院長先生の案は失敗しました
翌朝、領主館の会議室には、近隣の村から集めた帳簿と収穫見込みの紙が、机いっぱいに広げられていた。
アデリアは朝から領内の視察へ出ている。公爵家の件で止まっていた仕事が山ほどあるらしい。
昨日、ハロルドが帳簿へ長々と書き足していたのは、この下準備だったようだ。村ごとの収穫量だけじゃない。倉庫の空き、街道の距離、荷車の数まで、一晩でまとめてある。
「これ、今までは村ごとに売ってたの?」
「はい。それぞれの村が、個別に商人と取引しております」
「だから足元見られるんだよ。まとめて売ればいい」
「共同で集荷し、大口取引に切り替えるということですね」
「そういうこと」
ハロルドはすぐに各村の数字を足し始めた。筆が速すぎて、あたしが次の欄を見ている間に合計まで出ている。
「麦だけで今月中に千八百四十七袋。乾燥薬草が三百二十一箱。豆類は重量換算で」
帳簿の上へ手を置いた。
「そこまで。順番に」
「すべて必要な数字ですが」
「分かってる。だから順番に聞くの」
「承知しました」
少なくとも今日は、槍じゃなく筆を使っている。
それだけで安心することになるとは思わなかった。
昼前には、近隣の村から荷車が次々と集まり始めた。麦袋、豆、乾燥薬草、根菜。これまで別々に売っていた物が、一か所の倉庫へ積み上げられていく。
「ほら。集めればちゃんと量になるじゃないか」
「数量としては十分です」
午後には、ハロルドが声をかけていた隣領の商人がやって来た。
倉庫へ入るなり麦袋を一つ開け、手のひらへ粒を出す。次の袋も確かめ、さらに薬草の箱まで開けたところで、商人は首を振った。
「……これは、同じ商品として一括では扱えませんな」
「何で?」
「こちらの麦はよく乾いておりますが、隣は水分が多い。粒の大きさも違います。薬草も乾燥状態が村ごとにばらばらですので、買い取ったあと、こちらですべて選別し直すことになります」
提示された額を見て、紙を返した。
「昨日の買い叩きと、大して変わらないじゃないか」
「こちらも手間が増えますので。申し訳ありませんが、今回は見送らせていただきます」
商人は丁寧に頭を下げ、帰っていった。
残ったのは、大量の商品とあたしたちだけだ。
次の収穫まで日がない。このまま売れなければ、新しい麦を入れる場所がなくなる。
ハロルドが帳簿へ結果を書き込んだ。
『院長先生の案は失敗しました』
何も言わずに見た。
ハロルドは一度だけ筆を止め、その一行へ線を引く。
『初回共同集荷において、品質統一の必要性が判明』
「最初からそう書きな」
「承知しました」
量だけ揃えて駄目なら、次は中身を揃えるしかない。
「集めたところで分ければいいんじゃない? いい物と、普通に売れる物と、それ以外」
「品質基準を作成します」
翌日には、本当に基準表ができていた。
別の意味で仕事が早い。
「こちらは廃棄です」
選別作業を見ていると、ハロルドが一袋を廃棄側へ回した。
あたしはその袋を引き戻す。
「食べられる?」
「食用上の問題はありません」
「じゃあ捨てない」
「一級品として定めた粒径を満たしておらず、色も基準値から外れております」
「一級品じゃなくていいんだよ。傷があるなら粉にすればいいし、見た目が悪いだけなら安く売ればいい。食べられる物まで捨てるんじゃない」
ハロルドは規格表へ目を落とした。
「では、一級、二級、加工用の三分類へ変更します。食用に適さない物のみ、飼料または廃棄へ回します」
すぐに規格表が書き換えられ、さっきまで捨てられそうになっていた麦も別の籠へ移された。
「廃棄予定量が大幅に減少しました。ただし、分類と加工に必要な人件費は増加します」
「……そこまで一緒に言うの?」
「数字ですので」
数日後、品質を揃えた商品を初めて他領へ送った。
今度の売値は悪くなかった。これまで買い叩かれていた頃とは比べものにならない。
ところが夕方、門から戻ってきた荷馬車を見て、引っかかった。
朝には麦を山ほど積んでいた荷台が、全部空だった。
「ハロルド。あの馬車、帰りは何積んできたの」
「何も運んでおりません。出発日程に合う帰り荷を確保できませんでした」
「だったら向こうで、この辺に必要な物を買ってくればいいじゃないか。塩とか布とか、工具とか」
ハロルドの筆が止まった。
「……帰り荷を、こちらで仕入れると?」
「行って帰ってくるなら、両方使いな。泥棒だって、入る道だけじゃなく出る道まで考えるもんだよ」
「計算します」
もう筆が動いていた。
「帰路で塩、布、工具類を仕入れ、領内で共同購入品として販売した場合、輸送費負担はおよそ三割低下します。積載量を調整すれば、使用する馬の頭数も削減可能です」
「ほら。空で帰ってくるよりいいだろ」
「はい」
次の便から、往路には農産物を積み、復路には領地で必要な塩や布、工具を載せるようになった。
ようやく利益が残った。
その向こうでは、藁山から妙に大きな頭が一つ出ていた。
目が合った気がした瞬間、すっと藁の中へ沈む。
ダルガ。
隠れるなら、せめて自分より大きい物の後ろにしな。
面倒なので放っておいた。
共同輸送が黒字になったことで、あたしも少し気が大きくなった。
「売れるなら、もう少し持っていけばいいんじゃない? 倉庫に置いとくより、売った方がいいだろ」
「承知しました」
二日後、市場の麦価格が落ちた。
「……これ、うちのせい?」
「はい」
ハロルドはいつも通り答えた。
「市場全体の一日取引量に対し、こちらの出荷量が多すぎました。需要を短期間で満たしたため、残る麦の価格も下落しております」
麦を売っているのは、あたしたちだけじゃない。
値段が落ちれば、同じ市場へ持ち込んでいた他の村も困る。
「……あたしが増やせって言ったんだよね」
「最終的に数量を決めたのは私です。市場規模を過大評価しました」
ハロルドは帳簿へ目を落とした。
「失敗です」
「じゃあ、次は二人とも同じことしない」
「はい」
一か所へまとめて大量に売るのをやめ、商品ごとに行き先を分けることになった。




