『お背中拭いてあげましょうね~』
夕方、蒼太は学校から帰ってきた。
『おかえりなさい、蒼太さん』
「ただいま。ましろの具合はどう?」
『先ほどから眠っています。熱は少し下がりましたが、まだ本調子ではありませんね』
「そっか……」
ひとまず悪化していないことにほっと一息。
帰りに買ってきたコンビニ袋を揺らしながら、なるべく足音を立てないように階段を上がる。
ましろの部屋の前で一度立ち止まり、そっと様子を伺いつつ中に入る。
ベッドを見ると、ましろは布団にくるまって眠っていた。
頬はまだ少し赤い。けれど朝より呼吸は落ち着いているように見える。
そうして覗き込んでいたときだ、ましろのまぶたがぴくりと動いた。
「……ん……」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「……んぅ……そーた?」
ましろはぼんやりこちらを見上げる。
寝起きで意識がはっきりしていないのか、いつもより声がふにゃっとしていた。
「ただいま。具合どう?」
「……かえってくるの、おそい」
「ご、ごめん。いろいろ買ってたらちょっと遅くなっちゃって」
「……ふん」
ましろは少しだけ拗ねたように鼻を鳴らす。そして今度は蒼太が持っているコンビニ袋の方に目をやった。
「なに買ってきたの?」
「えっとね、リクエストしてたプリンでしょ。ゼリー飲料でしょ。スポーツドリンクにのど飴と……あと冷却シートとかそういうのいろいろ」
蒼太は買ってきたものを枕元の小さなテーブルに並べていく。
ましろはそれを見て、呆れたように目を細めた。
「……買いすぎ。ホントに過保護ねあんた」
「ご、ごめん」
「……別に、怒ってはいないけど」
ましろはそう言って、少しだけ口元を緩めた。
朝よりは少し元気そう。そんな姿を見て蒼太もホッと胸をなで下ろす。
だが布団から体を起こすと、ましろはどこか不安そうに視線を泳がせ始めた。
「ましろ? どうかした?」
「あー……その……今、私、すっごい汗かいてるんだけど……汗臭くない?」
「え」
蒼太は一瞬、言葉に詰まった。
正直に言えば、部屋に入った時に……なんだかいつもより良い匂いがするなと思ってしまったのだ。
だがそんなこと当然、本人に言える訳がない。
しかし蒼太が口をモゴモゴしていると、それを悪い方にとったのかましろが顔をしかめた。
「やっぱり汗臭いんだ……」
「ち、ちが! 本当に全然汗臭いとかはないから!」
「……そうやって必死になられる方がむしろ傷つくんだけど」
「だ、だからホントに汗臭いとかじゃなくて、えっと、そのぉ……」
『ほらほら、蒼太さんここは素直になっておきましょう? 部屋に入った瞬間良い匂いって感じたと正直に告白しちゃいましょう?』
「ちょっとアイ!?」
アイの爆弾発言に蒼太がおそるおそるましろに目をやると、ましろはただでさえ赤かった顔をますます赤くしてジト目で蒼太を睨んでいた。
「良い匂いってなによ、ヘンタイ」
「ご、ごめんなさい……」
「そこで謝るってことは本当に良い匂いって思ったんだ……」
「……あうぅ」
蒼太の方も、ましろに負けないぐらい顔を赤くしてしまう。
……帰ってきて早速の賑やかな会話に、ましろはほんのり頬を緩める。
「ふふ……、こほっこほっ」
「ま、ましろ大丈夫?」
「だいじょうぶ……いちいち騒がないの……こほっ」
『むむ……ちょっと汗で体が冷えてきたみたいですね。着替えるのを推奨します』
「ん……そうね。下着まで汗でぐっしょりだし……」
「じゃ、じゃあ僕部屋の外に出てるね」
そうして蒼太が部屋を出ようとしたその時だ。
アイが蒼太に待ったをかける。
『ちょーっとお待ちくださいね蒼太さん。場合によっては蒼太さんの手を借りることになるかもしれませんので』
「え、どういうこと?」
「ましろさん、着替えるのはもちろんですが、一緒に体も拭くべきかと思うのですがいかがでしょうか?」
「……うん、そうね。だいぶ気持ち悪いし……」
