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51話 神聖教会物語(アンデル視点)


「やれやれ。随分と騒がしいのぅ」


 太陽の日差しをピカリと跳ね返すツルツルとした頭に長く蓄えられた白い髭。

 一番注目を集めるオシャレポイントのサングラスが今日も決まっているが、それを褒めてくれる者は誰もいない。

 周りを歩く者は全員が余裕のない顔で神聖教会本部へと吸い込まれていく。

 数年振りの帰郷だったが、この男アンデルの心境は懐かしさや嬉しさよりも鬱々とした重苦しいものが勝っていた。


「お帰りなさいませ。アンデル先輩」

「先輩はやめておけ。今はお前さんの方が立場は上じゃろ」


 教会本部の中で最も広く、調度品が多く揃えられた執務室にアンデルはいた。

 テーブルを挟み向かい合う形でソファーに座って額の汗を拭うのはかつての後輩だった男。

 お互いに年寄りになってしまったが若い頃の上下関係が中々抜けずに今日まで来てしまった。

 だがしかし、これからはそんな生温い関係ではいられなくなる。


「しっかりせんか。教皇代理殿」

「うっ……アンデル先輩にまでその呼び方をされるなんて鳥肌が……」


 いい年をした爺さんが何をビビっているのかと叱りつけたい気持ちはあったが、代理とはいえ神聖教会の教皇という立場は想像以上の重責だろう。

 しかも、この異常事態の中で任命となると歴代の教皇の中でもトップクラスに苦労すること間違いない。


「どうしてわたしなのでしょうかね」

「ペトラ派の中でも後ろ盾が大きく、北側の大国相手に怯まず外交ができる度胸があるからではないかのぅ。まぁ、ペトラに便利に使われ続けた結果じゃ」


 アンデルは冷静に後輩を評価した。

 本人は自己評価を低めに見ているようだが、長年に渡って神聖教会を取りまとめてきたペトラの腹心となれば安定感は間違いない。

 特に他宗教を信仰している国との絶妙なバランスでの交渉術についてはアンデルも見習うところがある。

 後輩として指導している頃は腰が低く他の神官から舐められていたが、人の懐にぬるりと潜り込んで自分の安全圏を作るのが上手かった。

 結婚してからは腹芸も覚えてしたたかさも身につけたが、そういえば結婚相手を紹介したのはペトラだったなと思い出した。


「ペトラ先輩のせいですか……。それなら文句は言えませんね」

「死人は反論できんからこれでもかと恨み言をぶつけて構わんよ。ワシはさっき酒をぶっかけてやった」

「アンデル先輩は相変わらずですね。懐かしいですなぁ」

「年寄りの昔話をしに来たわけじゃなかろう」


 遠い青春の回想をしようとした教皇代理に釘を刺してアンデルはソファーに前のめりに座り直した。


「今後の話をするためにワシを呼びつけたんじゃろう?」

「はい。……正直、神聖教会の内部はぐちゃぐちゃになっていましてね」

「そうじゃろうな」


 バタバタと廊下を走り回る神官達の足音からも混乱の影響は察せられる。

 先代ペトラ教皇の死後、ゴグワールが中心になって起きたクーデターのような乗っ取りは首謀者が投獄されたことで終わりを迎えた。

 しかし、残された爪痕は大きく立て直しを求められている神聖教会は今が踏ん張り時だ。


「財政面では教会への寄付は激減し、賄賂を受け取り不正を行った神官による被害者への賠償金で支払いは増加。来期の予算はギリギリまで切り詰める必要があるでしょう」


 胃の辺りを摩りながら話す教皇代理。

 これは財務担当部署から厳しい資金状況を突きつけられたのだと察せられた。

 しかし、残念ながらアンデルには金銭面での頼れる伝手はないので頑張ってもらうしかない。 


「人材面では連中が我々の派閥を弱体化させるための左遷や罪状の捏造による投獄を多数やってくれたおかげで呼び戻して現場復帰してもらうまで時間がかかりそうです」

