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35.玉座の継承者【第一部・完】

 王都の喧騒が遠のき、玉座の間へと続く長い廊下には、重々しい静寂が満ちていた。


 かつてガルドの圧政に怯え、あるいはその権勢に群がっていた貴族や官僚たちが、広間の両脇に幾重にも列をなしている。


 彼らの視線には、畏怖とみじめな保身の情が露骨に浮かんでいた。


 重厚な扉が押し開かれ、アルスが歩みを進める。


 その背後には、鉄棍を肩に担ぐオルグ、静かに眼光を走らせるブラントン侯爵、そして独特の存在感を放つイェルナが従っていた。


 アルスは、血の匂いが残る甲冑姿のまま、中央の赤絨毯を歩く。


 視線の先にあるのは、かつて父ガルドが座った、ガルダニアの玉座であった。


「……アルス様」


 列の先頭から、進み出た老貴族が一人、深々と頭を下げていた。王都の財政を管轄していた枢密院の筆頭貴族カムニャックである。それに倣うように、周囲の貴族たちも一斉に頭をたれた。


「サナリアを追い払い、王都をお救いくださったこと、言葉もございません……!亡きガルドの暴政により、我らもまた意に沿わぬ従属を強いられておりました。……どうか、どうか我ら愚臣に、ガルダニア再建のご奉公をお許しいただきたい!」


 カムニャックの声には、取り繕ったような切迫感がにじんでいた。


 彼らはガルドの死を知るや否や自らの保身に走り、新たな支配者となるアルスの慈悲を待っていたのだ。


 オルグが鬱陶しそうに鼻を鳴らし、ブラントンが冷めた視線を送る。


 アルスは玉座の段下に立ち止まり、ゆっくりと振り返った。ひれ伏す貴族たちを見下ろすその眼差しに、怒りも、あるいは勝利の悦びすらも浮かんでいない。ただ、静寂だけがあった。


「面をげろ」


 アルスの声が、広間の隅々にまで響き渡った。


 貴族たちが恐る恐る顔を上げる。


「俺は、お前たちの罪を追及するためにここへ来たのではない。……ガルドに従った者も、恐れて沈黙した者も、いまさらその首を刎ねたところで、失われたものが戻るわけではないからな」


