22話『蒼太さん満点! 満点です!』
仮婚制度には、いくつかの区切りが設けられている。
そのひとつが二カ月に一度行われる定例会だ。
定例会の目的は単純。仮婚生活が破綻していないか。精神的・生活的な問題が起きていないか。
そして何より、当事者双方がこの関係を「続けたい」と思っているかどうか。
そういった問題点や意思確認を双方の両親を交えて行うのが目的で、ここで拒否すれば仮婚生活を終わらせることもできる。
『まあ、そうは言ってもご両親を安心させるための報告会みたいなものですから、お二人は楽になさっててくださいね』
アイはそう言っていたもののやはり緊張してしまう。特に久しぶりに両親と顔を合わせたましろは表情をかなり固くしていた。
初めて顔合わせした時と同じ料亭、同じ席順。
大きなテーブルを挟んで両家の両親が向かい合い、端に蒼太とましろがなんとなく居心地悪そうに座っている。
二ヶ月に一度の定例会はそうして始まった。
『それではただ今より、鳴上蒼太さん、雪代ましろさんの仮婚生活について、定例会を始めさせていただきます』
テーブルに置かれたパソコンにはアイの姿が表示され、淡々と司会進行を進める。
報告の内容は主に仮婚生活の経過報告。生活態度やお互いが仲良くできてるか、大きなストレスがないかなど。それに加えてましろは学校への復帰状況や学校での様子なども。
普段はけっこう軽いアイだが、流石に今回は真面目モード。
まるで敏腕秘書のようなたたずまいで報告を行っていく。その報告を両家の両親は興味深そうに聞いていた。
特にましろの両親は、ましろが学校に復帰したことや勉学に励んでいること。学校でもうまくやっていることなどを聞くと小さく声を漏らしていた。
そんな様子を視界の端で見つつ、ましろは膝の上で指を絡めながらタイミングをうかがっていた。
(……今なら、言ってもいいかな……?)
学校に通い始めて、勉強だって自分なりに頑張っている。これからもちゃんと頑張る。
だから自分の……プロのイラストレーターになりたいという夢も認めてほしい。応援してほしい。
そう口に出そうとして息を吸った、その時だった。
「本当に、ありがとうございました」
先に口を開いたのは、ましろの母だった。
「ましろがまた学校に通えるようになるなんて……。蒼太くんのおかげです」
涙ぐみながらお母さんが蒼太に頭を下げる。
ちょっと気恥ずかしいし正直言って居心地悪い。けど言うなら今がチャンスだ!
……そう思っていたのに、次の父の言葉でましろは凍り付いた。
「ありがとう蒼太くん。おかげでようやく、ましろも心を入れ替えたようだ」
――?
最初、ましろは父親が何を言ってるかよくわからなかった。
自分は心を入れ替えてなんてない。
そもそも不登校になったのはいじめられたからだし、また学校に行くようになったのはイラストレーターになりたいっていう夢を応援してもらいたいからだ。
「イラストレーターだとか、そんな夢さっさと諦めてまともな道に戻れるよう、これからも支えてあげてほしい」
ビキリと心の中で何かがひび割れる音がした。
――そんな夢。
その言葉を聞いた瞬間、ましろは自分が思い違いをしていたことに気付いた。
今までお父さんは、自分が学校にも行かずに絵ばっかり描いてるから怒ってるんだと思ってた。
だからちゃんと学校に行って、勉強も頑張って、その上でイラストレーターを目指すなら応援してもらえると思っていた。
けど違った。
(ああ、そっか……)
(イラストレーターっていう夢自体が、お父さんからしたらあり得ないことだったんだ。……まともじゃないことだったんだ)
「今後は学業に専念して、将来のことも考えて普通に就職や進学を目指して……」
父が当たり前のことのように話すのを、ましろはどこか遠い世界のことのように聞いていた。
(……そっか)
(頑張れば認めてもらえるなんて、思ってたのが間違いだったんだ)
(最初から、期待する方がおかしかったんだ)
自分の夢を認めてほしかった。ホントは仲直りだってしたかった。この定例会が始まる前に抱いていた希望が、なんだかもう遠い昔のことに感じられた。
(ああ、せっかく、仲直りしたくて頑張ってみたのにな)
そんなことを思い浮かべて、ましろは自分が頑張ってた一番の理由が、お父さんとお母さんと仲直りすることだったんだと気付いて自嘲気味に笑った。
(……なんか、もう、どうでもいいや)
心に蓋をする。暗い水の底に自分の心を沈めていく。
……と、その時だった。
バシャン、という水の音がして顔を上げた。
ましろが見たのは、見たことがないくらい怖い顔をした蒼太。何故だか、空になったコップを父の方に向けている。
そして父の方を見ると……何故か、髪を伝ってポタポタと水のしずくが滴っていた。
「……へう?」
あまりにもわけがわからない状況につい間抜けな声が漏れた。
何秒か遅れて、ようやく蒼太が父に水をぶっかけたのだと理解した。
蒼太の両親も息子の突然の暴挙に唖然としている。そんな中蒼太は静かに空になったグラスをテーブルに置いた。
「……間違ってる」
声を張り上げたりはしない。けれど、はっきりとわかる。
――怒ってる。
これまでましろがどれだけわがままを言っても、苦笑いしながら受け入れてくれた蒼太が、めっちゃくちゃに怒ってる。
「……学校に行けなかったことを心配する気持ちは、わかります。親として将来が不安になるのも、当然だと思います。でも……」
この一点だけは譲れないと言うように、蒼太はましろの父を睨んだ。
