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〇四「告白」

 玄関の戸を開けると、ばたばたと足音を立て、圭介の母が迎えた。母は、リビングから玄関前の廊下までの短い距離で息を切らして、特段の意味も無かろうに、慌てた様子だった。


「圭ちゃん」


「ただいま」


「学校からね、連絡があったの。それで……大丈夫だった?」


 要領を得ない口振りだが、圭介には馴れたものだった。要するに、学校から全生徒の保護者に向けて、メールの一斉送信があったのだ。内容は恐らく、今度の事件を受けての休校、そしてマスコミへの対応、生徒らの精神のケアを促すものだ。


「どっかの新聞に声を掛けられたよ。でも適当に答えて退散した。大丈夫」


「そう。良かった」


 母親はほっと胸を撫で下ろす。本当に胸に手を当てて、肩を上下させた。傍目にはわざとらしい仕草に見えるが、やはり圭介は解っている。普段からそういう大袈裟さを見せる人物なのだ。玄関まで走ってきたのもそうだ。


 人を好きか嫌いかで分類するなら、圭介は母の事を嫌っている。落ち着いているものの方が好きだ。例えるならチワワよりラブラドール、ジャンガリアンハムスターよりゴールデンかキンクマという具合に。

 そして何より、母の論理性に欠けたところが嫌だった。話せば主語が無い事など当たり前だ。圭介から問い返してやっと用件を引き摺り出す事もざらにある。携帯電話のメールやメッセージアプリを使い、文章での遣り取りとなれば最早壊滅的である。圭介にはいつも暗号を解読している様な気分を与える。一を聞いて十を知るという慣用句があるが、母の言う事は大抵、中身の無い零か、十一以降の余計なものばかりなのだ。

 兎角、疲れる。


 だから圭介は、母の心配そうな視線を背中に受けながら階段を昇り、自室へ入ると、ドアに鍵を掛けた。

 母親について色々と思うところがあれど、圭介という少年も、決して限りなく合理的な人間とは言えない。部屋の中は散らかり放題だ。

 無い物を先に挙げれば、スナック菓子の袋やコンビニ弁当の容器といった、明らかなゴミくらいである。

 床には今朝脱ぎ捨てた寝間着がぐしゃぐしゃ落ちている。ティッシュペーパーの潰れた箱が引っ繰り返っている。ベッドの上にはそれぞれに何ら関係無い漫画本が三冊。机の周辺に至っては、もう何が何だか解らない。パソコンとゲーム機、そして携帯電話の充電器、その他諸々のコード類が複雑に絡まり合っている。卓上にはいつだか使ったカッターナイフやら、底にアイスコーヒーがこびり付いたコップやらが放置されている。ノートをひろげる場所も無い。

