32.退路なき狂気の終焉
王都の西方――。
巻き起こる黄土色の煙の向こうから、地鳴りのような重低音が響き渡り、やがてそれは二万の鉄蹄が大地を踏み鳴らす絶望的な轟音へと変わった。
「いいぞ、最高の瞬間だ……。ガルドの野郎も、あの小僧も、まとめて血祭りに上げてくれるわ!」
西方サナリア王国の国王ドルガーは不敵な笑みを浮かべ、猛然と突き進む愛馬の首を叩いた。
太陽と三日月を模した紋章旗が風をはらんで荒々しくたなびくなか、銀色の甲冑を纏った二万の大軍勢が、地を揺るがしながら怒濤の勢いで進軍を続けている。
「陛下、お見事です。まさに好機!」
側近の部下が、感嘆の色を浮かべながらドルガーに告げる。
「ふん、俺の才覚だけでこの機を捉えたわけではないが‥‥‥。すべては、あの男のおかげよ」
ドルガーは満足げに口元を歪め、前方の戦場を見据えた。
「バロールの奴は、よくぞここまで正確な情報を漏らしたものよ。――すべて、あの者の報告通りだ」
「はっ。まさか、あの王国の重鎮バロールが裏切るとは、ガルドも夢にも思っていなかったと存じます。バロールの情報があればこそ、我が軍は一兵の無駄もなく、この最良の瞬間に間に合いました」
「そうだ。この機を逃さず、俺たちがすべてを奪い取る。行くぞお前たち!ガルダニアに、サナリアの旗を突き立てろッ!」
「「「オオオオオオオッ!!」」」
地を揺るがす勝ちどきとともに、西の地平から銀色の板金甲冑に身を包んだ大軍勢が怒濤の勢いで迫り来る。
突如として現れた新たなる脅威に、東方騎士団の騎士たちの顔面から、死闘の中でかろうじて保たれていた緊張の糸が途切れそうになる。
「サナリアだと……!? なぜこの好機に……!」
ブラントン侯爵が歯噛みし、剣を握る拳を震わせる。
背後には深きルブル川、正面には王都軍、そして背後側面にサナリア軍。完璧な挟撃――もはや全滅は免れ得なかった。
だが、その絶望を荒々しく踏み破る者がいた。
「ハハハハハッ! 面白い! 面白すぎるぞッ!」
豪快な高笑いが戦場に響き渡る。
野性味あふれる笑みを浮かべるイェルナだったが、その鋭い眼光は瞬く間に西の地平、迫り来るサナリア軍を見据えた。
一切の躊躇なく馬の手綱を翻すと、掲げた曲刀を西の空へと一閃する。
「――聞けぇッ! 西方の野盗どもに、山の獣の牙を叩きつけてやれぇッ!」
「「「オオオオオオオッ!!」」」
イェルナが率いる山岳民族の戦士たちは、王都軍の左翼を蹂躙した勢いそのままに方向を西へと転換し、サナリア王国軍の先陣めがけて猛然と突き進む。
サナリアの騎士たちは、突如として躍り出た異形の群れに息を呑み、足並みを乱した。
構えかけた盾は強烈な衝撃に叩き割られ、槍の穂先を並べる暇もなく隊列が真っ二つに引き裂かれていく。
馬上の騎士たちは強引に引きずり降ろされ、甲冑の隙間を抉られて悲鳴を上げる間もなく泥の中へと沈んでいった。
統制された陣形は一瞬にして崩れ去り、銀色の騎士たちはただ混乱の渦の中で右往左往する。
(アルスよ、この借りはいつか返してもらうぞ‥‥‥)
遠くでサナリア軍と激突するイェルナたちの凄絶な戦況を見届け、アルスは短く息を吐くと、汗の滲む額を袖で乱暴に拭った。
イェルナの奔流がサナリアの銀甲を飲み込み、迫りつつあった挟撃の圧力が消えていく。
だが、視線を足元に戻せば、荒い息を吐く自軍の兵たちが折れかけた槍を支えにどうにか膝を立たせている有様だった。
乱立していた王都軍の旗印も倒れ伏し、互いに陣形を維持する余力すらなく、戦場にはただ傷ついた者たちの呻きと無秩序な殺気だけが渦巻いている。
そこにはもはや、指揮官が指示を飛ばすような陣形も、策を弄する余地も残されていなかった。
「よくやったと言いたいところだが‥‥‥」
視線を戻すと、馬に跨がったガルドが大剣を静かに構えていた。
