首なんかいらないよ
十五年前は、「幸せに生きなさい」とだけ言って、何一つ約束しないままいなくなった。
今度は違う。
「だから、そんな顔するんじゃないよ」
ようやく空気が戻ったところで、ダルガが腕を組んだ。
「では、やはり黒幕を捕らえ、口を割らせるのが早いかと」
「戻るの早いね。駄目だよ」
「……御意」
「それに、捕らえただけでは足りません」
エルザもすぐ仕事へ戻った。
「現在あるのは資金のつながり、仲介人の関係、複数の証言です。疑う理由にはなりますが、一連の妨害を指示したことを直接示す資料がありません」
「金もかなり回してる」
ルシアが帳簿をめくる。
「誰から誰へ流したか、一発じゃ見えねぇようにしてる。ガチで隠す気の仕事だよ」
「末端も上を知らない」
リアムも続けた。
「口頭で命じられ、さらに間へ人を挟んでいる。今捕まえても、一番上までは届かない」
茶会の寄付、商会への圧力、王家への顔つなぎ。
誰からいくら受け取って、誰へ何を頼み、誰が言うことを聞かなかったのか。
何年も続けているなら、全部を口約束と記憶だけで回せるはずがない。
「どこかに記録があるよ」
ルシアが顔を上げた。
「なんで言い切れんの?」
「こういう連中ほど他人を信用しないんだよ。金を渡した、頼んだ、そんな約束してない。揉めるたびに困るのは自分だからね」
私だって、盗んだ物の売り先や取り分を全部頭だけで管理していたわけじゃない。
「裏帳簿か」
「たぶんね」
「なら、候補がある」
リアムが公爵邸の図面を広げた。
屋敷の奥、使用人区域からも離れた一角だけ、古い図面と形が違っている。
「改修後、この区画の窓は潰された。廊下も一本消えている。使用人もほとんど入らない」
「茶会の寄付が集まる時期だけ、公爵家の会計係がこの辺りまで入ってる記録がある」
ルシアが別の資料を重ねた。
「金庫室……」
アデリアが呟く。
「寄付額と便宜供与、妨害対象、指示先。そのいずれかが結びつく資料があれば、状況は大きく変わります」
エルザが図面の横へ紙を置いた。
私は図面を引き寄せた。
正門と表庭には、これでもかというほど警備を寄せている。そのぶん、屋敷裏の使用人用出入口は人の出入りが多い。夜になれば、誰が誰を通したかまで細かく覚えてはいないだろう。
奥へ進むほど経路は減る。
でも、道が少ないなら、見張る側が使える道も少ない。
豪邸の間取りが、頭の中で少しずつ「入り方」に変わっていった。
「私も参ります」
アデリアの声で顔を上げた。
「あんたは行かない」
「ですが、これは私の問題です。皆様だけに危険を負わせるわけには」
「だからだよ。あんたは今日一日で十分やった。自分の後始末も残ってるんだから、これ以上責任を増やすんじゃない」
「ですが」
「泥棒について来たいなら、せめて靴擦れ治してからにしな」
アデリアが困った顔をした。
「……そこなのですか?」
「そこもだよ」
少し黙ったあと、ようやく頷いた。
「……分かりました」
「侵入する者は?」
リアムが聞いた。
「あたしが中へ入る。あんたは金庫室の手前まで道を作って、外へ戻りな」
「最後まで行く」
「駄目。一人の方が速いし、外にあんたがいれば逃げ道も残せる」
リアムは図面を見たまま、しばらく黙っていた。
「……分かった」
「我が主君、拙者は?」
「外で見張り。剣は抜かない。襲われても、まず避ける」
「……御意」
「アタシは金と逃げ道だな」
「逃げ金だけ見張って。止めるだけだよ。持って帰ってくるんじゃない」
「分かってるっつーの」
「ぼくは、もう少し話を聞いてくるね」
「無理に証言させないこと」
「うん。話したい人だけ」
「持ち帰る資料はこちらで整理し、複製後に保管いたします」
「頼んだよ、エルザ」
ダルガが立ち上がった。
「無血の討ち入り、開始にござるな」
「……だから討ち入りって言うんじゃないよ」
昔から使っていた道具箱を開く。
細い針。
薄い板。
使い込んだ小さな工具。
向こうの世界で剣だの魔法だのを使っていた時より、こういう物を指で確かめている方が、昔の自分に戻った気がした。
リアムが私を見る。
「首なんかいらないよ」
図面の一番奥を指で叩く。
「あの家が一番盗られたくないもんを、盗む」




