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沈んだ記憶  作者: 松木類


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2/4

記憶の空白

第二話です。

よろしくお願いします

白鳥京介が死んだ。

その事実を宮下美咲は何度も頭の中で繰り返していた。

十年前。突然、学校から消えた少年。

どこへ行ったのか。なぜ消えたのか。誰も知らないまま、十年が過ぎた。

そして昨日、蝦蟇湖から遺体となって戻ってきた。

美咲は、昨日見せられた写真を思い出していた。

高校の校庭。何人もの生徒が並んでいる。その中には、十代の頃の京介がいた。

写真の裏には、2015.9.18と印字されていた。

あり得ない。そう思った。

京介が生きていたのは、2005年までだ。少なくとも、美咲が知っている限りでは。

「宮下さん」

後ろから声をかけられた。昨日の刑事だった。

「もう一度だけ、確認したいことがあります」

美咲は振り返った。

「何ですか?」

刑事はあの写真を取り出した。

「この写真を、白鳥君が持っていたことはありますか?」

「似た写真なら」

「似た写真?」

「はい」

美咲は写真から目を離さなかった。

「高校三年の頃です。京介が、古い写真を持っていました」

「いつ頃です?」

「失踪する少し前だったと思います」

「何の写真か分かりますか?」

「昔の卒業生の写真だと言っていました」

「その写真と同じものですか?」

「分かりません」

美咲は首を横に振った。

「でも、一つだけ覚えています」

「何を?」

「私が前見たときこの写真に、今より一人少なかった気がします」

刑事が眉をひそめた。

「一人?」

「はい」

「誰が?」

「分かりません」

美咲は写真を見つめた。だが、どれだけ見ても思い出せない。

妙な違和感だけが残っていた。

「白鳥さんは、その写真を見ながら何か言っていましたか?」

美咲は少し考え思い出した。

「言ってました」

「何と?」

「知ってる、って」

「誰を?」

「分かりません」

美咲は目を伏せ、十年前の教室を思い出した。

2005年。高校三年の春。

窓から差し込む午後の日差し。黒板に書かれた日直の名前。机の上に置かれた教科書。

その一番後ろの席で、京介は本を読んでいた。

「白鳥」

美咲が声をかける。

「ん?」

「また本読んでるの?」

「ああ」

「何回目?」

「三回目」

「同じ本を?」

「うん。内容は覚えるくらいにはね」

「じゃあ読む意味ないじゃん」

美咲が笑うと、京介も少し笑った。

京介は、普通の高校生だった。成績は中くらい。運動も普通。特別に目立つわけでもない。クラスの中心にいるわけでもなければ、誰とも話さないわけでもない。

どこにでもいるような高校生だった。ただ、一つだけ変わったところがあった。

記憶力。

「白鳥、去年の文化祭のときさ」

友人の佐伯が言った。

「俺が何言ったか覚えてる?」

「覚えてるよ」

「何だっけ?」

「中庭で、彼女と別れるって言ってた」

「マジか?」

「九月二十三日。午後四時くらい」

佐伯が目を丸くする。

「なんでそこまで覚えてんだよ」

「言ってたから」

「普通覚えてないだろ」

京介は笑った。

「俺、昔のことは結構覚えてるんだよ」

美咲は、その時のことを何となく覚えていた。京介は、本当にいろいろなことを覚えていた。

先生が数年前に言ったこと。友人が一度だけ話した昔話。誰がどこに座っていたか。

何年も前の、くだらない会話。本人にとっては、特別なことではなかった。

けれど、その頃から、少しずつおかしくなっていった。


ある日の放課後。

美咲が教室に戻ると、京介がいなかった。

机にもいない。窓際にもいない。

代わりに、廊下の先にある資料室の扉が開いていた。

「京介?」

中から返事があった。

「ここ」

美咲が入ると、京介は古いアルバムを机の上に広げていた。

「何してるの?」

「昔の写真を探してる」

「何で?」

「分からない」

「分からないのに探してるの?」

「ああ」

京介は一枚の写真を取り出した。

古い卒業写真だった。

制服の生徒たちが、校舎の前に並んでいる。

写真の端に、一人の男子生徒が写っていた。他の生徒とは少し離れている。

笑っていない。ただ、こちらを見ている。

「この人」

京介が言った。

「誰?」

「知らない」

「じゃあ、何で見てるの?」

