2.物質軽量化魔術
そしていよいよ夏休み。
とは言っても、終業式の日を含め、初めの五日間は夏期集中講座だ。その後も七月末日まで、期末テストで赤点を取った人は補習がある。なんとかぎりぎり赤点を逃れられて本当に良かった。七月中にできるだけ宿題を進ませ、八月からあちらに行くための荷造りをする。まだ終わらせていない宿題や、辞書、資料集などを持ち、サッカーボールとマーカーコーンとポータブルオーディオプレイヤーも荷物に入れて、忘れちゃいけないトレーニング用の服とシューズも鞄に詰め込んで。
あちらでメイドさんから用意されて着る服って、ひらひらだったり、ぴっちりしていたり、スッキリスマートだったりして、いかにも“お貴族様”仕様なのだ。靴だって革靴だし、下手するとふくらはぎまですっぽりと覆うブーツを用意されていたりする。出されるから大人しく着てるけど、本当は窮屈なことこの上ない。そりゃあ、そういうひらひらやふわふわのお貴族様服はマドリガーレに似合うから、見ていて楽しいし可愛いし……って、違う、そういう話じゃなかった。
つまり、体力づくりのためにあちらでもトレーニングするよう計画立てているから、速乾性ティーシャツとかハーフパンツとかソックスとか、色々必要なのだ。それぞれ一枚ずつで良いのは助かった。洗浄魔術、万歳だ。水魔法訓練して良かった。それから元々風魔法が得意で良かった。
そうして俺は荷物を持って意気揚々(いきようよう)とゲートをくぐり、コントラルト国へ向かったのだった。
** ** **
二か月半ぶりの空。
夏が薫る風の中、すぐそこで彼女が俺を待ちわびてくれていた。
「マドリガーレ!」
手を振る彼女の元へ走っていくと、前回来た時と同じように、彼女は俺の手を両手ですくうようにして取り、ぎゅっと握ってきて、そして笑う。
「いらっしゃい、ソラ、待っていたわ」
そのウキウキした様子が本当に俺を待ち望んでくれていたのだと分かって、手を握られた照れなどほんの瞬きの間だけでどこかへ飛んでいってしまった。
何より、彼女に会えたこと自体が嬉しかったのだ。
「……元気だった?」
「ええ」
「そう、良かった」
「ソラは? 日本へ帰ってから体調は大丈夫だった? もう元気になったの?」
「うん、もうすっかり元気。夏休みに入ってからも身体鍛えるよう毎日トレーニングしてるよ。今度の自然部との視察で長時間山登りするんだろ? バテないようにと思ってさ」
「まぁ、ソラ、すごいのね」
「もしもし、ソラ義兄さま、マーレ姉さま、そろそろ良いでしょうか?」
急に会話に入ってきた幼い声に振り向くと、マドリガーレの弟のスピリトーゾが腰に手を当て、あきれたような顔でこちらを見ていた。
「お、スーゾ、久しぶり」
「お久しぶりです、ソラ義兄さま。マーレ姉さまと会えて本当にほんとーーーに嬉しいのは分かるのですが、そろそろこちらにも注意を向けてください。久しぶりに会ったのに、挨拶もせずに職場へは向かえないと、うちの両親が困っています」
「え?」
スピリトーゾの言葉に視線を周囲に向けると、俺の家族と、それを迎えに来たマドリガーレの一家が全員、こちらを注目していた……なんてこった。マドリガーレしか目に入っていなかったという事実に、首から上が熱くなるような気がする。アルマンド叔父が苦笑しながら近づいてきて、俺に握手を求めた。
「初々しい恋人たちの久々の再会に、水を差すのは気がひけるんだけどね、そろそろ出勤時間なので行かなくちゃならないんだよ。一応、挨拶だけは、と思ってね」
「は、はい、すいません、アル叔父さん。今日からまた二週間ほどお世話になります」
「ああ。存分に学んでいって欲しい。ただし、無茶は禁物。パストの言うことをよく聞いて、無理はしないように」
「はい、気をつけます」
そして握手を解くと、アンティフォナ叔母と従姉のアリアにも挨拶をし、スピリトーゾにデコピンをして「酷いっ、ソラ義兄さま!」と言われ、それを見て妹の麗美が笑い、解散となった。
こちらでも学校は既に夏休み。スピリトーゾは麗美を遊びに連れて行きたい場所があるとのことで、アリアに引率してもらってこれから出発するらしい。叔父夫婦と両親は魔法庁の魔法長官室へ行き、俺はマドリガーレと一緒にパストラーレのいる魔力研究部へと向かった。
途中、マドリガーレがよそ見をしていて柱に肩をぶつけたので、笑顔で手を差し出した。嬉しそうな顔を見て、手を繋ぐ理由があって良かったと、こっそり思った。
