22.インターミッション2
苛立つ足が、床に転がる鉄柱の塊を踏みつけた――ひしゃげた鉄柱がさらにひしゃげ、床にめり込む。
「どういうことなの? なにがあったか、説明してもらえるかしら」
金髪の少女――クリスが怒りをあらわにした顔で声を上げた。
クリスの背後に居たマントの男が静かに応える。
「さぁな。俺も留守にしている間に全員連れて行かれたようだ。誰がどこに連れて行ったか、侯爵閣下にお伺いすれば分かるかもしれん」
クリスはわずかに思案を巡らし、凶悪な笑みを漏らした。
「――考えるまでもなかったわね。きっと竜の寵児でしょう? 何の力もないガキだと思っていたけど、案外底力を見せるじゃない」
「ならばお前の正体も寵児に勘付かれているな。どうするつもりだ?」
クリスは凶悪な笑みを浮かべたまま、肩をすくめた。
「こうなったら仕方ないわ。隠しようがないなら隠す意味もない――侯爵はあのガキの命が望みだったわね。この借り、命で贖ってもらうことにするわ。あんたにも協力してもらうわよ?」
「それは構わんが、加護の力を扱えるようになったとしたら強敵だ。勝算はあるのか?」
「勝算? そんなものはどうでもいいの。私は必ずあのガキを殺す。ただそれだけよ。あんたは私の周りでその補佐をすればいい。やり方は任せるわ」
マントの男はしばらく沈黙した後、クリスに応える。
「……いいだろう。俺のやり方でサポートはしてやる。あいつに声をかけておくか?」
「あいつ? 別に要らないんじゃない? どうせ大して役に立たないでしょ?」
「……分かった。あとはお前の好きに動け。俺はお前の周囲に居る」
会話が終わると、二人はその場から姿を消していった。
****
薄暗い部屋の中で、マントの男が老年の男と向かい合っていた。
静かにグラスを傾け、マントの男が酒を口に含む。
「――そういう訳だ。お前は後始末でもしておけ」
老年の男はグラスを手に持ったまま、思案を巡らしていた。
「侯爵閣下はなんと仰せだ?」
「”あの女に全て任せておけ”だとさ。どうやら侯爵閣下は随分とあの女がお気に召しているようだ。ならば、心配は要らんだろう」
老年の男が溜息をついてグラスを呷った。
グラスをテーブルに叩きつけると同時に、酒気とともに再び溜息をつく。
「本当に閣下は復活なさる気があるのか? 私にはあの女に全てを任せるのは不安が残るように思えるが」
あれほどに加護が強い寵児だ。きちんと穢してから殺さぬ手はなかった。
だというのに、あの女にはその事を理解しようとする気配がない。
ただ殺すだけでは、侯爵閣下の復活までの時間が縮まる程度で終わってしまう。
穢してから殺せば、閣下は即座に地上に降臨する事すら可能だと、老年の男は判断していた。
マントの男がフードの奥で笑った。
「ククク……今、寵児の傍に奴は居ない。そう恐れる必要もあるまい。俺が念入りに奴を排除したからな。加護の力は見くびるべきではないが、あの女が受ける閣下の加護も相当だ。俺が見たところ、いい勝負までは持って行けるだろう」
「いい勝負では困る! 確実に閣下にはご降臨あそばされなくてはならん!」
「まぁそう興奮するな。もっと状況を楽しめ。お前はただ、俺たちの尻拭いをしていればいい。心配せずとも、俺とあの女で閣下を地上に必ず降臨させて見せよう。それまでお前の命があるかどうかは、閣下の御心次第だがな」
老年の男が歯噛みした。
男は常に尻拭いばかりだ。
洗礼すら受けさせてもらえなかった。
残された時間はそう多くはない。命を長らえる機会を逃したくはなかった。
「……失敗は許さんぞ」
「誰に物を言っている? ただの人間風情が。口を慎んでおけ」
そう言い残し、マントの男は部屋を後にした。
部屋に残された老年の男は、グラスに注いだ酒を呷った後、マントの男に続いて部屋を後にした。
****
――朝、神殿の礼拝堂には、私以外の人の姿もあった。
