4.視察の始まりの儀式
転移装置を出るとそこは山小屋の中で驚いた。
転移装置は普通、少し広めの交番くらいの大きさの建物の中に設置されていて、管理者がひとり常駐している。その建物を出ると普通は屋外なのだが、今回は転移装置の外はすぐにロッジ風の山小屋だったのだ。視察用の転移は直通らしい。凄い。
「お待ちしておりました」と三人の使用人が礼をしている。この三人は今回、この拠点となる小屋を整えるために遣わされた自然部の人達らしい。今日と明日、泊まる場所にもそれぞれ三人ずつ派遣されているとのこと。本当になんにもしなくて良くて、俺達はただ視察をするだけ、という素晴らしく簡単な行程に驚くばかりだ。
転移装置の傍に荷物置き場があり、そこにリュックを置くように言われ、フリオーゾの後について階段を上がる。二階の上の屋上に出ると、そこには魔法長官室の屋上にあったような丸くて大きな魔法陣があった。ただし魔法長官室の物と比べると直径が半分以下だったが。
「ここで出発前の儀式を行う。イントラーダ」
「はい」
フリオーゾの言葉にイントラーダが靴を脱ぎ、靴下まで脱いで裸足になる。フリオーゾも共に裸足になると、荷物に括り付けてあった腕の長さ程度の杖を手に取って呪文を唱えながら床にコンと当てる。するとその杖は一瞬でフリオーゾの身体よりも長く伸び、杖の先には人の頭よりも大きな飾りが現れた。細い金属製のたくさんの飾りが互いにぶつかり合ってシャラシャラと鳴り、陽の光に反射してキラキラと輝く。
「では、始めます。そちらのお三方は階段付近で邪魔にならぬよう静かに見学をしておいてくだされ」
教室より少し広いくらいの大きさの魔法陣の中央で、フリオーゾは抑揚をつけて祈りの言葉を唱えながら杖の底を床に何度もドン、ドン、と打ち付ける。その間、イントラーダは魔法陣の外で跪き、一緒に祈りの言葉を唱えながら魔法陣へ手のひらを当てて魔力を流し込んでいるようだ。
やがてイントラーダの魔力が魔法陣の反対側の端までたどり着いて輝きを増した。するとフリオーゾが魔法陣から出ないぎりぎりまで端に寄ってイントラーダに場所を譲った。イントラーダはしずしずと中央まで歩み進むと、胸の前で一度指を組んで瞳を閉じ、三十秒ほど瞑想した後、まぶたを開けて高い空を振り仰ぐ。それが合図なのか、フリオーゾが歌いだし、それに合わせてイントラーダが舞い始めた。
イントラーダの動きにマントがふわりひらりと揺れる。先程まで腰丈の長さだったはずのマントは今や足首までの長さに伸びていて、彼女が回転するとマントが広がってふわりと一緒に円を描いた。
フリオーゾが歌う歌は古語らしく、翻訳魔道具を使っていても全部訳してくれることなく内容が難しかったが、なんとなく意味が通じる部分を繋ぎ合わせて推察すると。
大自然に感謝をし、大いなる存在に生かされているということを忘れず、恵みの雨や穏やかな陽の光に祈りを捧げ、あらゆる生物と共に生きていくと心に留める、吹く風に身をさらし、自然の息吹に心を開き、あらゆる生命に想いを馳せる……そのような意味の歌だと感じた。
彼は歌いながら要所で杖をドンと鳴らす。もう片方の腕は円を描くように回したり、伸ばしたり上から下に降ろしたりして、この片腕だけで舞っているような姿だった。彼が杖をドンと鳴らすと、杖の底から魔法陣の光が一瞬輝き、それが波紋のように広がっていく。
同じように踊るイントラーダが跳ねて着地をすると、そこから光が円状に広がって、ふたつの波紋が水面で交わるように重なって揺れ広がった。
外周に向けて光が広がり魔法陣の端まで届くと、そこから更に外側に光がこぼれ弾けて消える。無数のキラキラした光が空中で円状に散っていく様を、時を忘れて見つめ続けた。
とても綺麗な光景だ。