「ワシもここに戻るのに手間取ったからのぅ」


 本来であれば亡くなった教皇の盛大な葬儀と次の教皇を決める話し合いのために各地の責任者である神官達が集められるはずだった。

 しかし、ゴグワールの手際の良さにしてやられアンデルがペトラの死を知ったのは国外での任務中だった。

 訃報を聞き急いで帰国しようとしたが国境にある関所での不自然な手続きの長さに時間を奪われ、やっとの思いでイーストリアン王国に入れたのは王都にドラゴンが襲撃した日だった。


「お前さんの方はあの時何をしておったんじゃ?」

「わたしはゴグワールの怒りを買って理不尽な罰を受ける者を減らすため派閥の者達を説得しておりました。……人質もいましたので表向きは王都内の別邸で病の療養中と嘘をついて大人しく時を待っておりました」


 王命であっても神聖教会の内部に干渉するのは手間がかかるが、その縁者の貴族となれば簡単に好きにできる。

 神に仕える聖職者としては教会の教えに従って間違いを正さなくてならないが、教皇代理の行動は後始末を考えるとベストな判断だった。

 混乱の中でも教会が辛うじて運営されている現状がその証拠だ。


「懐は寒く、人手も足らんとはなぁ」

「頭の痛い話です。しかし、わたしが一番に心配しているのは教会の信用の低下ですよ」

「ここに来るまでの間に耳にした噂じゃが、連中は好き勝手に暴れてくれたのぅ」


 魔族への徹底的な弾圧。

 庇ったものや協力を拒んだものへも罰を与え、とてもまともな神官や騎士と呼べない集団に権限を与えて好きにさせた。

 不正な行為や私服を肥やすだけならまだ法の裁きの範囲内だが、神の意思を勝手に代弁しての行き過ぎた排斥活動は教会の教えを根底から揺るがしかねない大罪だ。


「我らが女神を信じる弱き者に救いの手を差し伸べることが教会の使命。それを真っ向から否定するなど言語道断です。しかも個人的な恨みだなんて」


 腹立たしい気持ちを隠そうともせずに悪態をつく教会代理。

 アンデルも同じ気持ちだが、こちらは少し複雑な思いも混じっていた。

 それは秘匿されていたゴグワールの身の上を知った上で将来危険な思想を持つかもしれないと危惧していたのに心根を正せなかったことだ。

 もしもあの時ペトラが世話係を引き受けるのを変わっていれば。

 もしも手を差し伸べるのを止めさて放置していれば。


「許し難いのぅ」

「本当にです」


 誰に対しての言葉なのかはあえて口にしない。

 後悔をしても時が巻き戻るわけではないからだ。


「ワシらが苦境に立たせられおるのは理解した。その上でお前さんはワシに何を望む?」

「アンデル先輩には是非とも新たな枢機卿として教会の再建に携わっていただければと」


 提案された内容は破格のものだった。

 出世街道を外れて地方巡りをしてきたアンデルを直々に使命して教会の中枢に据えたいというのが困窮した人材不足の現れだ。


「いきなりの大出世とは随分とワシを買ってくれたのぅ」

「今までがおかしかったのですよ。一時期はペトラ先輩と共に次期教会の幹部候補と言われていたのに小さな村や辺境の手伝いばかりなんて……」

「昔の話じゃ。人には相応しい場所や役割がある。適材適所な配属だったと思っておるよ。居心地もそんなに悪くなかったしのぅ」

「……異端審問会筆頭がですか?」


 教皇代理の言葉にアンデルの目がすうっと細まり、場の空気が冷んやりとした。


「こ、これでも教皇代理です。権限を使えば調べることは可能でした」


 後輩だった男は緊張の汗をかきながらも真っ直ぐにアンデルを見つめる。


「まぁ、そうなるじゃろうな。異端審問会の存在は秘匿されておる。そこに所属する異端審問官の顔がバレては捜査にならんからのぅ。存在を知っておるのは歴代の教皇のみじゃ」


