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30.退路なき狂騒

 激突の瞬間――。


 世界が、金属の悲鳴と血の匂いで塗り潰された。


 戦端を開いたのは、今や一つの群れと化した退路なき八千の刃。


 先頭を切るのは、東方騎士団のブラントン侯爵率いる精鋭たちと、狂気的な咆哮を上げるオルグ率いるファウナスの戦士たちだった。


 激突の直前、兵士たちはそれぞれに掲げた武器を天へと突き上げ、肺腑を絞り出すような怒号を大地へと叩きつけていた。


 恐怖をねじ伏せるための咆哮が、背後に控えるルブル川の水面を激しく震わせる。


 大地を揺るがす地響きとともに、アルス軍は一丸となって王都軍の先陣へと身を躍らせる。


 それは数的不利を覆すための、一点突破の強襲突撃。


 全員が前傾姿勢で大地を蹴り抜け、朝日の光を冷たく反射させた鋭利な穂先が、敵の防衛線を怒濤の勢いで文字通り粉砕した。


 重い鉄と鋼が噛み合い、火花を散らすなかで、甲高い金属の悲鳴が幾重にも重なって響き渡る。


 初撃の勢いは凄まじく、王都軍の最前列は紙細工のように無残に押し潰され、凄まじい圧に耐えかねた兵士たちが折り重なるようにして大きく押し込まれる。


 オルグの振るう巨大な鉄棍が敵の盾を打ち砕いて兵士の胴体を宙へと弾き飛ばし、ブラントン侯爵の鋭い剣閃が甲冑の隙間を抉り、敵の陣形に深い亀裂を刻み込んでいく。


「ひるむな、押し込め――ッ!」


 アルスの鋭い号令が、乱戦の喧騒を切り裂いた。


 だが――それも束の間だった。


「……愚か者めが」


 本陣の中央、馬上から見下ろすガルドの唇が、わずかに歪む。


「お言葉ですが陛下! 先陣が崩され、このままでは中央を突破されかねません!」


 必死に訴える将軍を一瞥すらせず、ガルドは右手を気だるげに横へと振った。


「正面で受け止めろ。一歩も引くな。……肉の壁となって奴らの勢いを殺せ。そして、両翼はそのまま前進。奴らの脇腹を抉れ」


 その命令に、伝令兵たちが一斉に馬を走らせる。


 怒号に乗せて発せられた指令は、瞬く間に三万の王都軍全体へと響き渡る。


「両翼展開! 敵の側面を包囲せよ!」


 正面の兵たちが甚大な被害を出しながら突撃の勢いを受け止めつつ、膨大な数を誇る左右の翼が、まるで巨大な大蛇の顎のようにアルスの軍の側面へと、取りついていく。


「見ろ、自ずから罠の底へ飛び込んできおったわ」


 ガルドの瞳に、歪んだ愉悦の光が宿る。


「どれほど鋭い牙を持とうと、分厚い壁で囲んで押し潰せば終わりだ。……一兵残らず、すり潰せ」


 王都軍の数的な厚みが、突撃の勢いを徐々に削ぎ落とし、徐々に押しとどめていく。


「ちっ……! どれだけ押しても、人間の壁しかねぇぞ!」


 オルグが鉄棍で王都軍の兵をまとめて吹き飛ばすが、倒しても、倒しても、その背後から次々と新しい兵士が湧き出してくる。


 数的優位という暴力が、初撃の勢いを確実に鈍らせていた。


 すぐ傍らで、カランドゥーラが槍を振るい、迫る敵の喉笛を次々と貫く。


 その息は荒いが、その眼光には一切の迷いがなかった。


「ぼやくな、オルグ! 王都の連中は数だけが取り柄だ。このままじり貧で押し潰されれば、それこそファウナスの誇りもクソもないぞ!」


「分かっている! だが、前が詰まりすぎて俺の鉄棍が振るえねぇ! このままだと包囲の網に締め殺されちまうぞ!」


「立て直す暇はない! アルス殿を見てみろ!」


 カランドゥーラが指し示した先――そこには、自ら陣の最先鋒へと飛び出し、敵の包囲を単騎でこじ開けようとするアルスの背中が見えた。


 敵の波に飲まれ、その姿を幾度となく見失いそうになる。


 オルグは息を吐き出し、野獣のような笑みを浮かべた。


「クク……! 相変わらず無茶しやがる! だが、ここで死なせるわけにはいかねぇよなぁ、カランドゥーラ!」


「当たり前だ!あのお方を失うわけにはいかない。全軍、聞け! 散らばるな、中央に集結しろ! アルス殿の背中を追え!」


 カランドゥーラとオルグの咆哮に呼応し、ファウナスの戦士たちは野獣のような唸り声を上げると、前方の敵を薙ぎ払いながら、孤立するアルスの背中めがけて猛然と駆け寄っていった。


