第六話:ずっと憧れていたアイドルが、まさかクラスメイトだったなんて
「信じられない……」
ヨシダ・ノムラがアイドルだったなんて、驚きすぎて腰が抜けそうだ。
どういうことだ?ヨシダはオタク文化なんて大嫌いだって公言していただろ。なぜ彼女がここに? しかも、あのアキバのステージに立っているなんて、わけがわからない。
クラスの連中はまだ気づいていないのか? ……いや、たぶん知らないはずだ。
彼女がアイドルだなんて正体を明かすはずがない。つまり、この秘密を知っているのは世界で俺一人だけってことか。
ふふっ、これは面白くなってきたぞ。あいつをからかう絶好のチャンスじゃないか。
いつも突っかかってくる仕返しを今こそしてやるんだ。
……なんてな。もちろん、誰かに言いふらすつもりはない。
秋葉原のアイドル「リン」がクラスのヨシダだなんて、口が裂けても言わないさ。 理由は簡単だ。そんなのは不作法だし、プライバシーの侵害だからな。
俺はそんな卑怯な真似はしない。
絶対にだ。
「さあ、ミュージック・スタート!」
おっと、ライブが始まったようだ。さて、彼女がどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。歌っている時の彼女は、一体どんな表情をするんだろうな。
音楽が鳴り響くと、周囲の熱気は一気に最高潮に達した。みんな狂ったように叫び、ペンライトを振っている。 まるで狂信者だな。……冗談だよ。彼らは彼女を支える、最も忠実なファンってことだろう。
ステージ上のヨシダは、満面の笑みで歌い始めた。
その顔は、幸せそのものに見える。 なるほど、あれが彼女の「本物」の感情なのか。
凄いな……。
教室ではあんなに楽しそうな彼女、見たことがない。 正直に言おう、今の彼女は文句なしに可愛い。 思っていたほど嫌な奴じゃないのかもしれないな。
キレのあるダンス、完璧な振り付け。そして、聴く者を惹きつけて離さない澄んだ歌声。 ヨシダにこれほどの音楽的才能があったなんて、想像もしていなかった。
なのになぜ、学校ではあんなに心を閉ざしているんだ? いつも不機嫌そうな顔で一人ぼっち。
俺がオタクの話をすれば、すぐに噛みついてくるくせに。
……ダメだ。
ヨシダをこのままにしておくわけにはいかない。
いつか必ず、彼女をクラスのみんなと笑い合えるようにしてやる。
友達をたくさん作らせてやるんだ。
……まあ、口で言うのは簡単だけど、具体的にどうすればいいかはサッパリなんだけどな。
まあいいか……
それは後で考えよう。
今は彼女の甘い歌声に耳を傾けるとしよう。
ん? この曲、どこかで聴いたことがあるぞ。えーっと、思い出せ……。あ、そうだ!『魔法少女まどか☆マギカ』のオープニングじゃないか! ClariSの『コネクト』。
俺が一番好きなアニメの、一番好きな曲だ。あの物語の結末は予想外すぎたけど、間違いなく名作だったな。
それにしても、彼女がこの曲を歌いこなすなんて。
オリジナルの音源かと思うほどだ。一言で言うなら……「天才」だな。
待てよ。ということは、彼女はオタク文化に無縁じゃないってことか?もしかしたら、俺と同じようにアニメを観ているのかもしれない。
ただ、それを隠しているだけで。
あくまで俺の仮説だがな。正解か不正解かはわからない。
ああ、頭が痛くなってきた。考えるのはよそう。急ぐ必要はないんだ。
それよりも、ライブが終わったらサインを貰いに行くべきだろうか。 ファンとして、彼女のサインは喉から手が出るほど欲しい。
でも、俺が目の前に現れて「サインください」なんて言ったら、彼女はどんな顔をするだろう? ショックで気絶するか、恥ずかしさのあまり二度とステージに立てなくなるかもしれない。
……よし、やめておこう。それが一番安全だ。
彼女のキャリアを台無しにするわけにはいかないからな。
「よし、決まりだ」
そう決心した、その時だった。
ザー、ザー!
「えっ、嘘だろ……雨?」
なんてこった。よりによって一番いいところで降ってくるなんて。
「皆様、ごめんなさい! この天候では、ライブを中断せざるを得ません。本当に申し訳ありません!」
「おい、待ってくれ! 中断しないでくれ!」
心の中では叫びたかったが、この土砂降りではどうしようもない。ファンたちも次々と雨宿りへと散っていく。
仕方ない。
……そうだ、俺の「魔力」を使ってこの雨を止めてやろうか。 そうすれば彼女はライブを続けられる。俺って天才じゃないか?
