第2話
「あっついわぁ〜」
セミの鳴き声とぬるい風が肌を撫でる午前中。
一面に広がるブロッコリー畑の中心に声が落ちる。
「天気予報で最高気温二十八度って言ってたけど、ほんとにそうなりそうね。まだ七月なのに……」
サンバイザーの上から大判のスカーフをほっかむりにした老女、虫壁ハナエは、よく晴れた空を見上げて息をついた。
「ですね。この調子だと真夏なんてどうなるか……」
応えたのは、首や顔を覆い隠す日除け帽を被った女、虫壁梓だ。
首にかけたタオルで汗を拭ったハナエは、前傾姿勢で固まった背中や腰を伸ばすようにストレッチしながら続ける。
「真夏のことは分かんないけど、村田さんちのお嫁さん暑い暑いってエアコンもうつけてるらしいわ。今からそんなんじゃ困っちゃうわよねえ」
ヤッケの上にはめた腕カバーをまくり上げ、ゴム手袋を外した梓がいつもの仏頂面で言葉を返してくる。
「いやでも……妊婦さんだし、仕方ないと思いますけど……」
ひっくり返されたゴム手袋。中に溜まった汗がジャバっと土の上に落ちる。
「最近はね〜、妊婦さんは大事にされるからね。産休? とかあるんでしょ。昔は産むまで野良仕事が当たり前だったんだけどね」
「時代が違いますし……」
やはり、仏頂面。
ハナエは気にせず言葉を続けた。
「今時の子供がひ弱になってるのは、お母さんが大事にされすぎたからなのかもね」
この間の情報番組で芸能人が言っていたことの受け売りだ。
受け売りだが、その通りだとハナエは思っていた。自分たちが若い時分の方が、子供はたくましかったし大人たちの間には余裕があった。
男女平等だの少子化だのと、よく分からないことが騒がれ出してからどうも世の中はおかしくなった。
口元の日よけ布を外した梓が、タオルで汗を拭いながら返してくる。
「それは関係ないんじゃ……」
「サナちゃんは? そろそろお年頃でしょ? 生理は来たの?」
彼女の顔が、あからさまに曇った。
「……そういうこと聞くのはデリカシーに欠けると思いますよ」
「あー、そうよねぇ。最近の人たちは敏感だもんね」
形だけの謝罪をする。
しかし、いつまでたってもサニタリーボックスに梓の分の汚物しか捨てられていないのが、ハナエには気がかりだった。
「でもサナちゃんももう十一でしょ? 遅れてたりしたら可哀想だから、ちゃんとチェックしてあげてよ。まだなら来たら教えて。梓ちゃんにもお赤飯の炊き方教えておかないと」
最近はわざわざ祝い事のたびに赤飯を炊くことはないと聞く。
しかし、古き良き風習というのは大事にしなければならない。
孫娘とはいえ、虫壁家の女の子だ。初潮を近所の皆で祝うのは当然のことだ。
その日が来るのを、ハナエはずっと楽しみにしていた。
「……お昼ですね。行きましょう」
だが、そんなハナエの気持ちなどつゆ知らず。
日よけ布を口元に戻した梓は、収穫したブロッコリーの入ったカゴを軽トラックの荷台に積み込み始めた。
この子はたまに人の話を聞かないところがある。
年長者からの話というのはかけがえのない宝になるというのに。全く。
梓に倣ってカゴを次々と荷台に積み込む。
最後のカゴを積んだ瞬間。背後から、何か――
「ん?」
しかし、振り向いた先には誰もいなかった。
だだっ広い畑の中。いくつものブロッコリーの葉が、風にその手を揺らしているだけで。
(猫か何かいたかしら……?)
「出ますけど、いいですか?」
軽トラックの窓から顔を出した梓が声をかけてくる。
「え、ええ」
助手席に乗り込む。二人を乗せた軽トラックは、何事もなく自宅へと帰宅した。




