25.決戦
――放課後の武錬場、武錬クラブ。
私はクリスさんから拳の打ち出し方を習っていた。
正拳突きという、基本的な型らしい。
「拳を前に突き出すと同時に、反対の拳を身体に引き付けながら身体を翻すイメージで動かしてみて?」
「うーんと……えいっ! こう?」
「もっと肩と肘を意識して。こうしてから――こう。こういう感じよ」
クリスさんが私の体に触りながら姿勢を矯正していく。
「えーっと……えいっ!」
「そう、その調子よ。貴方、案外筋が良いかもしれないわね」
私たちの周囲では、いつものように武錬クラブのメンバーが研鑽に努めている。
フィルはアーネを相手に組手を行い、ティナは女子部の他の子と組手を行っていた。
フレドは昼食時に言っていた通り、フリードマンさんから私と同様に基礎を教わっているみたいだった。
私の姿勢を矯正しながら、クリスさんが顔の傍で小声で呟く。
「……貴方、どういうつもりなの? こんな無防備な状態、”殺してください”と言ってるようなものよ?」
私は笑顔で拳を打ち出しながら応える。
「私は武錬クラブに参加してるだけだよ? 何か問題があったかな?」
「……自分の命を狙う相手に、ここまで接近を許して、更には身体に触れる事まで許している。周りには護衛も居ない。私には理解できないわね」
私はクリスさんにニカッと微笑んだ。
「私はクリスさんを信じてるからね! ――それに、フィルをいじめた人に借りを百万倍にして返さないといけないから、拳の使い方くらいは覚えておきたいんだ!」
クリスさんの笑みが醜悪なものに変わった。
それはいつか馬車から見た、フィルの偽物が浮かべていた笑いだ。
「……貴方のその信頼、とっても美味しそう。我慢できそうにないわ」
「そう? もう我慢できない? 負けを認めて降参するの?」
クリスさんの醜悪な笑みが一瞬歪んだ後、元のクリスさんの顔に戻った。
そこに微笑みはない、真顔のクリスさんだ。
「いいわ、その勝負はまだ続いてるという事ね――貴女など私の気分でいつでも殺せる。そんな状態をもう少し味わって頂戴」
私はクリスさんから再び指導を受けつつ、拳をまっすぐ打ち出す練習を繰り返していた。
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休憩時間になり、武錬クラブのメンバーは思い思いの場所で休息を取っていた。
私の隣にはいつも通りフィルやフレド、ティアやアーネが座り込んでいる。
私たちの前には、フリードマンさんとクリスさんが立って息を整えていた。
フリードマンさんが汗を拭きながら私に尋ねてくる。
「なぁ、それで悪魔崇拝者は誰だったんだ? 武錬クラブで教えてくれると言ったのに、俺はまだ教えてもらってないぞ?」
私は笑顔で「クリスさんだよ?」と答えた。
フリードマンさんが呆気に取られ、私に尋ね返す。
「今、クリスと聞こえたんだが……どういう意味だ? クリスが違う事は、俺とお前たちで確認したじゃないか」
「でも、クリスさんだったんだよ。これはフリードマンさん以外のここに居るみんなが知ってることだから、嘘でもないよ?」
フリードマンさんがゆっくりとクリスさんを見る。
「嘘だろ? お前が悪魔崇拝者? だってお前ら、さっきまで正拳突きの手解きをして密着してたじゃないか。なんで殺し合う相手とそんなことが出来るんだ? なんかの冗談だろう?」
クリスさんは苦笑を浮かべながらフリードマンさんに応える。
「冗談みたいよね。自分の命を狙う相手にあれを許すんだもの。正気とは思えないわ――もう降参、今日の勝負は私の負けね。今日一日を一人の学生としてやり通す貴方を怯えさせることが出来なかった私の負け――ガキの癖に生意気よね?」
途端にクリスさんの顔が邪悪で醜悪な笑みに変わった。
「――もう我慢が出来そうにないわ。その信頼ごと、魂を食らってあげる」
私は微笑みながらクリスさんに応える。
「私はクリスさんを信じてるからね! 正拳突きも教えてもらったし、フィルの借りを百万倍にして返す準備もできた! ――さぁ、はじめようか!」
私たちが立ち上がり、フリードマンさんが慌てて距離を取った。
クリスさんは静かに笑っている。
私はすぐさま”みんな”に加護を与え、クリスさんから教えてもらったばかりの武術の構えを取った。
