第九話 悔恨 (かいご)
野菜の栽培は成功を収めた。質のいい野菜がそれなりの収入を蟹組にもたらしたのだ。
猿組から来た若い衆の才能が開花したというのもあるが、赤蟹組長が「野菜」は自然由来でオーガニックだから体に良いと大いに気に入り、設備投資に糸目をつけなかったからだ。ただし野菜も「違法薬物」であることに変わりはないし、タールに発がん性物質を含んでいる。
余談だが、「野菜」に依存性は無いと主張する人がいる。彼らは精神依存と肉体依存を意図的あるいは誤解して取り違えている。たしかに身体依存はない。だがその理屈で言えばケミカル系薬物も身体依存はなく精神依存だけである。野菜の精神依存は明確に存在する。
そもそもの話、健康被害以前に違法なのだ。赤信号で交差点に進入しても人がいないなら大丈夫、そう言って信号を守らず車の運転する人を社会は容認するだろうか? しない。当然だ。
とはいえ、ケミカル系の薬物より、脳の破壊がマシなのも事実である。
やがて蟹組の財政は回復し、組織の崩壊は免れた。勢力は衰えたが、組としての存在感は今だ健在。浦島が逮捕されたことに責任を感じ、ふさぎ込んでいた赤蟹の妻も回復の兆しを見せた。
そんなある日、赤蟹組長は猿組の狸組長より食事の誘いを受ける。狸の自宅で鍋でもつつき、本家を同じくする兄弟組織として交流を深めたいと申し出てきたのだ。赤蟹はかつて猿組だった若い衆を連れ、狸組長の自宅へ向かった。
◇◇◇
猿組の構成員がずらりと立ち並ぶ和室、座卓 (和式のテーブル) を挟んで赤蟹と狸が向かい合う。若い衆は赤蟹の右隣に座る。あえて入り口側に座る狸組長は、笑顔で自ら鍋を用意した。どうやら典型的な鍋奉行らしい。次々と食材を放り込み、しきりに赤蟹へ食べるよう勧めた。
「いやいや狸はん、わしばっかり悪いがな、アンタも食べえな」
「いや、私は胃を悪くしてまして、後で少し頂きますんで」
「さよか、おい、猿組の若いの、お前らも一口どないや」
無表情で立ち並ぶ猿組の組員たちは、丁重に断った。どうやら噂通り、狸組長は組織内での躾が相当厳しいらしい。
「ところで、この鍋、ええ肉でんな、豚でっか? 鶏でっか?」
狸組長はニッコリ笑って、ポンポンと手を鳴らす。控えていた猿組組員が、盆にのせた食材を赤蟹に見せた。スナック「すずめ」のママ、赤蟹の妻、その首を。
どういうことや。
どういうことや。
どういうことや。
どういうことや。
ど いうことや。
どういうこ や。
どういうこと 。
どうい ことや。
どう うこ や。
ど
う
い
う
こ
と
や
赤蟹は動揺した。
その様子を見て狸は笑った。
「ははは、どうだ、てめえのババア汁の味は」
赤蟹の首に紐がかけられ、猿組の組員が締めあげる。
その様子を見て狸は笑った。
「てめえの組が野菜で盛り返さなきゃ、こんなことせずに済んだのによ」
元猿組だった若い衆の首にも紐がかけられ、同じように絞められていく。
その様子を見て狸は笑った。
「おいガキ、てめえも猿組じゃ無能だったくせに余計な事しやがって」
その様子を見て狸は笑った。
その様子を見て狸は笑った。
その様子をて狸は見笑った。。
「暴れんなよよ、てめえらの血血で俺の家汚すなすなすよ」
狸は狸は笑った笑っった。
狸は笑っ狸は狸は狸っ狸。。。
狸は笑っ笑っ。笑っ笑っ。。笑っ。。。
あは、あひははは、あはあは、あひあは、はひああひあ
……ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう
赤蟹組長と若い衆、二人は同じことを考えている……
……ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう
ヤクザになんて、なるんじゃなかった……
薬物なんて、関わるんじゃなかった……
……ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう
死にたく………ない………………………
……許し……………て…………
……………………誰か……
………助け………………
…苦…………………
…………………
…お…願……
………
い…
…
狸は、笑った。
◇◇◇
栗の携帯に着信があった。相手は猿組から来た若い衆だ。応答するも、返事がない。とはいえ話し声はする、どうやら赤蟹と狸の、会食の場での会話らしい。
無言の通話を切ろうとも思ったのだが、若い衆は繊細で機転の利く男、ヤクザには不向きだが頭は切れる。何か意味があるかもしれないと、栗は音声を聞き続けた。
初めは和やかな会食、やがて狸組長の高笑い、そしてどこかに引きずられるような音……
栗は、赤蟹や若い衆の呻き声が聞こえても、あえて声を出さなかった。出したところで、間に合わないのは分かっていたからだ。むしろ猿組と狸の所業が、自分たちに漏れていると知られてしまう。それより最後まで聞き遂げて、その意思を継ごうと考えた。
若頭が出所する、その日まで。




