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25.剣鬼と狂獣

 東方の空から昇った朝日が、険しい山並みを黄金色に照らし出していた。


 かつて捨て置かれた荒野の開拓地は、王都の追撃を逃れたアルスたちの拠点となっていた。


 それでも、限られた手勢が身を潜めるだけの、仮宿に過ぎなかった。


 仮設の執務室でアルスは地図に筆を走らせていた。


「――西の街道の警備体制は、予定通りだな」


 荒い足音が板間を鳴らし、栗色の髪を乱してリムが飛び込んできた。


「アルス様……! 王都からアレスさんが帰還されました」


 アルスは地図から視線を外し、痛む足をかばうようにゆっくりと振り返った。


 執務室の扉が開かれ、ボロボロの旅装束をまとったアレスが足を踏み入れる。その顔には疲労の色が濃いが、目は異様な熱を帯びていた。


「アレス、よく無事で戻った。……王都の動きはどうだ」


 アレスは床に片膝をつき、緊迫した面持ちで口を開いた。


「はい! ルクレツィア妃と宰相オルデンの間で決定的な亀裂が入りました。さらに、王都の旧臣や官僚たちが保身のために動き始めています。今ならば、混乱に乗じて一気に攻め込む好機かと……!」


 アルスは報告を静かに聞き届けながら、鋭く目を細めた。


(妙だな……。これほど都合よく内紛が起き、旧臣たちが動くとは。ガルドやオルデンの手によるものか、あるいは他の誰か……か。だが、この好機を逃す手はない)


 アルスは卓の上の地図を力強く引き寄せ、一気に決断を下した。


「これより反撃に転じる。皆に伝えろ――これより我らは、王都との決戦に踏み切る!」


「決戦、ですか……!?」

 リムが息を呑む。


「そうだ。バルトロはブラントン侯爵に伝え、全軍を王都へと通じる『街道の宿場町跡』へ進出させろ。そしてオルグ、お前は森に潜むファウナスたちを直接その宿場町跡へ集結させろ。王都の軍を打ち破るため、我らが持つすべての兵をそこに集める!」


「おう、承知した。……王都の連中に、俺たちの牙を叩き込んでやる」


 オルグが唸るように笑い、バルトロもまた引き締まった面持ちで深く頭を下げて部屋を出ていった。


◇


 執務室の重い扉が閉ざされ、石造りの廊下を歩くバルトロ背後には、護衛として控えていた数名の騎士が付き従っていた。


 その少し前方では、大股で歩く巨漢のオルグが足音を響かせながら遠ざかろうとしている。


「待て、獣人」


 若い騎士が、蔑んだ口調でオルグを呼び止める。


 オルグが不機嫌そうに振り返る。


「なんだ、人間の小間使いか。見逃してやるから、さっさと失せな」


「貴様らのような野獣の群れが、我が東方騎士団と同じ宿場町跡に陣を構えるだと?王都へ攻め込む前に、身内の足を引っ張るだけだ。勝手に暴れて共倒れになるくらいなら、ここで一足先にその牙をへし折っておいてやろうか」


 若い騎士は吐き捨てるように言い放ち、反射的に腰の剣の柄に手をかけて半分ほど引き抜いた。


「待て」


 重みのある声が廊下に響いた。バルトロが静かに手を上げ、若い騎士の抜刀を制する。


 若い騎士は歯噛みしながらも、剣の柄から渋々と手を離した。


「おいおい、止めるのかよ?」


 オルグはバルトロを見据えて不敵に笑い、手元にあった鉄棍を地面に突き立てた。


「人間の騎士様よ。飼い慣らされてるのは、お前たちの方じゃねぇのか? 王都の貴族どもに、さんざん尻尾を振ってきた分際でよ。気に入らねぇなら、その威勢だけの軽口……今すぐ俺が叩き直してやろうか」


 殺気が狭い廊下を支配したその時――。


「そこまでだ、バルトロ。オルグ」


 執務室から少し離れた回廊の曲がり角から、声とともにアルスが姿を現した。傍らにはリムが付き添っている。


「アルス様……!」


 バルトロは悔しそうに歯噛みしつつ、真正面から見据えて声を絞り出した。


「我らは侯爵様に従い、命を捨てる覚悟でここにおります。ですが……あなた様を軽視するわけではありませんが、この獣人どもと同じ釜の飯を食い、背中を預け合わねばならん理由が分かりません。あいつらは規律も知らぬ野獣の群れだ。我ら人間の騎士が、なぜあんな奴らと肩を並べて戦わねばならないのですか!」