「……知ってる気がする」

美咲は写真を覗き込んだ。

「会ったことあるの?」

「ないと思う」

「思う?」

京介は答えなかった。写真をじっと見ている。やがて、小さく呟いた。

「変なんだ」

「何が?」

「俺、昔のことは結構覚えてるだろ」

「うん」

「でも」

京介の指が写真の上で止まった。

「何も思い出せないんだ。2003年の時のことだけ。」

美咲は首を傾げた。

「2003年って中学に入る前?」

「そう」

「何かあったの?」

「分からない」

京介は写真を裏返した。裏には古い日付が書かれていた。

2003.8.17

「この日」

京介が言った。

「俺、蝦蟇湖にいたらしい」

「蝦蟇湖?」

「ああ」

「誰と?」

「分からない」

「何してたの?」

「分からない」

京介は苦笑した。けれど、その顔には笑っているような余裕はなかった。

「俺さ」

「うん」

「忘れてるんだと思う」

「何を?」

「一番大事なこと」

美咲は何も言えなかった。京介は写真をアルバムに戻した。

「ちょっと調べてみる」

「何を?」

「2003年のこと」

「どうやって?」

「学校に記録が残ってるかもしれない」

翌日。

京介は資料室から古い学校記録を持ち出してきた。

2003年8月。

そこには、奇妙な記録が残されていた。蝦蟇湖の湖畔で、学生鞄が発見された。

中には、生徒手帳。カセットテープ。写真。そして、名前の書かれていない紙が一枚。

京介はその記録を何度も読んだ。

「これ…」

美咲が覗き込む。

「何?」

「この事件、俺知らない」

「そりゃ、昔のことだからじゃない?」

「違う」

京介は首を振った。

「俺、この頃のことなら覚えてる」

「じゃあ何で?」

「だから変なんだ」

京介は記録の最後の一行を指差した。

そこには、発見物については、関係者への聞き取り後、記録を破棄する。

と書かれていた。

「何で破棄するの?」

「分からない」

京介は立ち上がった。その日の放課後。

京介がもう一度資料室へ行くと、昨日まであった記録が消えていた。

「ない」

何度探しても見つからない。棚にも別のファイルにもない。

京介は職員室へ向かった。

「先生」

担任に聞く。

「2003年の蝦蟇湖の記録って、どこにありますか?」

「そんな記録はない」

「昨日ありました」

「何を言ってるんだ?」

「ここにありました」

京介は資料室を指差した。

教師はしばらく京介を見つめた。

そして、静かに言った。

「白鳥。昔のことを調べるのは、もうやめなさい」

「どうしてですか?」

「必要ないからだ」

「誰にとって?」

教師は答えなかった。

その日の夜。

京介は自宅の机に座っていた。

目の前には、一冊のノート。

表紙には、2003年とだけ書かれている。ページをめくる。

そこには、京介自身の字で、いくつもの言葉が書かれていた。

蝦蟇湖。古い写真。あの人。

そして、一番下に。「もし俺が忘れても、これだけは残す」と書かれていた。

京介は、その文字をしばらく見つめていた。

自分で書いたはずなのに、書いた記憶がない。

そのときだった。

机の引き出しの奥から、何かが落ちた。

小さなカセットテープ。ラベルには、日付だけが書かれている。

2003.8.17

京介はテープを手に取った。しばらく迷ったあと、古いラジカセに入れる。

再生ボタンを押した。

ザーッ。

最初に聞こえたのは、風の音だった。蝉の声、水の音。遠くで鳥が鳴いている。

そして、幼い少年の声が聞こえた。

『ここ、どこ?』

京介は息を止めた。

自分の声だった。まだ幼い頃の自分。続いて、別の男の声が聞こえる。

『覚えてないのか?』

幼い京介が答える。

『何を?』

男は少し黙った。そして、低い声で言った。

『お前が見たものを』

そこで、テープは終わった。京介は動かなかった。

ラジカセから、カチッという音だけが響く。

やがて京介は、ゆっくりと立ち上がった。

窓の外を見る。暗い夜。

その向こうに、蝦蟇湖がある。

京介はまだ知らなかった。

このテープが、自分の人生を変えることを。

そして、二年後。

自分自身が、この湖から消えることを。

蝦蟇湖。

そこには、十年以上前から消えたままの記憶があった。

そして、その記憶は、京介が忘れてしまった「一番大事なこと」と、繋がっていた。


誤字脱字、感想あればげに

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