……いや、マズい。
そんなことをすればパニックになる。 豪雨が突然止むなんて、不自然極まりないからな。 それに、今の俺には魔力がほとんど残っていない。 無理に雨を止めれば、自分を守る力すら失ってしまう。
「クソッ、認めざるを得ないのか。この非情な現実を……」
万策尽きた俺は、近くの『ビクトリーホテル』に逃げ込むことにした。服も着替えたいし、シャワーでさっぱりしてから帰るのが賢明だろう。
このままではネズミのようにびしょ濡れで、風邪を引いてしまう。
ホテルのフロントに立ち、手続きを済ませる。
「お客様、ご利用時間は?」
「ええと、二、三時間くらいで」
「畏まりました。では、千五百円になります」
おかしな話だ。普通はチェックアウトの時に精算するはずなのに、先払いか?
まあいい、ここのルールなんだろう。
最近は無銭宿泊のニュースも多いし、警戒しているのかもしれないな。 余計なことを考えるのはやめよう。早く鍵を貰って部屋に行かないと、凍えてしまう。
「……あれ?」
……な、な、な……っ! 財布がない!?
バックパックをひっくり返し、ズボンのポケットを全部探るが、どこにも見当たらない。
クソッ、どこかで落としたのか!?
「お客様、いかがなさいましたか?」
「あ、いえ、大丈夫です……」
大丈夫なわけがない。
冷や汗が止まらない。
どうする? 「金がない」なんて言えば、つまみ出されるのは確実だ。
外は土砂降り、体は冷え切っている。
風邪で寝込むなんて真っ平ごめんだぞ。
落ち着け、俺。冷静になってこの絶体絶命の状況を切り抜ける方法を考えろ。 財布は紛失、クレジットカードは家に置いたままだ。
……こうなったら、俺の能力でフロントの女性を催眠にかけ、タダで泊めてもらうしか。
いや、それはあまりにも罪悪感が。このホテルだって楽な経営じゃないかもしれないしな。
そんなことをすれば、俺は悪党の仲間入りだ。
でも、やらなきゃ死ぬ。やるか、去るか。究極の二択だ。
残り少ない魔力を使い切る覚悟があるか?
「お客様、ご予約はどうされますか?」
「俺は……あ、……っくしゅん! すみません……」
症状が出始めた。クソッ、迷っている暇はない。能力を使うぞ。 緊急事態だ、後で魔力を補充すればいいだけのことだ。
「あの、一つお願いしてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「俺の目を見てください」
……催眠、発動!
「俺を無料で宿泊させなさい。そして、支配人には支払いは済んだと伝えなさい」
「……畏まりました。お部屋の鍵でございます」
「ありがとう」
よし、作戦成功だ。さあ、部屋へ行こう。六十九号室か、ここだな。 中に入ると、驚きの光景が広がっていた。
大統領専用室かと思うほど、豪華で美しい装飾。 配色も完璧で、フランス風のスタイルだろうか。
ベッドはふかふかで、ランプの一つ一つまで高級感が漂っている。 こんな部屋、一晩泊まったら一体いくらするんだ?まあ、俺はタダなんだけどな。
あははは……
まずはシャワーを浴びて、雨が止むまで休ませてもらおう。 だが、一つ問題がある。着替えを持っていない。 まさか泥棒なんて真似はしたくないしな。
……おっと、クローゼットの中に貸出用の服があるかもしれない。 開けてみると、ビンゴだ。 白いTシャツと黒いハーフパンツ。ツイてる、これで着替えの心配はなくなった。
「あれ? なんで女子物の服がここに?」
不思議だ。前の客が忘れていったのか? まあ、後でフロントに言えばいいだろう。今はシャワーだ。
バスルームもまた、期待を裏切らない豪華さだった。
浴槽に浸かり、心地よいお湯に包まれる。 千五百円の価値は十分にあるな。俺はタダだけど。
「極楽だ……」
今日は最高のラッキーデーかもしれない。
……そう思っていた、その時までは。
「ん? 何の音だ?」
外から変な音が聞こえる。人の声……? 泥棒か?いや、こんな高級ホテルでそんなはずは……
誰かが部屋を間違えたのか、あるいは忘れ物を取りに来たのか。
「ここにはもう人がいますよ」と伝えなければ。不審者だと思われたら堪らない。
俺は浴槽を出て、服を羽織り、勢いよくドアを開けた。しかし――
「誰だ、そこにいるのは……っ!?」
…………。
な、ななな……何だ、これは? 夢か? 誰かこれが夢だと言ってくれ。 目の前には、白く滑らかな肌を露わにした、全裸の少女が立っていた。 そして、その少女の正体は――ヨシダ野村その人だった。
「よ、よお。奇遇だな。君もこのホテルに泊まっていたとは」
「…………」
彼女は慌てて大事なところを隠したが、沈黙が痛い。
「えーっと、これはその、事故だ。不本意なんだ。だから、なかったことにしてくれないか? ……いや、何も見てないとは言えないな。そうだ、公平を期すために俺の体も見せよう!」
俺は某アニメのキャラクターのように、颯爽とシャツを脱ぎ捨てた。 もちろん、結末がどうなるかは分かっていたけれど。
「こ、の……変態、死ねええええええええ!」
ボカッ!