 安堵の溜息が、貴族たちの間から漏れかけた……。


「ただし――条件がある」


 アルスは一歩踏み出し、貴族たちを鋭く睨みつけた。


「お前たちが私腹を肥やすために溜め込んだ金銀、そして隠し持つ兵糧をすべて吐き出せ」


「な……っ!? 財産の没収と兵糧の拠出だと!? それでは我らの生活が――!」


「拒むならば、反逆とみなす」


 アルスは静かに、だが一切の抗弁を許さぬ圧で言葉を遮った。


 逆らう者は容赦なく切り捨てる――その覚悟をまとった気配に、貴族たちはもはや反論の声を飲み込むしかなかった。


 アルスは無言のまま段上へ登り、かつて父王ガルドが座していた玉座へとゆっくり腰を下ろした。


 深々と肘掛けに手を置き、貴族たちを見下ろす。


「俺がこの玉座に座るのは、栄誉や権力を誇るためではない。……ガルドが、そしてお前たちが歪めてきたこのガルダニアの全てを、俺が責任を持って背負うためだ」


 凄絶な沈黙が玉座の間を支配した。


「……は、ははっ! アルス様のお言せのままに……!」


 カムニャックが頭を垂れ、他の貴族たちも次々と習うように頭を垂れた。


 自らの権益を削られる屈辱に震えながらも、命を繋ぎ止めるためには従うほかないと悟ったのだ。


 こうして、血を流すことなく王都の政局は収束へと向かった。


◇


 政務室へと場所を移したアルスたちの元へ、報告が次々と持ち込まれていた。


「アルス様、地下牢での検分が終わりました」


 バルトロが苦々しい表情で足を踏み入れる。


「……第二王子ヴィル殿下は、毒殺された状態で発見されました。また、王妃ルクレツィアとバロールの姿が見当たりません……」


「そうか……」


 アルスは窓の外、夕暮れに包まれつつある王都の街並みから視線の向きを変えると、静かに身を翻した。


 部屋に集う仲間たち――ブラントン、オルグ、イェルナ、バルトロ、そしてリムへ、その力強い眼差しを向ける。


「ブラントン侯爵。王都の治安維持と、兵の再編を頼む。旧オルデン派の兵たちも、分け隔てなく組み込んでくれ」


「御意に。このブラントン、臣下の礼を尽くし、ガルダニアの盾となりましょう」


「イェルナ殿。山岳民族の働きには感謝する。約束通り、指定領域の自治と物資の供給を保証しよう」


「物分かりが早くて助かる。……だが、サナリアと再び一戦交える時はまた呼んでもらって構わん。うちの奴らも、まだ暴れ足りない顔をしてるからねぇ」


イェルナは不敵に笑い、腰の曲刀の柄をポンと叩いた。


「――それとは別にもう一つ、欲しいものがある。あの戦いでサナリアを引き受けてやったことに対する、私への礼さ」


 イェルナは悠々と歩み寄ると、アルスの目の前で立ち止まり、妖しい光を宿した瞳を向けた。舌でそっと唇を湿らせ、真っ直ぐにアルスの瞳を覗き込む。


「お前が欲しい、アルス」


 部屋の中に、一瞬の静寂が落ちた。


 ブラントンが思わず息を呑み、オルグは意地の悪い笑みを浮かべて喉を鳴らす。


「山岳民族の長としてではない。ひとりの女として、だ。このガルダニアの新しい王を、私の男にしてやりたくてね。……嫌とは言わせないよ」


 挑発するように不敵な笑みを深めるイェルナに対し、アルスは揺るぎない眼差しで正面から見据えた。


「俺の隣にはリムがいる。彼女の正妻の座を譲る気はない」


 その言葉に、後ろで控えていたリムの身体が跳ねた。アルスから公の場でそう告げられ、その頬が瞬く間に赤く染まり、瞳にはあふれんばかりの歓喜が宿る。


 ――だが、リムはすぐに己の感情をぐっと押し殺した。


(私だけのアルス様であってほしい……。けれど……)


 今やアルスはただの青年ではなく、崩壊寸前のガルダニアを背負う「王」なのだ。外敵の脅威を前に、強い結束を誇る山岳民族との血の同盟は、この国にとって何物にも代えがたい後ろ盾となる。


