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45話 女将さん、夢を見る

お待たせしました!

ここから第2章スタートです!


 分厚い雲で埋め尽くされた空からポツポツと雨が降り出した。

 徐々に地面に染みが広がっていき、街中を歩いていた人々は手で頭を覆いながら小走りに駆けていく。露店で商売をしていた者は慌てて店じまいをし、主婦は大急ぎで洗濯物を取り込む。

 そんな様子をぼーっと眺めながら私はひとりぼっちで困り果てていた。


「これからどうしよう?」


 思わず口から悩みが溢れた。

 予想外の雨に降られてしまったのだから雨宿りをするもよし、暗くなるならさっさと家に帰るのが一番いい選択のはずだ。

 ただし、帰る家の場所がわかっているならば。


「はぁ……」


 何度目かのため息をつく。

 ぼーっとしながらついさっきまでのことを思い返す。

 私は学校から自宅へと帰っている途中だった。

 教科書の入ったランドセルは重たく、水筒の中身は空っぽで、ナップサックに入っていた体操服は使った後で汚れていて体には程よい疲労感。

 小学校の下校中だった私は何故か気がつくと見知らぬ町の路地裏に倒れていた。

 立ち上がって賑やかな音がする方へ歩いた私は驚くべき光景を目にした。

 石畳の地面に荷物を乗せて動く馬車。鎧姿の人やヒラヒラのドレスを着た人。

 まるでゲームの世界のような光景が目の前に広がっていた。

 最初は夢だと思った。

 でも、頬を撫でる風は少し湿っていて屋台で売られている串焼きの匂いは香ばしい。足元には硬い石畳の感触があって聞こえてくる雑踏の音は繰り返される定型分じゃない。

 これは現実だ。

 むしろ私自身が場違いに浮いている。

 ここは私の知っている場所じゃない。私がいていい世界じゃない。

 だったら急いで引き返さなきゃ。家に帰らなきゃ。


「家って……どこにあるんだっけ?」


 気づいてからは早かった。

 私は地球の日本にある都会とも田舎ともいえない場所に住んでいた小学校だ。

 ゲームや漫画やアニメが好きで、運動は苦手だけど体育の授業は嫌いじゃない。

 好物はお菓子で、嫌いな食べ物は苦いものとすっごく辛いもの。

 そこまではわかる。知っている。思い出せる。

 でも、それ以外が出てこない。

 家の場所やクラスメイトの名前も、家族の顔と声すら思い出せない。

 記憶の中に穴が空いて虫食いみたいになっている。

 自分がわからない。

 それだけでも不安になるのに見知らぬ場所に一人でいる孤独が私を襲う。


「おい、そこのガキ」

「大丈夫です!」


 そんな時、ぬっと現れた強面な人に声をかけられて私は慌ててその場から立ち去った。

 人混みの中を掻き分けてひたすらに走った。

 自分の知っているものを探すため、自分を知っている誰かを見つけるために動いた。

 そうやって移動し続けて、とうとう疲労で歩けなくなった私は人混みの少ない路地の隅っこに座り込んで雨に降られた。


「これからどう……しよう……」


 何度目なのか忘れた呟きが空に消える。

 ポロポロと落ちる水が私の服を濡らしていく。

 雨はどんどん強くなって私の周囲には誰もいなくなった。

 どうして私がこんな目に遭うの?

 私が悪い子だったからバチが当たったの?

 でも、どんな悪いことをしたのかすら覚えてないのはなんでなの?


