21.孤独の玉座
王都、宮殿の奥――
重厚な扉に閉ざされた執務室は、夜の静寂に沈んでいた。開け放たれた窓から吹き込む夜風が、燭台の炎を歪に揺らす。その明暗のなか、ガルドは椅子に深く沈み込み、指先の報告書を見つめていた。
乾いた鼻息が、広い部屋の天井に虚しく跳ね返る。綴られていたのは、王都から姿を消したアルスの動向だった。
(……死んだ、だと……)
ガルドはグラスに残った葡萄酒を傾け、唇を歪めた。
あの男が、オルデンの程度の仕込みでこと切れるはずがない。血の繋がりがあるがゆえに、そのしぶとさだけは肌で分かっている。だからこそ、胸の奥がザワつくのだ。あの生意気な目が自分を見下ろす感覚、己の王座の足元を底から削り取っていくようなあの気配が――。
(若く、鋭く、勝手に人が集まる……)
ガルドは残りの酒を一気に喉の奥へ流し込んだ。安っぽい不快感が、いつまでも胸の底にくすぶり続ける。
いっそどこかで野たれ死んでくれた方が、どれほどこの夜の風が心地よかったか――。
ガルドが冷めた息を吐き出した、その時だった。
重厚な扉が滑り、黒衣の老人が影のように入り込んできた。腹心のバロールである。
バロールは音もなくひざまずいた。
「続報にございます……」
ガルドは空のグラスを卓に置いた。
「出たか」
「いえ……いまだアルス様の遺体は出てきておりませぬ。周辺の捜索にあたっている者たちからも、確たる証拠は上がってきておりません」
「だろうな。あの男がそう易々とくたばるものか」
「続いてですが……オルデン宰相について……でございます。王都内における兵の指揮権を着実に塗り替えております。およそ半数、すでに宰相の手足として自由に動かせるかと」
ガルドは机を指で強く叩いた。
有能を笠に着て正論を並べ立てるあの青白い顔が浮かぶ。権力を手中に収めようと水面下で動く宰相の姿が、ガルドの神経を逆なでしていた。
バロールが報告を終了し、静かに身を翻そうとしたそのとき――
「待て」
ガルドの声に、バロールは音もなく動きを止めた。まだ完全に背を向けていなかった老人は、半身を返し、恭しく首を垂れる。
主が何を問うかを知るかのように、老人は静かに耳を傾けた。
「旧臣の貴族どもはどうだ。あの堅物に何か噛みつく奴はおらんのか」
ガルドの問いに、バロールは淀みなく答えた。
「……旧臣らの間では、鬱憤が溜まっておりますな。もっとも、オルデンの目を恐れ、今は様子見が関の山でございますが……」
ガルドは窓の外の暗闇へ視線を投げた。
「オルデンは私を侮り、あの女を都合のいい隠れ蓑にしてこの盤面を動かしているつもりらしいが……」
主の腹の底を計るかのような静止のあと、老人は静かに口を開いた。
「お邪魔なら、いかようにも御心のままに致しますが……。如何なさいますか?」
ガルドはわずかに片手を上げ、それを制した。
「今はよい。……あの男が生きている間は、好きにさせておけ」
バロールは深く頭を下げ、黒衣を揺らして闇の中へ消えていった。
◇
それから少しも経たぬうちに、執務室の重厚な扉が荒々しく開け放たれた。
ルクレツィアだった。美貌を怒りで歪め、ドレスの裾を揺らしながら踏み込んでくる。
「あなた! 聞いてちょうだい! オルデンが、私の話を聞きもしないで追い払うのよ!」
ガルドは眉一つ動かさず、背筋を深く椅子に預けたまま、天井を見据えた。
「……見苦しいぞ」
「なんですって!? 誰に向かって――」
「次は、俺も殺すか?」
その言葉の響きだけで、ルクレツィアの喉から声が奪われ、みるみる顔から血の気が引いていく。
「……っ、な、何を言っているのよ……!」
震える唇の端が、情けなく引きつる。向けられた危険な眼差しから逃れるように、ルクレツィアは慌てて視線を泳がせた。
「っ、ただ、オルデンが……私を馬鹿にしている態度が気に入らないだけで……」
追いつめられた焦りから、思わず取り繕うような言い訳が滑り出る。だが、この男の冷めた瞳に捉えられたままでは、それ以上言葉を重ねることもできなかった。
「お前が引きずり込んだ飼い犬だ。せいぜい上手く手懐けるんだな」
「でも、もしアルスが生きて戻ってきたらどうするのよ!?」
「黙れ!」
ガルドは卓の上のグラスを払いのけた。甲高い音とともに砕け、飛び散った葡萄酒がルクレツィアの足元を赤く汚す。
ルクレツィアは息を呑んだ。やがてガルドを鋭く睨みつけると、足早に部屋を去っていった。
締め切られた執務室に、再び静寂が満ちていく。
一人残されたガルドは、足元に散らばるガラスの破片が夜風に微かに反射するのを見つめながら、その唇の端をわずかに吊り上げた。