 自分の一時の独占欲で、アルスや国の未来を狭めるわけにはいかない。


 リムは深く息を吐き出すと、意を決して一歩前に進み出た。


「……アルス様。お気持ちは……涙が出るほど嬉しいです。ですが、これからのガルダニアの戦いを考えれば、山岳民族との固い結びつきは絶対に必要なはずです」


「リム……」


「イェルナ様を――どうか正妻として迎え入れてくださいませ」


 切なさを押し殺し、自らの愛よりも国の未来を思って進言するリムの姿に、アルスは静かに目を細めた。


 彼女の健気な覚悟と優しさを深く受け止めたアルスは、再びイェルナへと視線を向ける。


「……聞こえた通りだ。だが、俺の正妻はリムただ一人だ」


 アルスの言葉に、イェルナは一瞬だけ意外そうに目を見開いたが、やがて腹の底から楽しそうに笑い声を上げた。


「ハッ、面白い男だねぇ! 正妻の座を譲る気はないってか。……いいさ、健気で、賢い、いい娘だな。なら、側室で手を打ってやるよ。それでどうだ?」


 イェルナに対し、アルスは深く頷きを返した。


「ああ、側室として迎え入れよう。山岳民族との絆、しかと預かった」


「――ありがとうございます、イェルナ様。これからは同じアルス様を支える者同士、よろしくお願いしますね」


 アルスの肯定に続き、リムもまた一歩前に出て、澄んだ瞳で真っ直ぐにイェルナを見据えて微笑んだ。


 その凛とした健気さに、イェルナは面白そうに片眉を吊り上げる。


「フッ、おもしろい。覚悟しておきな、アルス。私を側室に迎えたことを、絶対に後悔させてやらないんだからな」


 イェルナは満足そうに胸を張り、一騒動を終えた政務室には、どこか引き締まった、それでいて確かな結束の空気が満ちていった。


「……ハッ、正妻だの側室だの、人間どものおままごとは見ていて飽きねぇな」


 一連のやり取りを鼻で笑っていたオルグが、鉄棍を床に突いて重い金属音を立てた。


 アルスはイェルナから視線を外し、オルグへと向かい直す。


「オルグ。一番の死線を共に潜り抜けてくれた、お前たちファウナスへの褒美がまだだったな」


「アァ? 勘違いするなよアルス。俺たちは血が滾る戦いと、腹いっぱいの食事あればそれで十分だ。それに、俺の娘が嫁にいくんだ、それ以上の事があるか」


 そう言うオルグに対し、アルスは揺るぎない声で言い渡した。


「王都の北に広がる大森林――旧王家の直轄狩猟地を、すべてファウナスへ譲渡する。これよりあの森は、お前たちの森だ」


「……何?」


 オルグの双眸が、一瞬だけ驚きに大きく見開かれた。


 人間たちに追われ、過酷な荒野や深山に追いやられていたファウナスにとって、獲物が群れ、豊かな水が湧く大森林を手に入れることは、何よりの褒美であった。


「さらに、相応の酒を、国庫から永久に支給し続ける」


 アルスは静かに、だが確かな約束として言葉を重ねた。


「……ふん、大盤振る舞いじゃねぇか。王様になった途端、太っ腹になったもんだ」


 オルグは笑みを浮かべると、太い腕を組んで鼻を鳴らした。


「それでいいぜ、アルス。あの広い森があれば、うちの若い奴らも喜ぶだろう。サナリアの奴らがまた攻めてきたら、いつでも言え。俺の鉄棍で、全員、叩き潰してやるよ」


「期待している」


 アルスとオルグの視線が交差し、互いの絆を確かめ合うように強く頷き合った。


◇


 ――同時刻。


 ガルダニアとサナリアの国境沿いに構えられた、サナリア軍の前線陣地。


 自ら仕掛けた謀略に失敗し、サナリアの将校から軽蔑した視線を向けられたバロールは、天幕の中で醜く歯噛みしていた。


 その足元には、すっかり正気を失い、泥に塗れて震えるルクレツィアが惨めにすがりついている。


「……クックック、せいぜい今のうちに玉座で酔いしれるがいい、アルス。サナリアの狼どもが、新王の誕生を、ただ指をくわえて見ていると思うてか……」


 逃走の果てに辛酸を舐めながら、老狐は天幕の中で、サナリアを利用して復讐するための、新たな毒牙を研ぎ澄ませていた。



(第一部 完)

【お知らせ】『ガルダニア戦記』第一部完結につきまして


 いつも『ガルダニア戦記』をお読みいただき、本当にありがとうございます!


 本日更新の第35話を持ちまして、本作の【第一部】が無事に完結となりました。


 アルスの王都制圧や新たな仲間たちとの絆、そして裏でうごめくバロールたちの脅威など、第一部として描き切りたかった物語をここまで形にすることができ、応援してくださる皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。


 次の更新や第二部の執筆開始までには、少しばかりお時間をいただくことになります。


(しばらく執筆をお休みさせていただきます)


ですが、物語の続きや、彼らが迎えるさらなる試練・展開を描きたいとは、思っております。


 英気を養い、より面白い物語をお届けできると思うその時まで、気長に待っていただけますと幸いです。


「続きが気になる」「第二部も読みたい」と思っていただけましたら、ぜひ作品のブックマーク登録や、評価・感想などで応援していただけますと、執筆の大きな励みになります…!


 第一部を温かく見守り、応援してくださり本当にありがとうございました!

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