「みんな! いくよ!」
私はニカッっと笑って宣言した。
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――学園から少し離れた林の中、マントの男がフードの奥で目を細めた。
「――はじまったか。ではこちらもはじめるとしよう」
ゆらりと歩き出す男の前に、ナディアが姿を見せる。
「そうですね。少し待ちくたびれましたが、それだけマイコフ伯爵令嬢に望みがあるということでしょう。貴方たちの思う通りにはさせません」
一呼吸の間見つめあった両者の姿が次の瞬間、常人の視界から姿を消した。
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――武錬場。
クリス一人に対して、ゲルダ、フィル、フレド、ティナ、アーネの五人が立ち向かっていた。
常人が認識することが出来ないほどの高速戦闘が繰り広げられる武錬場は、半ば戦場の様になっていた。
クリスの腕の一振りで弾き飛ばされたティナを、フィルとアーネが受け止めすぐさま攻勢に転じる。
クリスの背後からはフレドが蹴りかかるが、クリスはそれを難なく背中で受け止め、振り向きざまの蹴りでフレドを弾き飛ばした。
目についた武錬クラブメンバーの一人に向かい、クリスが手刀を振り下ろす――それをその生徒は防御技術でいなし、捌いてみせた。
――どういうこと? なぜただの人間が私の動きについてこれるの?
驚いて動きの止まったクリスに、フリードマンの正拳突きが決まる――クリスの身体が吹き飛び、武錬場の壁に打ち付けられた。
「どうやら、クリスが崇拝者だってのは嘘じゃないらしいが……なんだ? なんか俺たちの動き、おかしくないか?」
フリードマンが戸惑ったように自分の両手を見ていた。
ゲルダは大きく声を張り上げる。
「クリスさんを助けたいみんな! 力を貸して! みんなでクリスさんを止めるよ! ――まずはクリスさんが動けなくなるまで”徹底的にしごいて”!」
そう叫んだゲルダが壁際に倒れ込んだクリスに駆け寄っていって正拳突きを見舞う――が、それをクリスは飛び退いてかわした。
武錬場を見渡したクリスが目を細めた。
「――これが創竜神の加護ってことかしら? 武錬クラブ全員に加護を与えたのね? でも”しごく”ってどういう意味かしら。まさか私を殺す気が無いとでも言うの?」
ゲルダが笑顔で応える。
「私は最後まで! クリスさんを諦めない! だからクリスさんも、最後まで自分を諦めないで!」
クリスに再びフィルたちが攻撃を加えて行く。
その様子で己が何をすべきかを悟った武錬クラブの生徒たちは、その攻撃の輪に次々と加わっていった――
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――学院の礼拝堂。
そこでは白竜信仰クラブ会長クラインを先頭に、百人を超える生徒たちが祈りを捧げていた。
クラブの生徒以外は、クラインから話を持ち掛けられて集合した、かつてクリスに親身に相談に乗ってもらった生徒たちだ。
彼らの”クリスを救いたい”という思いを、赤竜が≪増幅≫と≪収束≫の魔導術式で巫女の祈りに匹敵する力に変え、霊脈に流し込んでいた。
――白竜教会の神殿。
赤竜が残した魔石が光ると共に、神殿に居る神官や巫女たち全員が祈りを捧げていた。
彼らもまた、”アデラガルト王女の友人を救って欲しい”という願いを祈りに込めて霊脈に流し込んでいる。
学院の礼拝堂に居る生徒たち、そして神殿に居る神官や巫女たちの身体にも、王女が祈った加護の力が宿っていた。
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私は”みんな”に創竜神様の加護を祈った。
外に居るナディアは勿論、武錬場だけじゃなく、礼拝堂や神殿にいる”みんな”だ。
人数が多すぎて細かい調整は私にはまだ無理だ。
大事な役目を任せたナディアだけは限界まで魔力を分け与えたけど、他のみんなはほとんど均等にしか魔力を分け与えられなかった。
魔導学部に入学できる生徒が耐えられる程度の、とても小さな魔力だ。
