23.決戦前夜
――午後の神殿、内庭。
フィルに加護の力を慣れさせるための組手がフレドを相手に行われていた。
ティナとアーネも、ナディアを相手に組手を行っている。
アデラガルトは皆の為に、静かに祈りを捧げている。
既に常人の肉眼では捕えられない速度で動くフィルとフレドが、拳を交えながら会話をしていた。
「加護の力か……とんでもないな。いつもと同じ感覚で踏み出しているのに、恐ろしいほど動けてしまっている。組打術の感覚を合わせるのに時間がかかりそうだ」
「品行方正な武術のフィルには、ちーっと大変かもだなぁ!」
「フレドはこれにすぐに慣れられたのか?」
「その場で思いついた技術を即興で実演する――そういう事ばかりしてたからな。すぐに慣れたよ」
即興で対応する力が高いフレドに対して、フィルは毎日の鍛錬で愚直に動きを磨いていくタイプだった。
だからこそ急激な自分の力の違いに戸惑い、即座に対応することが出来ない。自分の力に振り回されていた。
だがここに、男の意地と対抗心が加わる事でフィルにも変化が訪れる。
「では負けていられないな!」
フィルの速度がフレドを上回り、フレドが苦戦を強いられ始めた。
スタミナ切れではない。加護の相性で、フレドを上回るものをフィルが見せただけだ。
フィルが加護の力を使いこなし始める事で、本来の相性が発揮されているのだ。
「――まったく、お姫様との相性か。こんな事でも見せつけてくれやがるな!」
「僕とゲルダの相性がいいのは当然だろう? なにか疑問があるか?!」
互いの拳が交差し、フレドの拳を避けながら放ったフィルのカウンターがフレドの顔面にさく裂していた。
大きく吹き飛ばされたフレドが、赤竜の張った魔力の網で受け止められる。
「ってーな、寸止めじゃねーのかよ!」
「実戦に向けての訓練だ。止めなくても問題ないだろう? ――あちらも、殺気全開で組手をしている。おそらくあれが、彼女たち本来の組手なのだろうな」
フィルの視線の先では、ナディアに立ち向かうティナとアーネの姿があった。
加護の影響差も含め、今のナディアは二人の遥かに格上だ。全力で殺しに行っても傷を負わせられない。だからこそ殺す気で襲い掛かることができる。
武錬クラブでは見せる事のない、殺す技術の応酬だった。当然の様に寸止めもしない。ナディアは二人に合わせて手加減をしているが、それでも容赦なくティナやアーネに打撃を加えていた。
加護の力で耐久力が上がっていなければ、とっくにティナとアーネは動けなくなっていただろう。その辺を見極めつつも痛烈な打撃をナディアは繰り出し続けていた。既にあちこちがあざだらけだ。
それを見たフレドは身体を震わせた。
「おーおー、おっそろしい。人間を確実に殺す為の技術の応酬か。普段手を合わせてるあいつらが、あんなおっそろしい相手だったとはな。アレに比べたら武錬クラブでの組手は準備運動にもならんだろうに」
「純粋な体術を磨く場として認識しているんじゃないか? それはそれで意味を見出せる。おそらく普段も、俺たちに見えないところでああした組手を行っていたはずだ」
「そんなのに守られるお姫様か。フリートベルク王国ってのは敬虔な信者が多い国だとは聞くが、詳しい実態を俺は知らん。フィルは何か知ってるか?」
「昔から竜の寵児を多く輩出してきた国家、という事ぐらいしか僕も知らんな。侍女見習いにまで殺人術を仕込む国家だとは思わなかったが、何か理由があるのかもな」
フレドがニヤリと笑う。
「”僕”ねぇ……お前が本当は自分の事を”俺”と呼んでいたのを、ゲルダは結構驚いていたみたいだが……なんで”僕”になったんだ?」
フィルがきょとんと尋ね返す。
「”俺”? 僕がそんな言葉を使ったのか? 覚えがないな…… いつの話だ?」
「牢屋から救い出した時だ。俺たちは遠くから見ていただけだが、お前は確かに”俺”と言っていた。ゲルダもその瞬間に驚いた顔をしていたから、聞き間違いではないはずだ」
「……だとしたら、あの拷問の日々で心がすさんでいたのだろうな。拷問の目的が分からなかったが、もしかすると僕の人格を変えることが目的だったのかもしれないな」
フレドが再びきょとんとして尋ねる。
「お前の人格を変える? なんでクリスがそんなことをしたがるんだ?」
フィルとフレドに赤竜が近寄っていき、声をかけた。
「崇拝者の意志ではないよ。悪魔の意志だ。お前を悪魔崇拝者に作り替える事が奴の狙いだったのだろう」
フレドが振り返り、赤竜に尋ねる。
「フィルを崇拝者に? それに何の意味がある?」
