↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/28

一番盗られたくないもの

「念のため、もう一度確認するよ。誰も殴らない。剣も抜かない。金も宝石も持って帰らない」


 三人とも準備だけは万全だった。ダルガは黒い外套を着ても体格のせいで全然隠れていないし、リアムは今にもそのまま闇へ溶けそうな格好をしている。ルシアに至っては屋敷へ入らないくせに、帳簿まで持ってきていた。


「拙者の配下には、逃走者が出ても追跡のみに留めるよう命じてある。抜刀も接触も禁じたゆえ、ご安心くだされ、我が主君」


「襲われても?」


「避ける」


「よし」


「アタシんとこも準備できてる。公爵家から普段と違う金が動いたら、すぐ分かるぜ」


「全部止めたら駄目だからね」


「分かってるって。逃げ金っぽい大口だけ。普通の取引には触らねぇよ」


「数日前まで国の経済ごと潰そうとしてた子を、金のことで丸ごと信用できると思うかい」


「マジ昔の話じゃん」


「数日前だよ」


 ルシアが口を尖らせる横で、私はエルザから渡された一覧を確認した。


 必要なのは金じゃない。誰が寄付し、誰が便宜を受け、断った相手に何が起きたのか。それから、アデリアを追い込んだ一連の妨害に、公爵家が関わっていたと分かる記録だ。


「持って帰るのは、これに関係するものだけ。余計な物には触らない」


「承知している」


「じゃあ、行くよ」


「我が主君」


 ダルガが胸へ手を当てた。


「ご武運を」


「泥棒にかける言葉じゃないよ」


 そう返したものの、少しだけ引っかかった。


 十五年前、夜に出ていく私へ、こんな言葉をかける子はいなかった。もっとも、行き先も帰る時間も教えず、寝静まってから勝手に出ていたのは私だ。


「……行ってくる」


 リアムと二人で、公爵邸の裏手へ向かった。


     ◆


 貧乏な家は、夜になると暗くなる。蝋燭一本にも金がかかるからだ。


 金持ちの家は逆で、夜になるほど明るい。


 エルグランド公爵邸の庭には、真昼みたいに灯りが並んでいた。


「巡回は八分間隔。次に戻るまで七分二十秒」


 裏塀に沿って進みながら、リアムが声を落とした。


「なら十分だね」


 明るければ安全というわけじゃない。人間は灯りの中にいると安心して、その外側を見なくなる。明るい場所が増えるほど、見なくていいと思い込む影も増える。


 塀際の植え込みを抜け、使用人棟の裏へ回ったところで、リアムが板張りの通路へ足を出した。


「そこ、鳴るよ」


 足が止まった。


 一枚隣へ置き直す。


 今度は鳴らない。


「……いつから気づいていた」


「入る前から」


「相変わらず、先を行く」


「そうでもないよ」


 腕はものすごくいい。


 ただ、この子は上手くいっている時ほど、ほんの少し歩幅が広くなる。子どもの頃から直らない癖だ。


 使用人用の裏口へ着くと、リアムが錠前を見た。


「これなら十五秒」


「開けないよ。床見な」


 扉の前だけ、細かな砂が左右へ擦れている。ここは使用人が頻繁に通る。下手に錠を触って痕跡を残す方が面倒だった。


「あっち」


 少し離れた料理受け渡し用の小窓を指す。


 リアムが幅を見る。


「狭いぞ」


「だから誰も気にしてないんだよ」


 扉には新しい錠を三つも付けているくせに、小窓の留め具は古いままだった。


 泥棒にとって厄介なのは、立派な鍵じゃない。


 立派な鍵を付けて、それで安心する人間だ。


 留め具を外して中へ滑り込む。


 続いてリアムが入ってきた。


「……今の入り方は、人間の速さではなかった」


「ああ。死んだあと、別の世界に行ってたからね。若返ったり、魔王倒したり、色々あった」


 リアムの足が止まった。


「……異界の魔王を」


「詳しい話は今度。潜入中だよ」


「……必ず聞く」


 厨房裏へ出ると、今度はリアムが先を取った。


 足音はほとんどしない。


 泥棒を教え始めた頃は、床板一枚踏むだけで孤児院中を起こしていたのに、十五年も経てば変わるものだ。


 廊下の角へ差しかかったところで、予定より早く衛兵の灯りが近づいてきた。


 七分二十秒どころか、まだ半分も経っていない。


 リアムの手が反射的に袖へ動き、途中で止まった。


「触らなくていい」


 近くの飾り紐を抜き、反対側の廊下へ滑らせる。燭台の脚へ当たって、小さく音が鳴った。


「誰だ?」


 衛兵がそちらを向く。


 その間に反対側へ抜けた。


「……ちゃんと覚えてるじゃないか」


「誰に教わったと思っている」


「だったら最初から針へ手を伸ばすんじゃないよ」


「癖だ」


