第11話
どこをどう走ったのか、覚えていない。
ハナエの足は、いつしか自宅へとたどり着いていた。
体中が火を噴くように熱いのに、末端がいやに冷たい。
呼び鈴も押さず、扉を開ける。
鍵は、開いていた。
玄関に足を踏み入れると、家の中からは、何やら美味しそうな匂いがした。
「ママ、これ超いいでしょ! サナの最高傑作!」
「ふふっ、そうだね。可愛い」
キッチンの方から、早苗と梓の楽しげな声が聞こえてくる。
そういえば今日は、学校が午前授業だとプリントに書いてあった。
自分をのけ者にして親子仲良く料理だなんて、ずるい。
「ハムはピンクだからハートの方が可愛いんじゃない?」
「いいの! サナはピンクの星のが可愛いと思うから!」
自分には向けてくれない、楽しそうな声音、甘えるようなわがまま。
確信に至った。
「え!? お義母さん!? まだパートの時間じゃ……?」
驚いたような顔の梓。
「嘘! おばーちゃんもう帰ってきちゃったの!?」
型抜きを持ったまま唖然とする、小さな早苗。
「えー! せっかくサプライズパーティーする予定だったのにー!」
むくれたような顔。
呼吸、ひとつ。
「お義母さんのお誕生日サプライスやりたいって、早苗が言い出したんですよ」
「えへへ。おばーちゃんいっつも自分の誕生日忘れるんだもん! 毎年パーティーしたら忘れなくなるでしょ!」
そうやって、監視するつもりだったのか。
「私も……最近ちょっと体調が悪くてあまりお話しできなくて……これを機に仲直り出来たらなって……」
そして、監視するために。
「それに! パパが言ってたけど、おばーちゃんがおじーちゃんとブロッコリー始めて三十年なんでしょ! お誕生日と一緒にお祝出来たらいいなーって思ったんだ!」
監視してたから、知ってる。
「うるさい……」
呟くように言った声は、二人には届かない。
「クックパッドで色々レシピ調べてね、ママがブロッコリーのお料理たっくさーん作ったんだよ! ポタージュでしょー、生ハムマリネでしょー、唐揚げでしょー。あと何だっけ、ティッシュ? 忘れたけど、ぜーんぶ美味しそうなの!」
私のことも調べていたのか。
「うるさいのよ……」
「でも一番はこのサラダなんだよ! 見て! サナが作ったの!」
小さな手で掲げられた、大きな皿。
「可愛いでしょ! リースサラダっていうんだよ!」
リング状に盛り付けられた野菜。
上に散らされた、色々な形に抜いたハムやチーズ。
洒落たゼリー状のドレッシングがキラキラと光るそこに、それは確かにあった。
ハムの影に、敷き詰められたレタスの上に、ドレッシングにうずもれるように、緑色の、ゴツゴツとした、滑らかな、瑞々しい、やけに、情報量をもって――
『眼』が、合った。
気付いた時には、遅かった。
ダイニングテーブルに置かれた包丁を手に取っていた。
声がした。
皿が割れた。
泣いていた。
誰が?
分からない。
だって、監視する方が悪い。
ザラザラとした粒が、足の裏にへばりつく。
粒の一つ一つが、皮膚にめり込んでまた私を監視する。
青臭い、青臭い、青臭い。
刺さった破片が、床を赤くする。
床に散らばった緑の残骸を、ワタシはひたすら踏み潰し続けた。




