王国軍の捜索隊が、この区画へ入りました!
「エルザ様!」
伝令が駆け込んできた。
「王国軍の捜索隊が、この区画へ入りました! 三百ほどです!」
私の肩から離れた時には、もうエルザは仕事の顔に戻っていた。
「第三退避路を使用します。記録物を持ち出し、非戦闘員を先に」
「待ちな。誰も戦うんじゃないよ」
「御意」
真っ先に答えたのはダルガだった。
「西倉庫なら馬車を回せるよ。人も荷物もまとめて運べる」
「西路地の巡回は七分空く」
「怪我した人が出たら、ぼくの救護員で預かるよ」
ルシア、リアム、ノアが続けて口を開くと、エルザは迷うことなく三人の情報を一本につないだ。
「では西路を使用します。ルシアの馬車を第二倉庫へ。ノアの救護員は最後尾。ダルガは後方警戒のみで、武器の使用は禁止。リアムは先行して巡回を確認してください」
私が言ったのは、「戦うな」の一言だけだった。
それだけで地下全体が動き始めた。書類は箱へ詰められ、事務員はルシアの馬車へ向かい、歩けない者にはノアの救護員が手を貸す。先へ進むたび、リアムから次の道の安全が伝えられた。
三百の兵がここへ踏み込む頃には、椅子一つ残っていないだろう。
「……なんで、こんなに息が合ってるの」
「十五年間、続けておりますので」
エルザはそれだけ言った。
自慢するでもなく、誇るでもない。それがこの子たちにとって、十五年かけて身についた日常らしい。
◆
王国軍とぶつかることなく別の拠点まで移ると、改めて五人が私の前に揃った。
ダルガ、ルシア、ノア、リアム、エルザ。
子どもだった五人は、それぞれ知らない十五年を生きて大人になっていた。
なのに、母親の私だけがどう見ても二十五歳くらいである。
「ところでさ。あんたたち、誰一人そこに突っ込まないけど、あたし、死んだ時は三十八だからね」
「だって、かあちゃんじゃん」
「ぼくは顔を見てないからね。院長先生の音だったよ」
ルシアとノアはそれで済ませたので、最後にエルザを見る。
「私は筆跡、行動癖、お母様しか知り得ない情報を照合し、本人確認を済ませております」
「ほら。エルザだけまともだよ」
「もっとも、お会いした時点でお母様だとは思っておりましたが」
「何で」
「歩き方と、呆れた時のため息が同じでしたので」
「そんなところまで覚えてるの」
「忘れる理由がございません」
そういうことを何でもない顔で言うんじゃない。
返す言葉に困る。
「……それで、この組織だけど」
「はい」
「解散しな」
「承知いたしました。ただし、即日の解散は不可能です」
「やっぱり素直には終わらないか」
エルザが帳簿を開いた。
「現在、組織が維持している孤児院が八か所、施療所が三か所、避難所が十二か所ございます。ノア経由の食料配給、ルシア経由の雇用もあります」
帳簿には食費、薬代、家賃、職員の給金がびっしり並んでいた。
昔、孤児院で毎月頭を抱えていたのと同じ数字だ。規模だけが馬鹿みたいに大きい。
「今日すべて止めれば、最初に困るのは犯罪者ではありません」
「……子どもと病人だろ」
「はい」
「ずるいね、あんた」
「事実ですので」
言い返せない。
「孤児院は残す。施療所も、炊き出しも、逃げる場所も残しな。人を殺す、脅す、国を潰す。そういうのだけ一つずつやめていく」
「承知いたしました」
エルザはすぐに書記へ向き直った。
「全支部へ通達。救護、食料、避難支援は維持。報復、破壊工作、武力行使は順次停止。お母様の方針です」
「待ちな」
そこまではよかった。
エルザが机の引き出しから、大きな印章と鍵束を取り出した。
「各拠点への命令権、本部金庫、連絡網の管理権限です」
「いらないよ」
「ですが、今お母様がお決めになった改革には、全体へ命令できる者が必要です」
「嫌な方向へ話をまとめるね、あんた」
「武力部門のダルガは、お母様に従います」
「無論にござる」
「資金部門のルシアも」
「必要な金はアタシが回すよ」
「救護・民衆部門のノアも」
「院長先生が言うなら聞くよ」
「情報部門のリアムも」
「我が影は、すでに師匠の足元にある」
「それはやめなさい」
「そして私は、全体を管理いたします」
エルザは印章を両手で持ち、私の前へ差し出した。
「よって、指揮系統はすでに統一されております。四十七の刃の全権を、お返しいたします」
「いらないって言ってるだろ!」
印章ではなく、その手を掴んだ。
右手の中指に、昔にはなかった硬いペンだこができていた。
十五年間、四十六人の後始末をして、書いて、決めて、また書いてきた手だった。
「……こんなものまで作って」
「必要でしたので」
「だから、もういいって言ってるんだよ」
エルザは手を引かなかった。印章も下ろさない。
「なお、残る者たちにも、お母様の帰還は順次伝えております」
「順次?」
「全員の居所を把握しているわけではありません。国外へ出た者、独立した者、こちらとの連絡を絶った者もおります」
「何人まで分かってる」
「所在を確認できているのは、二十数名です」
「残りは?」
「捜索中です」
そこまで即答していたエルザが、珍しく口を閉じた。
「……一人だけ、気になる者がおります」
「誰」
「居所は確認できておりません。ただ、隣国の軍と政務、その双方で名前が出ています」
「名前は」
エルザが一瞬だけ黙った。
「アルヴィンです」
「アルヴィンが、隣国を動かしてる?」
その名前を聞いた瞬間、ずっと昔の顔が浮かんだ。
「ねえ、アルヴィン。明日からもう一人増えるからね」
「ほんと? また赤ちゃん?」
「今度はあんたより少し下」
「弟?」
「たぶんね」
すると、あの子は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、俺がお兄ちゃん?」
「そうなるわね」
「やった!」
「何がそんなに嬉しいのよ」
答えもせず、部屋の中を走り回っていた。
そのあとも子どもが増えるたび、アルヴィンは誰より喜んだ。
『また家族が増えるな』
そう言って笑う子だった。
「……あのアルヴィンが?」
「隣国中枢へ深く関与していることまでは確認しております」
「何する気なの」
「分かりません」
「エルザにも?」
「確証のないことは申し上げません」
この子が答えを濁すのを、私はほとんど見たことがない。
弟や妹が増えるたび笑っていたアルヴィンが、今は国一つを動かせる場所にいる。
「……ろくなことじゃないね」
今度は、誰も否定しなかった。




