今度は調べる
「取れたか」
隠し通路へ戻ると、リアムがすぐに聞いた。
「これ。それと手紙」
帳簿を見せると、リアムは中身を確かめるより先に手を伸ばした。
「持つ。逃げる時は、師匠の両手が空いている方がいい」
「じゃあ頼むよ」
帳簿と手紙を渡すと、リアムの肩からわずかに力が抜けた。私が戻るまで、ずっと同じ場所で待っていたらしい。
「……戻ったよ」
「見れば分かる」
「そういう時くらい、素直に安心しな」
「している」
している顔には見えなかったけれど、さっきより歩幅は狭くなっていた。
帰りは何事もなく屋敷を抜けられた。外ではダルガが暗がりに立ち、私たちを見つけるなり胸へ手を当てる。
「我が主君。公爵家の者が二名、裏門より外へ出ようとしたゆえ、行き先のみ確認いたした。抜刀も接触もしておらぬ」
「よし」
そこへルシアの使いが走ってきた。
「公爵家から先ほど、大口の送金指示が出ました。ルシア様の指示により、一件のみ保留しております。通常取引には触れておりません」
「それもよし」
誰も殴っていない。誰も剣を抜いていない。余計な金も持って帰っていない。
うちの子たちが全員ちゃんと言いつけを守っただけなのに、妙な達成感があった。
◆
翌日の昼、私たちは王宮へ呼ばれた。
目の前には、昨夜こっそり家へ入った相手が座っている。そのうえ、ここは十五年前、私が王太子の寝室前まで忍び込んだ王城だ。
泥棒として、これほど居心地の悪い席もない。
「こちらをご確認ください」
エルザが帳簿と手紙を机へ置いた。
「エルグランド公爵夫人主催の茶会への寄付額、その後に行われた便宜供与、ならびに寄付を拒否した者への取引停止、縁談への介入等が記録されております」
王太子が帳簿を開き、ローデン辺境伯家の頁で指を止めた。
「北部へ送る物資を、意図的に遅らせた……」
「そのような物、いくらでも作れますわ」
公爵夫人の声は変わらなかった。
「では、この筆跡も?」
「似せることくらい可能でしょう」
公爵夫人が今度は私を見る。
「そもそも、そちらの女性については確認なさったのですか? 昨夜、突然アデリア様の味方として現れた方ですわ」
王家の役人が手元の書類を確認した。
「レーヤ様の紹介状および保証人には問題ございません。紹介元からも、正式な招待客として保証する旨の回答を得ております」
横でルシアが小さく鼻を鳴らした。
王太子は書類ではなく、私を見た。
「……レーヤ」
名前を確かめるように一度だけ口にして、それ以上は何も言わなかった。
嫌な覚え方をされた気がする。
「ですが」
役人が帳簿へ視線を戻した。
「問題はこちらの入手経路です。公爵家の内部文書と思われる物が、なぜここにあるのでしょうか」
来た。
「入手元については伏せさせていただきます」
私より先に、エルザが答えた。
「ただし文書そのものは王家へお預けします。紙、筆跡、印章、記載された取引や人員について、必要な確認はすべて行っていただいて構いません」
「出どころも説明できない文書を、証拠として扱えと?」
「いいえ。証拠として認めていただく必要はございません」
エルザは平然としていた。
「この文書を手掛かりとして、王家ご自身で調査してくださいと申し上げております」
そういう言い方をされると、盗んできた私の方が肩身が狭い。
「レーヤ」
王太子が私を見る。
「君は、この帳簿がどこから持ち出されたものか知っているのか?」
「……知ってるよ」
「誰が持ち出した?」
「それは言えない」
「なぜだ」
「言ったら、そいつが困るから」
公爵夫人が薄く笑った。
「それで、王家に信じろと?」
「信用しろなんて言ってないよ。書いてあることが本当か、自分たちで調べればいい」
王太子はしばらく帳簿を見たあと、役人へ渡した。
「分かった。この文書はこちらで預かる。記載内容は王家の記録と照合する」
そこで私を見る。
「ただし昨夜、公爵邸周辺で不審な者が確認されている。その件についても調べる必要がある」
そっちも、もう来てるのか。
「確認が終わるまで、君には王宮に留まってもらう」
「殿下!」
アデリアが声を上げた。
「アデリア、今は黙ってな」
「ですが、レーヤ様は私のために」
「だからだよ。あんたまで口を挟んだら、余計に話がややこしくなる」
アデリアは何か言いたそうにしたが、結局唇を結んだ。
逃げ道なら、王宮へ入った時に三つ見つけてある。
でも、今逃げたら帳簿まで怪しくなる。
昨夜、公爵邸へ入ったのは私だ。だったら、ここは逃げるところじゃない。
十五年前に捕まった城で、今度は自分から大人しく残ることになるとは思わなかった。
盗むところまでは私の仕事だった。
盗んだ物を事実に変えるのは、ここから先の仕事だ。
公爵夫人の扇子が、ほんの少し上がった。
顔は変わらなくても、手は案外正直だ。
「失礼します」
扉の外から、穏やかな声がした。
「……ノア?」
杖をついたノアが入ってきた。
「院長先生の声がしたから、ここだと思った」
「なんで王宮にいるの」
「困ってた人の話を聞いてきてって言われたから」
ノアは一人ではなかった。
後ろから商人、地方貴族、聖職者が入ってくる。その中には、昨夜の祝賀会で見かけた顔まであった。
公爵夫人が扇子を閉じた。
「宗教家の意見で、王家の裁定を左右なさるおつもりですか?」
ノアは首を傾けた。
「ぼくの意見はいらないよ。みんな、自分で見たことと、されたことを話してくれるから」
最初の商人が前へ出た。
「三年前、公爵夫人主催の茶会への寄付を断りました。その翌月、十年以上続いていた王家への納入契約を突然打ち切られております」
エルザはすぐに帳簿を開き、該当する頁を役人へ示した。
昨夜のうちに、どこに何が書いてあるか全部頭へ入れたらしい。
あとで寝たか聞こう。
帳簿には商人の名と寄付拒否、その翌月の納入契約停止が記されていた。
次の女性も同じだった。
茶会への出席を断ったあと、まとまりかけていた娘の婚約が破談になり、帳簿には相手家への働きかけが残っている。
そのあとも証言は続いた。
日付。
相手。
起きたこと。
それが一つずつ、帳簿の記録と噛み合っていく。
帳簿だけなら偽物と言える。
証言だけなら勘違いと言える。
でも、何年分もの人間と日付まで全部合わせるとなれば、話は変わる。
「これ全部仕込んだって言うならさ」
ルシアが腕を組んだ。
「その方が、公爵家潰すよりよっぽど金かかるぜ」
「それは……」
ヴィオラの言葉が止まった。
王太子が役人を見る。
「王家側の記録を一件、今ここで確認しろ」
「はっ」
役人が別の記録簿を持ってこさせ、最初の商人の名を探した。
「三年前、王家への納入契約が打ち切られております。申請日も一致します。また、変更を取り次いだ官吏の名も、この帳簿に記された人物と同一です」
部屋が静かになった。
王太子が公爵夫人へ向き直る。
「残る記録もすべて照合する。調査が終わるまで、エルグランド家に関係する王家との取引、公的な役目、王宮への出入りを停止する」
「殿下!」
「まだ罪を確定したわけではない」
王太子の声は低かった。
「だからこそ、今度は調べる」