「当然、竜の寵児であるゲルダを穢す為だ。ゲルダの深い絶望こそが悪魔の求めるものだからね。力の強い寵児を深い絶望に落としてから殺す事で、悪魔はとても大きな力を得る。今回の決戦も、あの手この手で絶望させようと狙ってくるはずだ。傍に居るお前たちが十分に気を付けるといい」
フレドが肩をすくめて苦笑する。
「姫さんだけじゃなく、竜のおっさんにまで期待されちゃあ、やるしかねーな。精々機転を働かせておくさ」
――絶望。それはフィルが何度も味わった拷問だった。
そんなものを愛するゲルダに味わわせる気など、フィルには微塵も湧かなかった。
決意を新たにしたフィルが拳を構える。
「休憩はもういいだろう。傷はゲルダが癒してくれる。お前も寸止めなど気にせず打ち抜いてこい」
フレドも向き合い、拳を構える。
「当然、顔面を殴られた借りは返させてもらう。覚悟はいいか?」
一瞬の間が生まれ、再び二人の男が拳を交え始めた。
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――夕暮れの神殿前。
私は傷を癒したフィルと並んで、外の階段に腰を下ろしていた。
「加護にはもう慣れたみたいだね。私も自分に加護を使えばみんながどう動いてるのか見えるようになって、ちょっと嬉しいかな?」
私は自分に加護を使うことで、自分以外の世界がゆっくり動く感覚を味わえる。
なので組手を行うみんなの動きも、よく見えるようになっていた。
みんなが見ている世界をようやく見ることが出来たというのが、なんだか嬉しいのだ。
細かい技術はさっぱり分からないけどね。
加護のある私は、加護のあるフィルやフレドと組手をしても簡単には負けない気がする。
加護のある本気のナディアが相手だと、多分私は負けてしまうだろう。
加護のあるティナとアーネくらいなら、私でも勝てるかもしれない。
フィルが私に微笑みながら提案する。
「せっかくそれだけ動けるようになったんです。武錬クラブらしく、ゲルダさんも武術を始めてみてはいかがですか。身体の動かし方は僕が教えますよ」
「そっか、私も武錬クラブのメンバーだもんね。武術くらいできないと、武錬クラブメンバーの名折れだね!」
ていっ! と目の前の空間に右拳を突き出した。
それを見たフィルがクスクスと笑っている。
「聞きましたよ。フレドを簡単に抑え込んだんですって? そんな動きしかできないのに、あのフレドを抑え込むんですから、創竜神の加護は凄いですね」
私は自分が突き出した右拳を見ながら呟く。
「加護の力を得てると、なんでもできちゃいそうな気がするんだよね。赤竜おじさまが言っていた”格上と戦うな”って戒めは、この気持ちに負けない様にしろって事なんだろうね」
私が格上と戦って負けたら、多分とっても悪いことが起きる。
それだけは絶対にやっちゃいけないことだ。
フィルの左手が、私の右拳をそっと包み込む。
「大丈夫、それは僕らが必ず止めます。貴方は貴方の思うままに行動してください」
「……そうだね! 深く考えるのは私らしくないし! 感じたまま、思ったまま動く事にするね!」
笑い合う私たちに、フレドが声をかけてきた。
「いい空気でお楽しみの所悪いんだが、ちょっといいか?」
私はきょとんとした顔で振り向いてから小首を傾げるけど、ここで話すつもりはないみたい。
私たちは三人で神殿の中に戻っていった。
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――武錬場、武錬クラブ。
クラブ活動の時間も終わり、壁際にフリードマンとクリスが並んで腰を下ろしていた。
「結局、今日も王女は欠席か。急に祭事をやるだなんて、神殿で何か悪魔対策をやるつもりなのかね」
「さぁ、どうなのかしら。神殿の祭事でどうにかなる相手じゃないと思うんだけど――それより、クラインたちの消息はまだ掴めないの?」
「あー、まだ確認してないな。明日辺り、もう一度確認してみるか。何か進展があったかも知れんしな。フィルの消息もどうなったのやら。王女もフィルの事が気がかりで、祭事なんて集中できないだろうに……大変だな」
フリードマンは隣に居るクリスこそが悪魔崇拝者とは知らない。
仲間を想う武錬クラブの古馴染みと思って話をしている。
そこにある時間は、いつもと変哲のない彼の日常の時間だった。
だからフリードマンは見逃していた。
横に居るクリスの顔が凶悪に歪んでいる瞬間を。
――ガキが何考えてるか知らないけど、私の前に顔を見せる度胸もないようね。いつまで神殿に隠れて居られるかしら。何かおびき出すイベントでも開催しないといけないのかしら?