鋭い蹴りが顔面に飛んできた。
「ああああああ! それだけはやめてえええええ!」
ゴンッ!
頭を浴槽の角にぶつけ、俺の意識は闇に沈んだ。
***
「……ここは、どこだ? うっ、頭が……」
意識が戻った時、俺は椅子に縛り付けられていた。
「な、なんだこれは!? 誰か、助けてくれ!」
「黙りなさい。さもないと、その舌を切り落とすわよ」
「はい、すみません」
目の前には、包丁を手にしたヨシダが立っていた。その表情は、まさに「殺意」そのもの。 周りに誰もいない。ということは、まだ警察には通報されていないようだ。 即座に刑務所行きは免れたが、生殺与奪の権は彼女に握られている。 なんとか怒りを鎮めて、解放してもらわなければ。
「あのお、何をするつもりですか?」
「……体のどの部分から切り刻んでやろうか、考えていただけよ」
ヤバい。完全に「ヤンデレ・モード」に入っている。 一歩間違えれば、命はない。
「冗談だろ? そんなことをしたら刑務所行きだぞ、ヨシダさん」
俺は必死に冷静さを保って語りかけた。
「別に、命まで取るとは言ってないわ。首も手足も切らない。あたしが狙っているのは、別の場所よ」
「別の場所……?」
「そう。男の人が、用を足す時に必要な……あ・そ・こ」
…………っ!? まさか、そこを!? 俺は思わず自分の股間を確認した。
「冗談じゃない! 落ち着け、話し合おう! 暴力は何も解決しない!」
「クズね。あんな真似をしておいて、よくもそんな口が叩けるものだわ。許すわけないじゃない」
……くっ、思考を読まれているのか? 今の彼女の目は、アニメ『未来日記』の我妻由乃そっくりだ。神様、助けてください。
「……でも、クラスメイトの縁に免じて、一度だけチャンスをあげるわ。感謝しなさい」
「あ、ありがとう……」
助かった。去勢されるところだったぞ。
「まず、なぜ貴方があたしの部屋にいるの?」
「何を言ってるんだ? ここは俺の部屋だ。質問を返したいのはこっちの方だよ」
「……まだ嘘をつくなら、本当に切るわよ」
「嘘じゃない! 確かに六十八号室の鍵を受け取ったんだ!」
「はあ? あたしの部屋も六十八号室よ?」
……おかしい。
同じ部屋に二人の客がアサインされるなんてあり得ない。
「鍵を見せてくれないか?」
彼女が提示した鍵は、確かに俺のものと同じだった。
「分かった。ドアを一度ロックして、両方の鍵で開くか試してみよう。そうすればどっちが正しいか分かるはずだ」
彼女はしぶしぶ承諾し、テストを行った。結果は――
「分かったわ」
「どうだった?」
「貴方が、あたしの部屋に侵入した不法侵入者よ」
「……えっ?」
そんなはずはない。
俺の鍵で開いたんだぞ。 だが、彼女は腕を組んで冷たく言い放った。
「貴方の鍵では、この部屋は開かなかったわ」
……嘘だろ。
俺は確かにここに入った。
一体どうやって?