遠距離で広範囲、たくさんの人間に対する加護の付与――当然そんなの、やったことない。でも出来る気がしたからやってみた。武錬場のみんなには加護が与えられてるから、多分成功してるはず。
本来ならこんな弱い加護じゃ、クリスさん一人に蹂躙されて終わりだった。
でもクリスさんは私たちを相手に苦戦をしてる――充分な悪魔の加護を得られていないんだ。神殿や礼拝堂の祈りで、悪魔の影響を一時的に弱めることが出来てるはずだ。
加護の相性が良いフィルやフレドは、クリスさんと互角以上の戦いが出来てる。
ティナやアーネは身体強化術式で不利を補って動いているみたい。
フリードマンさんもそれに次ぐくらいは動けてるし、ほかのクラブメンバーも簡単にクリスに殺されない程度の動きはできていた。
みんなが庇い合うことで、誰かが殺されるような状況には今のところなっていない。
「さぁみんな! 武錬クラブらしく! 拳で語り合うよー! 拳に”クリスさんを救いたい”って祈りを込めて殴って!」
私は声を上げながら、クリスさんに正拳突きを繰り出す。
複数人からの攻撃を捌いて隙だらけだったクリスさんのお腹に、私の正拳突きがヒットした。
吹き飛ばされて身体をくの字に折ったクリスさんが、憎々し気に私を睨み付けた。
「――ガキが! 貴様、何をした! なぜ身体が思う通りに動かん!」
私は赤竜おじさま仕込みのニカッとした陽気な笑みで応える。
「決まってるじゃない! ”みんなにクリスさんを救う力をお与え下さい”と創竜神様に祈っただけだよ! この力は、クリスさんの事を思うみんなの願いであり祈りだよ! クリスさんも悪魔なんかに負けないで!」
激高して私に襲い掛かってくるクリスさんを、横合いからフリードマンさんが足刀で叩き落とした。
「――よくわからんが、これでクリスを救えるんだな? なら、武錬クラブ名物百人組手、王女様にご覧頂くとしようか!」
百人組手――本来なら一人に対して複数人が連戦で相手をする試合方式なんだって。武錬クラブの場合、所属するメンバー全員が一人に対して一斉に襲い掛かる。ぶっちゃけ、ただの袋叩きである。
卒業するメンバーを送り出すときにのみ激励として行われる、毎年の恒例行事だそうだ。
私はそれがどういうものかだけは教えてもらったけど、実際に目にするのは初めてだった。
袋叩きにあうクリスさんを呆然と眺めながら、私は思わず呟いていた。
「武錬クラブって、思ったより乱暴なとこなんだね……」
いつのまにか傍に来ていたフィルが苦笑いを浮かべていた。
「結局のところ、殴り合いをするクラブですからね。荒っぽい事も多少はあります――では僕も参加してきますね!」
そう言い残し、フィルは活き活きとした顔で飛び込んでいった。
フレドは既に参加して、楽しそうに殴ったり殴られたりを繰り替えしている。
「……よーし! 私も参加するぞー!」
腕をぐるぐる回しながら、私はティナやアーネと共に百人組手に加わっていった。
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武錬場の床では、みんなから殴り倒されてぐったりとして動けなくなったクリスさんが大の字になっていた。
その顔も身体もあざだらけだけど、どこかスッキリとした表情だ。
そこにはもう、悪魔の影は見られない。
「あははは……みんな容赦ないんだな。もう、指一本も動かせないや」
クリスさんの周りには、武錬クラブの生徒たちが立って様子を伺っている。
私はクリスさんの傍に跪いて祈りを捧げていた。
フリードマンさんがクリスさんに声をかける。
「なぁクリス、悪魔崇拝者をこれで止められそうか?」
クリスさんが弱々しく笑う。
「んー、もう私は魂を半分以上悪魔に食われちゃったからね。止めたくても止められないかな。このまま放っておけば、悪魔の力が回復してみんなを殺してしまう。だからその前に私を殺して」
その諦観に沈んだ声に、私は明るく応える。
「大丈夫だって! 私が必ずクリスさんを救って見せる! 私を、そして自分を信じて!」
今捧げている祈りは、赤竜おじさまから”むやみに使うな”と言われている、創竜神様の奇跡を祈るものだ。
確かに今の私の存在容量じゃ、この祈りには耐えられない。祈りの力で消滅してしまうだろう。
でも、一人でなければ?
