第10話:代替雷管の恐怖と、運営の絶望
【現実:2026年10月10日(土)昼】
アルトリア王国の職人街。
クロムの鍛冶工房の中は、異常なほどの静寂に包まれていた。
いつも鳴り響いている旋盤のモーター音も、金属を叩くハンマーの音も無い。聞こえるのは、その場にいる三人の極度に張り詰めた呼吸音だけだった。
「……ミィ。息遣いが荒いですわよ。もう少し静かにしていただけまして?」
「ひ、ひぃぃ……! だ、だって……!」
工房の隅の木箱の裏に隠れ、耳を塞いでガタガタと震えるミィ。
筋骨隆々の鍛冶師クロムでさえ、分厚い鉄板の盾を構えながら、滝のような冷や汗を流して作業台を見つめていた。
「おい、お嬢ちゃん。マジで手元狂わせるなよ。万が一そこで暴発したら、お前のその小さな手首から先は確実に吹き飛んでデスペナだぞ……。それに、俺が徹夜で削り出した真鍮の代用品もおじゃんだ」
「ええ、分かっておりますわ。クロムさんの芸術品を、わたくしの手で壊すわけにはいきませんもの」
作業台の前に立つシャルロッテは、極度の集中状態にあった。
彼女の小さな手には、ピンセットが握られている。その先にあるのは、クロムが魔石合金を叩き出して作った『金属薬莢』と、その底部にはめ込むためのごく小さな金属の皿だった。
『銃弾を発射するためには、薬莢の中に詰めた推進薬(黒色火薬)に点火するための発火装置……雷管が絶対に必要になる。でも、現実の雷管に使われているような複雑な化学物質を、この世界で一から合成するのは不可能だわ』
シャルロッテの額から、一筋の汗が流れ落ちる。
彼女の目の前には、第1エリアで発見したあの「衝撃起爆」の性質を持つ『火属性魔石の粉末』と、通常の『無属性魔石の粉末』があった。
『だから、力技で代用する。極めて衝撃に敏感な火魔石の粉末を、無魔石の粉末とブレンドする。これを薬莢の底にセットし、銃の撃針で叩くことで、確実に内部の火薬に引火させる……!』
理屈は単純だ。
しかし、問題はその「組み立て作業」を手作業で行わなければならない点にあった。
「……ふぅっ」
シャルロッテは短く息を吐き、ピンセットでごく微量の混合粉末をつまみ上げた。
そして、それを薬莢の底部にある小さな窪みへと、ゆっくりと、極めて慎重に落としていく。
少しでもピンセットが強く擦れて摩擦熱が起きれば。
少しでも手が震えて粉末に衝撃を与えれば。
その瞬間に粉末が爆発し、薬莢内のメイン火薬に引火して暴発を起こす。 自分がダメージを受けることなど、シャルロッテにとってはどうでもよかった。彼女が最も恐れているのは、「この極小の雷管づくりに失敗すれば、自己完結型の近代弾薬の完成が延期になる」という事実だった。
『このゲームのVRデバイス、プレイヤーの心拍数や筋肉の微細な震えまで完璧にトレースしてるわ……! オフライン訓練で「五感」と「柔軟性」を極限まで鍛えていなければ、とてもじゃないけれど手作業での組み立てなんて不可能ね……!』
カチャリ。
極小の金属皿を上から被せ、隙間を蝋で塞ぐ。
その作業を終えた瞬間、シャルロッテは大きく息を吐き出した。
「……終わりましたわ。薬莢の底への『代替雷管』の組み込み、完了ですの」
その言葉を聞いて、ミィとクロムはその場に崩れ落ちた。
「あぁぁぁ……寿命が縮まりました……!」
「ったく、鍛冶屋で命の危険を感じたのは初めてだぜ……」
シャルロッテは震える手で、完成した鈍く光る金属の筒——『金属薬莢式の銃弾(実包)』を持ち上げた。
「ふふっ……あははははっ! ついに、ついにできましたわ! 中世ファンタジーの世界に、自己完結型の近代的弾薬の誕生ですの!」
狂気と歓喜に満ちたシャルロッテの笑い声が、静まり返った工房に響き渡った。
***
同時刻。現実世界。
都内某所にある『アビスジェネシス』の運営モニタリングルーム。
「……あかん」
開発責任者の西宮涼は、自身のデスクで頭を抱え、完全に顔面を蒼白にしていた。
「あかんて……。なんやねんこれ。誰か嘘やって言ってくれや……」
「西宮リーダー、現実です。アルトリア王国の例のプレイヤーからの特許申請ログ、および新規アイテムのクラフト成功ログが上がっています」
部下のオペレーターが無慈悲に告げる。
メインモニターに大写しにされているのは、シャルロッテがたった今完成させたばかりのアイテムの詳細データだった。
『新規アイテム:魔石式金属薬莢(雷管付き)』
『新規特許申請:摩擦・衝撃起爆性粉末を用いた代替雷管の製造方法』
「雷管て……! 金属薬莢て……!」
西宮はバンッ! とデスクを叩いて立ち上がった。
「ここは剣と魔法の王道ファンタジーMMOやぞ!? なんでサービス開始からたった10日で、マスケット銃(先込め式)の時代すらぶっ飛ばして、近代的な自己完結型カートリッジ(実包)が誕生しとんねん!」
西宮のコテコテの関西弁のツッコミが、薄暗いモニタリングルームに響き渡る。
部下たちも皆、引きつった笑いを浮かべていた。
「いや、確かに『火魔石の粉末』がニトログリセリンと同じ衝撃起爆の性質を持ってるってのは、AIが承認した物理法則や。せやけど、それを雷管の代わりに使うなんて、普通のプレイヤーは思いつかんやろ!」
西宮はモニターに映る、優雅に微笑む6歳の幼女のアバターを指差した。
「しかもこれ、手作業で雷管詰めたんか!? VRの物理演算でこんな極小の摩擦・衝撃管理をやったら、普通は手が震えて暴発するはずやぞ!」
「ええと……ログを確認したところ、このプレイヤー、オフライン訓練による『指先の微細な動作補正(器用さ)』と『極限集中』のステータスが異常に高いため、システム上の【暴発判定】のダイスロールを強引にクリアしたようです」
「完全にシステム(仕様)のガバ突かれとるやんけ!!」
西宮は再びデスクに突っ伏した。胃のあたりを激しく押さえている。
「あかん……。金属薬莢ができたってことは、次は確実に『後装式』の本体が来る。あいつら、魔法の国に本気でスナイパーライフル持ち込む気や……!」
このままでは、プレイヤーたちが剣や魔法で命懸けの死闘を繰り広げている横で、6歳の幼女が遥か遠くから狙撃でエリアボスを狩り尽くすという、ゲームバランス完全崩壊の未来が待っている。
「……おい、銃火器討伐時のステータス補正パッチの準備はどうなってる!? いつ当てられる!?」
西宮が血走った目で部下たちを振り返る。
「現在、最終のバグチェック中です! 明日、日曜日の夜間メンテナンス明けには適用できる予定です!」
「急げ! 一刻も早くパッチを当てるんや! このままやと、あのお嬢様にアルトリア王国の生態系がめちゃくちゃにされるぞ……!」
魔法の世界のバランスを守るため、必死にキーボードを叩き続ける運営陣。
だが彼らはまだ知らなかった。
明日、日曜日のパッチ適用よりも前に、歴史を変える「一撃」が放たれてしまうことを。




