26.そして彼女はそれに気づく
私が目を開けるとそこは、神殿の客間だった。
目を開けると同時にナディアが私の手を握って声をかけてくる。
「殿下っ?! 殿下ご無事ですか?!」
「あーっと、ナディアこそ無事? 多分一番きつい所を任せちゃったと思うんだけど、怪我は大丈夫?」
ナディアは首を横に振りながら声を上げる。
「私の事などどうでも宜しいのです。それより殿下こそ苦しい所はございませんか?」
私は、にへらっと笑って見せる。
「ぜーんぜん。ちょっと疲れただけだよ。すっごい無理したからね! ――赤竜おじさまは?」
「ここに居るよゲルダ」
声のする方――足元に目を向けると、すぐ傍に赤竜おじさまが立っていた。
その顔は楽しそうな、いつもの陽気な笑顔だ。
「まったく、なーにが”私にアレンジ能力あるのかな?”だい。あんな大魔法術式を即興で考案して組み上げておいて、どの口が言うんだか」
私はきょとんとして尋ねてみる。
「私、何をしたのかな? 思いついたとおりに動いただけだから、自分でもよくわからないんだよね」
赤竜おじさまが苦笑を浮かべながら教えてくれる。
「お前がやってみせたのは、遠距離広範囲大人数に対する大規模な加護の付与、本来なら創竜神様が悪魔との戦争でしか使わないような、とんでもない大魔法術式だ。元々お前が出したアイデアは、クリスを想う生徒たちと神殿の神官や巫女たちに祈りを捧げてもらって悪魔の力を一時的に弱めてもらう、それだけだったはずだ。なぜ直接戦わない彼らにまで加護を付与しようと思ったんだい?」
私はベッドの中で小首を傾げて考えた。
「えーっと……なんとなく? その場のノリで? その方が良いことがあるような気がしたから」
赤竜おじさまの苦笑がさらに増した。
「じゃあ、本当にその後の奇跡の祈りが成功したのは偶然なんだね――お前から加護の力を受けた生徒や神官、巫女たちは、お前と祈りを共有した。概念的にお前と一体となっていたんだ。その結果、奇跡の祈りの負荷が分散された。主体だったお前が一番負荷が大きかったが、耐えられない分を他の者が引き受けた。結果としてお前が祈りの負荷で破裂することなく、奇跡を実現させることが出来たんだろう」
「あ、その辺は何となく”一人じゃなければいけそうな気がする!”って思ってやったよ! ちゃんと”やれそうだから”やったよ!」
赤竜おじさまがきょとんとした後、大笑いを始めた。
「あっはっはっは! それだよ! 加護の強い寵児はいっつもそうだ! ”なんかやれそうだから、やってみたらうまくいきました”と、とんでもないことをしでかす。見ていて飽きないね! おまえのその”なんとなく”こそが真実巫女の直感であり、創竜神様の加護だ。やはりゲルダは加護を強く受けた子だね!」
そっか、ああいうのを巫女の直感というのか。
明るい気分で自分を信じているだけで、勝手にそういうのが生まれた感じがしたんだよね。
”陽気にしてないと加護が逃げる”というのは、こういう事なのかもしれない。
クリスさんを前にしても私は陽気に振舞って見せた。そういった姿勢が創竜神様の加護を呼び寄せたんだ。
――あ、そうだクリスさん?!
「ねぇ赤竜おじさま、クリスさんは?! クリスさんはどうなったの?!」
赤竜おじさまが嬉しそうに微笑んだ。
「今は別室で寝ているよ。詳しく検査をしているが、魂に悪魔が残っている痕跡は見られない――あの子に対しても、一体何をしたんだい? 本来、悪魔に食われた魂が修復するなんてことはあり得ない。それが例え創竜神様の奇跡だったとしてもだ。それなのにクリスの魂は、傷ついてこそいるが人間の魂として問題がない所まで修復されている。あれなら少し静養するだけで元に戻るだろう」
少し静養するだけで元に戻る――クリスさんを救い出せたんだ!
