〇五「勝利」
「君が?」
工藤刑事は訝しげに眉をぴくりと動かし、軽く背もたれに体を預けた。
質問に対応しない解答。唐突な告白。刑事の思考には一瞬の空白が生まれたはずで、そしてそれは圭介の狙い通りでもあった。
「それは……どういう意味です?」
「僕が一昨日、彼女を呼び出したりしなければ、殺される事はなかったんです」
圭介の言葉を聞いて、工藤はずると姿勢を下げた。詰問の体勢を解いたのだ。
自責、自虐。どんな形で表現されようと、人は他人の辛苦を想像する事しか出来ない。例えどれ程優秀な心理学の専門家であっても、人の心の奥底まで露わにさせるには、じっくりと時間を掛けて幾重にも分析を重ねる必要がある。
だが人間とは同調したがるものだ。殊、思慮に長けた人間なら尚更である。
故に、この工藤という刑事は、大いなる誤解をした。圭介の冷静さの裏側を見誤った。今にも決壊しそうな感情のダムを、自己防衛のセメントで塗り固めているかの様に、勝手に思い込んだのだ。
「葦原君、細かな事情はこれから訊きますが、絶対に自分を責めちゃいけませんよ。金井鏡花さんが亡くなったのは、君の所為じゃない。悪いのは犯人です。他の誰でもない。良いですね?」
工藤はテーブルの上で手を重ねた。まるでカウンセラーが患者の話を聞き入れ、己の中で解釈する様に。
「はい」
圭介の本当の裏側を知らぬままに。
「それで……呼び出した、と言うと、一昨日、土曜の夜八時半頃の電話の事ですね?」
「そうです。九時にコンビニで落ち合おうと……」
「そのコンビニの場所は?」
鏡花の家は、学校から徒歩十五分程で通学出来る距離にある。圭介は工藤刑事に、鏡花の家から学校へ向かうのと殆ど同じ距離にあるコンビニエンスストアを教えた。圭介の家からは自転車で二十分程だ。
刑事は「成る程」と肯きながら、次なる質問を続けた。
「金井さんとは会えたんですか?」
「いえ。それが……ちょっと遅刻してしまって……」
圭介は急に言葉を濁し、母の顔をちらりと見た。
圭介を見る母の表情が途端に悲痛なものに変わり、再び手を握った。そして口をもごもごと動かし、刑事に何か言おうとする。そこを、圭介は遮った。
「急にお腹が痛くなってしまったんです。だから、到着が二十分くらい遅れて」
「その間にあちらから連絡はありましたか?」
「はい」
圭介はポケットからスマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開いて見せた。鏡花からの「着いたよ」というメッセージは、九時二分に受信されている。
「ああ、返信はしていないんですね。会えなかったのに。どうしてです?」
恐らく、通話履歴と同様に、メッセージの送受信についても既に調べが済んでいるはずだ。念には念を、確認の上に確認を、と言ったところだろう。圭介を疑った上での尋問ではあるまい。
当然、コンビニの防犯カメラも調べているだろう。もし映像が残っていたなら、コンビニへ向かったはずの金井鏡花は映っておらず、圭介は供述通り、九時二十分前後に映っている。
そこには何らトリックなど無い。単純な事だ。鏡花を絞め殺した後、後始末を付ける前に一度コンビニへ行った。たったそれだけだ。
「その時間は自転車を漕いでいたんです。気付いたのはコンビニに着いた後で」
「返信をしなかったのは、何故でしょう?」
「彼女は……一度機嫌を損ねると、なかなか直らないところがあって。僕が遅刻した上に何も連絡しなかったので、怒って帰ってしまったと思ったんです。だから、謝るにしても機会を見た方が良いかな、と」
「そうですか。ところで、お母さん」
急に矛先を向けられて、圭介の母はぴんと跳び上がった。
「は、はい?」
「圭介君が出掛けられた時は、どちらに?」
「家に、居ましたけど」
ふむ、と鼻を鳴らした刑事の目が、一瞬ぎらりと光った様に、圭介には見えた。
「圭介君はよく夜に外出をするんですか」
「ええ、まあ……」
母が曖昧な返事をしたところで、圭介は強く手を握り返した。どこまでを話すべきで、どこまでは話して欲しくないか。その意思表示がどれだけ伝わるかは、賭けだった。
「何も言わずに出て行きましたけど、その、まあ、この子ももう十八ですし、変に詮索するのも……ちゃんと確かめておけば……」
圭介の賭けは、殆どの面で「勝ち」だった。
まだ警察には、いや、他の誰にも知られたくない事がある。すぐに余計な事を口走る母が、妙に言い訳がましい説明をしなかっただけで、難所は過ぎたのだ。
実際、刑事は母の断片的な物言いで納得した様子だった。家庭事情や教育方針などは、はたから見ればブラックボックスだ。まして、圭介は今のところ参考人である。強引にこじ開けて良いものではないと判断したのだろう。
「お母さん。あなたも、自分を責めてはいけませんよ。金井鏡花さんに起こった事は事件ですが、息子さんが関わってしまったのは、言ってみれば、事故です。不幸はいつどこで起こるか解りません。お二人とも、ああしておけば、こうしておけばと考えてしまうと思いますが、避けられない出来事の方が多いものです。繰り返しになりますが、どうか、ご自分を大切になさって下さい」
「……はい。ありがとうございます」
母は項垂れる様に頭を下げた。それに合わせて、圭介も腰を折る。
「では、今回はこのくらいにしましょう」
そう言って、刑事はボイスレコーダーの停止ボタンを押した。
「また何かあれば、お伺いする事があると思います。お手数ではありますが、よろしくお願いします」
「ええ、はい。すみません」
玄関まで見送りに立った時、靴を履き終えた工藤が、思い出した様に言った。
「圭介君。何か思い当たる事もそうですが、悩みがあったら、連絡を下さい。被害者遺族支援センターというのがあって、そこを紹介出来ますから」
「はい。考えておきます」
圭介は微笑んで答えた。不意の笑みだった。
犯罪者の支援など、してはくれまい。