『ですよね! ではここでミッション発令です!』
「「え」」
なんとなく流れを察して顔を引きつらせる蒼太とましろ。
それに対してアイはあっけらかんとミッションを告げる。
『本日のミッションは『風邪引きましろさんの体を拭いてあげよう!』ということで! 全身なら+150ポイント。背中だけなら+50ポイント。いかがですかお二人とも?』
「ちょ、ちょっとアイ! 流石にこんな時にミッションは……」
『もちろんやるかどうかはお二人の自由です。ただこういうのは頼みにくいものですし、ならば私が背中を押してあげようかと……』
「頼むってそんな……」
ましろがそんなこと頼むわけない。
……そう思っていたのだけど、ましろは何故だか口をモゴモゴさせていた。
「……全身は、流石にやだ」
「へ? え、えっと……それって……」
「背中だけ……手伝って」
「ぼ、僕が?」
「他に誰がいるのよ」
「そ、それはそうだけど……ほ、本当にいいの?」
「……動くのめんどいの。汗で気持ち悪いの。やって」
恥ずかしいのを誤魔化すためか。ぶっきらぼうにそう言ってましろは布団を頭まで被ってしまった。
思わずアイの方を見るが、アイはにっこり笑顔を浮かべていた。ちょっとひっぱたたきたくなった。
何はともあれ、当の病人であるましろにそう言われたら蒼太も応えない訳にはいかない。
こうして蒼太はましろの背中を拭くことになったのだった。
部屋を暖かくして、お湯を入れた洗面器やタオルを準備して戻ってくる。
「え、えっと、ましろ……必要なの持ってきたよ」
「ん……」
「え……と……じゃあ、体……拭くわけだけど……ど、どうしよっか……?」
おずおずと蒼太が聞くと、ましろも少し恥ずかしそうに顔を伏せる。
「……服、脱ぐから向こう向いてて」
「う、うん」
蒼太はましろに背中を向ける。
自分はいったい、どういう因果で好きな女の子の背中を拭くことになったのだろうか?
もしかして夢? 一瞬そんなことを疑って一応ほっぺたをつねってみるがちゃんと痛い。
後ろでは衣擦れの音。その音から、今はどの辺まで脱いだのか想像しそうになって蒼太は慌てて頭を振った。
「……いいわよ」
しばらくしてかけられた言葉に振り返る。
「……っ」
心の準備はしていたはずなのに、その光景はなかなかに衝撃的だった。
……ましろは背中を全部露わにして、脱いだ服で前を隠しているような格好だった。
白い背中、華奢な肩に滑らかな腰のライン。
蒼太はつい、ゴクリと生唾を呑んでしまう。
だがすぐに正気に戻って、心の中で自分を引っぱたいた
(これは看病。これは看病。これは看病……!)
心の中で何度も唱える。
ましろは具合が悪いのだ。汗で気持ち悪くて、背中を拭いてほしいと自分を信頼して頼んできたのだ。
ここで変に意識するなんて最低だ。自分にそう言い聞かせるのだけど……。
(ましろの背中……きれいだな……)
ついそんなことを思ってしまう。今まで同棲してる中で、何度かましろの肌を見てしまったことはあったけど、ここまでじっくり見れてしまう機会は初めてだ。
「……なんか視線を感じるんだけど」
「ごめんなさい!?」
「謝るってことはホントに見てたんだ……。ケダモノ」
ぶすっとした口調でましろは言う。けれどその口調は本気で非難しているというよりは、どこか恥ずかしいのを誤魔化すような口調で、そのことにも蒼太はドキリとしてしまった。
「い、いやほんとにごめんなさい! えっと、あのその、め、目隠しとかする?」
「目隠ししてどうやって拭くのよ。いいからさっさとやって」
「は、はいぃ」
蒼太はバタバタと準備に取りかかる。
タオルをお湯に浸し、固く絞る。一度深呼吸して、ましろの後ろに座る。
「つ、冷たかったり熱かったりしたら言ってね」
「ん」
蒼太はできるだけ余計なことを考えないようにしつつ、タオルをましろの背中にそっと当てた。
「……大丈夫そう?」
「うん……きもちいい」
ましろの言葉にホッとして、蒼太はタオルを動かし始める。
