっと拳を握ってフリードマンさんに激励を飛ばす。
「頑張ってねフリードマンさん! ”なんとなく”だけど、クリスさんも悪いようには思ってないはずだから!」
私の言葉に、ティナとアーネが目を見開いた。
「殿下が他人に恋のアドバイスですか?」
「……しかも案外、的を外してないですね。巫女の直感ですか? それずるくないですか?」
「私が恋のアドバイスをしちゃいけないのかな?」
「初心者が偉そうだなぁと思っているだけですのでお気になさらず」
「……自分が巧く行ってるからって、自信満々なのが癪に障りますね」
ティナとアーネの容赦ない言葉が私に突き刺さる――最近、二人は侍女見習いというより、友人に近い立ち位置に居る。同い年で、共に同じクラスで勉強し、武錬クラブで拳を交えている同性。
たったそれだけなのだけれど、彼女たちとの心の距離が縮まっているような感覚があった。
当然彼女たちなりの一線はあって、そこからこちらへ近寄ってこようとはしない。彼女たちは私を守る護衛であり侍女。その立場は変えられないということなんだろう。
それでも最初の頃よりはずっと打ち解けられているなと思っている。
私たちが雑談をしているところにフィルが戻ってきて席に腰を下ろした。
私の席は一番後ろの左隅。その隣にフィルが座ると、もう私に逃げ場はない。
再びキラキラとした優しい微笑みを向けながら、フィルが私の顔をじっと見つめる。
責め苦が再開されたのだ。
「どうしたんですか? ゲルダさん。何故顔を逸らして俯いてしまわれたのですか? いい加減、言葉で応えてくれませんか?」
「……どうしてそう、いじわるをするのかな?! これじゃあ落ち着いて授業を受けるどころじゃないんだけど?!」
「いじわるとは心外ですね。僕はただ、美しい貴方の顔を見つめているだけですが」
ぼふっという音が聞こえそうな程に顔が茹だる自分を自覚した。
「少しは手加減と言うものを覚えてくれないかな?! そんなずっと見つめられてたら気になってしょうがないよ?!」
私の前に座るティナが、苦笑を浮かべながら提案してくる。
「では殿下、私と席を交換なさいますか? 少しはマシになると思いますが」
「えっ?! ……うーん、それはなんだか、ちょっと嫌かな……フィルから離れちゃうし、フィルの隣にティナが座る事になっちゃうし」
ふぅ、とティナが溜息をついた。
「それだけ相手に執着しておいて、相手から見つめられるだけで挙動不審になるから控えろ、と仰るのは我儘が過ぎますよ? 諦めてお互い見つめあっていれば宜しいではありませんか? 我々も、直接手を出すことが無ければ、それを邪魔立てする野暮までは致しませんよ」
私はきょとんとして小首を貸してる。
「ねぇティナ、その”手を出す”ってどういう意味? 抱き上げたりするのは邪魔されてないよね? 未だに誰も教えてくれないんだけど」
「それをお教えしたいのはやまやまですが、それをすると我々の命がございません。申し訳ありませんがお答えすることはできかねます」
命がない? ……ああ、ナディアから止められてるのか。
こういうことを知りたがると、ナディアはいつも”それを殿下が知る必要はございません”と言って話を終わらせちゃうんだよね。
フィルは微笑みながら私に語りかけてくる。
「婚姻を結べば知ることが出来ます。それまで我慢してください」
「そっか、婚姻までの我慢か……でも竜の寵児の婚姻なんて聞いたことはないし、どういうものになるんだろうなぁ」
創竜神様からは前に”役目を果たすなら好きにしてー”って感じで許可を貰ってる。
寵児のお役目は日々の祈りを欠かさず、封印されている悪魔の力を弱める事だ。
今は霊脈が閉じている状態らしく、創竜神様の声は聞こえない。でもそれが回復したら、いつかまた私はどこか別の場所で祈りを捧げるように指示されるだろう。
そんな寵児の婚姻生活がどういうものになるのか……全く見当がつかないのだ。
少し考え事をしている間に、膝に乗せていた私の手にフィルの手が重ねられていた。
「大丈夫、僕があなたと共に旅をする事になるだけです。不安に思うことは何もありませんよ」