その瞳には、ただ一人――アルスだけが捉えられている。
「雑魚どもがどれほど暴れようと、お前を殺せばこの戦いは終わりだ。違うか、アルス」
「……そうはならんさ」
アルスはヴェルトから、ゆっくりと降り立った。
「アルス様!?」
側近のリムが青ざめた声を上げるが、アルスはそれを手で制した。
アルスはヴェルトの鞍から、一振りの鋼の剣を引き抜いた。
ずっしりとした重みが、手のひらから全身の神経へと伝わっていく。
「その首、俺のこの手で直接刈り取ってくれるわ」
ガルドもまた、馬から降り立った。
「くっ……! アルス様を一人で行かせるな! 全員でガルドを囲め!」
ブラントン侯爵が叫び、東方騎士団の騎士たちが駆け出そうとする。
「来るな!」
アルスの絶対的な拒絶の意志をはらんだ声に、騎士たちの足が止まった。
「ここは俺の戦いだ。……手を出すな」
アルスは剣を構え、ガルドへと歩みを進める。
両者の間にある距離は、わずか十歩。
周辺の兵士たちは、その異様な気迫に呑まれ、自然と二人を見守る。
「ほう……俺に向かってくるとはな」
ガルドが鼻で笑い、大剣を頭上へ掲げた。
「決着をつけよう、父上」
瞬きすら許されぬ刹那、ふたつの影が一気に間合いを塗りつぶした。
ガルドが踏み込んだ大地が、踏み抜かれ陥没する。
人間業とは思えない爆発的な加速とともに、ガルドの大剣が真上から振り下ろされた。
両者の武器が激しく衝突し、高い金属音が戦場の真ん中に響き渡る。
アルスはガルドの一撃を剣の腹で受け、その軌道を紙一重でいなした。
しかし、受け流した大剣の強烈な剣圧が、背後の地面を大きくえぐり取る。
腕の骨が軋むほどの圧倒的な質量。
正面から受け止めれば、一撃で両断されることは分かっていた。だからこそアルスは、ガルドの力の方向を読み切り、最小限の動きでいなす。
「ふん、虫酸が走る身のこなしだな!」
ガルドは追撃の手を緩めない。
大剣を軸にし、身体を回転させながら、容赦ない横薙ぎの斬撃を放つ。
風を切り裂く刃の軌道は予測できても、速度と威力が常軌を逸していた。
アルスは身体を低く屈め、頭上の髪すれすれの位置をすり抜ける刃を間一髪でかわした。
髪の毛が数本、風に舞う。
アルスは刃の軌道を読み、最小限の体さばきで大剣を受け流していく。
だが、ガルドは崩れた体勢など構いもせず、ただ強大な腕力だけで大剣を無理やり引き戻すと、型も何もない一撃を力任せに叩きつけてきた。
アルスの軌道を合わせた受け流しすら、その圧倒的な重量で強引にねじ伏せて跳ね返す。
大剣が縦に、横に、斜めに、怒涛の連続攻撃となってアルスを襲う。
凄まじい手応えを伴う斬撃の嵐が吹き荒れ、風を切り裂く刃が肉薄する。
一撃、また一撃と、防戦一方に追い込まれるアルス。
剣と剣が激突するたびに火花が散り、アルスの両手の掌から鮮血が滲み出して剣の柄を赤く染めていく。
「どうしたアルス! その程度の剣技で、俺を殺すつもりだったのか!」
ガルドの笑みが醜く歪む。
大剣の猛攻は衰えるどころか、さらに速度を増していく。
王都軍の兵士たちから歓声が上がり、逆にアルスの軍の者たちは息を呑み、祈るようにその光景を見つめる。
ブラントン侯爵やバルトロ、そしてカランドゥーラまでもが、手元の武器を強く握りしめ、いつ己の命を投げ出しアルスを救うべきかを見極めようとしている。
だが、アルスは退かない。
退けば死ぬ、退けばすべてが終わりを迎える。
ガルドが大剣を大きく振りかぶった。
この一撃は、これまでの中で最も早く重い。
アルスの直感が警鐘を鳴らす。
ガルドの身体の重心が、ほんの一瞬だけ右足へと傾いた。
全力の強撃を放つがゆえの、致命的な一瞬の溜め。
アルスは後ろに下がるのではなく、あえてガルドの懐へと飛びこもうとしたが、右足が痛みで崩れ一瞬出遅れる。
「なに……っ!?」