ましろの方も最初は緊張した感じだったけど、徐々に肩から力が抜けていった。
ゆっくり、丁寧に拭いていく。
ましろの肌は白くて、きめ細かい。
普段は強気で、あれこれ振り回されることも多いのだけど今はすごく繊細に感じるというか、乱暴に扱ったら壊れてしまうんじゃないかと心配になる。
(当たり前なんだけど……やっぱりましろって、女の子なんだな……)
男子のものとは明らかに違う肌のきめ細かさと柔らかさ。それがタオル越しでもどうしても伝わってきてしまう。
もちろん蒼太はこんな経験は初めてだし、しかも相手は好きな女の子。
その好きな女の子が、こうして体を拭くのを受け入れてくれている。
それは何だか……上手く言語化できないのだけど胸がぎゅーっとなってとても苦しい。
けれどましろは自分を信頼してくれているからこうして無防備な姿をさらしてくれているのだ。
その信頼だけは絶対裏切らないように、変なことを考えてしまわないように気をつける。
そうやって心臓をバクバクさせつつも、どうにか背中を拭ききった。
「お、終わったよ」
「……ん。じゃあ前拭くから出てって」
「う、うん」
蒼太はほとんど逃げるように部屋を出て行った。
扉を閉めて、ずるずるその場にしゃがみ込む。
「…………」
心臓がうるさい。
好きな女の子が、こんなにも無防備に自分を信じてくれている。
それは嬉しい、すごく嬉しいのだけど……何故だかとても苦しく感じてしまうのだ。
蒼太は少し考えて……そして自分が何を求めているのかに気付いて顔を引きつらせる。
……ましろを自分のものにしたい、そう思ってしまっている。
最初の時はあんなだったのに、今ではすっかり信頼してくれているのを感じる。
こうやって無防備なところも見せてくれるし、少なくとも友達としてはすごく好かれてると思う。それはすごく嬉しい。
だけど人間は欲深いものというか……そういう状況が続くと『もう一歩前に進みたい』なんて思ってしまうものなのだ。
……ましろを恋人にしたい。自分の彼女になってほしい。
恋人としてましろと触れあいたい。友達としてじゃなく、ましろにもそういう風に想われたい。
そんな欲が、ふつふつと湧き上がってしまっている。
「……しっかりしろ、僕」
小さく自分に言い聞かせる。
ましろがここまで自分を信頼してくれているのは、きっとこれまでそういう部分を出さなかったからこそだ。
今はましろも社会復帰の途中。ここで今の関係を壊しちゃいけない。
そう自分に言い聞かせていた時だ。部屋からましろの声がした。
「そうた、着替え終わったから入っていいわよ……」
「う、うん」
蒼太が部屋に戻ると、ましろは新しいパジャマに着替えて、再び布団にくるまっていた。
「すっきりした?」
「ん……まあね。汗でびしょびしょだったし」
そう言うと、ましろはちょっぴり気恥ずかしそうに口をモゴモゴさせる。
「……あとそれ、洗濯機入れといて」
ましろが顎でしゃくった先には、先ほど脱いだらしいパジャマが床に丸められていた。
「え? あ、うん……」
「……変なことに使ったら殺すからね」
「変なことってなに!?」
「知らないわよヘンタイ」
ましろは気恥ずかしそうにそう言うと再び布団に潜ってしまった。
とはいえ、体を拭いたり着替えたりで体力を消耗したのだろう。蒼太はため息をつきつつ丸められたパジャマを拾い上げる。
……パジャマは、しっとりと湿っていた。
(……いやなんでちょっとドキッてしたの僕!?)
好きな女の子の汗で濡れたパジャマ。
これでドキドキしてしまうのは流石にいかがなものか。蒼太はぶんぶん頭を振る。
とにかくさっさとこれを洗濯機に入れてしまおう。そう思ってパジャマを小脇に抱え直したその時だ。
ポロリと、蒼太の足元に何かが落ちた。
……下着だった。白いレース付き。状況的に、さっき脱いだばかりのやつ。
(~~~~っっっ!)
――自分も気をつけるから、ましろももうちょっと気をつけてほしい。
初めてましろに対して理不尽に怒りそうになった蒼太なのであった。