クラインさんやフレドも、まだ神殿に居る。モフィス侯爵には、子供たちの無事だけは報せ、詳細は伏せつつ神殿が保護すると伝えていた。
フィルの姿もある。王宮にも同じ報せを出していたので、国王陛下もひとまずは胸を撫で下ろしているはずだ。
祈りを捧げ終わった私が、祭壇前でみんなに振り返る――そこにはまだ、赤竜おじさまの姿もあった。
「私はこれから、どう動いたらいいのかな?」
相手はクリスさん。そのクリスさんを相手にして、クリスさんがどう動くのか。私はどう動いたらいいのか……
赤竜おじさまは笑いながら応える。
「はっはっは! ちょっと元気が足りないなー? そんな事ではこの先を乗り切れないぞー? ゲルダはこれから、状況がどう動くと思うんだい? 深く考えずに言ってごらん?」
深く考えずに? ……あー、つまり巫女の直感を使えという事かな。
考え過ぎちゃダメなんだろうな。明るい気分で、思いつくまま口にしてみよう。
「んーと……クリスさんなら、多分逃げも隠れもしない気がするかな? 今日も学院に通ってる気がする」
フィルが驚いたように尋ねてくる。
「学院に? 自分が悪魔崇拝者だと露見したのに、学院に通うんですか?」
「なんとなくだけどねー。神殿にやってくるってことは多分ないんじゃないかな。声が届かなくなったと言っても、ここは創竜神様の神殿だもん。私の加護が伝わりやすい人が多くいる気がする。ここを襲っても私まで辿り着けないと思ってるんじゃないかな。だからってクリスさんは私から逃げたり隠れたりする性格じゃないし。つまり、残った道として学院に通うんだよ。これは多分、私への挑発も兼ねてるんじゃないかな?」
「挑発……ですか?」
「そう! 多分クリスさんは今、物凄い怒ってる。あれほど殺す気がなかった私を殺したいくらいに怒ってる。その私を殺す場として、学院を選んだんだよ。自分と顔を合わせる勇気が私にあるか? ってそう言ってるんだ。それに太い霊脈の上で巫女を殺すのは、多分悪魔を蘇らすのにも有利なんじゃない? ――赤竜おじさま、それで合ってるかな?」
赤竜おじさまは微笑みながら頷いた。
「上出来だね! その通り、太い霊脈の上で巫女を殺すのは、封印を弱めるのにとても効果的だ。悪魔の強い影響下にある崇拝者なら、無意識の内で悪魔の思い通りに動くようになる。本人は自分の意志だと錯覚してるが、実際は悪魔に操られてる状態だね! その上で崇拝者の性格がゲルダの言った通りなら、学院は条件を満たす絶好の場だ。まず間違いなく、学院で待ち構えているだろう」
悪魔に操られている状態……本当は違うことを願っている?
「ねぇ赤竜おじさま、クリスさんを救う事はできるのかな?」
赤竜おじさまが沈痛な面持ちになって応える。
「姿映しの邪法を自在に操れるほど魂を食われた崇拝者を救う術はないな。半ば悪魔と同化した状態だ。殺してやるのが唯一の救いになる。そこは諦めるしかない」
「創竜神様の奇跡があったとしても、救えないのかな?」
「そんな大きな力を使ってしまえば、ゲルダが耐えられずに消滅してしまうよ。お前には、そんな奇跡を祈るだけの力はないんだ。それに例え創竜神様の奇跡を使ったとしても、悪魔に食われた魂は戻らない。まともな人間として生きて行くことはできないね」
私は項垂れながら溜息をついた。
「そっか。じゃあクリスさんの事は諦めるよ。友達になれる人だと思ったんだけどな……ん? 奇跡を祈る方法はあるってことだね?」
私の目がきらりと光る。
赤竜おじさまが苦笑を浮かべながら応えてくれる。
「むやみに使わないと約束するなら、方法は教えよう。次にいつ会えるかは分からないからね。おいちゃんは滅多に人間界に降りて来ないんだ。時期と力を貸す寵児を見定めるからね。ゲルダなら力を貸しても良いかなーって思ったからここに居る。創竜神様からお願いされたのもあるけど、それだけじゃおいちゃんは動かないよ? これでも気難しい竜だからね!」
赤竜おじさまが気難しい……? どこが……?
