11話『お買い物にいきましょう!』
仮婚生活が始まってから、気づけばもう一ヶ月が経っていた。
休日の朝。キッチンにて。
ましろはトースターを覗き込み、じっとチーズを乗せたパンの焼け具合を見守っている。
「ねえ蒼太~、今日はなんか予定ある~? ないなら後でゲームの続きしよ~」
すっかり油断しきった声で言いながら、ましろはトースターの中でとろけていくチーズに合わせて首を傾げる。
蒼太は横で食器を洗いながら、その姿に思わず口元を緩めた。
「うんいいよ。じゃあましろが朝ご飯食べ終わったらね」
「ん、りょーかい~」
ましろはこっちを振り向きもせずに返事する。
あらためて思うけど、なんだか不思議な気分だった。
朝のキッチンで、手を伸ばせば届く距離に同年代の女の子がいて、どうでもいいことをだべっている。
歳が近い妹がいたらこんな感じなのだろうか? 近くもなく遠くもない、この距離感がとても心地いい。
朝食を終えたあとは、いつものようにリビングでゲームをする。
ましろは当たり前のように蒼太の足の間にちょこんと座り、ペンタブを構える。
蒼太を背もたれ代わりにしてゲームをする姿はもうすっかりいつもの姿勢で、少なくともましろにとってこのカップルスタイルは特別ではなくなっているようだった。
『いやぁ、今日も仲睦まじいですねえ』
アイが少しからかうように声をかける。
しかしましろはアイにちらりと視線を向けただけであまり反応しなかった。
「別に、これくらい普通でしょ」
『いやいや全然普通じゃないですよ!? 思春期の男女の触れあいというともっと特別な……』
アイの言葉にましろはため息をつく。
「あのねぇ、ホントにそういうのないから。前にも言ったけど私、こいつのこと大っきなぬいぐるみぐらいにしか思ってないし」
『……うーん、初期と比べて仲良しになってくれたのはとても良いことなんですが、これはこれで問題なんですよねぇ。前にも後ろにも進みにくい状態と言いますか……』
そう言って、チラリと蒼太の方を見る。するとその口元にほんの少し、小悪魔のような笑みを浮かべた。
『蒼太さんの方はいい感じなんですけどねぇ』
「? いい感じって何が?」
『いえいえ、何でもないですよ。ねえ蒼太さん?』
「う、うん……」
蒼太はアイから視線を逸らす。
……ましろはこの一カ月、すっかり蒼太との同棲生活に慣れてくれた。
気安い会話にも応じてくれるし、今の姿勢のような触れあいも抵抗なくしてくれる。
――が、蒼太の方はましろとのスキンシップにまったく慣れていなかったのだ。
いやそもそも慣れろと言う方が無理がある。むしろどんどん破壊力が上がってる気さえする。
最初は警戒心全開だったましろがこうして触れあうのを許してくれるのは、なんというか最初は威嚇してきた猫が自分の膝の上で寝てくれるようになったような愛しさがあって、もう毎回胸がキュンキュンしてしまって仕方ないのだ。
それに、それがなくてもましろはとても可愛い。
髪はサラサラだし、触れあう背中は温かいし、なんだかいい匂いがする。そんな子が自分のすぐ目の前で無防備にくっついてきてるのだ。
蒼太はもう、頭を撫でたり抱きしめたりしたい衝動を我慢するので毎回必死だった。
もちろんそんな葛藤などつゆ知らず、ましろは無防備に体重を預けてくる。必死にゲームに集中しようとする蒼太を、アイはニマニマしながら見守っていた。
『ではこうしましょう。本日はお二人に大型ミッションに挑戦していただきます。題して――新婚二人のラブラブお買い物デート大作戦!』
「お買い物デート……」
「大作戦……?」
『はい! とはいえやることは単純です。お二人で今後の新婚生活で必要になるものを買い出してくる。やることはそれだけです。簡単でしょう?』
満面の笑みでプレゼンを続けるアイ。しかしましろは明らかに乗り気でない。
「……別にネットで買えばいいじゃない。いつも通り配達してもらえば済むでしょ」
『それでは意味がありません!』
即座に切り返すアイ。
『確かに昨今は通販で何でも買える便利な時代です。ですが! 実際にお店に行って、二人で何を買うのか相談して、一緒に買い物袋を持って家に帰る。そういった小さなコミュニケーションの積み重ねこそが夫婦の絆を強くするのです!』