”なんとなく”でやったことだけど、クリスさんと親しい時間を共有した武錬クラブの生徒たちの”クリスさんを救いたい”という祈りを、拳に込めてありったけ打ち込んでもらった。
拳と拳で語らう武錬クラブのメンバーが、思う存分会話した。
それがクリスさんの魂に届いて染み渡ったのは間違いなかった。
それが奇跡の祈りに強い影響を与えた気がするけど、私にもそれがどういったものなのか、赤竜おじさまに説明することはできそうにないや。
私は安堵の溜息を大きくついて、にへらっと笑った。
「何をしたも何も、”有り得ない事を起こす”のが奇跡、でしょ?」
赤竜おじさまは一瞬、虚を突かれた後、再び楽しそうに大笑いをしていた。
私はナディアに「もう少しお休みください」と言われ、大人しく目を閉じた。
****
――翌朝、白竜教会神殿。
私たちはフリードマンさんと一緒に、ベッドで安静にしているクリスさんの元を訪れていた。
クリスさんは晴れ晴れとした微笑みで私たちを迎えた。
「クリスさん、ようやく悪魔から解放された気分はどう?」
「そうね……正に”憑き物が落ちた”って感じかしら。やっと本来の自分を取り戻せた――そんな感覚があるわね」
クリスさんの視線がフィルに注がれた。
クリスさんは泣きそうな顔でフィルに謝りだした。
「フィル、ごめんなさい。謝って済むことではないけれど、貴方にはとても酷い事をした。私にはあの時の記憶自体は残ってるの」
フィルは首を横に振った。
「あの時のクリスは悪魔に支配されていたと聞かされている。お前の意志ではなかったとな。僕の傷はもう癒してもらった。クリスもあの時の事は、悪い夢だったと思って忘れろ」
クリスさんは涙ぐみながら黙って頷いていた。
その記憶も消してあげられれば良かったんだけど、私じゃ力不足だったみたい。
私の祈りじゃ、クリスさんの魂を悪魔から救い出すのが精一杯だったんだろうな。
フリードマンさんがみんなを見渡して尋ねる。
「これからクリスの事はどういう扱いになるんだ? 悪魔崇拝者だから極刑になるのか?」
悪魔崇拝者は極刑になる。
この国みたいに白竜教会の影響が強い国家だと、それが普通なんだって。
フィルがそれに応える。
「悪魔崇拝から抜け出せた者は、数年間神殿の監視が付くが、元の生活に戻る事も許されている。竜の寵児であるゲルダから助命の嘆願も出ているし、クリスが極刑になることはない――だが、マイコフ伯爵は悪魔崇拝者の疑惑有りとして身柄を拘束され、現在調査を受けている最中だ。証拠が出て来れば、マイコフ伯爵は極刑になるだろう。後見人を探して未成年のクリスに付いてもらう事になるだろうな。その後成人したクリスがマイコフ伯爵家を継ぐか、別の家に嫁ぐ事になると思う」
「後見人か……シュバー伯爵家がクリスの後見人に立候補できないか、親父に相談を持ちかけてみよう。その後の事は、これからゆっくり決めればいい」
フレドがニヤリと笑ってフリードマンさんに語りかける。
「後見人だけでいいのか? あんたホントは、クリスを嫁さんにしたいんだろ?」
フリードマンさんが真っ赤になって黙り込んでしまった。
……え。ええ?!
お嫁さん?! フリードマンさんがクリスさんを?! そんな気配あった?!
「フレド! それどういうこと?!」
フレドはニヤニヤと笑いを浮かべている。
「どうもこうも、そんなもん同じクラブに居れば見てるだけで分かる。目が姿を追っているし、いつもクリスの傍に居ようとする。クリスがフィルの傍に居ようとするから、必然的にフリードマンもフィルの傍に居る事が多いが、フリードマンは別にフィルの傍に居ようとしてるわけじゃない。食事の時にフィルを挟んで反対側に座るのも、その方がフィルに話しかけるクリスの顔がよく見えるからだ――なにか間違ったところあったか? 反論があったら聞いてやる」
フリードマンさんは俯いて黙り込んだままだ。
クリスさんも戸惑ったようにフリードマンさんの顔を見つめていた。
「そうなの? ほんとに?」
フリードマンさんはぼそりと「本当じゃ都合が悪いか?」と呟いた。
クリスさんはしばらく考えた後、それに応える。
「私はまだ、フィルに対する失恋から立ち直れてない。今すぐフリードマンを恋愛対象として見られるかって言われても答えられないわよ? その答えが否定的なものであっても、貴方は耐えられるの?」
フリードマンさんは顔を真っ赤にしながら応える。
「その程度、俺が振り向かせて見せるさ。お前はただ、したいようにすればいい。自由なお前の姿が俺は好きなんだ――それに、王女が見せてくれた奇跡に比べれば、お前を振り向かせる程度の小さな奇跡なんて、俺でも起こせる気がするしな」
フレドが笑いながらフリードマンさんの背中を叩いた。
「そうそう、偉い竜が”神の奇跡でも無理だ”と言った事を成し遂げたゲルダの後だと、俺がゲルダを攫う程度の奇跡も大した事に感じねーな!」
なんだかわからないけど、その奇跡はあり得ない気がする。
私は冷静に冷めた目でフレドに突っ込む。
「いやフレド、それはないかな。さすがに」
だけどフレドはいつもの様に不敵に笑う。
「俺の名前を知ってるか?」
「――フレディ・モフィス侯爵子息。私の夫の座を狙う男の名前、だね! でも私は竜の寵児だよ? 恋愛も結婚も満足にできるとは思えないけどなぁ?」
竜の寵児をお嫁さんにしたがるなんて、フィルもフレドも物好きだなぁ。
まぁ婚姻は手続きするだけだから、出来なくはないだろうけど。結婚生活大変そうだよ?