「……あ、思い出したわ」
彼女はドアノブを指差した。
「荷物を整理した後、急用で部屋を出たんだけど、焦っていて鍵をかけ忘れたの。……ごめんなさい、不注意だったわ」
「いや、俺の方こそごめん……」
「でも、貴方が部屋を間違えたのには、もう一つ理由があるわよ。これを見なさい」
彼女は俺の鍵を目の前に突きつけた。そこには驚愕の事実が。
「こ、これ……部屋番号のプレートが、上下逆さまになってる……」
「その通りよ」
クソッ! 八十九号室のプレートが逆さになって六十八に見えていたのか! どうりで、フロントから鍵を受け取った時から妙な違和感があったわけだ。 ……いや、これはフロントのミスだろ! 後で絶対に苦情を言ってやる!
とにかく、誤解は解けた。
「じゃあ、縄を解いてくれるかな? 万事解決だ」
「……何言ってるの? まだ終わってないわよ」
「えええええええええ!?」
まだあるのかよ! 帰らせてくれ! サオリ、助けて……いや、あいつに知られたら一生の恥だ。
「……今度は何だい? 警察に突き出すのか?」
「ええ、そのつもりだったけど……」
「もう勘弁してくれ。望みがあるなら言ってくれよ」
「……貴方、なぜ秋葉原にいたの?」
オタクに向かってなんて愚問だ。
でも、命がかかっているから答えるしかない。
「遊びに来て、買い物して、イベントに参加するためだよ」
「それだけ?」
……ああ、そうか。彼女は自分のアイドル活動がバレるのを恐れているんだな。 いいだろう、それならこっちも一枚上手を行ってやる。
「ああ、それと……ホテルの前で、君のライブを聴いたよ。『リンちゃん』」
俺はニヤリと、変質者さながらの笑みを浮かべてやった。 すると、彼女の「ヤンデレ・モード」が瞬時に「ツンデレ・モード」へと切り替わった。
「な、な……知っていたの……?」
「ああ、全部ね。君がここで大人気のアイドルだってことも」
「なんで、なんで、なんで知ってるのよおおお!」
彼女はパニックになり、床を包丁で何度も突き刺し始めた。 危なすぎるだろ! 死ぬかと思ったぞ!
「……もういいわ。こうなった以上、口封じに貴方を殺すしかないわね」
「あはは、冗談はやめてくれ。笑えないぞ」
「冗談じゃないわ、本気よ」
「待て! 絶対に誰にも言わないから! 約束する! 家には老い先短い両親が待ってるんだ!」
俺は必死に命乞いをした。彼女は冷笑を浮かべ、腕を組んだ。
「……いいわ。一つ条件を飲むなら、信じてあげてもいいわ」
「条件? 何でもする!」
「――あたしの『マネージャー』になりなさい」
「……は?」
マネージャーだって? アイドルを売り出し、スケジュールを管理し、支えるあの仕事か?
「なんで俺なんだ? 専門の人はいないのか?」
「いたわよ。でもみんな、あたしについていけなくて逃げ出したわ。貴方はオタクだし、音楽にも詳しいでしょ。だから貴方に決めたの」
逃げ出した理由、言わなくても分かる気がするよ……
「断ったら……?」
グサッ!
包丁が俺のすぐ横の床に突き刺さった。
「わ、分かりました! マネージャーやります! やらせてください!」
「ふふっ、決まりね。よろしくね、ゼルトくん」
ようやく縄が解かれた。体中が痛い。
時間を確認すると、もう午後三時だ。マズい、和子の夕飯を作らなきゃ。
部屋を出ようとした時、一つだけ聞いておかなければならないことがあった。
「……ヨシダさん、どうしてアイドルだってバレるのをそんなに怖がるんだ? なぜいつも一人でいる?」
「……っ、うるさいわね! お節介よ! 出て行って!」
彼女に突き出され、ドアを閉められた。 だが、その瞬間の彼女の表情。俺はそれを見たことがある気がした。
……っ、これは……?
脳裏に、断片的な記憶が蘇る。八年前の、俺の記憶。
そうか、そういうことだったのか。
彼女がアイドルになった理由。友達を作らず、孤独でいる理由。そして、オタクを毛嫌いしていた理由――
すべてのピースが繋がった。
「……ハッピーエンドは、すぐそこにあるみたいだな」
アニメの主人公気取りで、俺は独り言をこぼした。我ながら格好いいな。
さて、自分の部屋(八十九号室)に戻って、和子の夕飯の準備だ。
……あぁ。
鍵、ヨシダの部屋に置いてきちゃった。
「クソおおおおお! どこまでついてないんだよ、今日は!」
結局、家に帰り着いたのは夜の七時を過ぎていた。
今日という日は、まさに「地獄」だった。
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