↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/36

17.赤き徒花、愛に散りて

 潜伏先の古びた地下倉庫に、不揃いで切迫した足音が乱暴に響き渡った。


 荒い息を吐きながら扉を押し開けたのは、ガルカンだった。白髪を汗で張り付かせ、深く刻まれた額のシワに脂汗を浮かべたその顔は、一目でただ事ではない絶望を物語っていた。


「ア、アルス……! 大変だ! 計画を……今すぐ取りやめるべきだ……っ!」


 膝を折りそうになる身体を壁に預け、ガルカンは血管の引きちぎれるような声で叫んだ。


「本日正午……王都の中央広場にて、ウルガノスの一族ならびに裏切り者の『公開処刑』を執り行うとの触れが出ておる! すでに……広場は無数の重装兵によって完全封鎖されておったぞ……!」


「……何だと?」


 本来ならば今夜、夜陰に乗じて手薄になった警備を抜け出し、地下牢から救出する手はずだった。


 だが、ガルカンがもたらしたその一報によって、アルスたちの目論見は太陽が天頂へ昇りつめる前に、惨めなほど呆気なく無に帰したのだ。


「嘘だろ……っ! 処刑って!? 今日の正午って……もうすぐだぞ!」


 地下倉庫の空気が一瞬で凍りつき、控えていたウルガノスの戦士たちの間に動揺と狼狽が広がった。


「アルス、これは罠だ……! 俺たちの動きを完全に読んでいやがる!」


 ガルカンが青ざめた顔でアルスの腕を掴む。だが、その制止を押し破るように、巨大な影が躍り出た。


「ガタガタぬかすなッ!!」


 ヴォルクが血走った黄色い瞳で睨みつけながら、激昂の怒号を叩きつけた。


「罠だろうが何だろうが知るかッ! 俺たち家族の命がかかかってんだぞ! 退けるわけねえだろッ!」


「落ち着けヴォルク、白昼の広場は敵の渦中だ。いま飛び込めば全滅する」


「なら、見殺しにしろってのかッ!? 立て、野郎ども! 行くぞ!!」


「ヴォルクッ!!」


 アルスの制止を聞き入れず、ヴォルクとウルガノスの戦士たちは弾かれたように地下倉庫を飛び出していった。


 アルスは激しく舌打ちを打つと、中央広場へと走った。


◇


 路地の影へ急行したアルスたちの耳に叩きつけられたのは、白日に高らかに響き渡る兵の宣言だった。


「本日正午! 王家に仇なす裏切り者、ならびにその一族の処刑を執り行う!」


 路地の影から、アルスたちが目にしたのは――無数の重装兵が隙間なく取り囲む処刑台と、そこに繋がれたウルガノスの子どもや女たちの姿だった。


 そしてもう一人、処刑台の上で膝をつかされていたのは、リリィだった。


「な……に……!?」


 アルスは息を詰まらせ、そのまま壁に背を打ちつけた。


 白昼に突然の処刑宣言。組み上げた策謀は初手で粉砕され、差し伸べようとしていた手は空を切った。


「罠だ……完全に、嵌められた」


 アルスは激しく拳を握りしめ、爪が掌に食い込むのも構わず血の気の引いた顔で呟いた。


「……だがッ! 家族が……俺たちの家族が殺されるのを、黙って見ていろというのかッ!?」


 物陰でヴォルクが絶望と怒りに身を震わせる。


 罠だと分かっていようと、陽光の下で首に刃を当てられた家族を前に、牙を収める選択肢などウルガノスたちには存在しない。


「行くぞッ!! 奴らを喰い殺せぇぇッ!!」


 ヴォルクを先頭に、ウルガノスの戦士たちが咆哮とともに広場へ躍り出た。


 だが――高台に立つ男の顔には、嘲笑すら浮かんでいなかった。


「殺れ……」


 オルデンが、細く白い手を静かに振り下ろす。


 台上の処刑人が一斉に踏み込み、重厚な斧を振り下ろした。


 救出の手が届く直前で、鈍い断裁音が重なり、家族たちの首が一瞬で断ち切られる。


 鮮血が白日に舞い飛び、絶叫は途切れ、処刑台は物言わぬ屍の山へと変えられていった。


 目の前で愛する者をすべて屠られ、ヴォルクは血を吐くような咆哮を広場に轟かせた。


 家族を奪われたウルガノスの戦士たちは、狂気と絶望のもとで死兵と化した。