クリスが立ち上がり「じゃあ私は先に帰るわね」と言い残して去っていった。
フリードマンはその後姿を見送っていたが、溜息を一つついてから自分も立ち上がり、武錬場を後にした。
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――夜の神殿。
見張りの兵士の前に、一人の少女が歩いてきた。
金髪が美しい、気の強そうな少女だ。
だが周囲に使用人や兵士を連れている様子はない。人が出歩く時間ではなく、辺りには人気もない。不用心にも程があるだろう。
「お嬢さん、いくらなんでも、こんな時間に出歩いては危ない。家はどこだ? 途中まで送ろう」
神殿の前に立つ兵士が少女に声をかける。
少女は返事もせず、兵士に近寄り続けた。
兵士は怪訝な顔をしながらも、少女に歩み寄っていく。
目の前まで歩いてきた少女に、兵士がもう一度声をかけようと口を開く――その瞬間、兵士の首が地面に転がっていた。少女の手が刹那の時間で首を切り落としたのだ。とても人間業ではなかった。
少女は血飛沫を上げる兵士の身体を満足そうに見つめて微笑むと、身体を翻し、来た道を戻っていった。
少女の気配が無くなった神殿前には、倒れた首のない兵士の身体と転がる頭部のみが残された。
その兵士の身体がゆっくりと立ち上がった。
「最近のお嬢さんは元気がいいねー!」
兵士の姿が蜃気楼のように歪み、赤竜の姿に変わっていく。
赤竜の右手の人差し指――その先にある爪の先端が綺麗に切り落とされていた。
「竜の爪を一撃で切り落とすなんて、相当魂を食われてるね。はてさて、ゲルダはあの子をどうするつもりなのかな?」
楽しそうな笑みを浮かべた赤竜は、神殿の階段を上り、その中へ姿を消していった。
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赤竜おじさまの様子は≪水竜の水鏡≫を使って、みんなでずっと見守っていた。中々の衝撃映像だった。
外から帰ってきた赤竜おじさまにみんなが駆け寄っていった。
「赤竜おじさま、あんな事されて大丈夫だったの?!」
私の質問に、赤竜おじさまは楽しそうに笑った。
「はははは! たかだが悪魔崇拝者程度がおいちゃんの首なんて落とせやしないさ! 問題ないよ」
私はフレドに振り返り、尋ねた。
「ねぇフレド。どうして今夜クリスさんが来る事が分かったの?」
水鏡の術式でクリスさんを見る事は赤竜おじさまから止められていた。
水鏡に限らず、術式で「悪魔や崇拝者を見ようとしてはいけない」んだそうだ。魂が汚染されると赤竜おじさまは言っていた。禁忌というものらしい。
だから夕方、フレドから”今夜あたり、多分クリスが来る”と言われた時には半信半疑で対策を練った。
その時に根拠も尋ねたけど、ニヤリと笑って”当たってたら教えてやる”と返されてしまった。
当たってたのだから、教えてくれてもいいじゃないか!
フレドは肩をすくめて応える。
「クリスは我慢が利かない性格だ。考えた瞬間に身体が動くぐらいにはな。ゲルダが一日姿を見せないだけで、もうあいつは耐えられない。必ず挑発行動に出ると読んだ。それだけだ」
私は、ほぇ~っとフレドの顔を見上げている。
「やっぱりフレドは頼りになるねぇ。おかげで神殿の兵士さんが犠牲にならずにすんだよー」
「だがいつまでも誤魔化せる物でもない。次も犠牲を出さずに済むとは限らないからな。決戦を仕掛けるなら早い方がいいぞ」
「じゃあ明日決行ね!」
私は即断即決で回答した。
フィルが大慌てで止めてくる。
「ゲルダさん?! 少しは考えましょうよ!」
私は小首を傾げて尋ねる。
「だって、これ以上時間をかけると被害が出るんでしょ? 毎日赤竜おじさまに兵士さんの代わりになってもらう訳にもいかないし? こちらも準備は整ってると思うんだけど? これ以上待つ意味、あった?」
「モフィス侯爵令嬢の方はどうなんですか?!」
クラインさんが拳を振り上げてから顔の前まで振り下ろし、サムズアップでチャーミングなウィンクをしながら応える。
「ばっちり準備オッケーですよ! 明日決行でも対応できます!」
クラインさんの行動力も中々の物だ。相談を持ち掛けたら即座に動いてくれた。
神殿の人たちにも話は通してある。
私は赤竜おじさまの顔を見上げて確認する。
「赤竜おじさまも、私のお願い聞いてくれるんだよね?」
赤竜おじさまは微笑みながら応える。
「他でもない、ゲルダの頼みだからねー! このぐらいなら、おいちゃんも少しは手伝ってあげよう!」
私はフィルに振り向き、クラインさんの真似でサムズアップして見せた。
「――という訳で、こちらは準備万端だよ! 後は当たって砕けろだね!」
フィルが溜息をついてから困ったような笑顔で私に微笑んだ。
「……わかりました。では明日決行で行きましょう」
赤竜おじさまが楽しそうに笑う。
「はははは! みんな今夜はしっかり食べてしっかり寝なさい! おいちゃんも明日がどうなるか、楽しみだよ!」