赤竜おじさまが大笑いしながら私の心の声に応える。
「はっはっは! 気に入った子にはそう見えるらしいね! だが上位四頭の竜はみんな気難しいんだよ! 気に入らない子は例え寵児でも簡単には手を貸さない、そういう竜なんだ。力が強いからこそ、簡単に力を貸そうとはしないのさ。さすがに人間界の危機ともなれば、仕方なく力を貸したりはするけどね!」
あー、なんとなく理解できた気がする。
赤竜おじさまは、状況が厳しくても信じて見守り続けるタイプ――そんな竜な気がした。
今回特訓してくれたのが、赤竜おじさまなりの最大限の譲歩なんだろうな。
****
朝食の席で、クラインさんは感動しながら赤竜おじさまと会話をしていた。
「伝承にある赤竜! 悪魔公爵すら撃ち滅ぼしたと伝えられている、あの赤竜ですか?!」
「そんな古い伝承、よく知っていたね! まーそうだねー! でもあの時は創竜神様の加護があったから出来た事かなー! 今戦ってもあっさり殺されて終わりだろうねー! あっははは!」
フレドが疲れたようにクラインさんの横でサラダを突っついていた。
「姉さん、相手が偉い竜だって分かってて、なんでそこまで物怖じせず語りかけられるんだよ……」
ぐるんとフレドに振り向いたクラインさんが瞳を輝かせながら応える。
「神話の伝承にある存在と直接会話できる機会よ?! これを逃せる訳ないじゃない! 物怖じ? そんなもの、お母様のお腹の中に忘れてきたわね!」
私は半笑いでその様子を眺めながら、ソーセージをパリポリと齧っていった。
……クラインさん、あれだけの目にあって逞しいなぁ。
ん? ”あの時は加護があったから強い悪魔に勝てた”と赤竜おじさまは言った?
「ねぇ赤竜おじさま、私は赤竜おじさまに加護を与えることはできないの?」
「そりゃあ無理があるよー! 竜の魔力は人間の比じゃないからねー! ゲルダの魔力全部使っても、おいちゃんに加護を与える事は難しいかなー!」
そっか、じゃあやっぱり、崇拝者や悪魔との戦いに赤竜おじさまを戦力として期待するのは難しそうだ。
例え加護を付与できたとしても、赤竜おじさまは一緒に戦ってくれるタイプでもなさそうだし。
クリスさんと、もしかするともう一人の崇拝者との戦いかー。勝てるかなー。
むしゃぽりむしゃぽりと野菜サラダを齧りながら考えて行く。
……ま、なるようになるかー!