 彼らは敵の重装兵へ肉弾となって突撃し、死に狂いの咆哮と血飛沫が、敵兵の目を一瞬だけ逸らした。


 肉が裂け、骨が砕け、戦士たちが一人また一人と倒れていく凄惨な光景すら、もうアルスの意識には届かない。


 目の前の惨劇も、群衆の悲鳴も、兵どもの怒号も。


 一切の雑音が耳の奥で遠のき、世界から色が抜け落ちていく。静寂のなか――ただ、二人の視線だけが一直線に交錯した。


 拷問の痕を全身に刻まれ、処刑台に繋がれたリリィ。


 アルスは静かに片膝をつき、足元に転がった死兵の弓を拾いあげた。


 弦を指にかけ、限界まで引き絞る。


 それは、彼女を救うためではない。


 間違いなく、その命を絶つために向けられた矢先。


 処刑台の上、自分に向けられた矢を感じ取った瞬間、リリィの胸を満たしたのは、身が震えるほどの狂おしい歓喜。


 見せしめの道具として敵に弄ばれるはずだった己の命を、あの男が――ただ一人、己の意思で奪い取ってくれる。血に濡れた唇が、最後にかすかに、愛おしそうに綻ぶ。


 二人だけの静寂のなか、アルスは静かに指先を解き放った。


 指先を離れた一筋の影が、真っ直ぐに空を疾走する。

矢は寸分の狂いもなく、リリィの胸の中央を正確に穿った。


 リリィの身体がぐらりと揺れ、胸から鮮血を撒き散らしながら処刑台の上に倒れ込んでいく。その顔には、どこまでも狂おしく、平穏な笑みが残されていた。


「チッ……! 悪あがきを……ッ!」


 処刑台の上でオルデンが初めて不快そうに顔を歪め、眼鏡の縁を乱暴に押し上げた。


「全軍、突撃! ネズミを一匹たりとも逃がすな! あの男の首を討ち取れぇッ!」


 オルデンの怒号が響くと同時に、一瞬の隙を突いて放たれた矢がアルスの右太腿を深く穿った。激痛に、アルスはその場に倒れ伏した。


 逃げ場のない広場が、甲冑を鳴らして迫る重装兵の壁で埋め尽くされていく。


 ウルガノスの戦士たちは全滅しかけていた。ヴォルクもまた、背に数本の矢を突き立てられ、膝をついている。黄色い獣眸から血の涙を流し、血反吐を吐き散らしながらも、なお足元に寄る兵の喉笛を噛み千切ろうと足掻いていた。


(ここまで……か……ッ!)


 手札はすべて砕かれた。


 死を引き連れ、迫り来る重装兵の踏み鳴らす足音が広場を揺らす。


「討ち取れぇぇぇッ!」


 突き出された無数の穂先が、容赦なくアルスへ迫った――その瞬間だった。


 地響きのような破壊音が広場を震わせ、区切られていた重厚な木柵が力任せに粉砕された。


 飛び散る木屑と泥煙を割って、一頭の白馬が猛然と広場へ躍り込んでくる。手綱を握り締め、髪を狂おしく振り乱していたのは――リムだった。


「アルス様ぁぁぁぁぁッ!!」


「リム……ッ!?」


「手をッ!! 早く手を伸ばしてくださいッ!!」


 降り注ぐ矢の雨を縫い、死線の真ん中へ躍り出る白馬。突き出された敵の槍を間一髪でかわし、アルスは死力を振り絞って跳躍した。


 差し出されたリムの手を強く掴み取る。


 腕が千切れんばかりの衝撃とともに、アルスの身体が白馬の背へと引き揚げられた。


「逃げるぞッ! 馬を止めるなッ!!」


 リムが狂ったように手綱を振るう。


 躍動する白馬の蹄が立ちふさがる敵兵を蹴散らし、怒号と悲鳴が渦巻く包囲網の隙間を、突き抜けていった。


 処刑台の上――。


 オルデンは遥か遠ざかる白馬の影を、眉一つ動かさず見下ろしていた。


 追撃の指揮は出さない。乱れた眼鏡を細い指先で静かに直すと、吐き捨てるように呟いた。


「……つまらん。こんなものか……」


 オルデンは興味を失ったように背を向け、その場を去っていく。


 あとに残されたのは、真昼の太陽に晒された惨劇の爪痕。積み上がった屍の山の中、処刑台の上に横たわるリリィの胸には一本の矢が深々と突き刺さり、その唇だけが――かすかに綻んだままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。