組織を、お返しします
「名前の話じゃないよ」
鍵を開けるための薄刃だった。
紙も切れないくらい丸めて渡したはずなのに、今は刃になっている。
「靴」
細い糸。
「ほか」
「ない」
「襟」
リアムが黙った。
「最後の一個だけ隠す癖も変わってないね」
「……師匠」
「出しな」
襟の裏から、小さな刃が出てきた。
針、薄刃、糸、小刃。
給仕の持ち物じゃない。
「リアム。これは違う」
「何が」
「生き残る方法は教えた。鍵の開け方も、人の目を盗む方法も、逃げ方も」
黒き牙を指で押さえる。
「でも、人を殺す方法として教えた覚えはないよ」
リアムは答えない。
「盗むのは物まで。命は盗まない。忘れた?」
「……忘れていない」
「じゃあ何で研いだ」
長い沈黙のあと、リアムが薄刃を見た。
「師匠が帰ってこなかった夜」
声が低くなった。
「俺はこれを持って、王都中の牢を回った」
何を言っているのか、一瞬分からなかった。
「鍵なら開けられる。どこかの扉の向こうに師匠がいると思った」
十三歳。
あの頃のリアムは、まだ私の肩にも届かなかった。
「でも、どこにもいなかった」
リアムは私を見ない。
「誰も教えてくれなかった。師匠が死んだと知ったのは、全部終わったあとだ」
「……十三で?」
「十三になったばかりだった」
黒き牙を持つ指が、少しだけ動いた。
「鍵しか開けられない刃じゃ、届かなかった」
だから研いだ。
言われなくても分かった。
「次は届くようにした。それから、何も知らないままにならないよう、全部調べるようになった」
リアムがようやく顔を上げる。
「俺には、これしか返し方が分からなかった」
返す。
その言葉が妙だった。
私が勝手に育てた。
勝手に死んだ。
十三の子が返す借りなんて、一つもない。
頭を軽く叩いた。
「返さなくていい」
「師匠は殺された」
「うん」
「あいつらは師匠の命を奪った。それなのに、自分たちは生きている」
リアムの声は静かだった。
「同じものを返して、何が違う」
「あたしは戻らないから」
リアムが黙った。
「盗んだ物なら返せる。金も返せる。でも命は返せない」
黒き牙を持ち上げる。
「だから、そこだけは盗むんじゃない」
「……じゃあ、何もしないのか」
「誰がそんなこと言った」
リアムが少しだけ顔を上げた。
「悪さしたなら証拠を盗みな。逃げ道を調べて塞ぎな。隠してる物を全部引っぱり出しな」
「殺さずに?」
「そう」
「それが師匠の泥棒か」
「そうだよ」
黒き牙を胸へ押し返した。
「それに、十三で一人で牢を回ったんだろ」
リアムの手が止まった。
「届かなかったことを恥ずかしがるんじゃないよ。そこまで来てくれたなら、十分だ」
リアムの喉が動いた。
「……分かった」
「人殺しは?」
「やめる」
「次は?」
「殺さない」
「よし」
針と小刃はこっちへ寄せた。
「これは没収」
「……」
「人を刺すための物だから」
黒き牙と糸は戻す。
「これは返す。鍵を開ける道具だからね」
リアムが薄刃を受け取った。
その手首を掴む。
「人に向けたら折るよ」
「……承知した」
手を離した。
リアムはしばらく黒き牙を見ていた。
「師匠へ仇なす者は、今後、殺さない」
「うん」
「秘密を暴き、証拠を集め、逃げ道を塞ぐ」
「うん」
「処遇は、すべて師匠の判断を仰ぐ」
「……そこまでは頼んでないけど」
「承知した」
「承知してないね、それ」
◆
王宮を出る途中、リアムが分厚い紙束を差し出してきた。
「師匠。これを」
「何?」
「王国が四十七の刃について集めている捜査資料だ」
「いつ盗ったの」
「暗殺前」
「忙しいね、あんた」
「命は取っていない」
「そこだけ覚えたてみたいに言うな」
紙束をめくる。
名前、所属、接触先、調査記録。
よく調べている。
最新の頁で手が止まった。
『西塔爆破の首謀者と思しき女。四十七の刃の首領と推定。生死を問わず確保せよ』
「……首領じゃないんだけど」
「王国側はそう見ている」
「知ってるよ」
問題は、その次だ。
生死を問わず。
十五年前、兵たちは「殺すな」と叫んでいた。
今度は、生きてなくてもいいらしい。
「ずいぶん嫌われたもんだね」
「師匠」
「何」
「俺が調べる」
「殺さないならね」
「承知した」
◆
戻ると、ダルガ、ルシア、ノアの横へリアムが当然のように並んだ。
ノアが嬉しそうに笑う。
「よかった。これで四人だね」
「何が?」
誰も答えない。
嫌な感じしかしない。
そこへ伝令が駆け込んできた。
「レーヤ様!」
戻ってきてから、初めて名前で呼ばれた。
「エルザ様より伝言です」
「エルザ?」
一番上の子。
私がいなくなったあと、残った子たちをまとめていたはずの子だ。
伝令が手紙を開いた。
「『武力、資金、信仰、情報。四部門の責任者を、自ら回収なさったと聞きました』」
「……回収?」
ダルガを見る。
ルシア。
ノア。
リアム。
誰も否定しない。
「待ちな。リアムに会ったの、ついさっきだよ」
リアムが答えた。
「エルザ姉さんは、全部知っている」
伝令が続きを読む。
「『さすがお母様です。本部でお待ちしております』」
嫌な予感がした。
「『組織を、お返しします』」
「いらないよ、そんなもん」
四人とも黙っている。
まだ四人。
残りは四十三人。
どうやら私は、子どもを一人ずつ止めるたびに、知らない組織の中心へ近づいているらしい。




