【間話】現実と夢現の狭間で……
静まり返った王城の奥殿。
窓の外には、落ち着いた静けさを湛えた王都の夜景が広がっていた。
寝台に腰を下ろしたアルスは、執務室から持ち帰った書類から目を離し、ゆっくりと両手で顔を覆った。
激戦から数日が経ち、体に刻まれた無数の傷の痛みは和らいだものの、今度は「王」としての激務と、積み重なる国政の重圧が、精神的倦怠感となって全身に押し寄せてきていた。
頭では復興へ向けて動き出した王都の現実を理解しているつもりでも、脳裏にはあの血の匂いと、血にまみれて崩れ落ちた父の姿が、ふとした瞬間にこびりついて離れなくなる。
その静寂を破るように、扉が音もなく押し開けられた。
「……アルス様」
入ってきたのは、リムだった。
彼女の手には、夜遅くまで執務に励むアルスのために用意した、湯気の立つ温かなハーブティーを注いだ銀の盆が握られていた。
その瞳は、連日の激務を心配する気遣いと、どこか優しげな眼差しが入り混じっている。
「もう遅い、先に休めと言ったはずだぞ、リム」
アルスが疲れた声で顔を上げると、リムはふっと柔らかく微笑み、寝台の脇へと歩み寄った。
「私が先に休めるわけがありません。毎晩のように遅くまで書類と向き合っていらっしゃるんですもの。……それに」
リムは銀の盆をサイドテーブルに置くと、すっとアルスの隣に腰を下ろした。
そして、アルスの右手をそっと両手で包み込む。
その手のひらは温かく、戦場の冷え切った空気を忘れさせてくれた。
「これからは、もう一人で背負い込まないでって……何度も言っているでしょう?」
「……すまない」
素直なアルスの謝罪に、リムは愛おしそうな、それでいて少し泣きそうな目を向けた。
緊張の糸が完全にほどけたアルスが、思わずリムの肩に額を預ける。
小さな身体から伝わる柔らかな体温と、甘い香りが、アルスの強ばった心をゆっくりと溶かしていく。
「アルス様……」
生きている。
その実感を確かめ合うように、二人の距離が自然と縮まっていった。
だが――その甘い静寂は、扉が静かに押し開けられる音とともに霧散した。
「――おや、いいところで邪魔したか?」
扉の隙間から顔を出したのは、野性的な笑みをたたえたイェルナだった。
王宮の贅沢な衣装ではなく、相変わらずの身軽な軽装のまま、部屋に入ってくる。
「イェルナ……お前、ノックは……」
「ノックはしたが、返事がなかったから勝手に入らせてもらった。それとも何か、愛しい旦那様を独り占めして愛を語らう時間だったか?」
イェルナは面白そうに唇を歪めると、寝台の反対側に腰を下ろした。
その距離の近さに、リムが抗議する。
「イェルナ様、ここは一応……その、私とアルス様の部屋ですが……」
「いいではないか、これからは同じ男を支える仲間であろう? それとも何か、正妻サマは私みたいな野蛮な女が隣に来るのがお気に召さないか?」
彼女にとって、あの命懸けの戦いを生き抜き、自分を受け入れたこの男を、今すぐ間近で感じたい――その本能に忠実なだけだった。
「……勝手な奴だ」
アルスは、ため息を漏らした。
イェルナは、ためらいなくアルスの反対側の懐に潜り込み、体を預けた。
「そろそろ……あの戦場での貸しの埋め合わせをしてもらわないと困るねぇ」
イェルナが、アルスの首元に腕を回す。
片側には、健気に寄り添うリム。
反対側には、野性味溢れるイェルナ。
二人の女性に挟まれ、アルスは深く息を吐き出した。
政治の泥沼も、王都の権謀術数も、明日訪れるであろう新たな問題も――この瞬間だけは、すべてがどうでもよかった。
「……好きにしろ」
アルスが小さく呟いた瞬間、イェルナの喉から獣のような笑い声が漏れ、リムもまたアルスの首元に腕を回した。
アルスは二人の女性に包まれて、久しぶりに深い眠りについた。
◇
――夜が明けても、寝台の上は、昨夜からの甘い余韻がいまだに心地よく残されていた。
「ふん……大口を叩いた割に、昨夜は随分と早く寝た様だな、アルス」
乱れた銀髪を無造作に掻き上げながら、イェルナがふっと妖艶な笑みを漏らした。
彼女の表情には疲労の色など一切なく、むしろ満ち足りた生気がみなぎっている。
「……お前なぁ、少しは加減というものを……」
「馬鹿を言うな。お前が一人で抱え込むから、私がこうして来てやったんだ」
イェルナはそう言うと、起き上がってアルスの胸元へと再び体を預けた。
「っ……また、そんな……」
リムが、小さな抗議の声を漏らす。
だが、その瞳には嫌悪の色などなく、むしろイェルナと共に、より一層アルスとの深い絆が結ばれたという確かな実感が満ちていた。
戦いの緊張から完全に解放された精神は、穏やかな温もりと心地よさ求め続ける。
外の世界では、王都が復興に向けて動き出し、貴族たちが慌ただしく立ち回っているというのに、この寝台の上だけは、時間も国政もすべてが遠く感じられた。
「……さて、朝の挨拶がまだだったな?」
イェルナが挑発するようにアルスの耳元で囁き、艶かしく微笑む。
その横で、リムもまた潤んだ瞳で上目遣いにアルスを見上げた。
「俺に……休む暇を、与える気はないらしいな」
アルスが苦笑を漏らした瞬間、リムとイェルナの楽しげな笑い声が重なり、穏やかな時間がふたたび動き出していった。
【おまけ】です。
小説家になろう、だけに投稿しました。
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と言うか、面白いと思って書いてるんですが……ここまで、反応ないと心折れそうです。どなたか、どうだったか教えていただけると、嬉しいです。
よろしくお願いします。