こういうのを“神秘的”と言うのだろうか。
踊るイントラーダの額から汗が流れ、あごの下からひとつ雫が散った。
夢見るような表情、彼女の動きに沿って流れる赤い髪、手足を伸ばして回転したり飛び跳ねたりしても、邪魔にならず綺麗に浮き開く長いマント。
フリオーゾの力強い朗々とした歌とあいまって、夢のようなひと時が流れてゆき――イントラーダが最後の跳躍と共に立て膝でしゃがみ込み、両手を床に付いた後、フリオーゾが歌を終え、杖をゆっくりとドン、ドン、ドンと三回鳴らした。杖の装飾の金属がシャララ……と揺れ音を鳴らし、それがやむ頃、床の魔法陣の最後の波紋も徐々に消えて――。
イントラーダが床に倒れ込んだ。
「イントラーダさん!」
マドリガーレが声を上げるが、駆け寄って良いのか分からずオロオロしている様子であった。フリオーゾに問う視線を向けるとうなずかれたので、マドリガーレとふたりで、今や輝きを失った魔法陣に踏み入れて走り寄る。そしてふたりでイントラーダの身体を助け起こすと、彼女は「大丈夫、ちょっと疲れただけだから……」と微笑んだ。
「下に降りて休もう」
フリオーゾが声をかける。
自分の足で登ったのではないから気付かなかったが、ここは山の頂上、標高は三千五百メートル以上ある高地だそうだ。そこで五分ほども踊り続けたのだから、イントラーダは今、酸素不足になっているらしい。
一階まで降りて長椅子に横たわり、酸素の入った容器を使用人から受け取って呼吸を始めたイントラーダを心配そうに見つめるマドリガーレ。
「視察に来るたび、ああして儀式を行っているのですか?」
パストラーレがフリオーゾに問うと、フリオーゾは重々しくうなずいて肯定した。
「左様。我らコン・スピリトゥオ家に生まれた者は、幼き頃から自然と大いなるものに感謝して生きることを教えられて育つ。普段、人が生活をする場でない山々に不躾にも踏み込むのだから、感謝の気持ちを込めて挨拶の儀式を執り行うのが我らのやり方。自然は大きく、時には過酷である。万全の用意をしていてすら事故に合うこともあろう。自然に赦され、生かされていることを忘れてはならぬと……魔法長官の座に就く者には、これからも伝えていかねばとコン・スピリトゥオ家は考えておる」
「そうなんですね。教えてくださってありがとうございます。俺、フリオーゾさんの歌もイントラーダさんの踊りも、とても感動しました。なんか、こう……うまく言えないけど」
「はい、私もです。とても美しくて心が洗われるようでした。それから少し気になったのですが、高等部で一年生と二年生で習う歌と、似ているようで違っていました。学校で習う二曲と今回の儀式の歌は別の物なのでしょうか」
「うむ、高等部では第四家に伝わる儀式の歌を毎年ひとつずつ教えられていくが、一年時には朝の儀式、二年時には夜の儀式を習うのだ。今回の、視察の始まりの儀式で歌った歌は三年の冬に教わることだろう。更に四年生では視察の終わりの儀式での歌を習うはず。どれも似た様子で間違えやすい。混乱することのないよう、冬までにふたつの歌をさらっておくと良いだろう」
「はい、ありがとうございます」
「ねぇ、マーレ。マーレはイントラーダさんみたいに踊れるの?」
「そうね、朝の儀式と夜の儀式の踊りは、歌を教わった時に一緒に習ったから踊れるわ。でも今回の視察の始まりの儀式ほど長い曲ではなかったのよ。半分くらいの長さかしらね。だから今年は少し心配よ……覚えるのも大変そうだけど、何より五分間も踊り続けられるのかしらって」
「それって物質軽量化の魔術を使えば……って、あ、そっか、あれは学校で習わないんだっけ」