 そして、灰皿と煙草。


 圭介は制服を脱ぐより先に、煙草を一本咥え、机の下をまさぐって、金槌の脇から使い捨てライターを探し出し、窓を開けつつ火を灯した。

 紫煙をゆっくりと肺まで吸い込み、ひゅうと吹き出す。煙は口元で帯状に進み、窓の手前から霧散した。

 未成年者の喫煙は法律で禁じられています。

 そんなワードを思い浮かべて、圭介は、だから何だと言うのだと心中でせせら笑った。確か、刑事罰であるが、最大五十万円の罰金刑だったか。

 昨今は、投票権に合わせて飲酒も喫煙も一八歳まで引き下げようという話があるそうだが、そんな事もやっぱりどうでも良い。

 俺は人を殺したのだ。その最大の罪を前にして、依存性の高い葉っぱを燃す事などは、砂漠の砂の一粒に過ぎない。

 圭介の自嘲は、自然と、顔の表面に顕れた。


 暫くして、煙草の火種がフィルターに迫った頃。

 玄関の呼び鈴が鳴り、間も無く、またどたどたと階段を駆け上る足音がした。

 圭介はすぐに煙草を揉み消して、自室のドアを開く。はたと出会した母親は、両手を挙げて驚いた。


「ああ、圭介」


「誰が来たの?」


「そのね……警察の人」


 階段を下ると、玄関に立っていたのは、スーツ姿の若い男だった。いわゆる刑事なのだろう。正確には刑事課の捜査員。

 年齢は圭介ともそう離れていないだろう。二十歳を過ぎた頃だ。キャリア組というものだろうか、高校生の圭介の目にも、初々しく映った。童顔である。

 若い刑事は圭介を見返しながら、ズボンのポケットをごそごそやりつつ言った。


「葦原圭介君、ですね? 埼玉県警の工藤といいます」


 ポケットから出したのは警察バッジだった。

 刑事ドラマでは、よくジャケットやシャツの胸ポケット、或いは内ポケットから出すものだが、成る程、そこらだと失くしやすいのかも知れない。圭介は妙に感心した。階級までは読めなかったが、恐らく巡査あたりの下っ端だろう。

 圭介が工藤刑事の問いに首肯で答えると、刑事は社交辞令的な笑みを浮かべて会釈し、母に向き直った。


「ちょっと圭介君にお話を伺いたいのですが。良ければお邪魔しても?」


「あ! ええ、はい。散らかってますけど……」


 圭介の母はえらく縮こまり、刑事をリビングの方へ促しつつ、


「圭ちゃん、おいで」


 と余計な言葉を言った。


 リビングの内装は、キッチンの付近にダイニングテーブルと椅子、反対にはテレビに向かって座椅子やクッションが置かれている。圭介と工藤はテーブルの方へ、対面する形で腰掛けた。母親はと言えば、圭介の背後、キッチンでがちゃがちゃとカップの用意を始めている。


「インスタントのコーヒーくらいしか、お出し出来ないんですけど……」


「いえ、お構い無く。本当に。お母様にもご一緒頂きたいので」


「つまり、事情聴取なんですか?」


 圭介が訊ねると、工藤は目を丸くした。圭介の落ち着き払った態度に驚いたのか、察しの良さに恐れ入ったのか。しかし工藤はすぐ、顔の前で手を横に振った。


「いえいえ、いえ。そんなものじゃあないですよ。事実確認と言ったところです。しかしいくつか質問をさせて頂くにあたって、保護者の方を抜きにするのは形式的に問題がある、という訳でして」


 つまり事情聴取だ、と圭介は納得した。

 ただこの刑事、圭介を相手にしても、多少砕けた態度を見せながらも丁寧語を崩そうとしない。圭介という人間をナメて掛かってはいないという事だ。

 用心せねばと、圭介は椅子をテーブルに引き寄せた。


 母親が圭介の隣に着いた。そしてテーブルの下で圭介の手が握られた時、刑事はボイスレコーダーを取り出して、テーブルに置いた。


「あくまで記録用なので、お気になさらずお願いします」


 そう前置きをして、本題に入る。


「亡くなられた金井鏡花さんとは、親しかったんですか?」


 先刻記者にされたのと全く同じ質問だったが、


「はい」


 今度の圭介は、はっきりと明言した。刑事が圭介を訪ねてきたのは、鏡花の携帯電話の通話やメッセージの履歴を見たからに違い無い。ならば誤魔化しなどはするべきでないと判断したのだ。


「と言うと、どのくらいですか? 例えば、恋愛関係にあったとか」


「付き合ってました」


 ぱっと母親の手が離れた。圭介の横顔を驚愕の表情で見る。母親は圭介に恋人が居る事など露も知らなかったのだ。まして、相手が殺された少女だとは。


「そうなんですね。お悔やみ申しあげます。それで、交際期間は?」


「二年生の時からなので、丸一年です」


 ふむ、と刑事は鼻を鳴らして、背筋を伸ばした。圭介はよく解っている。その恰好は、相手を見下ろし、威圧する時にするものだ。


「そんなに付き合っていたのに、随分、冷静に見えますね」


 刑事というのも伊達ではないらしい。圭介は未だ容疑者ですらないが、それでも疑念を持って接し、隙あらば揺さぶりを掛ける。疑わしきにしろ、そうでないにしろ、どんな些末な事であろうと、情報の芽があるならば根こそぎ引き抜きにくる。

 目前の圭介は、そんな工藤刑事の油断ならぬ性質を、肌で感じ取っていた。


「そうですか? そう、ですよね……」


 圭介は目を伏せた。考えているのではない。これは、構えだ。

 圭介はこれから、嘘を吐く。


「彼女は……僕が殺したんです」

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