『そういう信頼感いいですね!』
職員室の前で、ましろはゆっくり深呼吸していた。
(……なんで私、こんなことしてるのよ)
心の中で文句を言う。
言うのだけど、教室での出来事を思い出すと帰る気にはなれなかった。
『ま、高校の文化祭なんだしこんなもんでいいんじゃない?』
思い出しただけでビキリと眉間に血管が浮かぶ。
他のことならいい。
他のことでなら侮られても馬鹿にされてもいい。そもそも自分は元々引きこもってたぐらいだし、そんなに自分に自信があるタイプじゃない。
でも、絵に関することだけは別。これだけは譲れない
ましろは意を決して、職員室の引き戸を開けた。
「し、失礼します」
中には数人の教師がいて、それぞれ書類を見たりパソコンを触ったりしている。
その中に、ましろは目当ての人物……美術部の顧問の先生を見つけた。
「あ、あの、今お時間いいですかっ?」
軽く声を裏返しながらも声をかける。するとその初老の先生はいぶかしげに眉根を寄せた。
「あ~、雪代……だったか。どうした?」
「……わ、私に……絵の描き方、教えてくださいっ」
そう言って、ましろは深々と頭を下げた。
†
「ましろちゃん、大丈夫かな……ねえねえ鳴上くん、やっぱり探しに行った方がよくない?」
教室では千尋が心配そうに廊下の方を見ていた。
一方の蒼太は、少なくとも今日はもうましろは戻ってこないだろうと、画材などを片付けていた。
「それじゃあ一度様子見に行く? どっちにしろ画材返さないとだし」
「え? ……う、うん。でも様子見に行くって……鳴上くん、ましろちゃんがどこ行ったか知ってるの?」
「たぶん美術室にいるんじゃないかな」
そう言って歩き始めた蒼太に、千尋は半信半疑でついてくる。
「あ、できれば様子見に来たのバレないようにしてね。ましろ、たぶん頑張ってる所とかみられるの嫌がるから」
「う、うん」
そう言って声を潜め美術室の方へ。
『しーっ』と人差し指を唇に当てて、声を潜めつつこっそりと中を覗き込む。
「……いた」
「ほんと?」
千尋も横から覗き込んで、目を丸くする。
美術室の中で、ましろは美術の先生に見てもらいながら絵を描いていた。
顧問らしい先生が横で何か助言していて、ましろは真剣な顔で頷きながらメモまで取っている。
その顔は真剣そのもの。見ているだけで頑張ってるのが伝わってくる。
「わわ、ましろちゃんめっちゃ頑張ってるじゃん……!」
千尋が小声で驚くが、蒼太は何も言わずにただ笑顔を浮かべてその様子を見ていた。
しばらくして、二人はその場を後にする。
「どうしてましろちゃんが美術室にいるってわかったの?」
千尋の言葉に、蒼太は笑って答える。
「ましろは、絵のことだけは絶対に適当にしないから。で、練習するならやっぱり美術室だろうなって」
「……ずいぶんましろちゃんのことわかってるんだね?」
「ま、まあね」
「……二人ってホントに付き合ってないの?」
「っ!?」
唐突な千尋の質問に、蒼太は思わずビクッとしてしまった。
「な、なんでそんなこと……」
「いやだって二人とも明らかにめちゃくちゃ仲良しじゃん。なんかもう心と心が通じ合ってます~って感じだし」
「そ、そうかな?」
「あ、ちょっと照れてる。ねえねえ実際どうなの? 他のみんなには秘密にしてあげるから白状しなよ~うりうり」
「だ、だから違うから! ホントに僕たちは親戚みたいなもので……」
――仮婚に関しては、今でも様々な意見がある微妙な話題だ。
少なくともましろに相談もせずに友達に言うのは避けた方がいいだろう。蒼太はそう判断して誤魔化した。
「二人は恋人じゃないの? ホントにホント?」
「だ、だから違うから。僕たちはそういうのじゃなくて」
「へー、そうなんだ……」
そう言って、千尋は少しだけ口元を緩める。