 あの子の手は十五年かけて、人を刺す方へ馴染んでしまった。


 それでも止まったなら、今はそれでいい。


 階段へ入ったところで、リアムの歩幅が少し広くなった。


「歩幅」


「……何だ」


「急ぐと広くなる。昔からだよ。足音が変わる」


「この歳になってまで歩き方を叱られるとは思わなかった」


「何歳になったって、癖は癖だろ」


 暗がりでも分かるくらい嫌そうな顔をした。


 そこだけは、昔と大して変わっていない。


     ◆


「この先は図面にない」


 屋敷の奥まで来たところで、リアムが止まった。


 目の前にはただの壁しかない。


「古い図面では廊下が続いている。改修後は、この場所そのものが消えている」


「消したんじゃない。隠したんだよ」


 壁を叩く必要はなかった。


 絨毯の端だけ、壁の前で毛並みが寝ている。


「ここ、人が通ってる。掃除してないところほど床は正直だからね」


 絨毯をめくると、壁際へ細い傷が続いていた。


 棚を少しずらし、裏に隠された金具を押す。


 壁の一部が、わずかに奥へ沈んだ。


「……やはり、俺より先に見る」


「悔しけりゃ、もっと練習しな」


 隠し通路の先は一本道だった。


 奥には人の気配もある。


 ここから先へ入れば、帰りも同じ道を使うことになる。


「リアム。ここまで」


「俺も行く」


「帰り道を見てて」


「二人なら早い」


「金庫を開けながら後ろまで気にする方が遅いんだよ。誰か来たら合図して」


「俺なら、中まで守れる」


「弟子なら、師匠の逃げ道くらい守りな」


 リアムはしばらく黙ったあと、壁へ背を預けた。


「……承知した」


 背を向けたところで、低い声が聞こえた。


「必ず戻れ」


 足が止まった。


 私が帰らなかった夜、この子は一人で王都中の牢を開けて回った。


 同じ夜を、二度もやらせるわけにはいかない。


「戻るよ。だから待ってな」


 今度こそ、一人で奥へ入った。


     ◆


 金庫室は、呆れるほど金をかけていた。


 分厚い鉄扉に機械式の錠。その上から魔力錠まで後付けし、壁には開閉を感知する術式まで彫り込んである。


 これだけ金があれば、孤児院の屋根を何度直せただろう。


 全部を正面から相手にする気はなかった。


 魔力錠だけが扉より新しい。あとから足した物なら、古い機構との継ぎ目がどこかにある。


 扉の縁を指でなぞる。


 右下だけ、塗装がわずかに剥げていた。


 しゃがんで見ると、小さな整備蓋がある。


「……やっぱりね」


 細い板を差し込み、内側の留め具を持ち上げる。


 魔力錠そのものを破る必要はない。整備用の機構から後付け部分だけ切り離せば、残るのは昔ながらの錠だ。


 新しい物を足せば、そのぶん古い物との継ぎ目が増える。


 針を二本差し込み、中の金具を探った。


 最後の引っかかりを少し戻して押す。


 重い扉の向こうで、錠が外れた。


 巡回が戻るまで三分もない。


 中には金貨も宝石も、王家から贈られたらしい品も並んでいた。


 全部いらない。


 奥の書類箱だけを見る。


 一冊目は普通の収支。


 二冊目も違う。


 三冊目には表紙すらなかった。


 開く。


 名前。


 金額。


 その横に、短い指示。


 茶会へ寄付した家には、商会の紹介、官職への推薦、王家への取り次ぎ。


 拒んだ家には、取引停止、縁談への介入、儀礼上の不利益。


「……あった」


 さらに頁をめくる。


 ローデン辺境伯家。


 茶会への寄付を拒否。


 三商会との取引停止。


 北部向け物資の延期。


 補佐役ハロルドの領地帰還を確認。


 王都滞在中は儀礼上の失点を誘発。


 最後には、王家の記章を持ち出す実行役まで手配してあった。


 別の箱には手紙も残っている。


 商会へ物資の発送を遅らせるよう頼んだもの。


 儀礼担当へ、アデリアには旧手順を伝えるよう指示したもの。


 名はぼかしてあったが、日時と内容が帳簿に一致する。


 頼れるハロルドを先に領地へ戻し、その間にアデリアへ失敗を積ませた。


 あの子が靴擦れを隠して一日中走り回っていた裏で、こいつらは紙の上に順番まで書いていたらしい。


 私は金貨にも宝石にも触れず、帳簿と必要な手紙だけをまとめた。


 こいつらが一番盗られたくないのは、金でも宝石でもない。


 自分たちが何をしたのか、誰にも見つからないことだ。


 だったら、盗るのはそこだけでいい。


 帳簿を抱え、開けたばかりの金庫を振り返った。


 十五年ぶりの泥棒仕事にしては、悪くなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。