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〇三「感触」

 その日の授業は無くなった。生徒にしろ教師にしろ、まともな精神状態ではないのに、授業などやっても意味は無いだろう。マスコミ対策もあったに違い無い。既に正門も裏門も、報道陣が固めている。いくら待とうと退散する訳が無い。どうせ生徒が捕まえられるなら、一斉に放出した方が被害者が減ると、そんな算段があっても良い。

 きっとそうなるだろうとは、圭介も予想していた。一昨日の夜から、いやずっと以前からだ。


 あれだけ騒がしかったのも、少々控えめになって、通夜の後の様相の中、他のクラスメートに混じって教室を出る時、凪と目が合った。まだ悲哀から抜け出せない者は席を立とうとしていない。凪は彼らとは違うだろうに、自分の席にふんぞり返って、ぞろぞろと出て行く連中を眺めていたのだった。

 凪は圭介を見て、薄く微笑んでいた。まるで、お前という人間を丸裸にしてやるぞ、と言わんばかりの目付きだった。

 好きにするが良いさ。圭介は心の中で言い返す。どんな目を持っていても、見えているのは人の表層に過ぎない。表面化した現象から、内側を想像するしかないのだ。例えば、清涼飲料水のパッケージから味を想像する様な事。蓋を開けてみなければ、鼻や舌で感じなければ、本当の中身は知れない。今の圭介のパッケージは、何の当たり障りも無い、ただの高校三年生に他ならないだろう。いくらでも想像するが良い。力尽くで蓋をこじ開けようと構わない。

 その時は、その喉に、本当の圭介という劇薬を流し込んでやるだけだ。


 自転車を押しながら、正門を潜る。学校の敷地側には体育教師が立って、生徒達を見送っていた。生徒らの観察の意味もあったろうが、恐らくは、マスコミが強引な取材を始めた場合に備えてでもある。強面で、パワーハラスメントにも似た圧迫的な教育で知られた彼も、今はただ、さようならと、気を付けて帰れよとを繰り返す人形と化していた。


「ちょっと話、聞かせて貰えないかな」


 制服に紛れ込みそっと出て行った時、圭介は声を掛けられた。中年の男だ。見知った新聞社の銘が入った腕章を付けている。

 どうしてわざわざ俺なのだ。そう疑問を持ったのとほぼ同時に、理解が出来た。一見するに品行方正、素行の良い高校生。そのパッケージングは、金井鏡花と共通したものだったからだ。


「金井鏡花さんとは、友達だった?」


 圭介は返事をしていないが、構わず質問を投げ掛けてきた。面倒臭い。圭介は元々マスメディアに良いイメージを持っていなかったが、やっぱりいざ声を掛けられると、新聞か宗教の勧誘の様な、一方的なものを感じ取った。


「……ええ、まあ」


 けれども、全く無視をするのは、圭介の性格が拒んでしまった。


「そうなんだ。お気の毒に……ああ、ここだと邪魔になっちゃうから、向こうで」


 門の正面は、乗用車一台がやっと通れる様な、細い小道が横切っている。その反対側へ誘導された。圭介はちらと先の体育教師を見たが、気付いているのかいないのか、案山子の如く突っ立っているだけだった。


「鏡花さんとは同じクラスだったの?」


「いえ。二年生の時だけ」


 何気無く答えたが、後から「だった」という言い回しに、胸の疼きを感じた。

 過去形。金井鏡花はもうこの世に居ない。間違ってはいないのだが、彼女の何も過去も知らぬ赤の他人の言い回しとして、違和感を抱いた。いや、言い掛かりだ。たったそれだけの言葉の端に胸が傷むのは、たぶん圭介だけなのだ。

 鏡花が好きだ。殺しこそしたが、それは今も変わらない。だから、もう無いものとして扱われる事は、辛い。


「どんな子だった? 印象だけで構わないんだけど」


「あまり目立つタイプじゃないです。大人しい感じの女の子です。だけど掃除の時とかに、率先してやっているのが印象に残ってます」


「そう。真面目な子だったんだね」


「そうですね。でも明るい性格で」


 ただただ真面目な女子だったと、そう印象付けられるのを、圭介は嫌った。金井鏡花は校則に従い、成績も良かった。見た目も地味だ。けれど、それが全部と思われるのは、圭介には癪だった。


「友達は、多いと思います」


「そうなんだ。あ、じゃあその友達を教えてくれないかな?」


 貪欲だ。瞬間的に強い嫌悪感が喉の奥に込み上げてきた。さっき教室で泣いていた女子生徒の前に、この中年親父が立って、あれやこれや、根掘り葉掘り訊ねる。想像しただけでゲロを吐きそうだった。

