26.終わりの始まりを告げる鐘
日差しの照りつける王都の一角にあるオルデンの邸宅は、外見こそ穏やかな静けさを保っていた。
だが、その邸宅の内側では、すでに抗えない破滅の気配が静かに影を落とし始めていた。
重厚な鉄の補強が施された正面の大扉が、外からの強烈な衝撃によって蝶番ごと豪快に吹き飛ばされる。
眩しい昼の光を背負いながら、荒々しい足音を響かせた一団が雪崩れ込んできた。
先頭に立つグレイブ伯爵は懐から王勅を引き抜き、引きつった表情のまま、歯を食いしばりながら部下たちを押し出すように進み出た。
その背後では、ロードベルやバートレッドなどの古参の貴族たちが荒い息を吐き、各家からかき集められた私兵たちが次々と屋敷へなだれ込んで玄関先の大広間を埋め尽くした。
グレイブ伯爵の左手には、ルクレツィア妃が王印を用いて偽造した「王勅」が握り締められている。
「――者ども、躊躇うな! 逆賊オルデンを討ち取れ! この屋敷の隅々まで制圧し、奴の首を引っこ抜くのだ!」
グレイブは喉を枯らし、虚空に向けて王勅を持つ左腕を突き上げた。
私兵たちは抜いた剣を頭上に掲げ、主の怒号に煽られるように、玄関先の大広間から階段や奥の回廊へと一斉に駆け出していく。
しかし――。
駆け出した私兵たちの足が、一斉に止まった。
これだけ派手に扉を破壊し、大声で怒号を飛ばしているというのに、邸内は静まり返ったままだった。
警備兵が慌てて駆けつけてくる気配もなく、ただ高い天井を吹き抜ける風が、吊るされた燭台をわずかに揺らしているだけだった。
「……な、なんだ? 警備兵はどこだ……?」
グレイブが声を発した瞬間、背筋が粟立ち、生唾をごくりと飲み込んだ。
二階の回廊から、短い言葉が投げおろされた。
「そこまでだ」
見上げれば、オルデンの側近である騎士長が、すでに抜身の剣を手に回廊の手すり際へ歩み出ていた。その背後には十数名の精鋭たちが無言で並んでいた。
さらに振り返れば、吹き飛ばされたはずの正面玄関の開口部にも、重装備のオルデンの兵たちが壁を背にして隙間なく立ちふさがっていた。
退路はすでに塞がれている。
「なっ……! ま、待ち伏せだと……!?」
グレイブが絶叫した瞬間、オルデンの精鋭たちが一斉に踏み込んだ。
悲鳴と怒号が、静まり返っていた玄関先の大広間を一瞬で埋め尽くす。
反逆者たちの私兵は烏合の衆に等しく、訓練されたオルデンの兵に、次々と床に叩き伏せられていった。
剣が肉を裂く音、骨が砕ける音、そして血が床を赤く染め、生々しい匂いが玄関先の大広間に充満する。
「お、押せ! 数ではこちらが上だ! 殺せ、オルデンを引っ張り出せ!」
混乱に陥ったロードベルやバートレットたちが喚き散らすが、訓練された包囲網の前では無駄なあがきだった。
わずかのうちに、反乱の主謀者である貴族たちは血の海の中で取り押さえられ、次々と不格好な姿で床に押し伏せられていく。
「ぐっ……あぁっ、離せ! 私は貴族だぞ! 王命に背くか!」
グレイブもまた、屈強な兵士に両腕を捻り上げられ、床に顔面を押し付けられた。
その足元へ、革靴の音が乾いた音を響かせて近づいてくる。
顔を上げると、そこには腕を組んだオルデンが立っていた。
オルデンは床に這いつくばるグレイブを見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
「……滑稽ですね」
オルデンは床のグレイブに視線を落としたまま、言葉を続けた。
「その『王勅』は偽物だ。筆跡も印影も、見ればすぐにわかる」
「なっ……!」グレイブの顔色から血の気が完全に引いた。
「ば、馬鹿な……! これは本物の王印で――」
「……では、誰からいただいたのです?」
オルデンは腕を組んだまま、かすかに首を傾げた。
グレイブは床に這いつくばった姿勢のまま、歯を噛みしめて押し黙る。質問に答えようとはしない。
オルデンは部下に目配せをした。
背後から踏み出してきた兵士の一人が、うずくまるグレイブの脇腹を容赦なく蹴り飛ばす。鈍い衝撃に、グレイブが苦悶の声を漏らして床に崩れ落ちた。
「喋る気はありませんか。――では、同行していたお仲間から聞きましょうか……」
オルデンの指図で、捕らえられた反乱の共謀者たちが引きずり出される。その中には、計画の中心にいたロードベルとバートレットの姿もあった。
「ま、待て……! オルデン、俺たちはただ――!」
「冗談じゃない、こんなはずでは……! グレイブ、お前が勝手にやったことだろう!」
ロードベルが青ざめた顔で這いずり、バートレットは震える声で命乞いを叫ぶ。
しかしオルデンは一切取り合わず、無言で手を挙げた。
背後に控えていた騎士長が剣を抜く。