「……そっかそっか」
「ん? どうかしたの?」
「ううん、何でもないよ。それじゃ鳴上くん、戻って他のみんなの作業手伝ってよ」
「う、うん」
そうして、二人は教室へと戻っていく。
それから何日かが経過した。
文化祭の準備は着々と進んでいた。
机の配置や接客のローテーション、飾りつけ用の小物、当日の軽食メニュー。
クラスのみんなはそれぞれ役割をこなしていく。
ただその中で、看板だけはまったく進んでいなかった。
初日に一度描いて以来、ましろは放課後になるとそそくさとどこかに行ってしまう。
『ホントに大丈夫なのか?』『ちゃんとやってよ』などの意見も出ていたが、そこは蒼太と千尋が『今練習中だから!』と頑張ってなだめた。
だがそれでも、準備期間は徐々に短くなっていく。
「そろそろ、ほんとに看板どうする?」
「締切的にやばくない?」
「雪代さん、あれから来てないよね……」
「別の人がシンプルに文字だけ書く感じでもいいんじゃない?」
そんな声も目立ち始めたある日の放課後。
みんながいつものように文化祭の準備をしているときに、教室の後ろの戸がそろりと開いた。
……音を立てないように慎重に開けていたのだが、立て付けが悪いのか途中で引き戸が引っかかり思いっきりガタンと音が鳴った。
たちまちクラスのみんなの視線がそちらに集まる。
「あぅ……」
そこにはましろが扉に隠れるように立っていた。みんなの視線……どちらかと言うと非難とか不安の要素多めな視線に、怯んだように身体を小さくする。
だがそこに、蒼太は笑顔で出迎えに行った。
「おかえりましろ。もう上手くできそう?」
「あ、う、うん……大丈夫……と、思う」
「じゃあ準備するね。ちょっと待ってて」
そうして蒼太は詳しくは聞かず、てきぱきと準備を始めた。
かくして準備が整い、ましろは看板用の大きな板の前に立っていた。
クラスの他のみんなも手を止め、今では教室の後ろで作業をするましろに注目している。
ましろはというと胸に手を当てて深呼吸。覚悟を決めたように板を睨み付け、鉛筆を持った手を伸ばす。
シャッ、シャッ、シャッ、と線が引かれていく。その手つきには初日のようなたどたどしさなど微塵もない。
一分と経たないうちに、早くも教室はざわつき始めた。
「おお……!?」
「いやなんか……すでにめちゃくちゃ上手くない?」
「というかこれプロじゃね?」
「絵を描いてるって言ってたけどこのレベルなの?」
あっという間に下書きを終わらせ、次に絵筆を手に取る。
こちらは流石に、鉛筆での下書きと比べるとやや手つきが拙い。
けれど最初にやった時と比べて明らかに上達しているし、そもそも下書きの時点で色をつけやすいようにシンプルなデザインにしていたようだ。
普段ましろが描くイラストよりもポップで可愛らしいメイドさんが描きあげられていく。
そうしてしばらくして――
「……できた」
ましろが小さく呟いて手を止めた。
文句のつけようもない……それこそ『プロに頼みました』なんて言っても誰も疑わないだろう出来映えだ。
「蒼太、こんな感じで……」
そう言ってましろが振り向いた瞬間、クラス中から歓声や拍手が起きた。
「おおー、すげぇ」
「ましろちゃんすごーい。こんなに絵、上手だったんだ」
そんな賞賛に目をパチクリさせるましろ。
何秒か固まったあと、ようやく自分がみんなに褒められてることに気付いたのか、途端に目を泳がせて髪を弄り始めた。
そんなましろに苦笑いしつつ、蒼太も声をかける。
「お疲れさま。いい感じにできたね」
「あ、う、うん。えと、絵の具、完全に乾くまでは誰も触らないようにしてね……」
そう言うとましろは、蒼太の制服の袖をちょんと摘まんで教室の隅へと移動する。