「ましろの夢を、“そんな夢”なんて言うのだけは、認められない」
その言葉を聞いた瞬間、ましろは自分の胸がギュッと締め付けられるような感覚を感じた。。
「ましろは、怖いのを乗り越えてちゃんと学校に行き始めました。得意じゃない勉強だって、ちゃんと頑張ってます。それは、お二人にイラストレーターになるっていう夢を応援してもらいたかったからです」
ましろの父は水を滴らせたまま、蒼太の言葉を聞いていた。
「何よりましろは、絵を描くのが大好きなんです。絵を描く時はいつも楽しそうで、将来プロになるために努力して……それを踏みにじるって言うなら、僕はあなたを心から軽蔑します」
静かだったが、怒りを叩きつけるような声だった。
「……趣味の範囲でやる分には、私もとやかく言うつもりはない」
しばらくの沈黙のあと、父が口を開く。
「だがメインの仕事でやりたいとなると話は別だ。厳しい世界なのは想像に難くないし、ましろは勉強だって遅れてる。今は夢がどうとか言ってる場合じゃないだろう。我々だって歳だ、いつまでも養ってやれるわけじゃない」
父の視線が、蒼太にまっすぐ向けられる。
「うまくいかなかったらどうする? ましろの夢が叶わなかった時、君は責任を取れるのかい?」
ましろはその言葉を聞いて、ぎゅっと拳を握った。
イラストレーターとして一生食べていく。その難しさは両親よりもむしろましろの方がよく知っていた。
プロになったからといって必ずしも仕事が入ってくるわけじゃない。収入は不安定だし、頑張り過ぎてメンタルを崩したり身体を壊したりする人も大勢見てきた。
父親の言うとおり、プロのイラストレーターよりも普通に就職を目指す方がずっと安全だ。
(けど、それでも私は……)
そう言いたいのに声が出ない。だって自分には後ろ盾がない。「大丈夫だから心配しないで」なんて言えるわけがない。
だがそれでも蒼太は、まったく怯まなかった。
「責任なら、取ります」
ましろが思わず目を見開いて蒼太を見る。
「もしうまくいかなかったら……もし、ダメだったら……僕が、一生ましろの面倒を見ます」
蒼太がそう言い切った瞬間、部屋が急に静かになった気がした。
「……へ?」
一番驚いていたのはましろだった。目が点になって、ポカンと蒼太を見ている。
一生。面倒を見る。
その言葉の意味をゆっくり咀嚼する。パソコンの画面の中で、音こそ出していないがアイが拍手喝采しているのが見えた。
「……えと、あの、ちょっとタイム。そ、蒼太?」
「ん? ましろ、どうしたの?」
「それって……その……プ、プロポーズ……だったり、する?」
「……へ?」
蒼太がキョトンとした顔をする。そして自分の言葉を思い返して……たちまちその顔がまっ赤になった。
「ち、ちが!? そ、そういうつもりじゃなくて今のはそれくらいの覚悟がありますっていうそういうあれで!」
なんだかさっきまでの張り詰めた空気が一気に緩んでしまった。
蒼太は必死に言い訳して、ましろもなんだか顔が熱くて黙ってしまった。
そんな空気の中、静かに声を上げたのは、パソコンの中のアイだった。。
『数点補足します』
アイはそう言うと、ましろの父に視線を向ける。
『確かに依頼によるイラスト制作のみで生計を立てるのは、現実的に難しいケースが多いです』
父が頷く。
「それはそうだろう。そうやって生計を立てれるのはごく一部の才能のある者しか……」
『ですが、ましろさんは十分に生計を立てる見込みがある側です』
父の言葉をアイはきっぱりと遮った。
『まず最初に、現在は一昔前と違ってイラストを収益化する手段が大幅に増加しています。企業案件だけでなく個人の依頼。定期支援型のサブスクリプション。グッズ販売。また同人作品の販売など……おっとこちらはご両親に秘密でしたね。聞かなかった事にしてください』
ましろの両親が不思議そうに首を傾げ、ましろは顔をまっ赤にして目をそらした。
『またましろさんは十六歳という年齢でイラストコンテストにおいて受賞歴があり、ネット上での活動も精力的。すでに固定ファンも大勢います。これらの条件から計算して、絶対とは言えませんが、適切な活動とマネジメントを行えば将来的にはこれくらいは稼げるかと……』
そう言ってアイが画面に表示した金額に、ましろの両親は目を見開いた。
ましろ自身、「私、そんなに稼げるの……?」と半信半疑の様子だ。
『あくまで可能性の話です。しかし活動を継続し、経験と実績を積み重ねればその確率は当然上昇します』
そう言って、アイはあらためて父の方に視線を向ける。
『先のことを考えるなら、この可能性を潰してしまう方がましろさんの将来にとって悪影響が大きいのではないでしょうか?』
アイの言葉に父がたじろぐように押し黙った。
その瞬間をましろは見逃さなかった。なけなしの勇気を振り絞って声を出す。
「わ、私……!」
一度、言葉を探してから、深く頭を下げた。
「プロのイラストレーターに、なりたいです。これからも学校に行きます。勉強も頑張ります。だから……応援、してほしい、です」
そうして頭を下げていると、蒼太もましろの隣に来た。ましろと並んで一緒に頭を下げてくれる。
「お願いします」
部屋に再び沈黙が落ちた。
長い長い沈黙。
やがて、父が小さく息を吐く。
「……条件がある」
ましろの肩が、わずかに強張る。
だが続く父の言葉は優しかった。
「そう決めたのなら、夢に向かって走り抜きなさい。……親として、できる限りの応援はするから」
そうしてましろは、ようやく夢を認めてもらえたのだった。