アイが言い終わるとほぼ同時、二人のスマホにペコン♪ と通知音がした。
見てみると夕食の食材やシャンプーにリンスなど、今日買う物のリストが並んでいる。あと注釈で『通販は禁止です!』という文字も。
「強制なんだ……」
「みたいだね。えっと、どうするましろ? 僕はいつでもいいけど」
「……はぁ、しゃあないわね。めんどくさいことはちゃっちゃと終わらせますか」
ましろは諦めたようにそう言うと、出掛ける準備を始めるのだった。
†
行き先は駅前にある大型スーパーだ。
そこまでの道を蒼太とましろは二人で並んで歩く。
『いや~仮婚生活が開始して一カ月。ようやく二人で外出デートできましたね~。これ、今のところ最遅記録ですよ~』
スマホに入ったアイがそんなことを言ってくる。それに対して蒼太は苦笑いを浮かべていた。
実際、ましろと一緒に外に出歩くのは何だかんだで初めてだ。
ましろは基本的に引きこもりで家から出ないし、もしかしてこれがましろにとって一カ月ぶりの外出なのではないだろうか。
そう思ってましろを見ると、ましろは何とも固い表情をしていた。
つば付きの帽子にボーイッシュ系のファッションに身を包んだましろだが、家での奔放さが嘘のようにおどおどしていた。
帽子のつばを指でつまみながら所在なげに視線を彷徨わせ、誰かとすれ違いそうになるとさっと眼を逸らす。
そんな姿を見てスマホの中のアイも苦笑いを浮かべていた。
『あー……なんとなく予想はしてましたがやっぱりましろさんって内弁慶なタイプでしたか』
「う、うっさいわね。久しぶりに出歩くから緊張してるだけよ」
「大丈夫だよ。僕が一緒だし」
安心させようと思って優しく声をかけると、それはそれで気に入らないのか「……うっさい」とぷいっとそっぽを向いてしまった。
そうして二人で歩いて行く。目的地のスーパーが近づいてくる。
……駅前ということもあり人通りもかなり増えてきたのだが、ましろの方にチラチラと……主に男性の視線が向けられている気がする。
ましろもそれに気付いているようで、ますます表情を固くしていた。
『ましろさん、顔面偏差値はかなり高いですからねー。性格や生活能力はアレですけど』
「アレって何よ……」
よほど緊張しているのか、アイに対するツッコミも元気がない。蒼太が大丈夫かなと心配していたそんな時だ。
きゅっと、蒼太の服の裾が引かれた。
見ると、ましろがすがるように蒼太の服を摘まんでいる。
数秒の沈黙。
ましろはハッとして、慌てて蒼太の服から手を離した。どうやら無意識だったようで自分で驚いている。
『どうして離しちゃうんですかましろさん! 今の、私でもキュンってしちゃうぐらい可愛かったのに!』
「ち、違うから! 今のはそういうのじゃなくて、その……」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになるましろ。そんな姿も可愛いのだけど、蒼太の心中はもはやそれどころではなかった。
――あのましろが、自分のことを頼ってくれた。
――男として、この子のことを護らないと!
「ねえアイ、ちょっと提案があるんだけど……」
『ん? なんですか蒼太さん?』
「……ここで手を繋いだりしたら、ラブラブポイントもらえたりする?」
そう聞いた瞬間、画面の中のアイの顔が輝いた。
『グッッド! 素晴らしい提案です蒼太さん! よーし、そういうことならここから手繋ぎデート開始で+20ポイント……いいえ、ここは奮発して30ポイント加算しちゃいます!』
「……って、アイは言ってるけど、どうしよっか?」
蒼太がそう聞くと、ましろはうっと言葉を詰まらせた。
視線を逸らしながら、口をもごもごさせる。
「……まあ、ポイントのためだし、別に、いいけど」
そろりそろりと伸ばされてきた手を取る。
蒼太よりも小さくて華奢な手を優しく握る。体温が蒼太より低いようで、少し冷たい。
「ポ、ポイントのため、だからね」
ましろは小さな声で念を押すようにそう言って、二人でスーパーに向かうのだった。