あー、フィルは前にもそんな事を言ってたっけ。
それだけで本当に済むならいいんだけど……
私は自分の手のひらに重ねられた温もりを感じながら尋ねる。
「ねぇフィル。いくら第三王子だからって、そんなことがフィルに許されるのかな?」
王族の生活がよくわからない私にとって、第三王子の立場もよく分からないものだ。
フリードベルク王国でも、私は第二王女というより竜の寵児として生きてきている。貴族社会の嫌な面は今までたくさんみてきたけど、貴族社会も社交界もよく分からないままだ。
「第三王子なんて、何かあった時の予備でしかありません。兄上が二人もいるし、父上もまだまだ健在です。父上からは既に、内々にゲルダさんとの婚姻を承諾してもらっています。正式な承諾は、フリードベルク国王と話を進めてからになるそうですけどね」
そっか、そこまで話を進めてるのか。
私はティナとアーネに尋ねてみることにする。
「ねぇティナ、アーネ。お父様やお母様は許してくれるのかな?」
「元々、竜の寵児となった王族は王族の責務から解放されると言って過言ではございません。この国に嫁ぎたいと殿下がお望みであれば、おそらく陛下は許可してくださるのではないでしょうか」
「……殿下の場合はむしろ、第三王子妃が務まるかという心配をなさった方がよろしいかと。お役御免が言い渡されれば、殿下には第三王子妃としての人生が待っています。殿下に耐えられるのですか?」
ううっ! 痛い所だ。
今まで貴族社会から距離を取ってきた私に、第三王子妃なんて務まるわけが無い。
ちらりとフィルを見れば、変わらず優しく微笑んで見つめてきている。
「どうしました? 第三王子妃ぐらい、簡単ですよ。人の名前が覚えられなくとも、社交に問題があろうともどうとでもなります。どうしても気になるならお互い王家を出て、一人の巫女と一人の男として婚姻すればいい」
「えっ?! そんなこと無理だよっ?! フィルもそうだけど、私だってナディアがそれを許さないよ?!」
「では、第三王子妃が務まるように練習していくしかないですね。まぁ、お役御免になってから考えても遅くないのでは? それまでは共に旅をすればよいだけです」
うーん、まぁなんとかなる、のかなー?
うだうだと考えていると、教室に教師が入ってきて手を叩いた。
「それでは授業を始める――教本を開いて!」
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――放課後の武錬場、武錬クラブ。
私は今日も、クリスさんから基本的な型を教えてもらっていた。
型を教わりながらクリスさんに尋ねてみる。
「ねぇクリスさん、フリードマンさんの家に住んで一か月経つけど、少しは慣れた?」
「そうね。毎朝毎晩フリードマンと顔を合わせるのには慣れてきたかしら。このまま結婚してしまっても構わないんじゃないかって、思う時もあるわね」
私はきょとんとして尋ねる。
「フリードマンさんを好きになったの?」
クリスさんが苦笑を浮かべて首を横に振る。
「それはまだよ。でも、恋愛関係にないまま夫婦になる人なんて貴族にはたくさん居るもの。愛や信頼は、共に過ごすうちに育むこともできる。フリードマンが相手なら、そういう関係になっても良いかなって思うようになってきたってこと」
「んーと、恋と愛は違うものなのかな?」
「そうね……大雑把に言ってしまえば、相手を求める気持ちが恋で、相手を大切に想う気持ちが愛かしら。とても大雑把だから、そのまま受け取り過ぎないでね? 愛は男女の関係以外でも生まれるものだけど、恋は男女の間にしか生まれない――時々、同性に恋する人もいるけれど、あなたはそんな事を考える必要はないわね」
んー、なんだか複雑そうだなぁ。
そういえば赤竜おじさまは加護で生まれる心と心の相性で”信頼は一つの目安”と言っていた。
じゃあ恋や愛も、一つの目安になるのかな? だから私に求婚しているフィルやフレドは加護の相性が良いのかな?
明日、赤竜おじさまに聞いてみようっと。