 アルスはバルトロの真っ直ぐなその眼差しを見据え、唇を真一文字に結んだ。


 アルスは静かに、しかし響く声で言い放った。


「……どうしても納得がいかないなら、力で示せ」


「――望むところ!」


 バルトロは一歩も引かず、近くの開けた中庭へと飛び出し剣を抜き放った。


「オルグ、相手をしてやれ。ただし、殺すなよ」


「ハッ、加減の仕方は忘れたな」


 巨漢が獰猛な笑みを浮かべた。中庭の周囲を取り囲むように、東方の騎士たちとファウナスの戦士たちが固唾を呑んで見守る中、二人の激しい打ち合いが始まった。


 鉄棍と鋼の刃が激しく噛み合い、乾いた打撃音が中庭の空気を震わせる。


 バルトロは卓越した剣技で肉薄し、鋭い剣気を放った。だが、オルグの圧倒的な膂力はその猛攻をすべて受け止め、重い衝撃でバルトロの体力をじわじわと削り取っていく。


 バルトロの額から滝のような汗が流れ落ち、やがて息が荒くなった。


 オルグの巨体にも浅い斬り傷が走り、鮮血が滲むが、その勢いは微塵も衰えない。


「終わりだぁっ!!」


 オルグの唸り声とともに、渾身の力を込めた鉄棍が振り下ろされる。


 バルトロは全身全霊を乗せた渾身の斬撃でそれを迎え撃ったが、正面から激突した凄まじい衝撃は、バルトロの剣を半ばから派手に弾き飛ばした。


「っ……!」


 すさまじい反動に耐え切れず、バルトロは膝から崩れ落ち、地面に鮮血を吐き捨てる。頭上に迫った鉄棍は、バルトロの鼻先で静止していた。


 オルグは荒い息を吐きながら、肩を揺らして豪快に笑った。


「ガハハ! やるじゃねぇか人間! なかなかの気合いだったぜ!」


 バルトロは折れた剣の柄を支えに、よろめきながらも自分の足で立ち上がった。


 バルトロは腕で口元を拭うと、まっすぐにオルグを見据えた。


「……化け物め。……俺の負けだ」


 バルトロは折れた剣の柄を投げ捨て、差し出されたオルグの手を、しっかりと握り返した。


 互いの背中を預け合うに足る実力を認め合い、周囲を覆っていた殺気は穏やかな熱気へと変わっていった。


 ファウナスの戦士たちからも、人間の騎士たちの気概を称える声と、微かな賛嘆のざわめきが漏れる。


 バルトロはアルスに向かい、胸に右手を当てて深く、心からの忠誠を誓うように一礼した。


「アルス様。……先ほどの無礼、深くお詫び申し上げます。このバルトロ、そして東方騎士団は、これよりあなた様と、あなた様が選んだすべての仲間たちのために命を張って剣を振るいます」


 アルスは静かにうなずいた。


 アルスの静かだが通る声が、敷地内に響き渡る。


「我々はこれより、王都へと進軍する。ガルドとオルデンを討ち取り、この国の腐敗を根底から断ち切るぞ!」


 東方の騎士たちとファウナスの戦士たちが、地鳴りのような咆哮を上げて応えた。


 王都のルクレツィアとオルデンが権力闘争に溺れ、互いを潰し合っているその裏で、アルスたちは、ついに動き出そうとしていた。


◇


 その頃、王都の奥深く――。


 執務室の窓辺で、ガルドは静かにグラスを傾けていた。


 扉が音もなく滑り、黒衣のバロールが影のように現れ、王都の現状を告げた。


「陛下。お耳に入れておきたいことががございます」


「ルクレツィア様が、反オルデン派の貴族どもをうまく焚きつけ、オルデンを直接討ち取るべく動き出しましたよ。もちろん、宰相のほうも黙ってはおりませぬ。すでに実力行使の準備を整え、泥沼の抗争へ突入しようとしております」


 ガルドはグラスを傾けたまま、その報告をただ無言で聞いていた。


 かつて絶対的な権力を誇った自らの足元で、妻が、臣下が、己の欲望と保身のために国を蝕んでいく。


 だが、ガルドの顔に焦燥の色は微塵もない。


「……勝手なことをしおって」


 ガルドの声が、静まり返った執務室に低く響く。


 バロールは口元に怪しげな笑みをたたえると、満足げに深く頭を下げ、再び音もなく闇の中へ消えていった。


 開け放たれた窓から吹き込む夜風が、王都の方向から漂う微かな喧騒を運んでくる。


 ガルドはグラスの底に残った赤黒い液体を揺らし、その向こうに映る夜空を見据える。


「――せいぜい、派手に踊るがいい」


 崩壊へと向かう王都で、ガルドはただ、底知れぬ愉悦の闇に沈んでいった。

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