第9話 お花も咲いて、食べられるもの
水色のリボンで髪を結い直してもらったあと、母が侍女に庭師への伝言を頼んでくれた。私たちは母や乳母、公爵家の付き添いと一緒に、王宮の中庭へと出た。
空はよく晴れていて、花壇のそばでは、先日相談に乗ってくれた庭師が待っていてくれた。
私はオティリエの手を引いて、花壇の端にある、まだ何も植えられていない小さな区画の前まで歩いた。
「あのね、こないだのおれいに、おはなを、あげたくて」
私が言うと、オティリエが目を丸くした。
「おれい、ですか?」
「うん。おひるねのとき、ひざかけ、かけてくれたから」
庭師がそばにしゃがみ込み、小さな木箱を私たちの前に広げた。中には、綺麗に咲いた切り花が数本と、隣に紙でできた小さな種の袋がいくつも並んでいる。
「殿下が、お嬢様に喜んでいただきたいと相談してくださいましてね。今すぐお持ち帰りになれるお花もございますし、こちらの小さな区画で、お二人で種から育てていただくこともできますよ」
オティリエは切り花と種の袋を交互に見つめた。
「ここで、そだてるのですか?」
「はい。お嬢様がまた王宮へ遊びにいらしたときに、少しずつ大きくなるところをご覧になれます」
「……そだてるほうが、いいです」
彼女がそう言うと、私も嬉しくなった。これでまた、ここへ一緒に来る楽しみができた。
私は、白い花の絵が描かれた袋へ目を向けた。さっき大切そうに見せてくれた、宝物の箱の押し花を思い出したからだ。
ところが、オティリエの小さな指は、花の絵の袋を通り過ぎて、一番端に置いてあった、少し丸みのある茶色い粒が入った袋の上で止まった。
彼女は真剣な目でその袋を見つめ、庭師に尋ねた。
「あの……これは、なんですか?」
「ああ、そちらはエンドウ豆の種でございますよ。お花だけでなく、実のなるものもご用意しました」
オティリエは袋へ少し身を乗り出した。
「これは、おはなが、さきますか?」
「ええ、咲きますよ。白や薄紫の、可愛らしいお花が咲きます」
オティリエはこくりとうなずき、それから、さらに真面目な顔をして、もうひとつ尋ねた。
「……たべられますか?」
「はい、お花が咲いたあとにサヤができまして、中のお豆を茹でると、甘くてとても美味しうございますよ」
それを聞いた瞬間、オティリエの瞳がきらりと輝いた。彼女は迷いなくその袋を指さして、背筋を伸ばした。
「では、こちらが、いいです」
私は思わず、隣の彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
あの一冊の挿絵では、彼女は冷たい顔で立っていた。けれど、今は庭師の返事を待ち、食べられると分かると自分で豆を選んだ。私は白い花の袋から目を離し、彼女が指さす豆を見た。
「うん、まめにしよう。ぼくも、たべたい」
私が賛成すると、母も付き添いの大人も、口元を押さえて微笑ましそうに笑った。
庭師が小さな移植ごてで、柔らかい土に浅い穴を二列に並べて掘ってくれた。私は手前の列の前にしゃがみ、オティリエは奥の列を選んだ。泥で服が汚れないよう、乳母たちが私たちの前から小さな前掛けを着けてくれた。
「お一つの穴に、お豆を三粒ずつ、そっと置いてみてください」
庭師から、手のひらに茶色い豆の種を乗せてもらう。ころころと丸い種だ。私は一粒ずつ指でつまみ、穴の中へぽとんと落とした。一粒だけ穴の外へ転がり出てしまったのを、隣のオティリエが拾って、穴の中へ戻してくれる。
「ありがとう」
「はい。これで、みっつです」
種を入れたあと、私たちは小さな両手で、上からそっと土をかぶせた。
庭師が持ってきてくれた小さなじょうろの取っ手を、二人で一緒に握る。その下は、庭師の大きな手が支えてくれていた。
水の入ったじょうろは、見た目よりずっと重い。少し傾けるだけのつもりが、細い水が土の手前へ落ちた。
「でんか。おくつにも」
自分のつま先を見ると、水滴が幾つか光っていた。
「……こっちは、そだてない」
オティリエは口をきゅっと結んだ。けれど、目元がふにゃりと緩んだので、私も笑ってしまった。
「おまめは、こっちです」
彼女が示す場所へ、二人でじょうろの先を向け直す。庭師が底をそっと持ち上げてくれると、今度は細い水が、土へまっすぐ落ちていった。
茶色い土が、少しずつ黒くなる。
「そこも。……うん、そこ」
私はじょうろの先ばかり見ていて、いつの間にか上体まで傾けていた。背中へ母の手がそっと添えられ、私は慌てて背筋を伸ばす。
じょうろを庭師へ返すと、母がしゃがんで、私の靴に残った水滴を布で拭いてくれた。
私は前掛けの裾を両手で握り、自分の靴と、ちゃんと水の届いた土を見比べた。
土の匂いと、ひんやりした水の感触が指先に残る。花束をひとつ渡すつもりだったお礼が、二人で土を触る庭の始まりになった。
立ち上がって手を洗ってもらうと、オティリエは濡れた土の区画を振り返り、私の顔を見て言った。
「めが、でたら……また、みにきても、いいですか?」
そばでは母と公爵家の付き添いが、次に来られる日を相談していた。
「うん。つぎに、きたら、いっしょに、みよう」
まだ土しか見えない小さな区画だけれど、その下には、私たちが一緒にまいた豆が眠っている。私は空になった種の袋を庭師に返し、もう一度そこを振り返った。




