第9話:工場メシと王道ファンタジーの対比
【現実:2026年10月7日(水)~10月9日(金)夜】
「……はい、あーん。こっちはお水ですよ、飲み込んでくださいねー」
アルトリア王国の薄暗い鍛冶工房。 現実世界で水曜日から金曜日にかけての数日間、ミィのログイン中の活動は、日課の高速ボス周回以外、すべて「これ」に費やされていた。
ギュイィィィィィィィィィィンッ!!!
風魔石コンプレッサーの爆音と、金属を削る旋盤の駆動音が響き渡る中。
ミィは自費で購入した巨大な鍋いっぱいのスープと、大量の黒パンが入った重い籠を両手に抱え、工房内を右へ左へと走り回っていた。
「シャルロッテさん! 危ないですから旋盤から少し顔を離して! はい、パン!」
「もぐっ……ありがとう、ミィ。ですが、あと少しでライフリング(螺旋溝)の切削が終わりますの……!」
「クロムさん! またHPバーが赤くなってますよ! ほら、干し肉噛んで!」
「がはっ……すまねぇ、嬢ちゃん。この合金の硬さ、一瞬でも油断したらバイト(刃)が弾かれちまう……!」
顔を油と煤で真っ黒に汚し、狂ったように金属加工に没頭する二人の「工場長」。
彼らは文字通り「寝食を忘れて」作業に没頭するため、放っておけば数時間おきに【空腹(極大)】のステータス異常を引き起こし、三途の川を渡りかけるのだ。
それを阻止し、二人の口に物理的に食料をねじ込むのが、現在のミィの唯一にして最大の役割であった。
「……なんで私、8歳の剣士の設定でゲーム始めたのに、ずっと割烹着みたいなエプロン着てご飯作ってるんですか……?」
ミィは鍋のスープをお玉でかき混ぜながら、虚ろな目で宙を見つめる。
「私の……私の王道ファンタジーは、どこに行っちゃったの……?」
『私だって、剣を振ってモンスターを倒したい! 綺麗な魔法のエフェクトを見ながら、仲間と一緒に大平原を駆け抜けたいのにぃぃぃ!』
ミィの悲痛な心の叫びは、けたたましいコンプレッサーの駆動音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
***
同時刻。アルトリア王国のプレイヤーたちが最前線として攻略を進める、第3エリアの広大な荒野。 そこには、ミィが夢見ていた「王道ファンタジー」をそのまま絵に描いたような、華やかで熱い光景が広がっていた。
「いけっ、『フレアウルフ』! 側面に回り込んで火炎弾だ!」
「ワォォォォォォンッ!!」
銀色の鎧を美しく輝かせた長身の剣士——ギルド『竜の盟約』のマスターであるジークが叫ぶと、彼の傍らに寄り添っていた真紅の狼が、アゴを大きく開いた。
直後、狼の口から放たれた灼熱の魔法が、巨大な岩塊で構成されたエリアボス『土の精霊』の側面に着弾し、派手な爆炎とダメージエフェクトを散らす。
「よし、怯んだ! 今だ、みんな! 一気に叩き込め!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
ジークの号令と共に、十数名のギルドメンバーたちが一斉に武器を構えて突撃する。
プレイヤー自身は魔法が使えないこの世界。しかし、ジークは「モンスターをテイム(手懐ける)し、彼らに魔法を行使させる」という正攻法によって、見事にファンタジーの壁を打ち破っていた。
「はぁぁぁぁっ!!」
ジーク自身も自慢の筋力を活かし、身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回してボスの急所を物理的に叩き割る。
ピロリン♪
《エリアアナウンス:第3エリアボス『土の精霊』が討伐されました! 討伐者:ギルド『竜の盟約』》
「やった! さすがジークさん!」
「フレアウルフとの連携も完璧ですね! まるで物語の勇者みたいだ!」
歓喜に沸く仲間たちに囲まれ、ジークは涼やかな笑みを浮かべて大剣を背中に収めた。
そして、活躍したフレアウルフの首筋を優しく撫でる。
『……やはり、俺の目に狂いはなかった』
ジークは誇らしげに、土埃が舞う広大な荒野を見渡した。
『爆弾や地雷を特許登録し、小賢しい化学知識でボスを爆殺する黒百合工房とかいうギルド……。確かに進行速度は異常だが、あんなものは邪道だ。いずれ限界が来る』
数日前にこの第3エリアで、「地雷」という物理トラップによって土の精霊が吹き飛ばされた痕跡を見たことを、ジークは思い出す。
『あんな泥臭い工業化なんて、この美しい世界には似合わない。モンスターと心を通わせ、共に戦い、自らの手で道を切り拓く。俺たちのギルドが、この王道の戦い方で最強の覇道を証明してやる!』
王道ファンタジーの主人公を地で行くジークの周囲には、キラキラとした光の粒子と、仲間たちの称賛の声が降り注いでいた。
***
——一方、その頃の『黒百合工房』。
「ごほっ、げほっ! し、死ぬかと思いましたわ……!」
「だ、誰か水……水をくれ……!」
顔面を真っ黒な煤にまみれさせ、ボロ雑巾のように床に這いつくばる6歳の幼女と30代の筋骨隆々な男。
「もう! だから言ったじゃないですか! 冷却用の水が足りないのに無理して旋盤回すから、摩擦熱で火花が散ってボヤ騒ぎになるんですよ!」
「お母さん」と化したミィが、涙目で二人に水をぶっかけながら説教をしていた。 キラキラとしたファンタジー要素など微塵もない、完全なブラック町工場の過酷な労働環境がそこにあった。
「ふふっ……あははははっ!」
しかし、ずぶ濡れになりながらも、シャルロッテは狂気的な笑い声を上げた。
その小さな手には、鈍い銀色に輝く「一本の金属の筒」が握り締められている。
「笑ってる場合ですか、シャルロッテさん! もう本当に限界ですよ!」
「ミィ。見てご覧なさい、この完璧な仕上がりを」
シャルロッテは立ち上がり、ランプの光にその金属筒をかざした。
筒の内側には、クロムの執念とシャルロッテの計算によって削り出された、等間隔で美しい『螺旋状の溝』がはっきりと刻み込まれていた。
「……あぁ。俺の鍛造技術と、お嬢ちゃんの理論の結晶だ。寸分の狂いもねぇ」
クロムも床に座り込んだまま、誇らしげにニヤリと笑う。
『ライフリング……。弾丸に回転を与え、ジャイロ効果によって直進安定性を極限まで高める魔法の溝。大砲の時のように、弾がどこへ飛んでいくか分からないなんてことはもう起きない。私が狙った場所へ、寸分の狂いもなく死を届ける真っ直ぐな道よ!』
シャルロッテの青い瞳が、完成した『銃身』を見つめてギラギラと輝く。
「ついに第一段階のクリアですわ。あとは『ボルト(閉鎖機構)』の擦り合わせと、引き金周りの作成……。ですが、その前に」
シャルロッテは振り返り、真っ黒な顔で天使のように微笑んだ。
「明日は、この銃身から撃ち出す『弾薬』を作らなければなりませんの。……また恐ろしい調合の始まりですわよ、ミィ」
「いやぁぁぁぁぁぁっ!! もう工場のおばちゃん嫌だぁぁぁぁぁ!!」
金曜日の夜。
アルトリア王国の王道ファンタジーの裏側で、新米剣士ミィの悲痛な叫び声が、今夜も虚しく響き渡っていた。