……けど恋愛か。私にもできるのかな? 未だに恋とか愛とかよくわからないまんまだ。
それでいいのか十五歳の乙女って感じだけど、分からないものはしょうがないじゃないか。
「へっ、かんけーねーな。竜の寵児であると同時にお前は一人の女だ。それを俺が思い出させてやる」
不敵に笑うフレドの前に、フィルが立ち塞がった。
「残念だが、フレドが思い出させる前に僕が思い知らせるからお前の出番はない。諦めろ」
そんなフィルとフレドを、ティナとアーネが突き飛ばして私の前に立ち塞がった。
「殿下に狼藉を働くつもりなら容赦は致しません」
「……”排除”されたくなければ自重する方が身のためです」
フリードマンさんが顔を引きつらせて確認を取った。
「あー、”排除”って前に説明を受けたあの”排除”か?」
ティナとアーネが黙って頷いた。
その瞳は真剣そのもので冗談が通じる様子はない。
フレドとフィルは二人で肩をすくめて答える。
「冗談、冗談だよ。殺人術で狙われる気はないから安心してくれ」
「僕もゲルダさんが望まぬ方法は取りませんのでご安心ください」
すごすごと引き下がる二人を見て、みんなが笑いだした。
フィルとフレドも目を合わせて苦笑していた。
明るい空気の中、雑談が進んでいく。
こうして私たちと”悪魔崇拝者クリスティン・マイコフ”の戦いは終わりを告げた。
****
子供たちが和気あいあいと語り合う部屋の片隅で、赤竜とナディアが静かに言葉を交わしていた。
「ナディアが無事でよかったが、残る崇拝者は逃げたか……手強いな」
ゲルダが力尽きた所を襲われていたら、赤竜が滅ぼすつもりだった。
それに気づかれていたとは思わないが、創竜神の奇跡を前にして、冷静に撤退を選択する事が出来る敵だ。侮ることはできない。
おそらく、霊脈が回復する前に再び仕掛けてくるだろう。ゲルダがそれを跳ね返せるかどうかは、なんとも言えないところだ。
赤竜はシビアに判断を下した。
「私には仕留めるだけの力がありませんでした。全員でかかれば勝てるかもしれない――その程度の実力に見えました。今後も油断できる相手ではありませんね」
ナディア自身、よく命を拾ったものだと感じていた。歴戦の手練れ――あの男はそう呼ぶにふさわしいだけの強かさがあった。
その手練れが再び仕掛けてくるとしたら、次もゲルダを守り切る自信はナディアにもなかった。
それでも命に代えても守り切ると、覚悟を決めるだけだった。
「なに、ゲルダが加護の力に目覚めて行くほど、勝率は上がっていく。油断はできないが、過剰に心配する必要もないさ」
目覚めたばかりで奇跡を成し遂げてしまう子だ。あれ程の加護を受けた子ならば、並大抵の試練は乗り越えられるはずだ。
だが次は相手もゲルダの力を思い知ったうえで仕掛けてくる。厳しい戦いになる予感が赤竜にはあった。
「……あの崇拝者は何者だったのでしょうか」
「詳しくは私でも分からないな。だが霊脈を壊滅させるほどの手練れとなると、かなり昔から活動している崇拝者だろう。低位の悪魔程度の力は持っているかもしれん。今後もゲルダの命を狙う事は充分あり得る。それさえ忘れなければいい。あの子にも、身を守れるだけの術は教えてある」
短期間で霊脈を壊滅させた手並みは見事という他になかった。あんなことが出来る悪魔崇拝者は今や、滅多に居ない。
今回、赤竜が重い腰を挙げた理由の一つだ。なるだけゲルダに任せるが、手に余れば自分が確実に滅ぼす――そのつもりだった。これ以上巫女や寵児に被害を出されては堪ったものではない。
今回はクリスを滅ぼさなかったので使われなかった≪火竜の息吹≫は、悪魔や崇拝者に対する切り札になる術式だった。
あれがあれば、今のゲルダでも低位の悪魔程度なら倒せると赤竜は見ていた。
油断さえしなければ、まず負けることはないはずだ。
あとは卑劣な罠にさえ注意していればよい。
或いは赤竜が知る”あの子”の様に悪魔の侯爵すら撃ち滅ぼしかねない潜在能力をゲルダは持っているかもしれない。
万が一に備え、その可能性に賭けられるほど成長してくれるのを願うのみだ。
「はい、ではそのように心します……レッド公爵はこれで去られてしまうのですか?」