** ** **
「やあ、来たね、ソラ」
魔力研究部でパストラーレは俺達を笑顔で迎えてくれた。
「パストさん、お久しぶりです。よろしくお願いします」
「うん、ソラと会えて嬉しいよ。今回もなんかおもしろいもの色々見せてね」
なんだか毎回、色々やらかしているような気は、俺自身もちょっとくらいはしているけれど、やりたくてやっている訳ではないから勘弁して欲しい。しかもパストラーレの研究対象になる気は、全くこれっぽっちも無いのだから。
パストラーレの勧めてくれたソファに座ると、彼は今回の視察の概要と事前準備に必要なことを教えてくれた。
「まず、自然部の視察に同行する件だけどね。十日後に決定したよ。先方から必要だと言われた荷物と魔術がある。荷物はマーレの家に伝えてあるから、ソラの分も用意しておいてもらえているはずだよ。だからそっちは心配しないで」
「そっちは、と言うことは、魔術の方は心配なんですね?」
「察しが良いね。あと十日で覚えなければならない魔術がある。物質軽量化の魔術を使用できるようにしてくれと言われたんだ」
「物質軽量化魔術、日本にいる間に父から習うように言われました。でも俺は自分の手荷物くらい自分で背負って歩けるので、特に必要はないかと思ってます。なんでも夜は泊まれる場所に行くようだし、そこに荷物は事前に運び込んでもらえるみたいだから、移動時にはそんなに重量のある荷物を持つ訳じゃないって聞いたから。それに、宿で食事も出してもらえるんだから、食料だってお昼のお弁当くらいしか持たないみたいだし」
「うーん、手荷物は確かにそうだね……身軽で歩けるよ。でもなんだかソラは、僕が自然部の人から聞いた話と少し違うように捉えてる気がするなぁ。問題は荷物じゃないんだよ。大自然の中を進むんだよ? 険しい山道を歩くんだ。その辺の坂道を上るのとはわけが違うんだからね。必要なのは“自分に物質軽量化魔術を使って風魔法で後押しして山を登る”ということなんだ。道なき道を歩いて、切り立った崖を越え、急流の川を渡るんだよ。自然部の人達の足手まといになるのは困るから、できるようになっておいた方が良いと思う」
「なるほど……そうですか。最近、戻ってきたとは言え体力も万全ではないし、本格的な登山経験もないし、みんなの足を引っ張る訳にはいかないですよね。分かりました、教えてください。よろしくお願いします、パストさん」
「うん。それじゃ、魔術遮断室に行こうか」
「はい」
そして三人で北棟にある魔術遮断室へと移動した。
** ** **
「マーレって、この魔術、できるんじゃないの?」
パストラーレからの説明を、一緒になって真剣に聞いているマドリガーレに気づいて聞いてみると、彼女ははにかんだ表情で舌を出した。
「本当は、まだ習わない魔術を、本で読んで自己流でやってしまっているから。ちゃんと理論を聞いて基礎から発動手順を教えてもらおうと思って……」
どうやら物質軽量化魔術は結界魔法を使用するらしく、それは学校では習わず魔法庁に入ってから教わるというのだ。学校で習わない魔術もあるのかと質問したら、パストラーレが真面目な顔で説明してくれた。
「結界魔術とは、その名の通り物を閉じ込める魔術だ。物質軽量化とは、運びたい物を結界で覆って、風魔法で浮かせ、同じく風で後方から押すと移動するというものなのだけど、これは自分以外の生物にかけてはいけないことになっているんだ。なぜなら結界の中は空気の出入りも無いのだから。そのまま放置したらどうなる? あるいは術が失敗して解くことができなかったら? 万が一の事故が起きないよう、魔法庁に入ってから個別に習って訓練していくのが普通なんだ」
「そっか……ひとつ間違えると危険な魔術なんですね……」
「そう。自身にかけて移動を楽にし、体力温存させる場合は、十分程度に一度は結界を解いて中の空気を入れ替える必要がある。中に入っているのが自分なら、うっかり時間を忘れても息苦しくなってきたら気づけるだろうけど、たとえば子供を抱っこするのが重いからと言って物質軽量化してたら、うっかり買い物に夢中になって子供が窒息していた……なんてなったら取り返しがつかないだろう? だから物にしかかけてはいけない、生物は自分自身のみ、と決められているんだ」
「確かに、それは必要な決まりですね」