「やめろ!!」
グレイブが血を吐きながら叫ぶが、容赦なく剣が振り下ろされた。
バートレットの悲鳴が途中で途切れ、血飛沫が床を濡らす。
続いてロードベルが必死に這いずろうとした足元を別の兵士に踏み押さえられ、首元を一閃された。
二人の共謀者は痙攣しながら動かなくなる。
血の匂いが広がる大広間に、グレイブの荒い息遣いと絶望的な呻きだけが響いた。
オルデンは足元を一瞥し、静かに言葉を継ぐ。
「仲間を失うだけで済むと思わないことだ。次は誰の番か、わかるな?」
オルデンは淡々と告げた。
「あなたの屋敷にいる家族も、同じようにしてさしあげましょう。あるいは、その前に……。どちらを選ぶかは、あなたの返答次第です」
「や、やめろ……! 話す、すべて話す……!」
絶望と恐怖に耐えかね、グレイブは震える声でその名を吐き出した。
「ルクレツィアだ……! ルクレツィア妃殿下からその王勅を託され……お前を討ち取って王都の実権を握るよう、直接命じられた……!」
その名前を聞いた瞬間、オルデンの眉間が深く歪んだ。
「もういい……。裏で糸を引いていたのが誰か、これで確信に変わった」
オルデンは血に塗れた床の上の男たちを一瞥すると、号令を下した。
「反逆者グレイヴおよび、それに加担したすべての貴族を今すぐ地下牢へ放り込め。一族の資産はすべて没収だ。――それと、宮殿の衛兵を動かせ。直ちにルクレツィア妃とヴィル殿下の身柄を拘束し、宮殿の地下牢へ幽閉しろ。一歩たりとも牢から出すな」
「はっ!」
兵士長が深く頭を下げ、素早く部隊を動かしていく。
オルデンは乱れた衣服を整えると、この混乱の根源を断つべく、自らも宮殿へと向かう足を進めた。
◇
宮殿の一室――。
静まり返ったガルドの執務室では、窓から差し込む午後の光が、場違いなほど穏やかに床を照らし出していた。
オルデンは、先ほど起きた反乱の鎮圧と、首謀者であるルクレツィアの幽閉について、淡々と、しかし淀みのない報告をガルドへと上げていた。
「……すでに反逆者どもの身柄は押さえました。首謀者であるルクレツィア妃についても、宮殿の地下牢へ投獄しております。王家の威光をこれ以上損なわないためにも、表立った処刑ではなく、のちに『急な病による崩御』として処理するのが最も妥当かと存じますが、いかがでしょうか、陛下」
差し込む午後の光を受けながら、ガルドは窓際にどっしりと立ち尽くしていた。
その表情は日差しに隠れ、何を考えているのか微塵もうかがい知れない。ガルドは指先で窓枠を軽く叩きながら呟いた。
「私の妻が勝手な真似をして、すまなかったな。……だが、オルデン、あの女を今ここで始末するのは愚かなことだ」
「……ほう。なぜですか?」
「ふっ……なにも、これから我が王都へやってくる奴を、わざわざ喜ばせてやる必要はないからな」
オルデンがわずかに眉をひそめ、不可解な視線をガルドに向けたその時だった。
「―― 陛下! 申し上げますッ!」
慌ただしい足音を響かせ、一人の伝令が執務室の重厚な扉を突き破るようにして飛び込んできた。
「東方……! 東方街道側の物見より急報! 姿を消したはずの……アルス様が率いる軍勢が、王都近郊の街道に出現しました!」
伝令の叫びを聞いた瞬間、オルデンは我が耳を疑った。
「アルスだと……!? バカな。……いや、生き延びて東方に潜伏していたとしても、この短期間でどうやって軍を再編できたというのだ!」
オルデンはわずかに息を呑み、鋭い視線で伝令を睨みつけた。
しかし、伝令はさらに恐怖の色を深めて言葉を継いだ。
「い、いえ、それだけではございません! アルス様は王都の防衛線を強襲するのではなく、ルブル川を越えて進軍を止め、こちらを待ち構えるように陣を敷いております!」
「なに……! もうルブル川を越えたのか!」
オルデンは歯噛みしたが、すぐに自分を落ち着かせた。
「……なるほど。さすがは陛下、先を見通しておられたか。外敵が目の前に現れた以上、今は国内の粛清を一時保留せざるを得ないというわけですね」
オルデンの言葉に、ガルドは鼻で笑った。
ガルドは、窓の外――遠く東方の街道の方向へと視線を据えた。
「ああ……。もう、どうでもよくなったのだ。私からすべてを奪い取り、この王座を引きずり落とそうとするあの男が、自ら戻ってきたのだからな」
ガルドはバルコニーへと歩みを進め、手すりに両手を掛けた。
吹き抜ける風が、ガルドの黒い外套を激しく煽る。
「逃げも隠れもしないというわけだ。ならば、相手をしてやろう。どちらがこの王国の玉座にふさわしいか、その血をもって思い知らせてやる」
嵐の前の静けさの中、王都の空に、敵襲を告げる重苦しい鐘の音が、どこまでも響き渡っていった。




