13話『ちょっと席を外してますね』
自動ドアをくぐった瞬間、なんとなく空気が変わるのを感じた。
外のざあざあという雨音が一気に遠のき、代わりに耳に届くのは静かな空調の音と、ほのかに漂う甘い香り。
ホテルのロビーには誰の姿もなく、受付機が淡く光を放っているだけだった。
どうやら無人受付のようで、受付機が案内の音声を流している。
「ふ、ふーん。こんな感じなんだ。思ったより普通ね」
ましろは何でもないことのように言ったが、耳が真っ赤だった。
「えっと……こ、これからどうするの?」
「どうするって、部屋に行くに決まってるでしょ。あんたは着替えないとダメだし、私だってシャワー浴びたいし」
「……着替えって部屋にあるのかな?」
「ラ、ラブホテルなんだしあるんじゃない? 知らないけど。ほ、ほらそれよりさっさと受付して、こういう時は男子がするもんでしょ」
「う、うん」
ましろは強がるように蒼太に指示を出す。と、その時だ。
チーンと音を立ててエレベーターの扉が開いた。中から若いカップルが腕を組んでイチャイチャしながら出てくる。
「~~~~っ」
瞬間、ましろは弾かれたようにそちらに背を向けた。顔が真っ赤で、恥ずかしそうに身体を小さくしている。
カップルは受付の前でいかにも不慣れな様子でワタワタしている蒼太と、恥ずかしさのあまり小動物のように小さくなっているましろを見て微笑ましそうな笑みを浮かべていた。
ヒソヒソ二人で何か囁きあっているが、断片的に『初体験かな?』『がんばれ~』などという声が聞こえてしまってますます恥ずかしくなってしまった。
カップルが出て行くのを見送ると、ましろはホッと息を吐いた。そして受付で手間取っている蒼太の隣に来ると文句を言ってくる。
「は、早くしなさいよまた誰かに見られちゃうじゃない」
「う、うん。ただ部屋はどれにすればいいかなって」
「そんなの一番高いやつにすればいいのよ。仮婚のミッション中のお金は経費で落ちるって話だし」
そう言ってましろは隣に来ると迷いなく『スイートルーム(ルームサービス無料)』という一番高いやつを押した。
「ちょ、値段が……!」
「これは精神的損害の慰謝料よ。アイのせいでここに入る羽目になったんだから。ほらさっさと行くわよ」
もうこれ以上誰かに見られたくないのだろう。ましろは蒼太の手を引き、さっさと部屋に向かった。
「へ、へえ。意外と悪くないじゃない」
部屋に入ると、強がるようにましろは言った。さっきから顔真っ赤だけど。
ラブホテルのスイートルームは、蒼太がこれまで見た中で一番豪華な部屋だった。
広さは学校の教室ぐらいありそうで、そこに大きなベッドやソファー、テレビに電子レンジなど必要な物が置かれている。
……ラブホテルの部屋って、いかにも『そういう部屋』という雰囲気なのかと思っていたけど意外と普通で、正直蒼太はホッとしていた。
そんな時、ポケットに入れていたスマホから『蒼太さん、ましろさん』とアイが声をかけてきた。
「ん? どうしたのアイ」
『ただ今より私はしばらく電源を落とさせていただきますね。緊急時には『アイ!』と大きな声で呼んでいただければ自動的に再起動しますので』
「へ? なんで……」
『それはもちろん、お邪魔虫にはなりたくありませんから』
画面の中のアイはにっこり笑う。
『それではお二人方、ゆっくり“仲良く”してくださいね』
意味深にそう言って、アイはプツンと電源を落とした。
しばし沈黙。外ではざあざあと雨が降る音がする。
何だかんだこの一カ月、ずっと賑やかなアイが近くにいた。それが急にいなくなって静かになると、今はましろと二人きりなんだとより強く感じてしまう。
「ふ、ふん。普段あいつがいると羽が伸ばせなかったからせいせいするわ」
「え。普段のあれで羽伸ばしてなかったの?」
「うっさい。……とりあえず蒼太、シャワー浴びてきなさいよ」
「え、でもましろも濡れてるし……」
「どう見てもあんたの方がずぶ濡れでしょ。さっきも言ったけどあんたが風邪引いても看病するのなんて嫌だから。ほらさっさと行く」
ましろに背中を押され、蒼太は素直に浴室へ向かった。
シャワーを浴び始めると、温かいお湯が身体を温めてくれる。いろいろ緊張していたせいであまり意識していなかったけど、けっこう身体が冷えていたようだ。強張っていた身体がほぐれていくのを感じる。
けれど、心の方は全然落ち着かない。
(……ここ、ラブホテルなんだよね……)
あらためてそう思うと、心臓がバクバク鳴り始めた。
よくよく考えてみると、今の状況はけっこうもの凄いことになっていないだろうか。
自分とましろは仮とはいえ夫婦で。
さっきドラッグストアでコンドームなんて買って。
今はラブホテルのスイートルームで二人きり。
……エッチな漫画とかならどう考えてもこの後二人は……。
つい一瞬そんなことを考えてしまい、蒼太はぶんぶん頭を振る。蒼太だって健全な男子高校生なのだ。考えてしまうぐらいは許してほしい。
(これはあくまで雨宿り……! 健全な雨宿り……!)
心の中で自分に言い聞かせながらさっさと身体を流す。
自分ほどではないがましろも雨に濡れていたし、早く交代してあげよう。そう思って手早く切り上げ、脱衣所にあったバスローブを着て部屋に戻る……と。
「――っ!?」
濡れた服を乾かそうとしていたのだろう、ましろはちょうど脱いだ服をハンガーに掛けているところだった。
そして服を干しているということは、その服を現在ましろは着ていないということで、薄いピンク色の下着姿のましろと、バッチリ目が合ってしまって……。
「……あんた、出てくるの早すぎ」
「ごめんなさいっっっ!!」
蒼太は叫ぶように謝って慌てて扉を閉めた。
ダラダラと嫌な汗がわいてくる。いわゆるラッキースケベというやつなのかもしれないけど、当事者となってみるとラッキーなんて欠片も思えない。
以前にも、事故でましろの裸を見てしまったことがあった。
その時のましろはもの凄く不機嫌になって、さんざん罵倒されて、家事は全て蒼太がやるということで何とか許してもらえた。
ただでさえちょっと気まずい空気なのに、これからいったいどうなってしまうのか。
そう思って怯えているとカチャ、とドアが薄く開いた。
細い隙間から、ジト目のましろが覗いている。
「……これで二回目だけど、もしかしてわざとやってるんじゃないでしょうね。だったら張り倒すけど」
「ち、ちが、今のはホントに事故で……!」
蒼太がワタワタしながら弁明すると、ましろは深くため息をついた。
「今度あんたの自腹でプリンかなんか買ってきて」
「え? う、うん……」
ましろはそれだけ言うと、あっさりと扉を閉めてしまった。特に怒っているようには見えなかった。
――前回はさんざん詰られたのに、今回はプリン一個であっさり許してもらえた。
下着姿を見てしまったこととかよりもそのことの方が強烈で、蒼太はしばらくその場で悶えるのであった。