ガルドの目が初めて驚愕に見開かれる。
大剣を振り下ろす軌道の真下、まさにそこにアルスが懐に飛び込んでくると読んでいたが、重く長い大剣の切先はアルスの身体を捉えきれず地面に突き刺さる。
アルスは持てるすべての力を右腕の剣に込め、ガルドの胸板――重厚な甲冑の合わせ目、わずかに露出した継ぎ目めがけて、渾身の突きを放った。
刃が分厚い装甲を激しく打ち据え、引き裂くような高音が響き渡る。
アルスの剣先がガルドの鎧を捉え、内側の肉へと食い込んでいく。
「ぐっ……!」
ガルドの喉から呻き声が漏れた。
しかし、致命傷には至らない。ガルドの肉体そのものがまるで鉄板のように硬く、筋肉が刃を押し返そうとする。
「浅いな、アルス!」
ガルドが左腕を振り上げ、その分厚い鉄甲の手でアルスの脇腹を殴り飛ばした。
「がはっ……!」
凄まじい衝撃に内臓が揺らぎ、アルスの身体が弾き飛ばされて地面の上を激しく転がった。
血の混じった唾液が、口から零れ落ちる。
「アルス様ッ!」
リムが悲鳴のような声を上げる。
アルスは地面に這いつくばり、土まみれになりながらも震える両手で剣を支えにし、上半身を起こした。
視界がかすみ、呼吸をするたびに体が焼けるように熱い。
対するガルドも、胸元から鮮血を流していた。
アルスの渾身の突きは、確実にガルドの肉体を抉り、分厚い甲冑を破っていたのだ。
胸を深く傷負わされたことで、その巨躯からはわずかに息の乱れが生じていた。
「……虫酸が走る。まさか、この俺に傷を負わせるとはな」
ガルドは流れる胸の血を一瞥し、大剣を構え直す。
「だが、お前の命運もここまでだ!」
踏み込むガルド。
その一撃は相変わらず凄まじいが、胸の手傷を負ったゆえに、ほんの刹那――踏み込みの遅れと体勢の狂いが生じた。
アルスはその狂いを見逃さなかった。
死角へと深く滑り込むと、残されたすべての力を右腕の剣に込め、無防備になった側面から体勢を崩したガルドへ体重を乗せた一撃を突き刺した。
刃が深々と、柄の根元までガルドの巨躯を穿った。
「――っ……が、は……」
ガルドの動きが、止まる。
その巨躯から圧倒的な殺気が急速に霧散し、代わりに虚ろな色が瞳を覆っていく。
ガルドは信じられないものを見るように自らの脇腹を見下ろし、そして、目の前に立つ青年の顔をじっと見据えた。
「馬鹿な……俺が……。……だから、貴様は気に入らんのだ……」
呟きを漏らしたガルドの口から、鮮血が溢れ出す。
そして――ガルドは、大地に崩れ落ちた。
一瞬の静寂のあと、アルスの周りで割れんばかりの歓声が爆発した。
「やった……! アルス様が勝ったぞォォッ!!」
ブラントン侯爵が咆哮し、バルトロもまた、兜を脱ぎ捨てて天を仰ぎながら力強く拳を握りしめる。
リムは、張り詰めていた糸が切れたように、馬の背であふれ出る涙を袖で乱暴に拭いながら、主の背中を見つめた。
「……勝った……のか」
ガルドが倒れ伏したその瞬間、アルスの中で張り詰めていた緊張の糸が切れた。
同時に壮絶な疲労と激痛が押し寄せる。膝が笑い、倒れそうになるのを、アルスはどうにか踏みとどまった。
まだ、この戦場は終わっていない。
歓声を切り裂き、西の空からイェルナの怒号が響いた。
サナリア軍の怒濤の押しに、山の戦士たちの防壁がついに破られようとしている。
ガルドを倒した直後、動くことすらままならぬアルスの目前に、自軍の側面を喰らい尽くさんとするサナリアの大軍勢が迫ろうとしていた――。
ついに決着!!
アルス対ガルドの戦い、いかがでしたでしょうか?
色々な方向から見たら、やたらと長くなってしまいました。
多分、「いつ始まるんだこれ?」って思われたのではないでしょうか?
もうしばらく、お付き合い下さい。
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