私は一心に祈りを捧げた。それと共に私の身体は眩く輝き始め、それと同時に武錬クラブの生徒たちの身体も白く輝き始めた。
フィルが驚いたように声を上げる。
「なんですか? 何をしてるんですかゲルダさん?!」
「みんな! 強く! 強く祈って! クリスさんを救いたいって! 必ず救えるって信じて!」
――学院の礼拝堂。
祈りを捧げる生徒たちの身体が白く輝いていた。
だが一心に祈りを捧げる彼らは、その事に気が付いていない。
その様子を見守っていた赤竜は、満足そうに目を細めていた。
――武錬場。
武錬場を眩い輝きが支配した。
アデラガルト王女を中心に、武錬場全体が輝いている。
その光にさらされたクリスの身体から、黒い淀みのような煙が立ち上ってはかき消えて行った。
しばらくそれを繰り返した後、クリスの身体もまた白い光に包みこまれ、眩く輝き始めていた。
武錬場全体が真っ白に染まり、誰一人として目を開けて居られないほどだった。
その光が突如として収束し、武錬場は静寂が支配していた。
****
私はゆっくりと目を開ける。
目の前のクリスさんに、静かに語りかける。
「……どうかな、クリスさん。まだ悪魔の力を感じる?」
クリスさんは眩しくて固く閉じていた目をゆっくりと明け、呆然と呟いた。
「……嘘、私の中の悪魔が居ない。なんで? なにがどうなったの?」
私はニカッっと笑った――ちょっと疲れてきって弱々しくなってしまったけれど。
「創竜神様の奇跡を祈っただけだよ。みんなの思いの力を借りて、奇跡を起こしただけ。これでもうクリスさんは、悪魔崇拝者じゃなくなったよ」
眩暈を感じて倒れかかる私を、慌ててティナとアーネが支えた。
「ごめんみんな、私はちょっと力を使い過ぎたから眠るね。あとのことは赤竜おじさまの指示に従って――」
私の意識は、そこで途絶えた。
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マントの男は苛立たし気に舌打ちをした。
「チッ、あの女、しくじったか――その上に取り返されただと?! 何だ? 何が起きた?!」
男の前では傷だらけのナディアが距離を取って構えを取っていた。
傷は負っているが、今はまだ命に係わる大きな負傷はしていない。
防御に徹し、男が学院に近寄ろうとすると、それを妨げるようにだけ動いていた。
マントの男がわずかに逡巡した後、身を翻した瞬間に姿が掻き消えた。
理解できない状況に身を置くべきではない事を、男はよく知っていた。
創竜神を、寵児を侮れば命取りになる。ここは撤退すべきだと男は判断したのだ。
ナディアはしばらく構えを維持していたが、男の気配が一切ないことを確認してようやく緊張を解き、近くの木にもたれかかった。
既に体力も魔力も限界に近かった。これ以上はナディアでも場を持たすことは難しいと言えた。
命を奪われかねない瀬戸際で、男の撤退を引き出せたのだ。
「――ふぅ、なんとか対応できましたね。殿下の信頼を裏切らずに済んでよかった」
安堵の溜息をついた直後、自分から急激に加護の力が失われていくのをナディアは感じた。
「これは――殿下?!」
アデラガルト王女の異変に気が付いたナディアは、傷つき疲労した身体に鞭を打ち、学院に一路急行した。




