何で人の泥棒道具を御神体にしてんの
「じゃあ、みんなに教えなきゃ。聖母様が帰ってきたって」
「その前に王城行くの中止」
「うん」
素直だ。
「でも、王さまには謝ってもらうよ」
素直じゃなかった。
「それと、これ」
鍵開けを見せる。
「何で人の泥棒道具を御神体にしてんの」
ノアはしばらく黙っていた。
「院長先生がそれを使うと、扉が開いたから」
「鍵開けなんだから当たり前だろ」
「そうじゃなくて」
ノアはガラス箱へ顔を向けた。
「ぼく、昔は誰かが来るまで玄関で待ってたでしょ」
「……覚えてるよ」
「でも鍵の触り方を教えてもらってから、自分で外へ出られた」
ノアが笑う。
「だから、その音を聞くとね。待たなくていいんだって思えたんだ」
手の中の鍵開けを見る。
私にはただの道具だった。
この子には違ったらしい。
「何で宗教まで作ったの」
「ぼく、昔は一人じゃ何もできないと思ってた」
ノアが杖を床へ置いた。
「みんな優しかったよ。手を引いてくれた。でも院長先生は、食堂まで十二歩って教えてくれた」
覚えている。
「階段は七段。壁が切れたら曲がる。市場はパン屋さんの匂いで左」
「そんなのまで覚えてたの?」
「全部」
ノアが自分の手を握った。
「連れていってもらうんじゃなくて、自分で行けるようにしてくれたから」
外から子どもの笑い声が聞こえる。
「だから、ぼくも増やしたかったんだ。ごはんを食べられる場所。寝られる場所。一人で来ても大丈夫な場所」
なるほど。
そこまではいい。
「でもね」
声が少し低くなった。
「院長先生を連れていった人たちは、一度も謝らなかった」
ノアは怒っていなかった。
「ぼく、ずっと待ってたんだよ。玄関で待ってた時みたいに」
それで分かった。
この子は十五年、まだ待っていたのだ。
帰らない私と、来ない謝罪を。
鍵開けを腰袋へしまった。
「炊き出しは続けな」
「うん」
「孤児を助けるのも、病人を診るのも続けていい」
「うん」
「でも像はいらない。御神体もいらない。王城にも行かない」
ノアは黙って聞いている。
「謝ってもらうなら、あたしが自分でやる。あんたが五千人連れて取りに行く話じゃないよ」
「……院長先生の問題?」
「そう」
「じゃあ任せる」
今度は早かった。
「像を売ったお金で、ごはん増やすね」
「それならいい」
「院長先生は神さまじゃないんだよね」
「ただの人間」
「分かった。みんなに言ってくる」
◆
ノアは数千人の前へ戻った。
私は物陰から見ていた。隣にはダルガとルシア。
「みんな、聞いて。今日は王城には行かないよ」
広場がざわつく。
「大勢で行ったら、誰かが怪我するかもしれないんだって。だからやめようね」
少しずつ静かになった。
「それから聖母像もいらないって。像を作るお金があるなら、ごはんにしなさいって」
よし。
「あとね、院長先生は神さまじゃないんだって」
よし。
広場が静まり返った。
「だから今日から、神さまにお願いするんじゃなくて、困ってる人を自分たちで助けよう」
完璧だ。
「祈るのではなく、行いで示せと……」
やめろ。
一人が膝をついた。
「ご自身の像すら求めず、その金を貧しき者へ……」
二人目も膝をつく。
「自らを神と名乗ることすら拒まれるとは……!」
「違う!」
届かない。
膝をつく人間が広がっていく。
気づけば数千人全員が頭を垂れていた。
「……前より厄介になってね?」
ルシアが呟く。
「言わないで」
神様をやめるよう言っただけなのに、新しい教えが一つ増えた。
その時、広場の入口が騒がしくなった。
「王国軍だ!」
「道を空けろ!」
兵士が押し入ってくる。
「王城爆破に関与した女が、この地区へ逃げ込んだとの情報がある! 全員その場を動くな!」
ダルガの手が剣へ伸びる。
「抜くな」
「……御意」
壇上のノアが、こちらへ顔を向けた。
この騒ぎの中で、まっすぐ私の方へ。
「みんな」
嫌な予感がした。
「あの人、困ってるよ」
「ノア」
「困ってる人は助けるんだよね?」
「今教えたばっかりのやつを使うんじゃない!」
信徒が一斉に動いた。
炊き出しの荷車が兵士の前を横切り、担架を運ぶ人間が別の流れを作る。子どもと老人まで混ざり、兵も強引には押せない。
あっという間に、私たちは人の波の中へ隠れた。
「……手際よすぎない?」
炊き出しで覚える動きじゃない。
あの子は五千人に、手洗いのほか何を教えていたんだ。
「院長先生、こっち」
裏口へ押し込まれたところへ、別の男が走ってきた。
「ダルガ様! ルシア様! 急報です!」
「今度は何」
「リアム様が、今夜中に王族三名を始末すると!」
ダルガが黙った。
ルシアも黙った。
この二人が揃って何も言わない。
それだけで十分だった。
「……今度は、命まで盗む気かい」