「うん。でも便利であれば使いたくなるのが人情というものだ。だから高等部できちんと魔法の基礎から応用まで学び、どういったものが危険か、どんなことが禁忌か、きちんと理解して卒業し、魔法庁で自覚をもって勤められるようになってから使用する許可が出るというのが結界魔法なんだよ」
パストラーレが笑顔で説明する傍らで、マドリガーレがばつが悪そうにうなだれ、ぽつりとこぼした。
「あの……私、ソラに対して物質軽量化魔術、使ったこと、あります……」
「マーレ」
パストラーレの驚いた声に、彼女はびくんと肩を揺らした。
「いつ、どんな時に使ったんだい?」
「前回、ソラが魔力暴走者を前にしても逃げようとしなかった時……」
マドリガーレが小さな声で、泣きそうになりながら説明を始めた。
「梃子でも動かないって感じで、ソラが魔力暴走者を見ていたから……ソラが巻き込まれて暴走したら、街をひとつ失くしてしまうと思って、現場から離れさせたかったの。でもどんなに声を張り上げても、私の言葉はソラの耳に入ってない感じだったし、どれだけ押してもソラが一歩も動いてくれなかったから……ごめんなさい、危険を知らずに、規則を破って魔術を使ってしまったわ……事故にならなくて本当に良かった……ごめんなさいね、ソラ」
目を潤ませ、唇を小さく震わせるマドリガーレに、俺はたまらず叫んだ。
だって、それは全部俺のせいだ。
「ごめん、ごめんよ、マーレ! 俺が無茶だったから……何にも知らなくて、感情だけで動いて、周りに迷惑かけて……ほんと、俺が悪いんだ、マーレにいっぱい心配かけた……反省してる……ごめんね、マーレ……」
胸の中で後悔が渦巻く。
あの時は無我夢中だった。
魔力を暴走した人と、怪我をしたおばあちゃんを、助けたくて仕方なかった。
自分ならなんとかできるとか、思いあがっていた訳じゃない。
奇跡を起こせると思っていた訳でもない。
でも、できることなら、できるだけのことをしたかった。
ただそれだけだったんだ。
だけど、無謀だった。
魔力暴走の本当の怖さを知らず、ついつい魔術を放ってしまったし、更に生命力を減らして家族をあんなに心配させた。
反省している。
してはいるけど、次に同じようになった時、絶対に同じ失敗をしないとは……なんだか自分でも言い切れない気がする……。
「うん、ソラがそもそもいけないんだよ。それは分かっているみたいだね」
「はい……」
「それに禁忌である治癒魔法まで勝手に使用してしまった。結界魔術は教えてもいないのに、春先にひとりで使っていたし、これはもう、魔法庁に入るまで教えないなんて言っていたら、命がいくつあっても足りないから、もういっそここで教えてしまおうということになったんだ」
「そ、そうだったんですか……」
パストラーレの言葉に身を縮める。
俺って、本当に問題児だ。
「物質軽量化の魔術……つまり結界魔法を覚えたら、次は医療魔術を教えるつもりだ。これは疲れがやわらぐ、痛みが少し減る、治りが少し早まるという感じで、相手の身体に元気を分け与える程度の処置をする魔術だ。だから大きな怪我を一瞬で治すことはできないけど、炎魔法で身体を温める、土魔法で成長促進させることによって、本人の免疫能力と自然治癒効果が高まるため、治りがずいぶん早くなるし、土魔法と水魔法の複合によって、痛み軽減の麻酔をかけることもできる。これをしっかりマスターすれば、自分の生命力を減らしてまで相手の怪我を治そうなんてしなくなるだろうと、話し合って決まったんだ。今回の滞在では、心して訓練し、併せて倫理や規律もしっかりと学ぶように」
「はい」
「マーレも、ね。実は、禁忌魔法も、発動に条件付きの魔術も、例外として許可が出る場合がある。前回の、動こうとしないソラを魔力暴走者から引き離そうとしたことなんて、人命にかかわり、周囲への多大なる影響を考えたら許可が出るはずの案件だと思う。だからそれに関して罰せられはしないけど“これは許可が出るものだと判断したから使用した”という訳ではないというのが問題なんだ。どんな場合に許可が出て、どこまでは駄目なのかを、きちんと学んで欲しい」
「はい、分かりました」
「という訳で、今回ふたりとも頑張って勉強してくれよ?」
「はい、よろしくお願いします!」
久々にソラとマーレのやり取りが書けて幸せでした。
問題児ソラ、なんとか周囲の心労を減らせるようになってくれると良いです。
次回更新日は8月31日(金)です。