 一方、陣地の右翼を固める東方騎士団の最前線でも、怒号が飛び交う極限の渦中で、緊迫した言葉が交錯していた。


「バルトロ! 左翼の崩れがこちらに波及している! 王都軍の包囲の網が締まるぞ!」


 ブラントン侯爵が、迫り来る敵兵を剣で突き刺しながら叫んだ。


 バルトロは自らの盾に叩きつけられる敵の槍の衝撃を受け止めながら、視線を前方に向けた。


「侯爵様! このままでは、包囲されて撃破されます!」


「退くな! 引けば後ろには川がある。退路を断った我らに、退く道など最初から用意されていない!」


 ブラントン侯爵が前方の異変に気づき、息を呑んだ。


「……待て、あれは……!」


「アルス様が、敵の真ん中に孤立されている……!」


 バルトロの視線の先でも、アルスが敵の真っ只中へと突出していく姿が見えていた。


 王都軍の指揮官たちが絶叫し、周囲の兵士たちが一斉にアルスへと殺到していく。


「くそっ……! あの御方が討たれれば、東方騎士団の誇りもすべて消え失せる! バルトロ、行くぞ!」


「望むところです、侯爵様!」


 バルトロは折れかけた槍を捨て、近くの仲間から新たに受け取った長槍を力強く握りしめた。


 東方騎士団の騎士たちもまた、主君のただならぬ気配を察し、恐怖をねじ伏せるように声を張り上げる。


「騎士団、続けぇ――ッ! アルス様を死なせるな!」


 その叫びに呼応するかのように、少し離れた前線からも野太い声が響き渡る。


「野郎ども、臆するな! 後ろを見るな、前だけを見ろ!行くぞーーッ!」


 オルグの咆哮を合図にしたかのように、ファウナスたちと、東方騎士団が、引き寄せられるように急速に接近していく。


 背中を預け合うように、二つの異なる軍勢が瞬く間に一つの生き物の様に動き出す。


「おい、人間! 前が詰まってらぁ、少しは道を開けろ!」


 オルグが鉄棍を豪快に振り回して周囲の敵をなぎ払ったその瞬間、背後からバルトロの鋭い声が飛んだ。


「野獣どもが、調子に乗るな! ……だが、背中は預けてやる! 右の死角は俺たちが断つ!」


「っ……上等だ!」


 オルグの荒々しい笑い声と、バルトロの鋭い一閃が美しく噛み合う。


 ファウナスの戦士たちが圧倒的な膂力で敵の盾の陣形を力任せにこじ開け、その剥き出しになった隙間を、東方騎士団の精鋭たちが隙のない一突きで次々と貫いていく。


「遅れるな! 我らが道を開く、それに続け!」


 ブラントン侯爵が血まみれの顔で叫び、アルスの背後を固めるべく突き進む。


 カランドゥーラとバルトロの声が、戦場の喧騒を貫いて重なり合った。


「全軍、アルス殿を守れ――ッ!!」


「突撃ィィィ――ッ!!!」


 オルグの咆哮を合図に、アルスを囲もうと群がる王都軍の包囲網めがけて、渾身の突撃が叩き込まれた。


 ぶ厚い防壁が一気に踏み破られる、凄まじい衝撃。


 王都軍の厚い包囲の壁は、猛烈な勢いで突進してきた軍勢の圧力に耐えかね、中央から真っ二つに引き裂かれていく。


 圧倒的な膂力で敵の陣形を押し潰すファウナスの戦士たちと、その生み出したわずかな隙間へ滑り込み、鋭い切先で敵の急所を的確に貫いていく東方騎士団。


 異なる戦い方をする者たちが連携を生み出し、ガルドが敷いた鉄壁の包囲網を打ち砕きながら、確実に亀裂をこじ開けていく。


「アルス様、遅れました!」


 ブラントン侯爵が血まみれの顔で叫び、アルスの背後を固める。


 その傍らでは、リムが細剣を鋭く払い、アルスに迫ろうとした敵兵の脇腹を容赦なく切り裂いていた。


 その栗色の髪は激しい戦闘の塵と冷や汗にまみれながらも、瞳には一歩も引かない強靭な光が宿っている。


「助かった、侯爵。――行くぞ、この一撃であの一角を突っ切る!」


 アルスの号令に呼応し、全軍が再び咆哮を上げて地を蹴る。


 だが、開いた亀裂のすぐ先から、底知れぬ泥の津波のように新しい王都軍の兵士が次々と群がり、再び隙間を塞ごうと殺到する。


 数の暴力は、未だに衰えることを知らない。


 背後にはルブル川、目前には敵の壁。


 退路なき八千の牙は、狂王に食らいつくため、血肉の飛び散る戦場を駆け巡った――。

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