先ほどできあがったばかりの看板の前にはクラスのみんなが集まっていた。
多くの生徒が「すげー!」とか「これは文化祭のトップ売り上げもらったわね」などと賞賛の声を上げている。
そんな光景を、ましろは教室の隅からどこか不思議そうな目で見ていた。
「ましろ、どうかしたの?」
「いや、その……なんかこうやって自分の絵が褒められてるの、不思議な感じだなって……」
「ましろって元々ネットだと結構な人気イラストレーターじゃなかったっけ?」
「それはそうなんだけど……こうやって生で大勢の人に見られるの、初めてだし……今回けっこう頑張ったから……褒められるの、うれしい……」
髪を弄りながら目を伏せ、もごもご照れくさそうにそんなことを言うましろ。
その姿があまりにも可愛らしくて、蒼太も柔らかく目を細めていた……その時だ。
「このメイド服どっかで見たことあるような……そうだ、この前妹が見ていた『プニュキュア』の衣装そっくり」
女子の一人がそう口にした途端、ましろの顔が強張った。
「……なに? プニュキュア?」
「うん。ほら日曜日の朝にやってる女児向けアニメって感じのやつ。妹が小学生なんでよく一緒に見てあげてるの」
「あー、なんかCMで見たことあるかも」
そんな会話を聞いているうちに、ましろは顔面蒼白になってしまった。
……実際、ましろはプニュキュアを見ている。最初は『衣装の参考にしたいだけだから』と言っていたがあっという間にどハマりして、ここ最近SNSにプニュキュアヒロイン達のイラストを上げまくっていることまで蒼太は知っている。
そんなだから、今回の看板でもつい手癖で似たようなデザインで描いてしまったのだろう。
だがましろは以前、そういったイラストを描いているのがバレてクラスメイトにいじめられ不登校になったのだ。
「へ~、ましろちゃんってそういうの見るタイプなんだ」
「こんな看板に描くぐらいだから実は大ファンだったりして」
「もしかしてプニュキュアのグッズとかも集めてたり?」
そんなクラスメイト達の言葉に「ち、ちが……それは、あの……」と泣きそうな顔で声を上げようとするましろ。
だがその直後。
「「「かわいい~~~~!」」」
「……ふぇ?」
まったく予想外の反応に、ましろは目をパチクリさせていた。
一方の蒼太は、ましろのそんな反応に苦笑いを浮かべている。
「あ、あれ? 日朝アニメの衣装とか描いてたのに、みんな引かないの?」
「あのね、ましろ。……例えば、クラスの中でも内気で可愛い小動物みたいな女の子で、みんなにマスコットみたいに可愛がられて恥ずかしがってるような子が、プニュキュアとかそういうアニメが好きって聞いたら、ましろはどう思う?」
「え? そりゃあ……かわいいなって思うけど」
「ましろの今のクラスのみんなの認識、そういう感じだからね?」
「え」
ましろは何か反論したそうに口をモゴモゴさせていたが、普段からクラスの女子達に『ましろちゃんかわいい!』『お菓子あげるね~』などとされてることを思い出して黙ってしまった。
「ねえねえ雪代さん! こういうの描けるなら黒板アートとかもできたりする?」
「え? あ~……まあアナログ描きのコツは掴めたから、できなくはないと思うけど」
「ホント? じゃあお願い!」
「ましろちゃん良かったらメイド服のデザイン見てくれない? なんかちょっと物足りないから意見ほしいなって」
「せっかくだから可愛いイラストいっぱい飾るのとかどう?」
そうやってましろがクラスの中心に引っ張られていくのを、蒼太は微笑ましそうに見つめていたのだった。
何はともあれ、これで看板作りという自分たちの役目は完了。後は他の人達を手伝いつつ、文化祭を楽しむだけ……。
そう思っていたのだが、むしろここからが大変なのを蒼太はまだ知らなかった。