もっしゃもっしゃと野菜を噛んでごくんと飲み込み、パンにむしゃあっと齧りつく。
「そうそう! その調子! そのぐらいの気持ちの方が、加護は強くなるからねー! 気持ちで負けちゃあ駄目だぞー?」
赤竜おじさまが楽しそうに笑っていた。
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結局今日は一日、みんな学院をお休みという事にして、朝食の後に作戦会議を開いていた。
赤竜おじさまが見守る中、ナディアが場を仕切りながら進めて行く。
「敵はクリスティン・マイコフ伯爵令嬢、そしてもう一人の存在が仄めかされています。戦場は学院になりますが、殿下はどのように行動なさるおつもりですか?」
私はきょとんとして返す。
「どのようにって……普通に学院に行って礼拝した後、授業を受けたら、武錬クラブに顔を出してクリスさんに会うだけだよ?」
フィルが顔を引きつらせながら私に所感を述べる。
「めちゃくちゃ日常風景ですね……なんだか決戦って空気が微塵も感じられませんが」
「向こうが挑発するなら、こちらも挑発し返すだけだよー! ”悪魔崇拝者? あっそう、それが何か?”ってね!」
ナディアも苦笑を浮かべつつ、私に意見を求めてくる。
「殿下はそれで、マイコフ伯爵令嬢がどう動くと思われておいでですか?」
「武錬クラブで顔を合わせたら少し話をして、多分そのまま戦うんじゃないかなって気がする」
「……なるほど、その場合、敵は武錬クラブの参加者を人質に出来ます。充分考えられますね」
「うん、多分そういう状況での戦いになると思うけど、ナディアは学院の外で待機してて」
ナディアの目が見開かれる。
「……私を待機させる理由をご説明頂けますか? モフィス侯爵子息には譲りますが、これでも相当な戦力だという自負がございます」
「だからこそだよ? 多分もう一人は学院の外に潜んでる。それをナディアに押さえて欲しいんだ。元々学院の時間は中に入れないし、丁度いいはずだよ?」
赤竜おじさまが意見を述べる。
「相手は恐らく、各地の霊脈を荒らした手練れだ。ナディア一人では荷が重い気がするが、どうするんだい?」
「これは直感だけど、クリスさん一人を相手にするのに、私たち学院の生徒全員の力が必要になると思うんだ。戦力を半分に分けたら、どっちに対しても私たちは勝てない気がする。ナディアなら、手練れの崇拝者を相手にしても簡単には負けない気もするし、私たちがクリスさんを倒すまでの間、そいつを邪魔してくれるだけでいいんだ。要するに、そいつがクリスさんに手を貸す余裕を与えないでいて欲しいってこと。これくらいなら、ナディア一人でもできると思わない?」
赤竜おじさまが顎に手を当てて思案している。
「……そうだね、妨害に徹するだけなら、ナディアも手練れだ。負けずに時間を稼ぐことは可能だろう」
ナディアが私の目を真剣に見つめた。
「それは殿下が、私を信頼して任せたい、という事で相違ありませんか?」
「もっちろん! ナディアならできる! って心から信じて言ってるよ?」
私はニカッっと赤竜おじさまの真似をして笑って見せた。
ナディアが嬉しそうに微笑み、頷いた。
「……承りました。協力者に対する妨害はお任せください。殿下はマイコフ伯爵令嬢に専心して頂いて構いません――殿下には他にお考えがおありですか?」
「ない!!」
私は思いっきり胸を張って応えた。
作戦会議場の時間が止まった気がする。
フレドが苦笑しながら手を挙げた。
「……それはつまり、”いきあたりばったりでとりあえずぶつかる”って意味で合ってるか?」
私は微笑みながら応える。
「そうだね! 深く考えるのは止めにしたんだ! みんなでクリスさんに会って、話をして、戦いながら答えを出すよ! それに、考えるのが私より得意なフレドが居るし、当然フィルも居る。私がごちゃごちゃ考える必要なんてないよ!」
フレドが不敵な笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「へいへい、お姫様のオーダーだ。せいぜい頭を回しておくさ。俺たちが付いてるんだ、この勝負に負ける事はあり得ねーな」
フィルも半笑いで私を見ていた。
「そこまで期待されていたら、僕たちが何とかするしかありませんね――まぁ、なんとかなるでしょう」
ティナとアーネは諦観の表情だ。
「殿下にも慣れて参りました。もうなるようになれ、と思うしかないですね」
「……大丈夫、私たちが殿下を必ずお守りいたします」
クラインさんは呆然と会議の様子を眺めていた。
「悪魔崇拝者と戦うための作戦会議がこれで大丈夫なのかしら……不安だわ。殿下、私にも何か出来る事はございませんか?」
私はニカッと笑ってクラインさんに応える。
「あるよ! クラインさんに頼みたい事!」