「そう。卒業して魔法庁に入庁してから習うものだから、毎年、あの課題を落とさずにやり遂げられるのは第四家出身の者ばかりね。第四家は小さな頃から踊りを覚えて生活しているけど、他の四家は皆、体力が続かなくて最後まで踊り続けられないの。そして一般学生には体力のある子も多いけど、今度は足を踏み込む時に魔力を送るということを習得するのに時間がかかるようね。結果として、儀式をきちんとマスターして合格できるのは第四家出身の者ばかり、ということになるの」
長椅子から身を起こしたイントラーダが笑顔で答えてくれた。
「イントラーダさん、もう大丈夫なんですか?」
彼女は既に洗浄魔術も終えたようで、すっきりした様子であった。
「ええ、もう大丈夫よ、ありがとう。マドリガーレさん、今回の儀式を見て気に入ってくれたのなら、冬までに体力をつけて踊れるようになって欲しいわ。大自然に感謝の気持ちを届けるのは本当に大切なことだから」
「はい、分かりました、頑張ってみます。この夏休み中、お時間空いている時があったら教えていただくことはできますでしょうか? 私、とても感動したのであの踊りを覚えたいし、ぜひとも冬には合格したいのです」
「ええ、良いわ。それならこれから星の曜日の午後、お互いに合う時があれば教えましょう」
「ありがとうございます! イントラーダさんの都合がつく星の曜日は必ず私も時間を空けます!」
「ふふっ、楽しみだわ」
女性ふたりは楽しそうである。俺は、にこにことふたりを見つめているパストラーレに質問をしてみた。
「パストさんも、高等部にいた頃に歌と踊りを習ったんですか? 合格できました?」
「うん、習ったよ。でも踊りは男性バージョンだったけど。女性バージョンはイントラーダさんが踊ったような感じで天高く飛び跳ねて魔力を空中に跳ね上げさせるイメージだけど、男性バージョンは地を這い魔力を染み込ませるイメージなんだ。元々男性の方が体力はあるし、男性はあの課題を合格しない者はかなり少ないね」
「そうなんですか……俺も踊れるようになった方が良いのかな?」
「うーん、どうなんだろう……どう思いますか、フリオーゾさん」
パストラーレがフリオーゾに問うと、彼は腕を組んで「うむ」と少しだけ首を傾げた。
「そうさの。本来ならば特に必要とはせぬと思うが……この儀式を行うのは自然部に勤め、視察に行く者のみだろうから。だが、今思いついたのだが、春先に行う大魔術。あの大魔術を行う前に始まりの儀式をし、終わった後に終わりの儀式を執り行えば、より一層大魔術が国土に行き渡り、染み込み、効果が上がるやも知れぬ。試してみるのも良いな」
「なるほど! そうですね! 試してみたいなぁ……でもアルマンドさんはともかく、アンティフォナさんは今更あんな飛んだり跳ねたりするような踊りなんかできないだろうし、ソラが魔法長官見習いになったら始まりと終わりの儀式だけマーレと一緒にして、大魔術はアルマンドさんとアンティフォナさんがする、っていうのをまずは試すのが良策かな……うん、ソラ、歌と踊りを覚えよう! フリオーゾさんが歌ってた歌と腕の動きを覚えて! それで大魔術の時にやって見せてよ! わぁ、楽しみだなぁ、どんな効果が出るかな、色々記録を取らないと。あ、録画できるかな、それから……」
なんだかフリオーゾから歌と腕の振りを俺が教わるのがパストラーレの中では決定事項のようだ。苦笑をするフリオーゾに「教えてもらえますか?」と聞くと「よかろう。こちらは容易ゆえ、すぐに覚えられるであろう」と言ってもらえた。それでこの視察の間、彼からまずは歌を教わることになったのだ。
始まりの儀式を、いかに神秘的に書くかで苦労しました。
少しは情景が伝わってくれていると良いなと思っています。
この章は第四家の生き方についても併せて紹介していくつもりです。
次回更新日は9月5日(水)です。




