第11話 あめの日のおまめと、ちいさな旗
豆の茎がすくすくと伸びて、庭師に添え木を立ててもらった頃のある日。オティリエが王宮へ遊びに来た日は、朝からしとしとと冷たい雨が降っていた。
窓ガラスには細かい水滴がいくつも張り付き、外の中庭はすっかり濡れている。
控えの間の窓辺で、オティリエはガラスの向こうの庭をじっと見つめ、少しだけ肩を落としていた。
「きょうは、おにわへ、いけませんね……。おまめ、どのくらい、おおきくなったでしょうか」
私は窓辺でしょんぼりしている彼女の隣へ行った。雨粒の下を、侍女が大きな傘を差して通っていく。乳母は「今日は足元が滑りますから、お部屋で遊びましょうね」と低い卓を示した。
卓の上を見ると、白い紙と何色ものクレヨンが、今日のお遊び用に用意されていた。
自由に何かを描いてもらい、その絵について話してもらう。相手の性格や物の見方を知るには、案外いい方法だ。
検事だった頃も、ひととおり話を聞いたあと、現場の見取り図を描いてもらうことがあった。出入り口はどこか。その人はどこに立ち、何を見ていたのか。本人の説明と一緒に確かめると、言葉だけでは分からなかったことが見えてくる。
絵一枚で性格のすべてが分かるわけではない。けれど、何を描き、どんな話をするのか。彼女が何を好きなのかを、もう少し知るきっかけになるはずだ。
私はオティリエの袖をそっと引いた。
「オティリエ。おそとには、いけないけど……ここで、おにわの、えを、かこう?」
「おにわの、え、ですか?」
「うん。ぼくたちのおまめ、いま、こんなふうかなって。ほかにも、すきなのを、かいていいよ」
オティリエは少し瞬きをしてから、「……はい、かきたいです」と顔を上げて、私と一緒に卓の前へ座った。
私たちは大きな白い紙を真ん中に広げ、左右からクレヨンを手に取った。
こちらが気楽に描けば、彼女ものびのび描けるだろう。そんなことを考えながら、私はクレヨンの箱を覗き込んだ。
「みどり、どこかな」
「でんか。おててに、あります」
右手を見る。
握っていた。
相手のことを知る前に、自分の手元を確認する必要があった。
「……あった。はい、どうぞ」
見つかった緑色をオティリエへ渡すと、彼女は「ありがとうございます」と受け取った。
オティリエは緑色のクレヨンで、添え木に巻き付くツルと、小さな葉っぱを一つずつ丁寧に描いていく。私はその隣に、これからたくさん実るはずの立派な豆のサヤを描いてみようと思った。
緑色のクレヨンを返してもらい、ぷっくりと膨らんだサヤの輪郭を描く。中に豆が三つ並んでいるのが分かるように、丸い膨らみを三つ連ねて、端っこにヘタの線をぴょんと二本足した。
よし、なかなか特徴を捉えたぞ。そう思って手を止めると、隣から私の手元を覗き込んだオティリエが、ぴたりと動きを止めた。
彼女は首を少しだけ傾げ、私が描いた緑色の塊をじっと見つめている。
「あの、でんか。これは……」
「まめ」
私は胸を張って答えた。しかし、オティリエはさらに目を細め、私がヘタのつもりで端に二本描いた線と、たまたまクレヨンの先が強く当たってついてしまった、濃い緑の点二つを指さした。
「では、こちらの、つのと、おめめが、ある、お顔は……?」
言われて見直してみると、三つ連なった緑色の丸い胴体の先に、触角のような線が二本と、点々の目がついている。豆のサヤというより、どう見ても葉っぱの上を這っている、ずんぐり太った青虫だった。
私は自分の描いた絵と、オティリエの真面目な顔を見比べた。
三歳の指が、まだうまく動かないからだ。そういうことにしておきたい。けれど、隣に描かれたオティリエの葉っぱは、ちゃんと葉っぱに見える。
どうやら、指先だけの問題ではないらしい。