 神聖教会の神官を罰する神官。

 教皇直属で任務を受け、秘密裏に捜査し報告をする。時には実力行使による異端者の排除も許されている機関である。


「そんなワシを表舞台に引っ張り出して枢機卿として働けとは思い切った人事だのぅ」

「異端審問会は教会の間違いを正し公平な裁定を下すために内部政治から独立した監査部です。そんな部署に長年いたアンデル先輩だからこそ教会の幹部として清廉な組織作りに協力していただきのです」


 自分よりも立場の低いアンデルへ深々と頭を下げた教皇代理。

 地肌の見える薄くなった頭頂部は心労が原因だろうか。


「お前さんの気持ちはよくわかった。その上でワシの返事はーー」


 ♦︎


「すっかり腰が痛くなって堪らんわい」


 アンデルは軽く背筋を伸ばしながら馬車を降りた。

 王都から国境沿いの未開拓の土地まで悪路続きで普段から似たような場所を回っていたアンデルにとっては慣れたものだが年齢のせいか体が重い。


「ほれ、行くぞい」

「お、お待ちください……」


 しかし、同乗していた若い神官の方はもっと酷い状態だった。

 乗り物酔いになり顔を青くして体調を崩しているのを情けないと思いながら持ち合わせていた調合済みのポーションを渡しておく。

 行きでこれなら帰りも同じようにフラフラになるだろうが、そこにアンデルがいないと若い神官が気づくのはまだ少し先のことである。


「魔族に理解ある辺境伯に元有名冒険者なギルド職員。悪くない人選で新しい陛下の気遣いが見えるのぅ」


 使節団として行動を共にしてきた面々を確認しながらアンデルは例の開拓予定地の村へと入った。

 まだ何もない土地だが、ここがアンデルの次の職場でありそのまま人生最後の時を迎える場所になるのだ。


「ワシは村の代表達へ挨拶をしに行く。お前さんは運んできた荷物の移動と捕まってる馬鹿者共の確認をしておけ」

「かしこまりました。いってらっしゃいませアンデル神父」


 アンデルは教皇代理の頼みを断った。

 王都で枢機卿として教会の組織運営に関わることを選ばなかったのだ。

 理由はいくつかあった。

 まず、異端審問会の筆頭でありながらゴグワール達の動きに翻弄され教会の信頼を低下させてしまった責任を取らなくてはならない。なので失態は全て自分のせいであるとし、筆頭の座も退いた。

 次に未来のための世代交代だ。清廉な組織作りをしようにも失敗した年寄りなんで老害でしかない。異端審問官としての弟子の育成は済んでいたのである意味ではタイミングが良かった。

 教皇代理にも枢機卿には比較的若い者を選ぶようにと伝えておいた。間違っても教皇代理より年上に頼んではいけないと忠告もしておく。

 そして最後に、気になる少女に会ってみたかった。

 アンデルがこの辺境に来た一番の理由は亡き友人の忘れ形見の成長を見届けるためである。


「聖女ミサキ。素性は不明だが高い魔力の持ち主で治癒魔法が使える。ゴグワールの手によって無実の罪で投獄される直前に失踪。次に人前に姿を現したのは王城に襲来した仲間のドラゴンを止めるため。なお、その時は魔王と共に行動していた……なーんもわからんのぅ」