「……そのつもりだったが、少し気が変わった。霊脈が回復するまではこの地に居よう。あの崇拝者の動向が気がかりだ。あの子が手に負えない危機に陥った時、すぐに力を貸せる場所に居た方がいいだろう。それに――」
ナディアが不安げに赤竜を見る。
「それに? なにか他にも?」
赤竜がニカッと陽気に微笑んだ。
「私があの子を、更に気に入ってしまったからね! もう少しあの子を傍で見て居たいのさ!」
****
――数日後、夜の王宮。
私たちは学院から帰り、部屋に戻っていた。
ナディアが香ばしい香りを立てながらコーヒーを入れている。
「あれ? 今日もコーヒーなの? ってことはフィルも来る?」
ナディアは静かに笑いながら支度を進めている。
やがてドアがノックされ、扉からフィルが姿を現した。
「今夜も美味しいコーヒーを頂きに上がりました」
私たちの前にはいつものパンにストレートのコーヒー。
私はもしゃもぐとパンを楽しみ、こくこくとコーヒーを飲んでいく。
そんな私の向かいでは、フィルが美味しそうにごくごくとコーヒーを喉に流し込んでいた。
「ゲルダさん、ストレートのコーヒーが飲めるようになったんですか?」
「苦いよ?! 相変わらず苦いよ?! ――でも、なんか飲めるんだよね。不思議」
フィルが嬉しそうに笑った。
「そこまで来たら、美味しさに気づけるまであと一歩ですよ。その苦みがいいんです。香りと一緒に苦みも楽しんでください」
「そういうものかなぁ?」
首を傾げながら私はこくこくと黒い液体を飲んでいく。
青い空のような瞳に見つめられながら、苦いけど良い香りのする液体を、喉の奥に流し込む。
フィルが二杯のコーヒーを飲み終わる頃、
私は一杯目のコーヒーを飲み干していた。
「わぁ……はじめて一杯飲み切ったかも」
「おめでとうございます。これで初心者卒業ですね」
フィルに笑顔で褒められて、なんとなく頬が熱くなる。
――”時が来ればフィルがけじめをつけるだろう”、そう赤竜おじさまは言った。
私が一杯を飲み切れたのは、時が来たことになるのかな?
上目遣いにフィルを見て、おずおずと尋ねてみる。
「ねぇフィル。私たちの関係って、なんて名前になるんだろう?」
フィルは微笑みながら応えてくれる。
「僕らは王族です。婚約や婚姻には父上やゲルダさんの国から承諾を貰う必要があります。ですので、本当であれば婚約者、と言いたいところですが今は恋人、ということで良いのではないでしょうか」
恋人、恋人かー。
こういう関係を恋人と言うのかー。
でもやっぱり、恋も愛もピンとこない。よくわからない、形を持たない”何か”だ。
私は恋をしているのだろうか?
「ねぇフィル、恋って何だと思う?」
フィルの瞳がいたずらっ子の様に笑った。
「そうですね例えば――相手が美味しそうに飲むコーヒーを、一緒に美味しいと感じたい、そう思う気持ちは恋と言えるんじゃないですか?」
………………
それは。
まさに。
今の状況ではないだろうか。
全身の毛穴が開いて汗が流れ落ちて行く感覚を覚えた。
私がコーヒーをこうして飲み始めたのはいつからだったっけ……
私に自覚がなかっただけで、もしかして前からみんな、私がフィルに恋してると気付いていた?
私はおそるおそるフィルに尋ねる。
「……ねぇフィル。それが分かってて私がコーヒーを飲み続けているのを見ていたの?」
「もちろん、微笑ましく眺めていましたよ。この部屋に居る全員が、ですけどね」
私の頭が一瞬で茹で上がり、口が声を上げていた。
「フィルの意地悪!」
これにて第1章が終了です。
ヒロインの無自覚両想いが恋を自覚して完全両想いになって~FIN~って感じです。
元々はここで終わっていたんですが「ちょっと不完全燃焼感あるな」と思って画面に向かっていたら第2章ができあがったのでまだお話は続きます。
第2章も15万文字あります。推敲するほど増える文字数。不思議ですね。
でも多分、コーヒー主題(にしきれてないよな……)の恋愛譚としては第1章のが綺麗な気がします。
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