相手の性格を知るつもりが、先に私の美的センスが明らかになってしまった。これはまだ、明らかにしなくてよかった。
私はクレヨンを握り直し、小さく答えた。
「……まめ」
一拍の静けさのあと、オティリエが口元を両手で押さえ、「ぷっ……ふふっ、あははっ!」と声を立てて笑い出した。
「おまめに、お顔が、ついています! なんだか、あるきだしそうです」
「へたを、つけたのに……むしに、なっちゃった」
「でんか。あしも、つけますか?」
「つけない。まめだから」
「では、おさんぽは、できませんね」
少し残念そうに言われても、豆に散歩をされては困る。晴れた日に庭へ行って、みんな留守だったらどうするのだ。
私もおかしくなって、二人で画用紙の上の太った豆を見下ろして笑った。
「そうだ。このおまめのえで、ちいさな、はたを、つくらない? あめがやんだら、おにわに、たてるの」
「はた、ですか? いいですね!」
乳母に頼むと、水気に強いロウ引きの紙を小さく切り、細い木の棒も用意してくれた。庭に掛けてある木札は水やりの確認用だけれど、こちらは区画を飾るための旗だ。
オティリエは白いお花の絵を描いた旗を作り、私はもう一度、今度は虫に見えないように丸い豆を三つ並べた旗を作った。
今度は、角も目も付けない。もちろん、足もだ。
「でんか。もう、おしまいですか?」
「うん。もう、さわらない」
これ以上描き足すと、また何かが生まれそうだった。
旗を棒に付ける前に、乳母が私の口元へ布を伸ばしてきた。
「こちらにも、緑色が付いていますね」
「えっ。どこ?」
「ほっぺです」
考え込んで頬へ手を当てたとき、クレヨンまで一緒に近づけたらしい。偉そうに相手を観察していた私は、顔にまで落書きをしていたのか。
「でんかも、おまめの、おいろです」
「ぼくは、たべられないよ」
オティリエがまた笑ったので、拭いてくれている乳母まで、少し肩を揺らしていた。
接着の糊は乳母に手伝ってもらい、小さな旗が二つ完成する頃には、窓の外の雨もすっかり小降りになっていた。
卓の上には、最初に描いた大きな紙も残っていた。母は、その前で足を止めた。
「この絵、私にいただけるかしら」
私とオティリエの、両方を見て尋ねている。
「それ、へんなおまめのほう、だよ」
「ええ。今にも歩き出しそうなお豆ね」
母にまで、歩くほうだと思われている。
もう、豆だと説明するのはやめておこう。
私はオティリエの顔を見た。彼女も紙を見てから、小さくうなずいた。
「はい。あの、おまめ、なくさないでくださいね」
「大切にしておくわ」
私たちは二人で、紙の両端を持ち上げた。真ん中が少したわんで、緑色の豆がふにゃりと揺れる。
「そっち、もった?」
「はい。こちら、もちました」
母のところまで、ほんの少しの距離だ。けれど、二人で持つ大きな紙を破りたくなくて、私たちはそろりそろりと足を運んだ。
母は折り目がつかないよう両手で受け取り、自分の卓へそっと広げてくれた。
私は紙の端から手を離しても、しばらく、そこに並んだ豆と葉っぱを見ていた。
帰りの時間になり、オティリエは完成した二つの旗を、宝物の箱の隣に置いてあった、乾かすための盆へ大切に並べた。そして、玄関へ向かう前に私を振り返り、晴れやかな顔で言った。
「つぎに、はれたら、これを、おにわに、たてましょうね。……あの、また、あめの日も、あそびにきても、いいですか?」
「ええ。旗はここでお預かりしておくから、次に晴れた日に、二人で立てましょうね」
母が盆を窓辺へ寄せた。オティリエは自分の花の旗を一度見てから、私の豆の旗の隣へ置き直した。
「うん。あめの日も、きて。また、へんなおまめ、かこう」
オティリエは「はい!」と元気よくうなずいて、手を振って帰っていった。




