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第5話 お礼のお花と、お庭の仕事

 オティリエが帰った翌日の午前中、私は控えの間の絨毯に座り、厚紙でできた絵本を広げていた。


 ページには、色鮮やかな鳥や草花が大きく描かれている。何度も読んでもらった本だ。乳母が絵の下の短い言葉を声に出すと、その先も聞き覚えがあって、私は少し得意になった。


 けれど、次のページへ進もうとして紙の端に指をかけたとき、思うように指の爪の先が引っ掛からず、二枚一緒にめくれそうになった。慌てて反対の手で押さえると、今度は絵本ごと膝の上からずり落ちそうになる。


「殿下、そこは少し紙が厚うございますね。端のほうを、こうして少し持ち上げるとめくりやすいですよ」


 隣に座っていた乳母が、ページの角をほんの少しだけ浮かせてくれた。私はその隙間に自分の短い指を入れて、ゆっくりと紙を返す。


「……うん。めくれた」


「ええ、お上手です。次は赤いお花がたくさん咲いていますね」


 絵本の挿絵には、白い柵の向こうに赤や黄色の花が並んでいた。昨日、オティリエが話してくれた白い花も、この中にあるのだろうか。


 私は絵本の上の花をトントンと指で叩いてから、乳母を見上げた。


「おにわ、いきたい。……おはな、みにいく」


「まあ、お庭でございますか。今日は風も穏やかですし、お日様も出ていますからね。お母様にお伝えして、少しお散歩に参りましょうか」


 乳母が立ち上がり、隣の部屋で書き物をしていた母へ声をかけてくれた。母はすぐに羽織を手にして出てきてくれると、私の前にしゃがみ込んで微笑んだ。


「アシェル、お庭へ行きたいの? いいわね、少し外の空気を吸いましょう。お靴を履き替えてからね」


 外歩き用の少し底の厚い靴を履かせてもらい、私は母と手をつないで廊下へ出た。


 王宮の廊下は広く、窓から明るい光が差し込んでいる。前世で庁舎の廊下を早足で歩いていた頃なら、数十秒で通り過ぎるような距離だ。けれど今の私の歩幅では、柱から次の柱まで行くのにも、トコトコと何度も足を動かさなければならない。


 途中で、洗濯したばかりの白い布をたくさん抱えた侍女とすれ違った。


 侍女は私たちに気づくと、荷物を落とさないように脇へ寄り、深く頭を下げて通り過ぎるのを待とうとした。かなり重そうな布の山だ。前世でも、両手が塞がっている時に廊下で立ち止まらせてしまうのは申し訳なかった覚えがある。


 私は母の手を少しだけ引いて足を止め、侍女を見上げた。


「おもい? ……さきに、いっていいよ」


 侍女が驚いたように目を見張り、それから顔をほころばせた。


「ありがとうございます、殿下。ですが、大丈夫でございますよ。お気遣いいただき、光栄です」


 母も「気をつけて運んでね」と声をかけ、私たちは自分たちのほうが少し端へ寄って、侍女に道を譲った。侍女はもう一度丁寧に礼をしてから、布を抱え直し、廊下の先へ歩いていった。


 白い布の山が角を曲がるまで、母は私の手を引かずに待っていた。私も母に手を引かれ、もう一度歩き始めた。


 ガラス扉を抜けて中庭へ出ると、草と湿った土の匂いが鼻をくすぐった。


 花壇のそばでは、日除けの帽子をかぶった庭師が、片膝をついて花の根元の草を抜いていた。私たちの足音に気づくと、庭師は土のついた手袋を外し、立ち上がって礼をした。


「本日はよいお天気でございますね。アシェル殿下は、お花をご覧に?」


「ええ、アシェルがお花を見たいと言うので、お散歩に来たの。お仕事中にごめんなさいね」


「とんでもございません。ちょうどこちらの花壇の手入れがひと段落したところでございます」


 私は母の手を離し、花壇の縁まで歩いていった。


 そこには、薄紫や黄色の小さな花が綺麗に並んでいる。私はしゃがみ込んで、昨日オティリエにひざ掛けを掛けてもらったお礼に、どのお花がいいだろうかと見比べた。


「この、おはな……きれい。おれいに、あげられる?」


 私が庭師を見上げて尋ねると、庭師は目尻に深い皺を寄せて微笑んだ。


「お友達への贈り物でございますか。もちろん、切り花にしてお包みすることもできますよ。ただ、切り花は、しばらくするとしおれてしまいます」


「しおれちゃう?」


「はい。もし、これから何度も王宮へ遊びにいらっしゃるお相手でしたら……あちらの空いている小さな区画で、お二人で種から何かを育ててみる、という手もございますが」


 庭師が指さした先には、花壇の並びの端に、まだ何も植えられていない小さな土の区画があった。


 種から育てる。切り花を一度渡して終わりにするのではなく、ここへ来るたびに一緒に見る場所を作るということだ。


 昨日の積み木の道は片付けたけれど、ここにまいた種なら、彼女が帰ったあとも育っていく。私はまだ何もない土の上に、小さな緑の芽が並ぶところを思い浮かべた。


「ここで、そだてるの?」


「はい。お花でも、実のなるものでも、いくつか種をご用意しておけますよ。次にその方がいらしたときに、どちらがよいかお二人で選んでみてはいかがでしょう」


 自分一人で贈る花を決めてしまうより、そのほうがずっといい気がした。昨日の焼き菓子も、積み木の道も、彼女に聞いてみて初めて、何が好きかが分かったのだから。


「……うん。きいてみる」


 私がうなずくと、母が後ろから私の肩にそっと手を置いた。


「そうね。オティリエさんにも、どんなお花が好きか聞いてみましょう。次に来てくださる日に、庭師さんにも相談しましょうね」


 私はまだ何も植えられていない、柔らかな茶色の土を見つめた。


 次に彼女が来たとき、切り花と種と、どちらがいいと言うだろう。それを尋ねる楽しみが、ひとつ増えた。


 部屋へ戻る道すがら、少し歩き疲れて足が重くなった私を、乳母が「ここからは抱っこにいたしましょうね」と抱き上げてくれた。私は素直に乳母の肩へ顎を乗せ、揺れる視界の中で、さっきの小さな花壇のことを考えていた。


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