 優しさ、気遣い、想像力。心に温もりが足りない人間は、圭介にとって、最も邪悪な存在だ。

 そう、権力者の様に眼前に立っているのは、地獄の底の餓鬼だ。貧困ではない、自らが招いた不幸とは呼びがたい餓えだけで這い回る、汚らわしい鬼だ。


「……すみません。誰かまでは、ちょっと……」


「あ、そう。じゃあ良いよ。お時間取らせて悪かったね。気を付けて帰って」


 聞き出せる事は全部聞いた、後は用済みだとばかりに、鬼は手を挙げた。

 圭介は会釈だけ返し、自転車に跨がった。背中に視線は受けていない。もう次の獲物を探しているのだろう。圭介は強くペダルを踏み込んだ。穴倉から頭を出した様な開放感を味わった。


 夏休みが明けて間も無いと言うのに、自転車を漕ぐ圭介の頬に、秋めいたすっきりとした風が当たる。世間の弁を借りれば今夏は記録的な猛暑であったから、燃え尽きるのも早かったのか。時刻がまだ午前中だからでもあるだろう。

 そう言えば、あの夜もこれくらいの大気だった。圭介が思い出した時、ふと、握っているハンドルのラバーの感触が、タオル地に変わった。足の裏も、湿り気と、ちくちく刺される感触になった。


 金井鏡花を殺した時の記憶だ。


 林の中、鏡花から「着いたよ」と短いメッセージを携帯電話に受信した時、圭介は靴を脱いでいた。靴下の布を突き抜け、小枝が刺さっていた。

 液晶のバックライトを点灯させたまま振り、合図を送ると、月明かりも、頼り無い街灯の明かりも届かない、闇の中を、鏡花は真っ直ぐに駈けてきた。鏡花はカーディガンに半ズボン、殆ど家着姿だった。


 圭介の姿を確かめて、腰に腕を回しながら、鏡花はえへへと笑った。親にも学校の連中にも隠した逢瀬。少年少女らには堪らなく淫靡で、素敵な事なのだった。

 これだけ接近しても、圭介の足下には気付かない。靴も履かず、裾を少しまくり上げてもいるのに。それだけ林の中は暗かった。

 すぐに二人は口付けを交わした。鏡花が圭介の唇を舐めた時、ぱっと顔を離して言った。


「ヤニの味がする。また吸ったでしょ」


 圭介は間近に鏡花の顔を見た。例えるなら子豚だ。悪い意味ではない。鼻がちょっと上に向いていて、幼げな顔付きである。世間一般で言う美貌から離れているが、保護欲を掻き立てる愛くるしさがある。

 可愛らしくて仕方が無いから、圭介は鏡花の頬を撫でた。


「ごめん。我慢出来なくて。でも、嫌いじゃないだろう?」


「バカ」


「ふふ。ここで良い?」


「近くない? 誰か来たら……」


「興奮する?」


 もう、と怒ったふりをしながら、鏡花は圭介に強く抱き付いた。

 鏡花の背中を、圭介はぽんぽんと軽く叩いた。あまり触れ合っていては駄目だ。証拠が残ってしまう。


 圭介が持ち込んだ鞄から、薄手のタオルケットを取り出した。拡げると、人一人が横になるのに十分なサイズのものだ。それを土の上に敷く。二人には全く自然な準備だ。

 いつもこの上で愛し合っていた。

 圭介が支度を終えると、鏡花はすぐにごろりと体を横たえた。鏡花の上に圭介は馬乗りになった。いつもなら、この後圭介の手が鏡花の服の下へ滑り込んでいくが、今回はそうならず、圭介はふふと笑った。


「何?」


「いや、ちょっとね」


 そう言って、圭介はタオルケットの端を抓み、鏡花の上半身を包んだ。


「ええ? 何これ」


 圭介は答えなかった。目隠しであるとか、いつもと違う趣向だとか、いくらでも嘘は思い付いた。だが何も言えなかったのだ。

 これから君を殺す。口を開けば、そう言う他に無かった。


 左手でタオルケットの合わせ目を強く掴み、右腕を鏡花の喉に押し当てる。

 そして、右腕に体重を掛けていった。

 気道を圧迫された鏡花はすぐ苦しみだした。腕を振り上げようとするが、タオルに拘束されている。脚は自由に動いたが、圭介の背中を蹴ろうとも、地面を踏み上げようとも、抵抗は適わない。


 いずれ、鏡花は動かなくなった。


 自転車を走らせる圭介の胸を、晩秋の風が吹き抜けていった。

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