「私はどうすればいいの?」


 服の裾をギュッと握り締めた時だった。

 急に顔に当たる雨が止んで、大きな影が私を包んだ。


「おやおや、お嬢さん。どうされましたか?」


 低く落ち着いた優しい声が聞こえた。

 私が恐る恐る顔を上げると、傘を開いた老人が立っていた。

 胸元にぶら下げている十字架のアクセサリーがカチャリと音をたてる。

 一瞬だけキラキラした水晶のような何かも見えた気がしたが、確認する前に膝を曲げて目線を同じ高さにした老人の顔が近付いてきた。


「こんなところで一人だなんて迷子にでもなってしまいましたか?」


 白髪でシワの多い老人はローブの裾が地面に触れて濡れていくのも気にせずに穏やかな笑みを浮かべている。


「迷える子羊を救うのは聖職者の役目。儂は怪しい者ではない。教会の人間だよ」


 戸惑っている私の様子を察してか老人は自分の職業を明かした。

 お巡りさんではないけれど、緊急時の駆け込み先として教会は学校で教わっていた。

 多分、私の知る教会とは違うだろうけれど、差し出された手は私にとって暗闇を照らす灯りに見えた。


「私、迷子です。どこから来たのかもわからなくて、自分が誰かもわからなくて……」


 老人は近くで待たせていた馬車に私を乗せるとタオルで頭を丁寧に拭いてくれた。


「それは大変だっただろう。怖かっただろうによく勇気を出して手を取ってくれたね」


 私はただ縋りついただけなのに、老人はまるで誇らしいことのように私を褒めてくれた。


「君は……君やお嬢さんと呼ぶだけじゃいけないね。しばらく寝泊まりするなら名前があった方が便利だし、君を知る人を探すのに役立つからね。何か名前に関係する物はあるかい?」


 唯一の持ち物だったランドセルを指さされ、私はふとナップサックに入った体操服を思い出した。

 そうだ。どうしてこんな単純なことを忘れていたのだろう。

 袋から取り出した体操服の上着にはぐちゃぐちゃで不恰好なゼッケンが縫い付けあり、当然そこにはひらがなで名前が書いてあった。


「多分、『みさき』が私の名前です」

「ミサキくんだね。儂の名前はペトラだ。これからよろしく」


 雨音が強くなる中、私は少しだけ自分を取り戻せたような気がした。

 そしてこれが異世界に来た初日の出来事と養父(おとう)(さま)との出会いだった。



 窓から差し込む朝日が眩しくて私は目を覚ました。


「久しぶりにあの夢を見た気がする……」


 体を起こしてベッドの上で背伸びをしながらさっきまで見ていた夢の内容を思い出す。

 私が日本からこの異世界へやって来た最初の日の出来事。

 知らない世界で過ごした時間の中でもとびきり幸運だったのは養父様に拾われたことだ。

 右も左もわからない、自分のことすら忘れてしまった記憶喪失の子供を自分の娘として育ててくれた大切な人。

 そんな養父様のことを夢に見たのはきっとお墓参りをしたからだろう。

 住み慣れた教会に立ち寄ってお世話係をしてくれたロッテンバーヤさんと思い出話をしたのも影響しているかもしれない。


「少しだけ寂しかったのかな……」


 枕元に置いていた遺品の鍵を首からぶら下げてそっと触れる。

 この不思議な結晶の鍵のおかげで私の人生は大きく変わった。

 というか、私の人生は波瀾万丈過ぎやしないだろうか?

 日本から異世界へ転移して偶然教会の偉い人に拾われて魔法の才能があって聖女になったかと思えば追放されて国の辺境で宿屋の女将になった。


「こ、濃すぎる……」


 ここまで僅か三年である。

 あっちへこっちへと移動させられたおかげでたまに自分がどこの誰なのかわからなくなる時がある。

 未だに戻らない記憶のこともあるけれど、今はミサキという一人の人間として地に足をつけて生きていかなくてはならない。


「だってもう、私だけの問題じゃないからね」


 自分と同じように行き場のない人達を受け入れた。

 親を亡くした兄妹の面倒を見ると決めた。

 深い溝のある種族間の仲直りをしたいと夢見る人の手伝いをしたいと思った。

 この宿を自分の帰る家だと言ってくれた人がいる。

 センチメンタルな気持ちには一旦蓋をして今はやるべきことをしないとね!


 「よーし、今日も頑張るぞ!」


 自分を鼓舞するように声を上げ、換気のために窓を開ける。

 開けてすぐに私は後悔した。


「グォオオオオオオ……」


 思わず耳を塞ぎたくなるような豪快ないびきが聞こえた。

騒音の主は宿と畑の間のちょっとした広場でお腹を空に向けて寝転がり、ギャリギャリと鋭い爪で首元の鱗を掻く銀色のドラゴン。

 近くにはお酒の入っていた樽が複数転がっている。


「もう飲めないよ……」


 更には猫耳の冒険者風の服を着た女性とその仲間達が数名酔い潰れていた。


「アズリカ……それは僕の秘蔵の……いったいどこから……」


 最後に涙目でワインのボトルを抱いたまま寝言を呟く白髪の魔王が日陰で丸くなっていた。


「うーん、やっぱり教会に帰ろうかな?」


 大人達のあまりにダメダメな姿にさっそく呆れながら私は窓をパタンと閉めた。

 帰還祝いの宴とはいえ、羽目を外し過ぎでしょ!

 シリウスと幼いルーナちゃんの目に触れる前に教育に悪い大人達を叩き起こさねばと決意して私は宿の外へと向かうのでした。


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