 教皇直属の異端審問会筆頭として報告書を送るといつも返された手紙には娘自慢が書かれていた。

 友人から聞かされていた内容とドラゴンの王都襲来時に作られた資料を見比べるとおかしなところしかない。

 どちらが正しいのか間違っているのか。

 あるいはペトラ教皇の前では猫の皮を被っていた魔族側のスパイの可能性も捨てきれない。

 聖女ミサキと接触したことのある教皇代理は彼女を危険と判断しなかったようだが、再度詳しく調べる必要がある。

 ロイド陛下は魔族との関係改善に前向きだが、神聖教会としては慎重にことを進めるべきだ。


「一番意味不明なのは魔王がオーナーでドラゴンが住んでいる宿屋の女将を聖女がやっていることなんじゃが、どうしてそうなった?」


 異端審問官として数々の秘密捜査を行なってきたアンデルの前に人生最高難易度のミッションが立ちはだかった。

 簡単な顔合わせをした際の第一印象は普通の女の子と変わらないように見えたが、問題は隣にいたツノの生えた大男だ。

 長い間生きてきたアンデルはこれまで強者と呼ばれる存在を多く目にしてきた。

 格闘技のチャンピオンだったり複数の流派から免許皆伝を許された剣士や凄腕の暗殺者。

 ドラゴンの背に跨った竜騎士なんて珍しいもにも遭遇した。

 そんなアンデルだが、竜王を名乗る男の顔を見ただけで死を覚悟した。


「王都に銀色ドラゴンが襲撃したとは聞いておったが、まさか竜王がここまでの強さとはのぅ。捕虜にされた連中に死者がおらんのは奇跡じゃろ」


 薬草採取をしながらアンデルは呟いた。

 使節団が捕虜を連れて帰り、アンデルは現在仮設テントで暮らしながら周辺の環境調査や村人の観察をしていた。

 村周辺は未開拓の土地だけあって薬草が手付かずのまま群生していたので籠いっぱいに摘む。


「村の開拓は数年から数十年かけてするものじゃが、あの竜王のパワーと物作りに長けたドワーフの集団がいれば冬までにはひと通り完成しそうじゃ」


 竜聖の宿ミサキを中心とした人間と魔族による異例の開拓村。

 何もかもが異例尽くしでこれまでのアンデルの経験を活かせる部分があるのかと首を捻りたくなるが、それでもやはり足りない部分はある。

 重大な見落としに村人達は気づいているのだろうか?

 とはいえ、今のアンデルはそれを指摘出来る立場にいない。

 村人達はイーストリアン王国の出身とはいえ、神聖教会の人間に痛い目に遭わされたばかり。

 彼らを保護してくれたミサキには心を許しているが教会から派遣されたアンデルは警戒されている。

 だからこそ信頼を得るための一歩としてポーションを用意する必要がある。

 教会がここまで影響力を高めたのは聖女の力と医療に関する知識と技術を持ち合わせていたからだ。


「ワシだけだとポーションを受け取ってもらえんかもしれんのぅ。ミサキちゃんにも手伝ってもらって配るのが手っ取り早そうじゃ」


 黒髪の幼い顔立ちの聖女を思い浮かべながら村の一員として馴染むための計画を立てる。

 ミサキに協力を依頼する機会が訪れたのはそれから直ぐのことで、魔王に出会ったのも同じタイミングだった。

 名前を知られていたのは勿論、高名な神父だと言われた時には心臓が飛び出るかと思った。

 公式な記録ではアンデルは出世街道から外れた年老いたただの神父でしかない。

 だというのに魔王のあの態度はアンデルの裏の顔を知っているように見えた。

 自分と同じように隠し事をしながら相手の秘密を探るのが好きないやらしい相手だと察した。

 人間と仲良くなりたいという物好きな魔王から油断ならない同類へと認定しておく。


「やれやれ。一筋縄ではいかんと思っていたが、これは想像以上に骨が折れそうじゃ。お前さんの娘はとんでもない連中に好かれておるぞ」


 お気に入りのサングラスを綺麗に拭き上げながらアンデルはひとりごとを漏らす。


「死んだあとも世話が焼けるのぅ、ペトラよ」


 皮肉を込めながら不満そうにサングラスをプレゼントしてくれた亡き友へと語りかけるアンデルだったが、その唇は僅かに緩んでいるのだった。


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